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プライバシーという語に適切な日本語が見当たらないの
は、昔の日本にはプライバシーという概念がなかったから
だという指摘がある。相互補助を基盤に成り立 つ村社会の
日常生活には、プライバシーを守るどころか、どこの誰
が、いつどうしたといった情報を共有することは必要不可
欠なことであった。家の形から考えてみても、しょうじや
ふすま一枚で区切っただけの部屋とも呼べないような空間
で、個人が情報を守って生活することなどとても不可能だ
った。
有人指出,隱私這個詞找不到適合的日文來表達,是因
為在以前的日本沒有隱私這樣的概念。在以互相幫助為基礎
而構成的鄉村社會的日常生活中,別說是保護隱私了,就連
某地方的誰、什麼時候做了什麼事等,共同享有這樣的訊息
是不可或缺的事。即使從家的構造來看,在僅僅只用一扇拉
門或一個格扇區隔著的,不能稱作是房間的空間,個人想要
保護自己的訊息而生活著是不可能的。
さらに、雇用にしても、長い間、終身雇用制度を維持す
るために、採用に当たって個人の素性が重要視され、出
身、家族構成、宗教、学歴に始まり、本人はおろか身内の
病歴に至るまで、ありとあらゆる情報が求められた。こう
した歴史の環境の下では、プライバシーがなかったという
よりも、日本にはそもそもプライバシーの育つ土壌がなか
ったというのが実情だったのである。
而且,即使是僱傭,長久以來為了維持終身僱傭制度,
在錄用時個人的來歷(身世)被重視,從出身、家庭成員、宗
教、學歷開始,別說是本人甚至連親人的病歷等,被要求知
道所有的資料。在這種歷史環境之下,與其說沒有隱私,不
如說是日本最初就沒有隱私的概念。而這是實際的情況。
しかしながら、戦後、工業国として発展を遂げるにつれ
て、プライバシーという概念が注目を浴びるようになっ
た。プライバシーを確立するために、個人の空間が大切に
され、プライバシーを侵害しないため、就職時の身辺調査
をなくすなど数々の改善も図られてきた。たとえそれが公
の場であれ家庭であれ、個人の生活に干渉しないという意
職が当たり前のこととして世間一般に浸透し、日本にもプ
ライバシーが根づき始めたと言われる。
然而戰後,隨著作為工業國家達到發展,隱私這樣的概
念變得受到重視。為了確立隱私,個人空間被重視,也為了
不侵犯隱私,謀求取消就業時的身家調查等等各種的改善。
不管在公共場所或是在家裡,據說不應該干涉個人的私生活
這樣的認知被當作是理所當然的事情滲透到一般社會上,而
且隱私也開始在日本生根了。
だが、実態はどうだったのだろうか。高度経済成長時
代、ある出版社がビジネスマンのプライバシーに関する調
査を行い、特集記事を組んだことがある。その集計結果を
分析し、さらに取材を進めると、そこには予想もしなかっ
たような、もはや哀れとしか言いようのないようなサラリ
ーマンの姿が浮かび上がった。
但是,實際狀況是怎樣呢?在經濟高度成長的時代,某
出版社曾經進行關於上班族的隱私調查,編輯過特集報導。
分析這個統計的結果,然後進行採訪,而結果浮現出沒有料
想到的,只能說悲哀的上班族的樣子。
回答多数が「唯一、通勤電車の中で 物を読んでいる時間
だけが、自分一人の時間」であり、「会社では散々仕事に
追いかけ回され、家では父親、夫としての立場、役割を意
識せざるを得ず、そう簡 単に一人になれない」というので
ある。身動きすらできないラッシュと時の混雑の中で顔と
顔を突き合わせ、雑誌や文庫本に没頭し、周りの世界から
自らを切り離す。そうして、辛うじて一人の時間を守って
いる。これが精々当時のサラリーマンに許された「プライ
バシー」の実態だったのである。
多數的回答是「只有在上下班的電車中閱讀的時間,才
是自己一個人的時間」,「在公司被工作追趕地很慘,還有
在家裡時不得不意識作為父親、丈夫的立場和角色,無法簡
單的擁有一個人的獨處時間」。在連身體也無法自由活動的
尖峰時刻的混亂中,臉對臉,埋頭於雜誌和袖珍本,把自己
與周遭隔離開來(沉浸在自己的世界)。這麼的做,而勉強
守住自己的時間。這個就是當時的上班族被允許的最大限度
的「隱私」的實際狀況。
ところで、その通勤電車の風景が、最近少し変わってき
ている。席に着くが早いか、傍らに置いたバッグから大き
な鏡を取り出し、人目をはばかるふう もなくけ化粧に精を
出す若い女性がいる。ファンデーションから始まり、アイ
ライン、ほお紅そして口紅、周りにまゆをひそめる人がい
ても、そんなこと一向に 気にせず入念に仕上げていく。
但是,這個通勤電車的景象最近稍微改變了。有些年輕
的女性,一坐到位置上,就從放在旁邊的包包中拿出大鏡
子,不顧忌旁人的眼光很起勁的化著妝。從粉餅開始,眼
線、腮紅然後到口紅,即使周圍的人皺著眉頭,卻一點也不
在意的仔細的完成(化完妝)。
その横では、スーツ姿の男性が両足を投げ出して漫画を
読みふけっている。「大の大人が漫画とは。それも、より
によって人前で...」そんな批判など、聞かれなくなっ
てもう久しい。透明の壁に囲まれた自分だけの空間で、一
心不乱に読んでいる。そうかと思えば、黙々と、あるい
は、少しニンマリしながら携帯電話の画面とお見合いを続
ける若者もいる。プライバシーの確立を目指した社会が生
み出した、好きなときに好きなことを好きなようにやると
いった風潮の典型が、この電車の中の光景である。
而在旁邊(女生旁),穿著西裝的男性伸長雙腳,埋頭
看著漫畫。「都這麼大的人了居然在看漫畫。而且偏偏要在
眾人面前...」像那樣的批評已經很久沒聽到了。在被透
明的牆壁包圍著的自己的空間裡,一心一意的閱讀著。另一
方面,默默地,或者是一邊微笑著一邊一直盯著手機畫面的
年輕人也有。以確立隱私為目標的社會所產生出來的是,喜
歡的時候做喜歡的事,這種風潮的典型,就是這電車裡面的
景象。
プライバシーの語源は「公的な生活から自分の領域を切
り離し、自分の自由にできる領域を作り出す」ことだと言
う。そうであるとすれば、プライバシーを守るということ
は、「自分の領域を守る」ということにほかならない。自
分の領域で化粧をしようが、漫画を読もうが、携帯でやり
取りをしようが、他人にとやかく言われることはない。確
かに、その通りである。しかし、忘れてはならないこと、
それは、公的生活あっての私的生活という点である。
プライベート(私人的)這個語詞的原意是說「把自己
的領域從公共的生活中分開來,去製造出自己可以自由的領
域」。如果是這樣的話,保護隱私這件事不外乎就是「保護
自己的領域」。在自己的領域裡化妝也好、看漫畫也好、用
手機聯絡也好,沒有必要被別人說三道四的。確實是如此。
但是不能忘記的一點是,因為有公共的生活才會有私人的生
活。
公的生活を尊重しようという姿勢を見せて初めて、自ら
のプライバシーも尊重され、保護できるのである。他人の
生活は自分の日常とは関係ないという現在の風潮は、公的
生 活を尊重するどころか、他者から自らを切り離して生き
る。無関心な姿以外の何物でもない。今の日本人は、公的
空間と私の空間の区別ができなくなってしまっており、そ
の結果、公的生活と私的生活という意識もすっかり薄れて
しまっていると言っても過言ではない。
要先表現出想要尊重公共生活的態度,自己的隱私才會
被尊重受保護。他人的生活與自己的生活沒有關係這樣的現
今的風潮,別說是尊重公共的生活了,它就只是把自己和別
人切割來生活的漠不關心的態度。現在的日本人變得無法區
分出公共生活空間和私人空間的結果,公共生活和私人生活
這樣的認知變得非常的薄弱,而這麼說一點也不為過。
こんな無関心の支配する今の風潮が続けば、一人ひとり
が孤立し、ついには、他人とのコミュニケーションができ
なくなり、社会生活に必要とされる人間関係すら築けなく
なってしまうということになる。こうした視点から見直せ
ば、今の「引きこもり」問題などは、決して社会からはみ
出した一部の人たちの問題ではなく、人間関係が築けなく
なった社会状況が既に根づきつつあり、それが一つの社会
現象として表れていると言えなくもないのである。
像這種漠不關心當道的現今的風潮持續的話,人人都會
變得孤立,最後就變得和他人無法溝通,甚至被認為在社會
生活中需要的人際關係也都無法建立。從這樣的觀點重新審
視的話,現今「足不出戶」的問題等等,絕對不是異於社會
的一部分的人的問題,無法建立人際關係的社會狀況已漸漸
生根,可以說是一種社會現象的表現。
プライバシーが育たなかった日本社会で、時間的にも物
理的にも、今、簡単に自分自身の空間を手に入れることが
できるようになった。プライバシーの 確立、擁護がうた
われ続けた結果、それに関する意識もかつてないほど高ま
ってきている。しかしながら、プライバシーの確立が目指
したものが、公共生活から自らを切り離し、他人と関わる
ことなく必死でプライバシーを守ろうとする「一人ぼっち
の無関心」であっていいはずがない。
在沒有隱私的日本社會裡,時間上也好物理上也好,現
在變得可以簡單的擁有自己的空間。持續堅持要確立、擁護
隱私的結果,有關於隱私的認知比以前還來的高漲。然而,
確立隱私的目的不應該是,把自己從公共生活中切割,和他
人毫無關係,一昧的拼命想要保護隱私的「一個人的漠不關
心」。