アンバランスな口づけを ID:87531

アンバランスな口づけを
なんぷらー
︻注意事項︼
このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にP
DF化したものです。
小説の作者、
﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作
品を引用の範囲を超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁
じます。
︻あらすじ︼
戸愚呂と幻海がハンターハンターの世界でちょっとラブラブしな
がらまったり生きるお話。
目 次 冥獄界の果て │││││││││││││││││││││
異界の地 ││││││││││││││││││││││││
オーラと霊気 │││││││││││││││││││││
1
12
20
冥獄界の果て
咎を犯した魂は霊界にて裁きを受け、そしてそれぞれの刑罰の道へ
進む。
苦行の果てに魂に染み付いた罪は洗い流されて、
無垢なる魂となって新たな生命に転生する。
それがこの世界の基本的な命の流れであり理。
命は流転する。
しかし、その理が適用されない〟道〟が一つある。
﹃冥獄界﹄。
それは地獄の中でも最も過酷な世界で、
あらゆる苦痛を一万年かけて与え続けそれを一万回繰り返す。
その果てに魂を待ち受けているのは完全なる〟無〟。
浄化と流転さえ許されず消滅し虚無に還る⋮⋮⋮魂にとってこれ
1
以上の絶望はない。
冥獄界に晒される時、咎人は皆押し寄せ続ける苦痛で無様に泣き叫
ぶものだが、
今、まさに9999回目⋮9999年12ヶ月30日間の苦行を果
たしてきたその魂は、
これまでにない程に満ち足りた顔をしている。
全ての苦痛を当然の罰として受け入れ続けてきた彼は、
今ようやく生前に犯した己の罪を許してやれそうな気がしていた。
﹁これで⋮⋮全てが終わる⋮⋮⋮﹂
あと一日⋮⋮⋮与えられる苦痛を受け入れた時に彼は消える。
その時、彼は始めて自分の罪と弱さを忘れて安らかになれるので
あった。
そしてそれは始まる。
︶
どこまでも広がる闇の中に静かに座す彼へ、
︵⋮⋮⋮⋮っっ
炭化した彼は、だが次の瞬間には何事無かったかのように復元され
突如巻き起こった業火の嵐が迫り焼き焦がす。
!!!
て⋮
すぐに隙間なく空間を埋め尽くす無数の針が彼を貫いて擦り潰す。
またも彼は再生し復元されて、
生皮が少しずつ剥がれ落ちて剥き出しになった肉が徐々に削がれ
ていく。
指先が少しずつ捻じれていき、
やがてその捻じれが数ミリ感覚で全身に広がり彼を細切れに捻じ
り殺す。
彼の体内に突如、虫が湧き出てき内側から彼を食い殺す。
サイコロ状の無数の肉片になるまで切り刻まれる。
おぞましい汚物をひたすらに穴という穴に流し込まれ破裂する。
煮えたぎり油が空間を満たして彼を煮殺す。
自我を崩壊させることも、精神が砕けることも許さずに魂の心身は
再生される。
これはほんの氷山の一角に過ぎないが、
噂に違わぬあらゆる苦痛をこの男は受け入れてきた。
そして待ち待った完全なる無が、消滅がすぐそこに待っている。
霊魂も想いも、残留思念の欠片も残さずこの世界から消え去る彼
が、
本能的に、自然に脳裏に去来させた光景は⋮⋮、
妖怪潰煉が弟子を食い荒らし己を叩きのめす姿。
黒髪の跳ねっ返り少年がありったけの力を振り絞った霊丸で自分
を打ち砕く姿。
そして、何度も何度も諦めずに自分を人間の道に戻そうとした桃色
髪の美しき老婆。
同じ髪をした、自分を悲しげな瞳で見つめる小さな体の美しき少
女。
﹁⋮⋮⋮世話ばかりかけちまったな﹂
いつか、その老婆であり少女であったその人と交わした最後の言葉
をそっと呟く。
今頃は、彼女は何度目かの転生を繰り返して、
2
幻海という人格などとうに消え失せているだろうが⋮⋮。
﹁一度くらい⋮⋮⋮もっと優しく抱いてやれなかったものかねぇ⋮⋮
オレも﹂
などとらしくもない独り言を繰り出してしまうのは、消滅する寸前
という安心感だからだろう。
誠に彼らしくもない油断だったといえる。
なぜなら、
﹁そうかい。 ようやく気が付いたか。
遅いんだよこの朴念仁﹂
ちゃっかり聞いていた冥獄界への闖入者のその声は、紛れも無く幻
海のもの。
彼は虚ろ気味な双眸を見開いて、
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 最 期 に こ ん な 幻 覚 と 幻 聴 を 見 せ て く れ る と は な
⋮⋮⋮。
3
霊界もなかなか粋なことをするもんだ﹂
自分を嘲るように微かに笑うと、その〟幻覚〟へ語りかけた。
絹のように流れる桃色の髪を結った見慣れた髪型。
あまりに懐かしい、道着姿。
武闘家とは思えぬ小柄すぎるその華奢な体。
少女は負けん気の強うそうな凛とした声で、
﹁幻覚相手なら素直になれるってもんだろ
少し首を傾けて、
彼は頭に疑問符が浮かんでいるのがありありと想像できる表情で
少女が少し頬を紅潮させながら言うと、
それに、さっき言ったこと⋮⋮⋮やってみせなよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮もうちょい足りないね。
お前に出会えたこと⋮⋮それだけでオレの人生は報われていた﹂
最期にお前に会えて良かった⋮⋮⋮。
﹁あぁ、そうだな⋮⋮⋮幻海。
真っ直ぐに彼を見つめながら言った。
ほら⋮⋮なんか言わなきゃいけないこと、あるんじゃないか﹂
?
﹁おい、どこまで鈍いんだよ
﹂
幻覚にまで突っ込まれてちゃ世話ないよ
優しく抱けってんだこの唐変木っ
﹂
﹁あたしのこと、どう思ってる
まぼろし
たっぷりとそのまま彼に包まれて、やがてその目を開くと
少女はその言葉を噛みしめるように瞳を閉じる。
ゆっくり、たどたどしくそう告げた。
﹁愛している。 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮世界で一番⋮⋮お前だけを﹂
前置いて、
少しバツの悪いように俯いて頭を軽く掻くと、柄じゃあないが⋮と
優しく崩れて、
ほら言えよ、とスネを蹴ってきた少女に思わず彼の生来厳しい顔が
い﹂
一万年を一万回繰り返したって、ちっとも乙女心をわかっちゃいな
﹁女は時に言葉を求めるもんなんだ。
﹁言う必要は⋮⋮ないだろう﹂
﹁それが幻覚ってもんさ。 ほら、さっさと言いなよ﹂
﹁⋮⋮⋮随分オレに都合のいい幻だ﹂
でそう言うのだった。
広く深い胸に華奢な体の全てを投げ出して、珍しく甘えたような声
は、
暖かな寝床で丸くなる猫のようにただ大人しく腕に抱かれる彼女
あたしに吐き出して﹂
どうせ幻覚だ⋮⋮⋮⋮あんたの、正直な思い⋮⋮その全て。
?
少女の先程の言葉の意味を求めてみる。
くめる巨漢の彼は、
これは幻覚なのだから、と優しく包み込むようにして少女を抱きす
﹁何が足りない
自分を抱き包ませる。
幻覚のはずの少女がぐいっ、と彼の逞しい腕を引っ張るとそのまま
!
!
!
﹁どんだけ待たすんだよ、この馬鹿﹂
4
?
またもやスネを蹴りながら、うっすら涙を浮かべてやや震えた声で
そう言った。
﹁泣いた顔⋮⋮⋮初めて見るな﹂
﹁あんたが泣かした﹂
一 筋 落 涙 し な が ら 微 笑 ん だ 彼 女 は、心 底 美 し い。 彼 は そ う 思 っ
た。
﹁死んでも治んない馬鹿だから、あたしが付いてなきゃ不安だ。
付いてってやるよ⋮⋮⋮〟無〟とやらにね﹂
もうバカ弟子の面倒も見終わったしね、
﹂
と清々した顔で伸びを一つした彼女を見てようやく、
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮幻海
﹂
﹂
優しく少女を抱き包んでいた太い腕が固まる。
﹁⋮⋮なんだい
きょとんとした顔で少女が答える。
﹁いや、その⋮⋮⋮マボロシ⋮⋮だよな
自分に都合がいいはずの幻覚が、
っとくりっとしたツリ目をまん丸に開いた彼女は、
に不安がよぎる。
はぁ
﹁あんた、まだあたしを幻覚の類だと思ってたのか
入りだ﹂
さすがだよ、と呆れ顔の幻海を見る彼のイカツイ顔が
みるみるうちに冷や汗でいっぱいになって、
﹁⋮⋮⋮⋮さっきの言葉は、忘れてくれ。
いや、そうじゃなくてだな⋮⋮なぜお前がここにいる。
オレは⋮⋮冥獄界にいるんだぞ。
それもお前が死んでからどれだけ年月が経ったと思ってる。
まさか、おまえも冥獄界に受け入れた⋮⋮なんて言い出したら、許
さねぇ﹂
口調が少しずつ、妖怪転生前の若々しい人間時代のものへとなりつ
5
?
予期せぬ⋮自分の想像を遥か上をいく提案をしだしたのを見て彼
?
?
⋮⋮⋮⋮⋮⋮分かって言ってたんじゃないんだ⋮⋮⋮これは、筋金
?
?
つある。
数えきれぬ苦痛の果てに彼の魂が背負った罪過がやや浄化され、
そして若い魂の幻海に引っ張られたのだろうか。
自分のことは棚に上げて、幻海が苦痛の果てに消え去る⋮
などと意味のない行為を受けることは許さない彼であった。
﹁馬鹿だねぇ。 あたしがそんなバカなことするわけないだろ
どっかのバカと違うんだ。
あたしは生前の功績が認められて自分の行く末を決めることを許
されてんだよ。
だから⋮⋮⋮⋮⋮待った。
そして、あんたと一緒に消える⋮⋮⋮⋮そうコエンマに││
││おっと、今じゃエンマ様だったね⋮⋮に許可させた﹂
ついでにさっきの言葉は死んでも忘れないよ、と最後に付け加えら
れて、
彼は片手で自分の顔を覆って首を緩く振るう。
彼の一生の不覚であった。 もっとも、一生は終わっているのだけ
ど。
﹁バカで悪かったな。
だがお前も負けず劣らずだ。 一緒に消えるだと
じゃない
﹂
あんたが押し付けた幽助のお守りも終わったんだ
﹂
もう待たないから
冥獄界に服役中の彼が知る由もないが、
凄まじい剣幕で言い返されるのだった。
あたしの魂の終わり方はあたしで決める
一億年も待たせやがって
もう好きにさせてもらうよ
頑固もん
﹁ふざけてんのはどっちだい
!
の継承者は、
今では魔界で立派に闘神をやっていて気の遠くなるような年月、魔
6
?
ふざけるな お前の魂は、オレなんかと一緒に消えていいもん
?
!
!
確かに、道を踏み外さないように面倒を見ろ⋮と遺言した霊光波動
!!
!
!!
!!
!
!!
界の支配者を務めている。
﹂とか﹁もう幽助様の趣味だけでやっ
魔界統治者を決めるトーナメントの連続王者記録を塗り替え続け
ていて、一部妖怪達から
﹁もうやる意味ないんじゃない
てるでしょ﹂
という声が噴出していたり、つい10万年前には三大妖怪の闘神幽
助と妖狐蔵馬、そして邪眼の飛影とで
久しぶりのガチバトルをやったりして楽しくやっているらしいが、
とりあえずもうこの二人には関係ない。
幻海は﹁頑固もん﹂と言うが、彼女とて同類だ。
幽助が人間であった時代、意地のぶつかり合いで殺し合いをしたの
も今は昔。
お互いが強く睨み合いを続けること十数分⋮⋮、
とうとう彼が折れて、
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮わかった。 もう何も言わん。
やっぱり、最後の最後まで⋮⋮⋮⋮⋮⋮世話かけちまうようだな﹂
あの時のような優しい笑顔で彼女を受け入れた。
幻海もまたニカッと笑い、
﹁とうとう⋮⋮あたしが勝った。
あたしの意見入れさすまで⋮⋮⋮⋮時間かかったよ、ほんとにね﹂
感慨深そうな、我侭な我が子を見るような瞳で彼の瞳を真っ直ぐに
見つめる。
一万年⋮⋮それを繰り返すこと一万回⋮⋮⋮
一億年の時を待ち続けて、とうとう彼が幻海の元に戻ってきた瞬間
であった。
あの時のように一瞬の交差ではなく、正真正銘、歩む道が混ざり絡
みあう。
二度と離れることがないように、お互いが離すものかという確固た
る意思。
7
?
それらが解けることは、きっともうないだろう。
﹁さっ、時間だ。 いくよ
!
無って奴がなんなのか、見てやろうじゃないか﹂
ぴょん、と跳ねるように彼の胸元から飛び出した幻海は、
冥獄界の暗闇を跳ね除けるかのような眩しい笑顔で彼の横に並び
立った。
﹁ああ⋮⋮⋮一緒に行こう、幻海。 オレは、もうお前の横からいなく
ならない﹂
そう言うと、彼はゆっくりとその歩を進める。
大柄の彼はその歩調を小さな幻海に合わせようとして、その瞬間、
﹁お、おい﹂
ここはもともとあたしの特等席だったんだ。
﹂
またもやぴょん、と跳ねた少女はそのまま幅広の彼の左肩に飛び
乗って、
﹁いいだろ
あんたの兄貴から返してもらっただけだよ﹂
へへへっと楽しそうに笑った。
て、二人は歩き出していった。
その光が、無に繋がってなどいないとは知らず⋮⋮。
いや、正確には消滅して無になるので合ってはいる。
合っているのだが、それは〟この世界〟からの消滅であったのだ。
すなわち、霊界が把握している時間、空間、世界からの消滅。
冥獄界の果てに待っているのは完全な無ではなく、
霊界が完全に把握できない異なる世界への漂流がその実態であっ
た。
異なる次元へ行き、そこから戻った者がいない⋮⋮⋮。
8
思わず彼も釣られて笑い、
ってね。
﹁そういや、そうだったな﹂
﹁いざ、消滅へ
戸愚呂は幻海の腰をしっかりと支えた。
幻海は戸愚呂の首筋へしっかり右腕を絡ませ、
魂が無に帰す悲壮さを微塵も感じさせず幻海は彼の名を呼んだ。
待たされたぶん、消えた後だってこき使ってやるからな、戸愚呂
!
冥獄界を包み込みだした何もかもを白く塗りつぶす光点に向かっ
!
!
つまりは消滅である。
二人の視界は白い光に包まれて⋮⋮⋮⋮そして意識を失った。
長い長い夢を見ていた気がする。
戸愚呂は目を開けた時に目の前に広がる光景を見てそう思った。
若かりし頃の幻海が、
﹁おい、おいって。 起きろー﹂と言って自分
を起こしてくるものだから、
まるで人間時代に霊光波動の修行に打ち込んでいた時のように錯
覚する。
自分の腹の上に乗っかかって体を揺すって起こしてくる幻海は、
若い容姿も相まって非常に魅力的であった。
9
﹁⋮⋮⋮いい年して、恥ずかしくないのか﹂
と戸愚呂が言った瞬間、スパーンと頭を叩かれて
﹁あんたもあたしも一億才だが、それがどうしたってんだよ﹂
と言った直後にそのまま頭突きを胸にかました。
短く﹁うぐ﹂と詰まった息を漏らした戸愚呂は、そのまま上半身を
起こして周りを見渡すと、
﹁⋮⋮⋮冥獄界の果てにあるのは完全な無⋮⋮ってのは﹂
﹁霊界お得意の誤報⋮⋮⋮あるいは勘違いの思い込み﹂
戸愚呂の言葉を幻海が引き継いで、言わんとする事を当ててみせ
た。
彼らの視界に広がる風景は、どこまでものどかで、
空は青く海は広く⋮⋮緑は青々と茂り、空気は旨い。
﹁ま、いいんじゃないか
﹁霊界も、相変わらず適当だな⋮⋮⋮⋮。
幻海の姿にしばし見とれていた戸愚呂だったが、
風に吹かれた桃色の髪が柔らかく揺れる。
あんたは散々苦しんできたんだ。 こんなご褒美があってもさ﹂
?
オレの服とサングラス⋮⋮⋮それに、妖怪の体も元通りか。
﹂
だというのに、何故お前は老いていないんだ﹂
﹁霊魂の最後の姿が〟これ〟だったからだろ
﹂
浮かんだ疑問にあっさりと幻海が答えを出す。
﹁年を取るのが自然な姿なんじゃなかったか
﹁あんたみたいに外法を使ってまで若いままでいるつもりはない。
ってだけで、知らない間に若返って蘇ったんならそれはそれで楽し
まなきゃ損だろ。
あんたのせいで失った青春⋮⋮⋮どうやらた∼∼っぷり取り戻せ
そうだ﹂
イタズラな笑顔を浮かべた少女・幻海は声に出してニヒヒっ、と笑
う。
その姿を見ていると、
︵本当に時が巻き戻ったかのような⋮⋮⋮本当に夢⋮な訳がない、な︶
と思いそうになるが、己の肉体から漂う気が妖気であるので、
間違いなく忌まわしい一連の出来事の後ではある。
﹁とりあえず、あたしらは生きている。
ここは冥獄界でもないし霊界でもない。 ひょっとしたら人間界
に生き返ったのかも﹂
なにせ、たった今少女の腹からく∼っという音が聞こえてきて空腹
をアピールしてきたのだ。
死んでる最中は飢餓地獄でもない限り腹がへることはなかった、と
知っている両名である。
﹁情報が足りないな。 とりあえず⋮⋮⋮あちらに行こう、幻海﹂
風が運んでくる人間の気配に向かって歩き出した戸愚呂。
を追いかけて跳躍し、ひとっ飛びで大柄の相棒の左肩に飛び乗る幻
海。
その顔は、どこまでも嬉しそうだ。
︵順 当 に 年 取 っ て ⋮⋮ バ バ ア を 経 験 し て る っ て い う の に、我 な が ら
ちょいと年甲斐もないね︶
と幻海も思わないではないが、
10
?
?
どうも生きた若々しい肉体に精神がしっかり影響しているように
感じる。
ゆっくりとドッシリと歩くこの男の肩に座っていると、余計に精神
が若さを取り戻す。
我ながら呆れる⋮と小声で呟いた幻海は、
頬を少し染めながらしっかりと戸愚呂の首へ手を回した。
11
異界の地
一億年。
惑星上で一種族が栄えて滅ぶ一サイクルを刻める程の年月は、
一個体には余りにも長過ぎるものだ。
戸愚呂はともかく、待つ身の幻海はひたすら暇であった。
ただ無為に過ごしていただけなら悠久の年月が彼女の魂を衰えさ
せて、
有り体に言えばボケていただろう。
転生せずに一個の人格を一億年も維持し続けていれば経年劣化も
しようというものだ。
だから彼女は、気の済むまで霊界の一際高い山で瞑想に耽って気を
充実させたり、
延々と一人で武道の型を繰り返したり、
友人である霊界の水先案内人・ぼたんが
現世で手に入れたその時代の最新ゲーム機で遊んだり、
ぼたんに泣きつかれてその時代の大問題の調査に助力したり、
一通り楽しんだのでその後は戸愚呂の刑期が終るまで
冷凍睡眠のような感じで数千万年眠ってみたり⋮⋮
とまぁ彼女なりに死後ライフを楽しんでボケ防止に勤しんでいた。
ちなみに飲まず食わずで済む霊魂の体であることをいい事に
瞑想の最長記録を叩きだして、その時間はなんと二千万年⋮飛んで
1時間だとか。
さすがはやり込みゲーマー気質である。
戸愚呂も戸愚呂で、苦痛が一つ終る度に
その経験と記憶を引き継ぎながらも精神の摩耗は損壊した肉体ご
と再生されていた。
なので精神は消耗しておらず魂に衰えは見られない。
寧ろ、瞑想や苦行を延々繰り返した二人の魂はある意味でより強力
になったといえる。
そんなわけで、ずっと死んでいた二人は久々の空腹感にちょっと感
12
動していた。
超人的な身体能力と霊力と妖力という異能を持っている彼らは、
目ざとく⋮⋮いや、鼻ざとく美味そうな匂いを嗅ぎとってその方向
にフラフラと歩いて行った。
﹁⋮⋮⋮普通に人間がいるじゃないか﹂
﹁いるねぇ﹂
そしてあっさりと人里に出て拍子抜けする。
人間でわいわいと賑わっているそこは完全に街。
妖怪とか化け物とかがいるわけでもなく、
少々オリエンタルな格好をした者がいたりはする。
﹂とか
が、それだけで後は彼らが知る人間界と大差ない。
こいつはほっぺた落ちるぜー
大通りを歩けば﹁いらっしぇ∼い﹂とか
﹁うまいよー
﹂
﹁お嬢ちゃん、お兄ちゃん、これ焼きたてだよ
︶
お兄さんサングラス
︵⋮⋮ 日 本 語 じ ゃ な い か ⋮⋮ 本 当 に 人 間 界 に 転 生 し た っ て い う の か
などなどお決まりの宣伝が飛び交ってきて、
決まってるねぇ
!
に伝わる。
言葉の壁の心配はない。
﹂
だが、物質的な肉体があるこの世界で鼓膜を震わす日本語を聞くと
⋮⋮、
﹂
何やら感慨深いものが戸愚呂と幻海にはあった。
﹁ここは日本⋮⋮ってことか
﹂
さすがに見えない﹂
?
﹁視力の問題じゃない、人混みの問題だろ。 あれだって、あれ
﹁おまえ⋮⋮⋮確か視力6.0だろう
そう言って戸愚呂の肩の上から幻海が指差すが、
あれ⋮⋮⋮⋮見えるか
﹁⋮⋮いやー、違うみたいだね戸愚呂。
?
はいはい、と返事をした戸愚呂が、
!
?
13
!
!
!
霊界では魂で会話しているのだからその意志はダイレクトに相手
?
肩上の美少女から返事は一回でいい、とか言われつつ人混みをかき
分ける。
﹂
そこには看板があって、
﹁⋮⋮⋮何語だ
﹁さぁ⋮⋮﹂
そこに書かれている文字に頭を捻る。
紛れも無く聞こえてくる言葉は日本語。
しかし、紛れも無く目の前の文字は日本語ではない。
文字というより記号⋮⋮何やら象形文字に近い気もする。
意識して周囲を見渡した幻海は、
﹁おいおい、こいつは⋮⋮⋮⋮﹂
文字らしきこの記号がそこら中に書かれているのに気づく。
﹁外国⋮⋮⋮ってわけでもなさそうだが。
一億年も経てば文字もこんだけ変わるのも当然か⋮⋮。
﹂
歴史そのものをこの目で見たって感じだねぇ﹂
﹁の割には言葉は変わってないけどね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮店主、この串焼きはいくらだ
﹁それとそれとそれ、と⋮あとそれ
あとこれも
!
﹁ジェニー⋮⋮⋮⋮そうか、いやありがとう。 また来││﹂
﹁120ジェニーだよ﹂と威勢よく返ってくるのだが、
ジュージューと焼き続ける壮年肥満気味のおやじに声をかけると、
焼き鳥らしき匂いにさっきから心惹かれていた戸愚呂が、
?
それを見て戸愚呂は、やれやれと溜息をつきながら軽く首を振り、
それをおくびにも出さずに財布を見せびらかす。
﹁あたりまえだろ。 ほら﹂
を赤くした少女だったが、
小声で耳元に囁いた戸愚呂の吐息に、一瞬びくりとして人知れず頬
﹁おい幻海。 お前金あるのか﹂
肩上の少女がすかさず矢継ぎ早に注文した。
そんな単位の金など一銭もない戸愚呂は踵を返そうとしたが、
2本ずつ、塩で。 あ、ビールもある。 それも2本﹂
!
14
?
﹁お前盗ったな
﹂
﹁霊界も知らない世界で生き抜くためだ。 緊急措置だよ。
相変わらず糞真面目だねぇーあんたは。 もうちょっと柔らかく
なりなよ﹂
口の端を吊り上げてニヤリと笑う美少女は、不敵ながらも大変絵に
なる。
肩の上からちょこちょこ瞬速で降りては登りを繰り返していたの
はこれか、
と戸愚呂は呆れるが、
﹁まぁ⋮⋮そうだな﹂
一理あると認めて、右手でサングラスを軽く持ち上げて掛け直し気
を取り直す。
﹂
﹁すみません。 酒ダメなんで、オレンジジュースにかえてください。
あとポンジリっぽいのもう2本﹂
﹂
と笑うと、戸愚呂もクスクスと笑い出して、
﹁だ、そうだ⋮⋮〟お嬢ちゃん〟
﹂
ってかあんたはさぁ、久々の盃にオレンジジュース
相変わらず下戸だねぇ⋮⋮⋮なさけない
頼むなよ
﹁うるさいっ
ムスッとした顔になった幻海を横目で見る。
?
!
自分も注文しだす。
ポンジリ2本ね
屋台のおっちゃんが
﹁うーい
!
無表情を作りきれず、自然漏れてしまう微笑みを浮かべながら戸愚
﹁仕方ないな⋮⋮⋮今日ぐらい付き合ってやるよ﹂
二人共に泣き笑いしてしまいそうな程その実喜んでいるのだ。
しかし、戸愚呂も幻海も普通を装っているが、
こんな、他人の目から見たらどうってことない日常の風景。
つまらない、という全身アピールである。
顔を背け気味にして背を反らし、両手を頭の後ろで組む。
!
!
15
?
そうだよねぇ、お嬢ちゃんにはまだビールは早いわな、ははは
!
!
呂が言った。
当然だよ、と強気に返して幻海はコツン、と頭と頭をくっつけた。
幻海がすれ違いざまに大量の財布をスっていたので当座の資金は
心配ない。
というか﹁スり過ぎだ⋮⋮﹂と戸愚呂が頭を抱える程に金をゲット
していて、
しかも幻海は全く悪びれずに
﹁カルネアデスの板ってやつだ﹂とあっけらかんとしている。
﹁違うんじゃないか、この場合⋮⋮⋮﹂
﹁じゃあ〟羅生門〟。 自分が餓死してちゃ話になんないだろ﹂
後ろめたさは全くないようだ。
幻海には確かにこういう性質が昔からあった、と戸愚呂は思い至
る。
罪なき人を殺める奴ではないが、だからと言って弱者救済をするわ
けでもない。
虐げられるのが嫌なら強くなれ、と突き放すタイプだ。
何度目かの溜息をついてから、
戸愚呂はホテルのロビーから何冊かの雑誌や本を広げて目を通す。
幻海は部屋に備え付けられているPCを使ってモニターを睨んで
いた。
彼女は機械とかゲームとかに強く、すぐにこちらの機器にも適応し
て
生前、人間界でのキーボードの配置を朧気ながら思い出し、
今現在目の前にあるキーボードと比べてみる。
どこに書かれている文字も、映る文字も、全てこの記号じみた文字
で
ふぅー、と気だるげに息を吐いた戸愚呂は、
16
お次はテレビの電源を入れると、
薄型大型の高級そうなテレビから流れる音はやはり問題なく日本
語として認識できた。
﹁勉強⋮⋮⋮だな﹂
﹂
﹁まぁ、一ヶ月もあればあんたならマスターできるさ。
霊光波動の修行に比べりゃ屁でもないだろ
意外だが、昔から座学は戸愚呂の方が得意だった。
パッと見、明らかにパワーファイターに見える戸愚呂は、
自身の闘法についての持論は正にそれなのだが実態はなかなかに
知性派。
思考の海に没することが多く、そのせいで過去には悪循環の贖罪の
理論に陥った。
逆に幻海は、闘法は技巧派だが弟子への教え方などは正に習うより
慣れろ。
考えこむよりは直感で動くタイプで、そういうものだ⋮⋮と
屁理屈無しで世の無常を受け入れることが出来る女であった。
﹁まぁそれはそれとして⋮⋮⋮おい、戸愚呂﹂
PCに齧りついていた幻海が席から離れ、ゆっくりと戸愚呂が座る
ソファーに近づいてくる。
何事だ、と顔を本から少女へ向けると、
﹁風呂入るよ﹂
脈絡無く言い出した。
戸愚呂はなんだそんなことか、といった雰囲気で、
﹁どうぞ﹂と一言残してそのまま視線を再び本に向けてしまう。
やっぱり朴念仁だ、と顔を顰めた美少女は意を決したように
﹁⋮⋮⋮⋮一緒に入るんだよ﹂
顔を紅潮させて言った。
なんだか自分の周りの温度まで上がっているんじゃないか
と錯覚するほどに体温が上がってきて、
︵ぐ⋮⋮⋮こんなの他の奴らにゃ見せらんないね⋮⋮︶
らしくもない自分の〟キャラ〟に大いに照れる。
17
?
﹂
!! !
特に魔界で雷禅の再来とまで言われているらしい唯一の正統後継
年考えろよ
だはははははは
ぎゃははははははははは
気持ち悪ぃ
!!
者に知られたら
﹁ば、ばぁさん
乙女ってキャラかよ
と爆笑されること必至であろう。
!
!
体調でも悪いんじゃないのか
唖然となって再度顔を少女へ向けて、
﹁どうした
﹁うるっさい
あたしは正常だ⋮⋮
自分でもらしくないのは分かってる
ガーッと怒鳴り散らす。
﹂
﹁あたしだってこの一億年で学んだんだよ
身も蓋も無いが確かな愛情を感じる幻海の返事。
﹁馬鹿だから心配してんじゃないか⋮⋮﹂
出来る限り優しい声色で言うと、
同じ轍を踏むつもりはない﹂
ない。
随分心配性になったもんだ⋮⋮⋮⋮⋮⋮だが、オレだって馬鹿じゃ
﹁⋮⋮⋮⋮いつも心配かけちまうみたいだな。
しばし本を片手に固まっていた戸愚呂はサングラスを外し、
た。
と精一杯無理している一億と七十数歳少女の純情な乙女心であっ
こっ恥ずかしいのを耐えてやってるんだ、
てる﹂
すぐまた自分は独りだって勘違いして勝手に背負い込むに決まっ
こっちからでっかい声で愛情注いでやんなきゃ⋮⋮
言わなくてもわかるだろうって面してる独りよがりなバカには、
ね。
あんたみたいなタイプ相手にしてたら、待ってるだけじゃダメって
!
気を静めて霊光波動の呼法で霊気を練│││﹂
?
戸愚呂もまた、かつての幻海からは想像もつかないその言葉に、
!
!
!
!!
惚れた女にここまで心配してもらった気恥ずかしさで頬を一掻き
18
?
し、
﹁あの風呂のサイズで、二人入れるかねぇ⋮⋮﹂
﹁あんたは無駄にでっかいからね⋮⋮心配すんな。
あたしがねじ込んでやる﹂
照れ笑いする幻海と共にバスルームに向かうのだった。
19
オーラと霊気
幻海と戸愚呂がこちらに来てから半年が過ぎた頃には、
二人は文字をマスターし
この世界の事情については本当に基本的なことだけだが理解した。
﹂と疑ったものだ。
初めて世界地図を見た時はお互い目を合わせて
﹁やはり地殻変動後の人間界か
なぜなら一般的な地図の左上⋮
クカンユ帝国の右に、ジャポンなる島国が存在していたし、
どこの大陸や島、国名や地名なども似ていたりアナグラムだったり
⋮⋮
形状を含め異常なほど共通点が多いのだ。
だが、二人が出した結論は一億年後の人間界ではないということ。
言語が日本語と全く変わっていないのに
文字だけが完全な別物になるのが不自然過ぎるし、
そもそも人間界なら霊界が必ず二人にコンタクトをとってくる筈
だ。
霊界が関知せぬ全くの別世界⋮⋮
霊界・魔界・人間界とは異なる世界と考えるほうがまだ自然だろう。
こういった結論がすぐに出たのは、
﹁霊界や魔界があるなら別の世界がもっとあってもおかしくはない﹂
という発想が根本にあるからである。
半年の間街のホテルを拠点としてきたが、
ド田舎に隠遁して自給自足でもしない限り人は生きていくのに多
額の金がいる。
いつまでもスリ師紛いのことを続けるわけにもいかないし、金稼ぎ
の効率も悪い。
まぁ、本当のところは最近ここらでやり手のスリ師がいると噂に
なってしまっていて
警察が多くなったのがスリ引退の最大の理由であるのだが。
20
?
現在位置も判明しここがヨルビアン大陸東部であると分かった今、
戸愚呂が目をつけたのはやはり天空闘技場であった。
この世界の格闘家達が多く集い、
しかも小遣い稼ぎにもなるのだから妥当な案だろう。
飛行船で北へ一直線で海を越えて行けるらしいのだが幻海は、
﹁別に金にも困っていないし⋮まずは手近な道場を巡ったりこの目で
世界を見て回ろう﹂
のんびりとした旅をご所望のようだ。
というわけで二人は街のレンタル店で適当な車を借りると、
﹁さぁて道場破りの旅に出発といこうじゃないか﹂
意気揚々な幻海が助手席で鼻歌まじりに言う。 なぜか道場破り
が目的に加えられていた。
﹁車も似ていて運転もまるきり同じ⋮⋮⋮⋮⋮⋮。
オレ達の世界とここまで共通点あると、逆に違和感あるねぇ﹂
と当時を思い出したのか若干ぶーたれる少女。
﹁オ レ と お 前 が 車 に 乗 っ て 出 か け る な ん ざ ⋮⋮ 想 像 だ に し な か っ た
な﹂
﹁そーだな。 お手頃価格で自家用車買える時代にはどっかの誰かが
あたしをほっぽっといて妖怪やってたからね。 おっと今もか﹂
21
戸愚呂が運転をしながらのんびり喋ると、
﹁創った神様が同じだったりしてな﹂
機嫌良さそうに幻海が答える。
パワーウィンドウを開けると縁に肘をかけて頬杖をつき、
風と風が運ぶ木々の香りを楽しんでいるようだ。
今日はよく晴れている。
﹁あたしらの若いころはドライブなんて出来なかったよなぁ。
トヨタの あんなんでドライブしても雰
良い時代⋮⋮というか、良い世界に来たもんだ﹂
﹁道場にあったろう﹂
﹁師範の三輪のことか
囲気ないだろ﹂
?
勝手に乗ったらめちゃくちゃ怒られたし、
?
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮すまん﹂
﹁冗談さ⋮⋮⋮真面目に謝んなよ﹂
などと1億と50年遅れの
甘酸っぱい青春のような匂いと熟年夫婦のような空気を振りまき
つつ
道場破りツアーは始まったのだった。
〟まったり車でドライブ道場破りの旅〟開始から早くも一週間。
既に両手では数えきれない数の道場を倒しており、
下衆な道場は看板を焼いたり川に流し、
普通の道場相手なら看板を買い戻させて、
気 持 ち の い い 道 場 で あ っ た 時 は 看 板 は そ の ま ま に 礼 を し て 立 ち
去った。
車で移動し大通り沿いに街から街へ片っ端からやったものだから、
当然、負けた道場から恨みを買う時もあって刺客を送り込まれたり
もしたが、
その時は容赦なく叩きのめして大通りに裸で放置したりもした。
そんなことを派手にしていた結果、大通りでの大立ち回りの際に通
行人達に
﹁すごい美少女が大男達をのしている﹂と携帯カメラでバシャバシャ
撮影され、
自然名前が広まりヨルビアン大陸中は勿論、電脳の海でもちょっと
話題になっていて、
﹃霊光波動の幻海﹄は一躍時の人なのである。
﹁覆面でもしときゃ良かったね⋮﹂と後悔するも後の祭りであった。
ちなみに殆どを幻海が速攻で片付けてしまったし
小柄の美少女の方が写りが良かったようで
戸愚呂の名と姿はいまいち売れていないのはどうでもいい話であ
22
る。
そして⋮⋮、
﹁こ こ が 心 源 流 本 館 か。 ど こ の 道 場、街 で も 名 前 を 聞 く 格 闘 界 の
メッカ⋮⋮﹂
﹂
旅行雑誌を片手に目の前の和風建築と雑誌の写真を見比べる幻海。
﹁デカイな⋮⋮お前ん家ぐらいあるんじゃないか
﹁あたしの土地に比べたら雀の涙だよ﹂
﹁いや、土地じゃなくて屋敷と道場だ⋮⋮⋮﹂
さすがに視界に入る範囲の山々全ての地主だった幻海と土地比べ
るのは酷だろう。
それにここは山奥ではなく、都市といえる規模の街の一等地に建っ
ているのを鑑みれば
やはりこの世界ではずば抜けた存在感といえる。
道場前に車を停め、しばしこんなやりとりをしていた二人だが、
﹁霊光波動拳の幻海殿⋮⋮戸愚呂殿、ですね。
私は心源流拳法が高弟、ウイングと申します。
お待ちしておりました。 どうぞこちらへ﹂
年季の入った木製の正門がゆっくり開け放たれると、
そこから見た目は14、5歳ほどの黒髪の素朴な少年が出てきてそ
う告げた。
幻海と戸愚呂は見合って、
﹁バレてたな﹂
﹁だね﹂
まぁあれだけ暴れればな、と納得して大人しく青年へついていく。
日本の龍安寺を思わせる落ち着いた石庭を過ぎて歩くこと十分、
木造の階段を前にして靴を脱ぎ階段を登り長い長い廊下を歩き
だだっ広い稽古場を前にして少年が立ち止まる。
﹁師範代、霊光波動拳のお二人をお連れしました﹂
ウイング少年が言うと稽古場の上座からとてとてと見た目可愛ら
しい少女が歩いてくる。
背 格 好 と い い 若 さ と い い 幻 海 と 少 々 似 て い る。 そ う 戸 愚 呂 は
23
?
思った。
およそ武闘家らしくないドレス染みた服装を除いて、だが。
師範代と呼ばれた少女は幻海を一瞥し、
そして戸愚呂を見てから何かを考えこむようにして数秒⋮⋮、
・・・
﹁初めてお会いしますね。 私の名前はビスケット・クルーガー。
心源流拳法の師範代を務めさせて頂いている若輩者です。
師範であるアイザック・ネテロは生憎不在でして⋮⋮。
なんなのよこのガキ
なるわよね
素なの
戸愚呂さん⋮⋮と幻海さん⋮⋮⋮お二人の噂はかねがね﹂
︵くあーーー
あたしと大差ない見た目だけどこれ素
本気出したら筋肉ダルマになったりじゃないの
?
?
!
うっざ。
つめるのだった。
﹁で、お二人は⋮⋮⋮兄妹で道場を巡っているんですの
﹁恋人だ﹂
﹂
すっぱい梅を食べた時のような何とも言えぬ顔で己の師範代を見
うわぁ。 戸愚呂さんの目意識してる。 うわぁぁ⋮︶
︵あぁ、師範代ったら⋮⋮猫かぶってる。
てウイングは、
ビスケから発せられナヨナヨしたような可憐な声⋮⋮⋮⋮を聞い
かもしれないし︶
兄弟だったり、性悪女に騙されて若くして産んでしまった厄介な娘
めないとね。
おっとビスケ落ち着くのよ。 まず二人がそういう仲なのか確か
ボッコボコにして二人の仲、破局させてやるわさ。
電脳ページで見た通り大したオーラも無いみたいだし、
んの
それに髪型はいまいちだけど素材は良さ気なこの男と二人旅して
?
?
!
﹁あら。 そうなんですか、恋人同士水入らずで旅なんていいですね。
その瞬間、稽古場の温度が数度下がったようにウイングは感じた。
える。
金髪ツインテールの少女に、桃色おさげの少女が間髪を容れずに答
?
24
?
無駄話もなんですし、目的はやはり道場破りなんでしょう
が違うね。
﹁っ
﹂
すると一気に体から霊気が溢れ、
合わせて幻海も腰を落とし構え、笑う。
﹁とっとと始めようじゃないか﹂
面白くなりそうね、とゆらりと一歩足を進めたビスケが構える。
初めてだわさ﹂
やるじゃない⋮⋮⋮あたしの猫かぶり、初見で見抜いたのあんたが
﹁⋮⋮⋮⋮へぇ、感がいいのか目がいいのか。
言われて、一瞬ビスケは瞳を見開いて驚愕し、
人生経験の桁が違い、ビスケの猫かぶりを瞬時に看破した。
どころか、その魂の年齢は億超えの精神的超人である。
伊達に年は食っていない⋮⋮
蔵馬や飛影をさしおいて見抜いたこともあり、
かつて裏御伽チームの怨爺⋮⋮美しき魔闘家鈴木の変装を
なんだい、嫉妬剥き出しか
﹂
﹁あたしを見る時と戸愚呂を⋮⋮あたしの恋人を見る時で随分と眼力
幻海も幻海で、
そう判断し、素質はあるが念に関しては未熟と断じる。
ほほほ︶
軽∼∼く扱いて、イケメン恋人の前で恥かかしてあげるわさ、おほ
ていないわね。
︵確かに佇まいは達人級⋮⋮⋮しかし纏を見る限りやっぱり念に慣れ
やや早口でまくし立てるように受けて立つと言い切ったビスケは、
さいね﹂
御相手します。 当道場をそこらの三流と同じと思わないでくだ
?
心源流師範、アイザック・ネテロに比べればまだまだだが、
それでも百戦錬磨の領域にいる彼女が身の危険を感じ咄嗟に退い
てしまったのだ。
25
?
その瞬間、ビスケは大きく背後に跳躍していた。
!!?
オーラでは、ない
︶
ビスケの面前にいる年若い少女の体から迸るもの⋮⋮それは、
︵あ、あれは一体⋮⋮
︵オーラそのものが⋮⋮⋮明らかに異質
およそ初めて見るモノでどれほど凝をこらしても正体が掴めない。
である彼女が、
実年齢は五十を超えベテランのハンターであり超一流の念能力者
!?
﹁あたしの霊気が一応見えるようだね。
少しは霊感があるようだ⋮。
という幻海らの常識は、気の発見と発展があればこそで、
⋮⋮
闘気︵オーラ︶
・霊気︵妖気︶
・聖光気の順でより高尚なモノとなる
生命エネルギーである〟気〟は、
本当の本当に追い詰められた時の最後の手段と言える。
のは、
これらの通り、霊能力者や妖怪にとってオーラを使用する時という
た。
全妖力を一気に燃焼させ生命力までを使い果たして呼び寄せてい
蔵馬が人間形態から鴉に対して魔界植物を召喚した時も、
超弩級弾であった。
彼が放った霊丸は全霊力に加え生命力の大半を注ぎ込んで練った
例えば、戸愚呂の全力・100%を浦飯幽助が破った時、
霊気・妖気を使いこなす彼らから見れば最後の切り札なのだ。
は、
ビスケ達、この世界の達人らが使う〟念能力〟の元となるオーラ
だが、幻海も戸愚呂も知らぬことだが⋮
えた。
ビスケから生命力そのものが立ち昇っているのが幻海にはよく見
あんたは闘気使いか⋮⋮⋮よく鍛えている﹂
ビスケって言ったっけ
なのに、あれは⋮⋮強い
オーラと比べて酷く薄く、美しい⋮⋮
︶
!
?
霊界の存在の有無が気の進化に大きく影響したのだろう。
26
!!
!
!!
バ ト ル オー ラ
幻海らの世界にも闘気の修練に励み
武装闘気を身につけた武威という妖怪がいたが彼は稀有な事例だし
⋮
念能力と似た存在として魔界の瘴気を浴びた〟テリトリー使い〟
なる人間がいるが、
ハメ技のような特殊な〟縛り〟が彼らの唯一にして至高の強みで、
彼らの身体能力は霊能力者や妖怪に大きく劣る。
霊感という特別な才があるのなら、
笑えないわさ。
やはりそれを鍛えたほうがより早く、より高みの強さを身につけら
れるのだ。
﹁霊気⋮⋮
幽霊騙りのオカルト商法はよそでやってよね﹂
﹁霊気ってのは洗練すればその姿を
霊力の弱い者には見えなくすることも可能なんだ。
にも関わらずあたしの霊気を感じ取れるあんたは、たいした才能だ
よ。
︵見やすくしてやってんだけどね︶
それだけの闘気を身につける程の修練の賜物だろう﹂
﹂
じゃあいくよ、と幻海が笑った次の瞬間、
﹁っっ
た。
はや
︵疾っ
︶ネテロ級の速度である、とビスケは認識し、
︶
﹂という小さな悲鳴と共にビスケが大きく仰け反
眼前に迫る拳の回避は不能と判断し全体強化の堅で受け止め踏ん
張ろうとした。
しかし、﹁がっ
り、
︶
あたしの堅では防ぎきれない威力
廻るっ
!!
!?
もう足っ
!!
︵頭に衝撃
嘘っ
?
そして足払い。
︵っ
!?
!!
27
?
ビスケが辛うじて目で追える程の速さで幻海が目前に肉薄してい
!!?
!!?
世界がぐらりと一回転しそのまま背中に、
!?
﹁破っ
﹂
﹁あぐぅっ
﹂
幻海の両の手による発剄が叩きこまれて
大した纏も感じないのに⋮⋮
ビスケはすっ飛び、道場の壁に叩きつけられる。
それをウイングは
﹁し、師範代が一方的に
﹂
?
﹂
ら恐ろしい。
妖気、霊気無しで⋮オーラのみであの能力を身につけたのだとした
た能力。
︵肉体が骨格から変化し、強化されていく⋮⋮⋮オレの筋肉操作と似
戸愚呂が彼女の肉体に起きた変化を興味深そうに見つめ呟き、
﹁ほぉ
すると、
口元の血を拭って更に肉体のオーラを高ぶらせる。
相手がこちらが動くのを待ってくれていると理解したビスケは、
と幻海と戸愚呂は内心で賞賛した。
割れた壁から背を剥がすビスケはやはり無双の達人である⋮⋮
全力ではないとはいえ幻海の拳打を食らって軽傷で済ませ、
ビスケをまたも驚愕させ、そして覚悟を決めさせた。
いい男の前ではあんまやりたくなかったんだが⋮⋮﹂
あんた強いわ⋮⋮脱帽もんよ。
﹁参ったわね⋮⋮まさかその猫かぶりまで気付いてたなんてね。
幻海が何気なく放ったその一言は、
壁にややめり込んだビスケへ残心し静かに見つめる。
﹁その姿のままでいいのかい
ふー、と長めに息を吐く幻海は構えを解かず
叶わいようだ。
どうやらウイングには霊感がないらしく、幻海の霊気を見ることは
信じらぬ、といった表情で唖然と眺めていた。 ⋮⋮⋮霊気とは、い、いったい﹂
!?
あのレベルの使い手が霊気の存在を知らず、闘気のみで高度な能力
28
!!
!?
!
?
を使う⋮⋮。
この世界では闘気操作が発達している、ということか︶
隆々とした大女へと変身したビスケを観てやはり賞賛する。
純粋な闘気量は戸愚呂が良く知る闘気使い・武威には劣るが、
彼は妖怪であり、生物としての基本値が人間とは違う。
人間と妖怪という差を鑑みれば
全力だ⋮⋮⋮いく
ビスケは凄まじく高レベルの使い手であり、天賦の才に恵まれてい
る。
完全にガタイを作り変え終わったビスケは、
﹂
﹁はっ、まったく⋮ゴツイったらありゃしない
よ
互いに雨霰と拳打の弾幕を繰り出す。
幻海もまたそれに﹁来な﹂と不敵な笑みで応え、
る。
楽しそうに地を蹴って砕き、常人には瞬間移動に等しい速度で走
!
動 き を 追 う の で 精 一 杯
捌き、殴り、避け、蹴り、防ぎ、殴り、が信じられぬ高次元で繰り
な、な ん と い う ハ イ レ ベ ル
!!
返され、
﹁⋮⋮⋮
⋮⋮
!!
弱な纏で対抗している
可能なのか⋮⋮、そんなことが
あった。
﹂
そ の 流 麗 な 拳 打 の 応 酬 は 淀 み な く 美 し い ⋮⋮⋮⋮ ま る で 舞 踊 で
互いが喜々として拳を合わせていて、
そして不可思議な霊気とやらを纏い迎え撃っている幻海。
纏うオーラを凄まじい速度で攻防移動させるビスケの〟流〟。
その前提が覆る事象が目の前で起きていた。
念は達人の闘いにはほぼ必須の力。
〟と改めて痛感する。
高弟のウイングはただただ驚くばかりで、世には〟上には上がある
!
!
寒気がする程のオーラを纏った師範代に対して幻海殿はあんな微
!!
29
!!!
ウイングが興奮しきって、戸愚呂がただ静かな様子で
二人の手合わせを見守ること2分⋮⋮
﹂
ビスケの左鉄拳を捌かずにガードした幻海は瞬間、僅かに固まり
﹁もらったっ
ビスケ渾身の〟硬〟の右ストレートがガード上から無理矢理に振
り下ろされる。
やや上方からの叩きつけ気味だったその一撃は
小 柄 の 美 少 女 を 道 場 の 床 に 激 し く 叩 き つ け な か な か の 規 模 の ク
レーターを作る。
清潔に保たれている道場内とはいえ、床を突き破り地面の土までを
抉ったクレーターは
﹂
もうもうと土埃を吹き上げてあたりを煙くする。
息荒くビスケが、
﹁ふぅーー、あたしの全力パンチ⋮⋮
骨をぶち折った感触はあったわさ⋮⋮⋮どうよ
︵やっべーわね。 道場破りを受けて立ったのよねあたし。
完全に闘争の空気を霧散させた両者だが、
勘違いさせたのなら謝るよ﹂
じゃない。
あんたの闘気みてたら受けてみたくなったんだ。 舐めてたわけ
﹁バカ弟子のノリが伝染ったのかもな。
舐めてんのかコイツと思ってついマジで殴っちゃって悪かったわ﹂
あんた、わざとあたしのパンチ受ける為に止まったでしょ。
﹁褒めてもらって光栄ね。
それを見てビスケは、︵⋮⋮悔しいけどあたしが格下、か︶と悟った。
ごく普通の一般的な骨折に留まっている。
皮膚が裂けてもいないし肉が千切れているわけでもなく、
骨折というのは結構な重傷だというのに平然と答えた。
﹁⋮⋮左腕の骨がもってかれたよ⋮⋮凄い威力だ﹂
クレーターの真ん中に立つ幻海に感想を求めるが、彼女は
!
!
普通に金払えば帰ってくれるかしら︶
30
!!!
どうしたものかと内心、ちょっと顔を青くして悩んでいると、
﹁⋮⋮⋮⋮あたしの負けだ⋮⋮降参する﹂
あっけらかんと幻海が言い放った。
﹂という顔で何かを言いかけて、
ウイングは︵まぁ骨も折れているようだし︶とその降伏宣言に得心
していたが、
当のビスケは﹁はぁ
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ そ う か。 悪 い ね ⋮⋮ 気 を 使 っ て も ら っ ち ゃ っ
て﹂
たっぷり間を置いてから申し訳なそうに返した。
﹁道場破りの作法だ⋮⋮⋮挑戦者は袋叩きにして門前に放り投げる。
⋮⋮してくれて構わないよ﹂
﹁んなことすわけないわさ。 あくまで作法に則るならそっちはもう
一人いるんだから、
そのイケメンを倒してからじゃないとそれをする資格がウチには
ないわね﹂
だけどもう疲れたし引き分けはどうだ、とビスケが提案し戸愚呂を
チラリと見ると、
﹁それでいい⋮⋮オレは見ただけで満足だ。 いい試合だった﹂
変わらず静謐な雰囲気でそれを受け入れた。
︵闘いたいだろうに、我慢してくれるなんて性格もイケメンだわ∼︶
とビスケがひそかに感謝し感心していると、
﹂
幻海がそっと折れた左腕に右手を添えて霊気を高めると、、
﹁っ
ていて、
ビスケはまたも幻海に驚かされていた。
それに気付いた幻海が、霊光波動拳ってのはこういう使い方もある
のだ、
と教えると戸愚呂が﹁そちらが本筋だな﹂と捕捉してやる。
何やら考えこんだビスケが徐ろに口を開いて、
﹁宜しければ、当道場に逗留なさいませんか。
31
?
幻海の骨折箇所が光り、その光が消えた頃には腕は完治してしまっ
!
あなた達のお話を是非お聞きしたい﹂
至極真面目な瞳と声色で、
一個の武人として敬意を払って幻海と戸愚呂にそう要請する。
二人は軽く視線を交えて頷きあうと、
二人ともに否はなかったようで、暫く厄介になることに決めたの
だった。
霊光波動拳と心源流拳法が出会った事は、
後の世を少し変えることになる⋮⋮⋮⋮⋮⋮かもしれなかった。
32