高校三年の夏、私は自宅のある東京から鹿児島まで自転車で行く計画を;pdf

高校三年の夏、私は自宅のある東京から鹿児島まで自転車で行く計画を立てた。日本の端は沖縄
だが、沖縄までは道路が繋がっていない。だが、鹿児島までは繋がっている。道路が繋がってい
る以上、自転車で行けるはずだ・・・。そう思って、私は旅に出た。
家を出て一週間ほど経った頃だろうか、兵庫県の姫路に着いた。安そうな旅館があったので宿
のおばさんに宿代を訊いてみると、素泊まりで六千円だという。高いと思った私は、礼を言って去
ろうとした。するとおばさんが声をかけてきた。
「あんた、どこから来たの?」
「東京からです。鹿児島まで行きます」
おばさんは「姫路城を見て行きなさい」と私に勧めてきたが、私は断った。姫路はあくまでも
鹿児島へ行く通過点であって、寄り道をする気はなかったのだ。それを言うと、おばさんはこん
なことを言った。
「自転車で鹿児島まで行くのは大変な冒険だ。でも、そこへ行く途中でどんな景色を見るか、そ
れも大事なことではないか」
返事を渋る私に、おばさんは言った。
「自転車は私が見ていてあげるから、姫路城を見て行きなさい。姫路城は姫路の誇りなのよ。い
ずれ世界中から注目されるから、見て行ってよ」
当時はまだ姫路城は世界遺産に登録されていなかったが、おばさんは東京育ちの少年によほ
ど見せたかったのだろう。私はおばさんの言葉に従って、姫路城を見学した。宿に帰ると驚いた
ことに、おばさんが夕食の準備をしていた。格安で私を泊めるというのだ。
「姫路城を見てくれたお礼よ」
そういうおばさんの顔は母のように笑っていた。世界遺産はいくつもあるが、姫路城は私のな
かで特別な存在である。鹿児島まで行く私の背中を温かく押してくれたのだから―。