団塊世代が見た高度成長期の光景

技術者が見たあの頃(と今) 42
団塊世代が見た高度成長期の光景
廃棄物・環境コンサルタント(技術士)
四阿 秀雄
1.はじめに
稲村光郎、小林正自郎両氏の達識の記事の合間を埋めよとの依頼を安易に引き受けた
のが運の尽き、原稿の締め切りが近づいても怠惰になった頭では筆が進まず、お二人の
渋い顔を浮かべつつ拙文を書きあげた。記事の内容はテーマ「技術者が見たあの頃と今」
の枠内で自由とのことなので、初回は団塊世代である筆者の子供の頃の風景と高度成長
による変貌など、廃棄物分野に足を踏み入れるきっかけとなった時代の背景を紹介し、
蛇足ながら廃棄物管理に関する持論も述べてみた。愚痴めいた記述が入ってしまった点
はどうぞご容赦願いたい。
次回以降は、清掃工場の公害対策技術改善について筆者の技術者(化学)としての業
務、産業廃棄物、国際協力分野の業務を通じて得られた知見を紹介し、廃棄物管理(Solid
Waste Management)再考の視点で筆を進めたい。
2.団塊世代が見た光景
戦後の昭和の光景は、映画「三丁目の夕日」で描かれるような追憶の対象となり、昭
和の子供をとらえた写真展も各地で開催されている。筆者の大学の同窓生は数年前に
「昭和の子供は青洟をたらしていた」を上梓し、なんと直木賞推薦候補になった。筆者
の周りも小学校低学年の頃までは、ひび割れ、擦り傷に赤チン、青洟を垂らしている子
供が多かった。当時のモノクロ集合写真を見ると、継ぎ当ての服や靴下、男の子は坊主
頭か坊ちゃん刈り、女の子は概ねおかっぱで、屈託なく身を寄せ笑っている。途上国で
見る笑顔と同じである。公害も無縁で、身近な自然があった時代である。
筆者は昭和 23 年生れの団塊世代。小学校入学間もなく長野から板橋区に移り住んだ。
東京郊外の農村地帯にはクヌギ林、小川、空き地があり、田舎よりもよほど田舎で子供
が存分に跳ね回り、昆虫採集、魚釣りをする環境があった。後に勤務する板橋清掃工場
が立地している高島平は、大型団地が建設される前は赤塚たんぼ・徳丸たんぼと称され
た広大な美田で、当時のハキングガイドには東武東上線の下赤塚駅から松月院を経て赤
塚城址、赤塚たんぼ、吹上観音を巡るコースが記載されていた。このコースは子供達が
揃って遠出する領域でもあった。
しかし、この楽園も高度経済成長が本格化する昭和 30 年代に入るや急速に変貌し、
消失して行く。田畑・林は整地され建売りの住宅が建ち並び、川は汚濁し暗渠になった。
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工場の煙突の黒煙、急増する自動車からの排ガスと騒音、スモッグ、河川はごみが浮遊
し悪臭を放つなど、今からは想像できないほど環境は悪化し、激甚な公害発生の時代に
入った。ごみの急増によりごみ収集体制も破綻し、ごみ捨て場があちこちに出現し、野
焼き・河川への投棄も頻繁に行われた。筆者自身もごみを川に捨てに行った記憶がある。
たき火なども日常の光景で、その炎と煙に今も郷愁を感ずる。
3.公害・ごみ問題の発生について
団塊世代は急速な都市化と激甚な公害の発生とその対策を目にして育った。四大公害
に象徴される産業公害による環境破壊と健康被害は日本人が忘れてならない負の遺産
であるが、解決に向けて知恵が結集され、責務と理念が整理されて 1970 年の公害国会
で法制度が整備され、行政施策が進められた。この経緯も次世代への財産であると思う。
またこの時代、東京都などの大都市自治体が国に先行して規制指導・監視を行うなど、
効果的な施策を進めたことも特筆事項である。公害防止Gメンや燃料規制などは排出者
の規制・指導に効果的な手段であった。中国の深刻な大気汚染や途上国におけるごみ処
理への対応を見るにつけ、日本の経験とノウハウが役立つのにと歯がゆい気がする。
「ごみは文化のバロメータ」と言われた時代、ごみの発生量は幾何級数的に増加し、
公共サービスであるごみ収集・処分体制を破綻させた。また、台頭した石油化学工業は
多様なプラスチックと化学製品で豊かな社会を彩るが、影の部分で廃棄物の適正処理を
技術的に困難にさせた。ごみ処理は「量」と「質」への対処が迫られ、特に「質」につ
いての命題は今なお解決が課せられたままである。
リサイクルについて、筆者の小学生の頃までは民間の再生資源取扱業、くず屋さんな
どが健在で街中を巡回していた。家庭で別取りしておいた新聞・雑誌、ガラス瓶、空き
缶を棒はかりで計量し、その場で買い上げてくれた。金属くずの建場に子供が空き缶を
持ち込んでも 5 円、10 円がもらえ、子供のお小遣いとなった。社会が豊かになるにつ
れ伝統的再生資源回収業は表舞台から姿を消し、今は行政の関与で資源回収が存続する
ようになった。筆者の海外経験によれば、途上国で埋立地にウェイスト・ピッカーいれ
ば必ず建場業があり、回収物売買ルートが存在する。しかし、日本のような再生資源回
収業や、集団回収の形態はなく、ウェイスト・ピッカーの非効率で不衛生な作業のみが
目立っている。
4.廃棄物管理対策と行方
「ごみは社会を映す鏡である」との名言どおり、現代のごみ・廃棄物管理問題は石油
依存・大量消費文明の産物である。そしてまた、「ごみ問題は人の生活に最も密着した
環境問題」であって、住民はごみの排出者でもある。日本ではこの認識のもと「ごみ教
育」が充実しているが、多くの途上国では環境教育の一部としてのみ扱われ、ごみ問題
の本質が理解されていない。南米パラグアイの某都市の例では、「ごみは悪者」とのみ
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小学校で教えていた。
公害対策の経緯と同じく、ごみ・廃棄物にも多くの知恵が結集され、法・行政制度の整
備がなされ、処理施設・システムが改善されてきた。一方で、技術の進歩、社会ニーズ
の高まりとともに、ごみ処理施設は複雑・高度化し、高コスト化している。それに対し
財政難の自治体で最上の選択肢を採用することは容易ではない。費用対効果を踏まえて
必要十分な技術・システムの信頼性が認知され、実績が上がれば、海外への普及ができ
ると思うのだが、日本車の例のように。この実現にはユーザーの意見の反映、施設を運
転・維持管理する技術者の経験・ノウハウの共有が必要であろう。
学生時代、人口爆発と資源の枯渇、農薬による環境汚染など、人類の活動に警鐘を鳴
らす啓蒙書が出ている。「沈黙の春(1962)」や「成長の限界(1972)」は代表的である
が、当時の議論は今日よりも内容が明快だったように思う。筆者の本棚には「環境の地
球化学(1973、山縣登)」
、「クリーンエネルギーと環境(1974、J.Bockris)」が捨てず
にある。前者は微量元素と健康の関係を地球的視点で見たもの、後者は環境・エネルギ
ー施策への電気化学手法の適用と、水素エネルギー社会への展望である。40 年以上前
の本であるが、内容は今も判りやすく、予言評価の目で見ても面白い。
ともあれ、「現場に学び」
、「いにしえに学ぶ」ことは問題解決のヒントを得、新たな
発見に繋がる。「公害」
、
「清掃」の用語が使われなくなってきた。公害は「環境」に置
き換えられ、廃掃法のタイトルで「清掃」は現役であるものの、自治体条例は「再利用」
に置き換わっている。しかしながら、実際の現象、実態が変わっていないならば、問題
の本質を見失わず、次世代が経験を共有するためにも、用語の継承は意義があると思う
のだがどうであろうか。さらに言えば、日本では”Solid Waste”を 「固形廃棄物」と
する表現が定着せず単に「廃棄物」で間に合わせてきている。日本語の用法は何とも曖
昧であるが、結果として「固形」
・
「廃棄物」の本質を見逃しているような気がする。
5.第一歩は清掃工場勤務
時代に影響されて、筆者は環境・廃棄物の世界に関心を持ち、東京都清掃局に勤務する
ことになった。最初の職場は当時建て替え・試運転中の板橋清掃工場であった。回転キ
ルンを備えたフェルント式二回流炉が4基、計 1,200 トン/日の処理能力、ボイラ・発
電設備、ごみバンカーとクレーン、管制室を思わせる中央制御室、配管・計装・ポンプ・
モーターなど機械・電気設備のかたまりで、白衣に馴れた筆者の目には驚きのプラント
であり、手強いものに映った。
立派な分析室もあって、化学職は即「分析屋」と期待されたが、大学での専攻は電気
化学で化学分析の訓練は積んでおらず、公害 JIS 片手での仕事となった。清掃工場のご
み質、排水、排ガスなどを測定する日常業務から、蓄積データを整理・解析することで
思わぬ発見があり、電気化学の知識も役立ち、工場全体を見回すことで仕事の面白みが
増していった。他職種の同僚から得られる知識・経験も新鮮であった。
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<筆者紹介>
昭和 49 年入都、板橋清掃工場に配属。昭和 52 年から本庁工場管理部で清掃工場の公
害対策に携わり、排水・排ガス・飛灰の調査・処理技術改善を行う、廃棄物焼却炉へ法
規制が次々とかけられた時代である。その後、産業廃棄物指導、ごみ減量対策等に従事。
平成 7 年に環境保全局へ異動、自動車公害対策室、環境科学研究所、多摩環境事務所
を経て、平成 20 年退職後は㈱エックス都市研究所に勤務、JICA 専門家として海外廃棄
物業務に従事。平成 24 年退社後シニア海外ボランティアを経験。技術士(衛生工学)
これまでの記事のバックナンバーはこちらから
38 号 1.稲村 光郎「良いごみ、悪いごみ」
(筆者プロフィール付き)
39 号 2.小林正自郎「物質収支」
(筆者プロフィール付き)
40 号 3.稲村 光郎「性能発注」
41 号 4.小林正自郎「空気比の変遷」
42 号 5.稲村 光郎「清掃工場の公害小史」
43 号 6.小林正自郎「ごみ性状分析」
44 号 7.稲村 光郎「焼却能力の有無」
45 号 8.小林正自郎「清掃工場での外部保温煙突の誕生」
46 号 9.稲村 光郎「煙突のデザイン」
47 号 10.小林正自郎「電気設備あれこれ」
48 号 11.稲村 光郎「完全燃焼と火炉負荷」
49 号 12.小林正自郎「化学薬品」
50 号 13.稲村 光郎「排ガスの拡散シミュレーション」
51 号 14.小林正自郎「化学薬品(その2)
」
52 号 15.稲村 光郎「ごみ発電 -大阪市・旧西淀工場のこと-」
53 号 16.小林正自郎「ごみ埋立地発生ガスの利用」
54 号 17.稲村 光郎「測定数値」
55 号 18.小林正自郎「電気設備あれこれ(その2)」
56 号 19.稲村 光郎「自動化のはじまり」
57 号 20.小林正自郎「排水処理(その1)
」
58 号 21.稲村 光郎「笹子トンネル事故報告書を読んで」
59 号 22.小林正自郎「排水処理(その2)-排水処理への液体キレートの活用-」
60 号 23.稲村 光郎「水槽の話」
61 号 24.小林正自郎「ごみ焼却熱の利用(その1)」
62 号 25.稲村 光郎「東京都におけるごみ性状の推移」
63 号 26.小林正自郎「ごみ焼却熱の利用(その2)」
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64 号 27.稲村 光郎「清掃工場の集じん器」
65 号 28.小林正自郎「ごみ焼却熱の利用(その3)」
66 号 29.稲村 光郎「とかく単位は難しい」
67 号 30.小林正自郎「焼却処理能力」
68 号 31.稲村 光郎「見学者への対応、雑感」
69 号 32.小林正自郎「清掃工場余熱利用推進化調査(その1)
」
70 号 33.稲村 光郎「ノウハウを考える」
71 号 34.小林正自郎「清掃工場余熱利用推進化調査(その2)
」
72 号 35.稲村 光郎「スイカとごみ汚水」
73 号 36.小林正自郎「災害廃棄物の処理」
74 号 37.稲村 光郎「正月雑感」
75 号 38.小林正自郎「通風設備」
76 号 39.稲村 光郎「白煙防止」
77 号 40.小林正自郎「臭気」
78 号 41.稲村 光郎「アナログ人間」
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