35.稲村 光郎「スイカとごみ汚水」

技術者が見たあの頃(と今) 35
スイカとごみ汚水
稲村技術士事務所
稲村 光郎
1)秋も終わりに近く、今さらスイカでもないと言われそうだが、戦前から昭和30年
代までスイカはごみ焼却の難敵であった。そのため例えば、昭和12年に、大阪市では
時にスイカだけでごみ量の20%にもなるというので木津川塵芥焼却場に専用の設備
を設け、スイカを特別収集し、粉砕脱水の後、埋立をしていた。写真1,2は、同じこ
ろ神戸市中村塵芥焼却場に設置されたスイカ粉砕機である。
写真1
スイカ粉砕機投入風景(神戸市)
東京都でも、筆者が清掃工場に配属され
た昭和40年代のはじめ、旧固定火格子炉
時代の資料が残されており、その中には毎
日の中央市場へのスイカ入荷量の記録が
あり、先輩たちがスイカに一喜一憂してい
たことがしのばれた。
昭和30年代半ば過ぎ、国立公衆衛生院
におられた岩戸武雄さんの調査(「団地に
写真2
スイカ粉砕機(神戸市)
「昭和14年度
神戸市清掃事業概要」より
おける塵芥処理に関する研究」)によれば、
夏季の生ごみ中に占める「果実類」の比率は、某団地で約45%(内スイカ31.3%)、
団地周辺の一般都市で約42%(同25・5%)であったという。当時のスイカは、今
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のように小型のものは少なく、また小さく切って売るなどという商習慣もなかった。ご
存知のとおり、スイカはもともと大きく重い上、野菜や果実の中でも重量的に可食分の
少ない、捨てられる比率が約40%と比較的大きなものだから、このような数字となっ
たのであろう。そのスイカはまた全体の水分が93~94%という数字があるように、
ほとんど水分で出来ているから、それが多いごみでは燃えなかったのも無理はなかった。
ちなみに、そのころの東京都は家庭での生ごみの水切りを奨励するキャンペーンを行っ
ていた。
もちろん、スイカだけでなく、一般の野菜や魚介類なども現在と異なり、予め産地で
カットするような商法はなく、また加工食品も少ない時代だったから、紙類等が少ない
ことも手伝って、ごみ全体の水分比は50%を越えていた。また、それらは腐敗すれば
悪臭とともに外部に汚水を漏出し、輸送中でも昭和30年代半ばまでは大八車(手車)
から道路に滴り落ちる光景が見られた。自動車時代になっても、整備不十分で汚水受け
の排水口が閉鎖されていない、あるいはそれが満杯のためカーブで汚水を飛散させるこ
とも多く、炎天下ではごみ汚水が舗装道路に焼きつき、言いようのない不快な悪臭が漂
うなど評判が悪かった。とりわけ沢山の搬送車が毎日通過する清掃工場周辺道路などで
は苦情も多く、のちのちまで夏場は職員が日課として巡回し、道路清掃を行わざるを得
なかった。
燃焼状態でいえば、筆者の昭和40年代の経験では、梅雨時になり雨の日が続くと炉
温が下がり、炉内も暗くなり、補助バーナーに点火することも珍しくなかった。当時の
東京都では容器収集が定着化し、一方でまだポリ製や紙製のごみ袋などは登場していな
かったから、なぜ蓋つきの容器なのにごみがこれほど雨に濡れるのだろうと不審に思っ
たことを覚えている。
いずれにせよ、こうした生ごみの含有水分と、調理や降雨時に起因する付着水分が、
ごみ中の水分の多くを占めており、現在のように紙類の量が多ければそれも吸着されて
しまうのだろうが、当時は汚水として清掃工場のごみ貯留槽(バンカ)に溜まった。
2)こうして、昭和40年代
半ば過ぎまで、清掃工場の汚
水問題とは主としてごみ汚水
のことであった。汚水は、ご
み貯留槽側壁に設けた穴あき
板から汚水槽に流出させてお
り、その性状は、東京都清掃
研究所「ごみの性状」(昭和
45年)による5例では、P
Hこそ6.0~6.8程度だ
図1 月別ごみ汚水量
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が、BODは12、000~38、400ppm☆と、屎尿と比べても極めて高いもので
あった。また当時の某清掃工場における毎月の記録でも、夏季(7、8月)のBODが
30、000~35、000、冬から春(1~5月)でも10、000程度あった。
☆
当時は、BODの単位にppmを使用した。
その汚水量は、図1のように夏季には、ごみトン当たり15L前後あった。1日10
0トンのごみが搬入されれば、汚水量としては1.5m3/日ということになり、BO
D濃度と併せ考えれば、汚濁物質として少ない負荷量ではない。またごみ発熱量との関
係を示す図2によれば、900~1000Kcal/ kg(3.76~4.18KJ/ k
g ただし、当時のごみ発熱量測定値は実際より低めと思われる)を越えると水分量が
大きく減少している。
その逆にごみ発熱量が低いほど、ごみ汚水の量も多く、ただでさえ発熱量の低い時代
であったから後のように、ごみ汚水を炉内に吹き込むことは考えられず、別途処理しな
ければならなかった。もっとも、その頃は清掃工場の立地も現在と異なり、都心から離
れた工場地帯や新興の住宅地であり、下水道の普及はまだまだであったから、生活廃水
の処理と併せて生物処理を行っていた。
ごみ発熱量が高くなり、またごみ汚水は有機物が主体で重金属類の心配もないとの判
断から、炉内吹き込みにより焼却処理を行うようになったのは、昭和50年代後半に竣
功した杉並清掃工場以後である。しかし、工場の立地によって、ごみの性状も異なるか
ら一概には言えないが、その頃には、実際にごみ汚水が問題になることも少なくなり、
おそらく吹き込み設備を使う機会は極めて限られたのではないだろうか。
現在の東京都区部の施設では当初からごみ汚水を考慮していないが、全国的にはまだ
汚水対策をしなければなら
ない施設もあり、やはり炉内
吹き込みで処理していると
思われる。ネットで探すと仙
台市がデータを公表されて
おり、その数値を見るとBO
Dが数百以下となっており、
かっての東京都のようなと
んでもなく高い数値ではな
い。そうした質の点からも、
現在では、ごみ汚水が大きな
問題となるような状況では
図2 ごみ汚水量とごみ発熱量との関係
ないのであろう。
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3)ごみ汚水については、平成のはじめ労働基準監督署が某市の事故を受け、メタンガ
スの発生とその爆発の危険性を指摘し注意を喚起した。上にも触れたが、昭和40年代
はじめに筆者が新設清掃工場に配属された時、ごみが搬入され、ごみ汚水が出始めた時、
清掃研究所から異動されてこられた坂江邦一さんが直ちにごみ汚水ポンプ室等をロッ
クし、立入禁止措置を取られた。酸欠や硫化水素ガスを心配されたわけで、生意気だが、
まだ経験も浅く、そうした労災への配慮が不足がちのわれわれにいち早く警告をしてく
れたのである。おかげで、その後も東京都清掃局ではその種の事故はなかったと思う。
既に故人となられ久しいが、坂江さんと、そうした人材を育てた今は姿を消した清掃研
究所に感謝している。
これまでの記事のバックナンバーはこちらから
38 号 1.稲村 光郎「良いごみ、悪いごみ」
(筆者プロフィール付き)
39 号 2.小林正自郎「物質収支」
(筆者プロフィール付き)
40 号 3.稲村 光郎「性能発注」
41 号 4.小林正自郎「空気比の変遷」
42 号 5.稲村 光郎「清掃工場の公害小史」
43 号 6.小林正自郎「ごみ性状分析」
44 号 7.稲村 光郎「焼却能力の有無」
45 号 8.小林正自郎「清掃工場での外部保温煙突の誕生」
46 号 9.稲村 光郎「煙突のデザイン」
47 号 10.小林正自郎「電気設備あれこれ」
48 号 11.稲村 光郎「完全燃焼と火炉負荷」
49 号 12.小林正自郎「化学薬品」
50 号 13.稲村 光郎「排ガスの拡散シミュレーション」
51 号 14.小林正自郎「化学薬品(その2)
」
52 号 15.稲村 光郎「ごみ発電 -大阪市・旧西淀工場のこと-」
53 号 16.小林正自郎「ごみ埋立地発生ガスの利用」
54 号 17.稲村 光郎「測定数値」
55 号 18.小林正自郎「電気設備あれこれ(その2)」
56 号 19.稲村 光郎「自動化のはじまり」
57 号 20.小林正自郎「排水処理(その1)
」
58 号 21.稲村 光郎「笹子トンネル事故報告書を読んで」
59 号 22.小林正自郎「排水処理(その2)-排水処理への液体キレートの活用-」
60 号 23.稲村 光郎「水槽の話」
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61 号 24.小林正自郎「ごみ焼却熱の利用(その1)」
62 号 25.稲村 光郎「東京都におけるごみ性状の推移」
63 号 26.小林正自郎「ごみ焼却熱の利用(その2)」
64 号 27.稲村 光郎「清掃工場の集じん器」
65 号 28.小林正自郎「ごみ焼却熱の利用(その3)」
66 号 29.稲村 光郎「とかく単位は難しい」
67 号 30.小林正自郎「焼却処理能力」
68 号 31.稲村 光郎「見学者への対応、雑感」
69 号 32.小林正自郎「清掃工場余熱利用推進化調査(その1)
」
70 号 33.稲村 光郎「ノウハウを考える」
71 号 34.小林正自郎「清掃工場余熱利用推進化調査(その2)
」
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