『存在と時間』 第19節 「世界」を広がっている事物 (res extensa)として

『存在と時間』
第19節 「世界」を広がっている事物(res extensa)として規定すること :要約
第18節で、世界の世界性が、「適所性の全体」(Bewandtnisganzheit) あるいは「有意義性の全
体」(Bedeutsamganzheit) として規定された。ここでは、この成果をより明確なものとするために、
この世界理解の究極の反対例が取り上げられ対比される。この究極の反対例が、デカルトの世界
理解である。このような方向で、第19節、第20節、第21節でデカルトの世界理解が主に
『哲学原理』に即して論じられる。
ハイデッガーが、ここでデカルトの世界理解を解釈する場合に注目するのは、substantia(実体)
という概念と res corpores(物的事物)である。
実体とは、他の存在者に依存することなくそれ自体で存在するものであるとされる。デカルトは、
実体として、1.ego cogito als res cogitans (思惟する事物としての我思う)
、2.完全なる存在
者としての神、そして、3.res corpores(物的事物)の三つを挙げるのだが、この三つの実体の
内で、この節のデカルトの「世界」を巡る議論で問題になるのは、res corpores(物的事物)とい
う実体である。
しかし、この節で問題となっている物的事物が、実体であるということは、いかにして把握され
るのか。デカルトは、実体は、その属性において近づきうるようになり、実体は、それぞれその
存在を明確に示す独自の際立った属性を持っていると考える。そして、物的な事物の実体性を示
す属性は「広がり」extensa、
(長さ、幅、高さによって構成される)であるとするのである。
物的事物は、広がりの他にも、分割性、形態、運動などの属性を持つ。デカルトによれば、分割
性、形態、運動広がりの様態として理解されるが、広がりは、分割、形態、運動などなしにも理
解される。形態も広がりの一つの様態であり、運動も場所の変化として理解でき、広がりの一形
態として理解される。硬さ、重さ、色などは、物から取り除いても、物は物であり続ける。した
がって、広がりは、物的事物に第一次的に「割り当て」られなければならない物的事物の属性で
ある。
物体的なものの存在をなすもの広がりであり、あらゆる仕方で分割され、形作られ、運動しうる
ものである。つまり、分割可能性と形態化と運動というあらゆる仕方で変化しうるものであり、
諸々の変化を受けて留まるものである。したがって、広がりは、事物的実体の実体性なのである。
このように広がりが、事物的実体の本来的存在を構成しているのだが、ハイデッガーは、この広
がりが、デカルトにとっての「世界」となると見ている。それは、物的事物が、様々に変化を伴
いながら現れてくることを可能にしている場面であると受け取ることができるだろう。