ボスニア紛争への国連の対応

日本模擬国連神戸研究会
第 3 回後期会議勉強会
2014/10/11(土)
ボスニア紛争への国連の対応 ⽂文責:福⽥田美晴 —安全保障理理事会— ●S/RES/713(1991 年年 9 ⽉月 25 ⽇日) ・ユーゴ地域への武器禁輸を決定 ★ポイント ・国連がユーゴ紛争で最初に取った具体的な⾏行行動 ・しかし、それ以外では議⻑⾧長声明などでの「憂慮」すら表明せず、事実上 EC の仲介が失敗
するのを傍観していたに過ぎなかった ・国連の(1. 地域主義 )の原則 →アフリカのことはアフリカ諸国が、アジアのことはアジア諸国が、まず協議して解決す
る、という慣習。当時ユーゴ問題は「ヨーロッパの問題」とみなされ、しかも、EC が「政
治的独⽴立立」を発揮できるところを⾒見見せようと張り切切って解決にあたろうとしていた。 ●S/RES/757(1992 年年 5 ⽉月 30 ⽇日) ・内戦における集団殺害・⺠民族浄化を理理由として新ユーゴ(セルビア・モンテネグロ)への (2. 経済制裁 )の実施 ★ポイント ・新ユーゴ政府が⾃自発的に「ボスニアへの⼲干渉」などの⾏行行為をやめるか、制裁で被害を被
る国⺠民が選挙で与党を少数派に転落落させるなどの⽅方法で政府を交代させる、あるいは、そ
うした国⺠民の不不満・圧⼒力力によって政府が政策を変更更・修正する、などの効果を期待 しかし、経済制裁が効果を⽰示すのは 94 年年以降降 ・国連の制裁がセルビア側のみに発動され、クロアチア側に適⽤用されなかった ・結果、「国際社会は不不平等だ」との認識識が広まり、経済が破綻しても政府の責任ではなく
国際社会の責任に転嫁され、ミロシェビッチ政権は⽀支持基盤を逆に強化した 1
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●S/RES/761(1992 年年 6 ⽉月 24 ⽇日) (3. UNPROFOR(国際連合保護軍) )要員 1500 名をサラエボ空港及びその周辺地域に
展開 【任務】 ・空港の安全確保 ・空港活動の監視 ・⼈人道援助物資および要員の空港から市内への通⾏行行の安全確保 ★ポイント ・その後は事務総⻑⾧長の後ろ向きの姿勢が災いし、ずるずると⼩小規模な追加派兵が繰り返さ
れた ・初動で出遅れた上任務が限定的で、さらに装備・兵員規模がその任務に⾒見見合わないなど、
「維持すべき平和なき平和維持軍」と⽪皮⾁肉られた。 ●S/RES/770(1992 年年 8 ⽉月 13 ⽇日) ・憲章第 7 章のもとで、⼈人道⽀支援物資の輸送を容易易にするため国連と協調しつつ「必要な
らゆる⼿手段(all measures necessary)を取るよう加盟国に要求 ★ポイント ・国内紛争において加盟国の(4. 武⼒力力⾏行行使 )を認めた初の決議 ・しかし、ただちに適⽤用されることはなかった —事務総⻑⾧長— (5. ブトロス・ガリ )事務総⻑⾧長は、「後ろ向き」の姿勢 ・アフリカを初めとする途上国重視の⽴立立場を明確にしており、ユーゴ(ボスニア)問題を「⾦金金
持ちの戦争」として軽視し、サラエボで「あなたたちより状況の悪い地域を 10 ヶ所以上列列
挙できる」と発⾔言 ★ポイント ・アフリカの飢餓問題などに⽐比べれば、ボスニア紛争は取るに⾜足らない ・初のアフリカ出⾝身の事務総⻑⾧長としての⾃自負や、アフリカなど「南」の途上国を重視しよ
うという意気込みから、安保理理(とくに欧⽶米諸国)が「不不当にユーゴ(ボスニア)問題を重視し
すぎる」との⾒見見解を繰り返した 2
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★まとめ★ ・安保理理で定期的に決議は出されたが、どれも紛争を終結させるのに⼗十分な実⾏行行⼒力力を伴っ
たものではなかった ・事務総⻑⾧長のアフリカ重視の⽴立立場のため、ボスニア紛争への対応には消極的であった —参考⽂文献— ・千⽥田善、『ユーゴ紛争はなぜ⻑⾧長期化したか』、勁草書房、1999 年年 ・S/RES/713 http://www.un.org/en/ga/search/view_̲doc.asp?symbol=S/RES/713(1991) ・S/RES/757 http://www.un.org/en/ga/search/view_̲doc.asp?symbol=S/RES/757(1992) ・S/RES/761 http://www.un.org/en/ga/search/view_̲doc.asp?symbol=S/RES/761(1992) ・S/RES/770 http://www.un.org/en/ga/search/view_̲doc.asp?symbol=S/RES/770(1992) 3