随想九月におきた悲しいニュース上條俊昭一昨年九月米国を襲った同時多発テロは、世界史をゆるがすほどのショッキングなニュースだった。ニューヨークのシンボルだったツウィン・タワーが一瞬の中に消滅し、三千余名の尊い人命が失われた傷ましい事件は、世界の人々の間で、永遠に語り継がれて行くことだろう。私の長年の職場だった野村総合研究所の後輩二人もテロの犠牲になってしまった。昨年九月の小泉首相訪朝後に次々に明らかになった拉致事件のニュースも、日本人にとってはかなりショッキングなものだった。北朝鮮工作員の行動は明白なテロ行為である。赦し難い侵略行為である。拉致されたご本人とご家族の苦悩を察すると、まさに断腸の思いがする。しかし、冷静になってこの問題を考えてみると、平和ボケした日本が長年海岸線防衛の努力を怠り、相手につけ入る隙をみせてきた事実が重大な誤りであったことに気づく。昔も今も、国家の最重要な使命は国民の生命と財産を護ることにある。国民が安心して眠られるように、夜警の仕事が国家にとって一番大切な任務のはずである。北朝鮮という国家の体制と経済事情を想定した場合、工作船侵入の危険性は十分想定できたように思う。北朝鮮東海岸からの距離と警戒厳重な韓国海域を避けて、日本に１侵入する場合、越前から越後の海岸が一番狙われやすいと誰でも考えるであろう。事実、拉致事件はこの地域で多発している。最近の日本の世論は、外務省に対して風当たりが強い。しかし、最も糾弾すべきものは積年に亘って海岸線の警戒を怠ってきた海上自衛隊、海上保安庁、警察庁の責任ではないかと考える。ようやく小泉内閣になって、当局は工作船に対し厳しい姿勢をとるようになったが、遅きに失した感はまぬがれない。いずれにしても、拉致事件は歴代内閣と国会が国家としての責任を果たしてこなかった結果おきた事件で、日本国の国家的資質が問われている問題なのである。拉致のニュースに隠れてしまったが、九月に日本国の国家的資質が問われるニュースが二つおきた。その一つが日本銀行による銀行保有の株式直接買い付けである。通貨の番人として、通貨の価値を護る中央銀行が民間保有の株式を直接購入するケースは、先進国の常識では想像できない異常な事例である。そのことの是非はこの際問わないことにするが、日本銀行が異常措置をとらざるを得なくなった日本の銀行の体力低下は由々しき事態である。長年民間エコノミストとして仕事をしてきた筆者にとっては、悲しく、誠に残念なニュースだった。銀行の不良債権処理の課題は、ここ十年ほど日本が国際公約してきた国家的課題であった。しかし、日本国の先送り体質が災いして、いまだに解決をみていない。この課題も、日本の国家的資質が問われている問題である。九月におきた三つ目の残念なニュースは、民主党内の人事を巡る騒動だった。これは日本の国家的資質を問われる問題そのものである。周知のように、戦後の日本は本格的な政権交代、すな２わち衆院選挙の結果、第一党と第二党の座が入れ替わる形の政権交代はただの一度もおきていない。これが日本政治の最大の泣き所と言われて久しい年月が経つ。ちょうど十年前の一九九三年に、第一党の自民党を排除し、第二党以下を寄せ集めて細川内閣が誕生した。これも一種の政権交代だったが、民主主義国家で通常行われる正常な政権交代とは言い難い。与野党による健全な政権交代によって、政策の大胆な転換を促すことは民主主義国家存続のための基本原則のようなものである。政権交代がなければ、政策の転換は進まず、政治腐敗の抑止に歯止めがかからなくなってしまう。そこで、日本国民は野党第一党の民主党に熱い期待をいだき、九月に行われた代表選挙を注目していたわけである。今回の代表選挙は民主党が史上初の本格的な政権交代を目指す重要な選挙だったはずである。四人の候補者が口々に「次期衆院選で必ず政権交代を実現する」と訴えていた。しかし、代表選挙の結果とその後の人事のゴタゴタを見る限り、民主党がはたして政権交代を目指す政党なのかと疑わしくなってきた。幹事長の人選は基本的に党首の専権事項である。人選に問題があったにせよ、当選直後の党首の人事に党内から大反論がおきるようでは、大人の政党ではない。その点は自民党の方が一枚上手である。残念ながら、人事の失敗で民主党の政権交代の可能性はかなり低くなった。この状態では、自民党の天下が当分続きそうな気配がする。自民党もかなり党内に軋みが生じているが、与党を脅かすほどの強力な野党が出現しない限り、日本の政治に政権交代の展望が開けない。３二十世紀末、ソ連邦をはじめとする共産党国家が次々と崩壊してしまった。崩壊の理由は様々あるだろうが、私は一党独裁の弊害を主因にあげたいと思う。英米両国の政治体制は、二大政党の切磋琢磨で、チェックとバランスの機能が働き、長年健康を保っている。共産党国家はチェックとバランスの機能が極端に弱いから、必然的に健康を害して、短命に終わったのであろう。共産党国家では比較的長生きだったソ連邦でも、六十余年の命だった。ところで心配なのは、わが国の政治体制である。保守合同が成立して、自民党が誕生したのは一九五五年の十一月だった。しかし、保守本流の吉田内閣が発足したのは一九四六年の五月である。今年で五十七年になる。これは自民党が戦後日本を実質的に支配してきたことを意味する。一党支配体制は、反対勢力のブレーキが弱いから、発展途上の国にはプラスに働く場合が多い、おかげで日本は高度成長の波に乗り短期間に先進国に脱皮した。しかし、物事には必ず一長一短がある。ここ十五年ほどは、一党支配体制の毒素が次第に日本の政治体制を蝕み、最近は政治も経済もガタガタの状態に陥ってしまった。政治三流、経済一流と言われた時代は過去の話である。とはいえ、自民党に代わる政党が出現しない以上、自民党政権がまだまだ続くことになる。二十一世紀の日本は、世界の民主主義国に例をみない異常な国になるような感じがする。（個人会員、ビスメディアネットワーク会長）４