稲の分類 農業技術欧州へ 現代農政

4・稲の分類
農業技術欧州へ
*①中国の稲の分類
*②中国は欧州の農業革命に寄与したか
*③現代の農業政策
*①中国の稲の分類:
『斉民要術』は12種類のウルチ稲(稲)と11種類のモチ稲(秫=もちあわ)の
名前を挙げている。稉(粳=うるち)か或は秈(うるち=印度→中国)かを区分し香り米か、色米に
注目する(表3)
。
「極早世稲・江蘇省の沼沢平野にある高郵や秦州は夏の盛りには水が溢れ極早世稲の
実験場となる。1年の大半、湛水が続く高郵の農民は毎年夏の洪水に打ち勝つため16世紀に50日稲を
開発した。1720~21年の飢饉にはこの50日米が住民救済する。18世紀に40日稲も高郵と湘南
南部の衝州で開発された。1834年、江蘇大洪水の際30日稲が奪い合いとなり江蘇農民に配布された」
*②中国は欧州の農業革命に寄与したか
*18世紀、欧州の曲面鉄製犂ヘラの発展過程に基づくと、このヘラが欧州で発達したのは東アジアや
東南アジアとの接触が確立した後だった。他方、極東でははるか以前からなじみのヘラだった。
*華北では紀元後、数世紀で完成していた穀物の条播体系と、タルが1731年名づけた北西ヨーロッパの
馬鍬中耕農業が酷似する事。中耕は、食物育成中に耕耘によって土を砕くか或は土を寄せる事である。
*欧州では、16世紀まで穀物の播種法は散播法が唯一だった。この場合、収穫の半分から三分の一を
種子として保存せねばならない。
*欧州が探索したアジアの農業技術
*曲面鉄製発土板を着装した犂、播種ドリル、馬鍬の導入または発展。
*18世紀初頭、イエスズ会士伝道師団は中国の風選具の唐箕をフランスに持ち帰りこれを組立て
1720年に稼働させる。
*1740年、スウェーデンの王立東インド会社の船長は『中国農業の報告』を母国に持ち帰る。
*1757年 播種ドリルの模型を送り農学者が試作した。
*③現代の農業政策 = (日本=6次産業 農商工連携 食料産業クラスター)
中国農政・58年設立され、82年に廃止された人民公社(政社一体)→78年改革開放路線→
人民公社(政社分離)→社区合作経済組織(政経分離)→生産請負制度。
農村土地制度・
「15年間不変」
(82~97) 「30年間不変」
(98~2028)
農家の経営面積 一戸当り、日本1.2ha、 中国0.4ha (資料C-52P)
組 織・ (中央)
① 農業経営管理站
(省)
②農業部農村合作経済指導司
(県)
(郷鎮)
③農牧魚庁
④農業経営センター
農民専業合作経済組織=(農民専業協会 専業合作社 農村専業技術協会 合作協会 農 協)
JAとの相違・出資金制度は可、共済制度(金融、保険)補助金制度は国家体制の違いで不可。
ヴェトナム・VACシステム農業とは、池+田圃+畑=池には淡水魚類、エサは豚舎、鶏舎、厠→魚の
餌になり、池の中には水草があり、池の周辺には野菜畑、ジャックフルーツの木、茶畑、マンゴウ、
田圃→稲、畑→野菜 果物 花卉。 水産、農産、畜産の複合経営。
V=Vegetable-ヴォ―ン,A=Agriculture-アオ,C=Cage for animal barn-チュン。VAC 所有限定少数。
おわりに・農業を川の流れに例えるなら、生産は上流に位置し、流通は中流、消費は下流に相当する。
今回は生産の歴史と流通の一部である貯蔵に関して解説した。流通が地球規模で発展し、貯蔵も保冷技術
が飛躍的に進歩している。生産の更に上流に位置する種子改良(GM技術=遺伝子組み換え種)が進んだ
結果、2009年、中国政府はGMトウモロコシ、GMイネに安全認証を与え栽培を許可した。
この為、害虫抵抗性の稲は収量増と殺虫剤使用減による収益増が期待できる。 以 上
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Y 稲の田植用マーカー 元代 江西省
一坪当り、地質により35~65株を植え
一株当り、3~7苗 畝の間隔 調整可能
Z・元代・穀物貯蔵用籠・木箱は左側番号あり・双方約H3m
Y マーカーの周り順序
元代
「現代農業」 ’15 5月号
備
中
鍬
の
元
祖
?
V 種子覆土用 車輪ローラー
W 甘粛省 嘉峪関 魏晋時代の彩絵磚 犂 耕
播 種 ハローかけ
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