3兄弟が夢プロジェクトに関わる幸せ 小口弘毅 おぐちこどもクリニック 4年前に「夢プロジェクト」への協力を打診された 時に、私は2人の弟達の顔が即座に浮かび、同時に3 兄弟の役割分担まできっちりと決まっていました。4 年経った今、全てが偶然の積み重ねのように見えます が、しかし必然だったかとも思えます。懐かしいセピ ア色の写真をご覧下さい。3人の息子達に取り囲まれ た優しかった子煩悩な父、そしてシャッターを押して いる母に育てられた私達は、甲府で幸せな子ども時代 を過ごしました。長男の私は小児科医として、そして 早く亡くなった父の後を継いで甲府で商売をしている 次男博司は、開発申請など行政との骨の折れる折衝を引き受けてくれています。そして父から甘やかさ れ放題であった浮世離れした三男均は、世界をしばらく放浪した後、明美さんに巡り会って家庭を持ち、 30過ぎて大工の修行をし、偶然にも20数年前から白州に居を構えました。そして大工となった長男 大樹と共に、ロッジ建設に勤しんでいます。しかも、念願だった樹と漆喰の日本家屋に基づいた素敵な 建物を次々と手がけているのです。老境にさしかかった3兄弟は、再び強い絆で結ばれて、それぞれ全 く違った個性と能力を発揮する幸運に恵まれています。長男である私は、戦後の貧しい時代に身を粉に して働いて、私達を大切に育ててくれた父のことを思い出すたびに、父は私達のボランティア活動を喜 んでくれているではと願っています。 新生児医療に私を導いてくれた恩師の仁志田博司先生、そして新生児医療の先輩である後藤彰子先生、 新津直樹先生と再び一緒になって「夢プロジェクト」に関わっていることも不思議な縁を思います。仁 志田先生が40年間温めていたマーチオブダイムの構想は、ついに水道橋から白州までのチャリティー ウォーク170km として実現し、恒例の白州チャリティーウォーク12km に繋がっています。さらにこ のチャリティーウォーク、甲府一高で学んだ私達3兄弟が、一高の同窓生、ひいては山梨県の人々に「夢 プロジェクト」をアピールする絶好の機会となっています。一高生は“強行遠足(男子生徒は甲府から 夜を徹して小諸まで105km を歩く) ”という素晴らしくも過酷な伝統行事の洗礼を受けているからです。 「夢プロジェクト」を推進している実行委員の中心は難病児の親御さん達です。実行委員としてウォ ークなどの活動を通じて仲間達との絆を結びながら、私は小児科医として、しかも NICU 主任として仕事 をしていながら、重症児の親御さんたちの苦しみ、そして悲しみを深く理解していなかったことに、今 更ながら気づきました。そんな小児科医ですが、ちいさなクリニックで「夢プロジェクト」に対して何 が出来るか自問自答しています。それは日々受診してくる多くの障害を抱えた子ども達と家族に「夢プ ロジェクト」について伝え、共に “夢”を語ることだと思っています。 最後に 1983 年に設立された世界で最初の子どもホスピスであるヘレンダグラスハウスの設立理念を紹 介します。It is not how long the life is、 but how deep。
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