№89 平成27年4月27日 【発行】 豊橋市立栄小学校 校長室 [email protected] 「もう一度、大学受験をしたい!」 「参考書を買って勉強、しているらしいじゃないか」 そんなふうに言ったら、父や母は、なんて言うだろうか。 バイトしたお金で参考書を買って、ちょっとずつ大学受験の 父はきっと、ものすごく怒るだろう。 勉強をしていた。 いま、僕は、音楽関係の専門学校に通っている。高校3年生 知ってたんだ……お父さん。 のとき、何が何でも大学へ行きなさい、という親に反抗して、 「ちょっと座るか」 好きな音楽を学ぶんだと啖呵を切った。その頃、はまってい そう言って、父は、土手に腰掛けた。僕も隣に座る。 るゲームがあって、ゲーム音楽をつくる仕事につきたいと、 草の匂いがふわっと香る。 漠然と考えた。 「父さんが高校のときの話だ。お父さんは最初、文系のクラ 専門学校はそれなりに面白かった。でもあと 1 年で卒業とい スに入ってたんだが、途中で自分が理系のほうに関心がある う時を迎え、いよいよ就職の準備を始めようとしたそのとき、 ことら気がついたんだ。成績は文系のほうがよかったけど、 僕の中に、ある思いが湧き上がってきた。 どうにもやっていて集中できない、面白くないんだ。それを それは……「学校の先生になりたい!」 見かねた担任の先生にな、ある放課後、職員室に呼ばれた。 思えば中学の頃から、先生という職業に憧れていた。将来は 正直に話したよ。お父さんはな、きっと怒られると思った。 国語の先生になりたいと卒業文集に書いた。でも、高校生に でもなあ、その先生はこう言ったんだ。 『みんな初めての人生 なると教師だった父への反抗心が自分の心を見えづらくして をやっているんだ』 。だから、違ったと思えば、またそこから いた。そしていま、就職を考え、自分の将来をあらためて想 新しく歩き出せばいいってな」 像したとき、かつての思いがむくむくと頭をもたげてきた。 「みんな初めての人生をやっている……」 もし専門学校を卒業せずに、途中で辞めてしまったら……。 その言葉が胸にしみた。 きっとお母さんは哀しみ、お父さんは激怒するだろう。 僕は父に全部話した。ずっと学校の先生になりたかったこと、 「一度始めたことは、最後までやりなさい!」って。両親に お父さんやお母さんに反抗して、いままで素直じゃなかった 対して申し訳ないという思いが湧き上がる。もちろん僕だっ こと。 て、一度決めたことを途中でやめてしまうことには抵抗があ でも、ずっとずっと、お父さんやお母さんに感謝していたこ る。 と。 でも……。先生になりたいという思いは、もう拭うことがで すると、父は言った。 きなかった。 「お父さんも、お母さんも、いつも翔太の味方だ。そのこと、 日曜日の朝、珍しく父が僕を散歩に誘った。 忘れないでくれ」 川べりの土手を一緒に歩く。グラウンドでは少年たちが野球 僕はうなずいた。 をしている。 「翔太、初めての人生、悔いのないように生きるんだ」 カキーンという金属バットがボールをはじく音。 僕はもう一度、大きく、うなずいた。 コスモスが秋風に揺れていた。 川面で踊る朝陽が、キラキラと輝いて見えた。 「最近、どうだ、学校は……」 父が僕の顔を見ずに言った。 「うん……」 「ありがとう、先生!」≪第 2 集≫ 僕は口ごもった。 (飯塚書店)より 某 FM 局の朝のラジオ番組に「ありがとう、先生!」というコーナーがあります。月、水、金の 7 時19分か らですので、出勤途中の自家用車内で、聞いていらっしゃるかたもいるかもしれませんね。 先生からかけてもらった言葉が、心の支えとなっていたりその後の人生の励みになっていたりすることを伝え てくれます。わずか1分足らずのコーナーですが、生徒と先生の心の交流が伝わってくる心温まるひと時です。 今回紙面で紹介した「みんな初めての人生をやっているんだ」という言葉も、そのうちの一つです。先生から いただいたこの言葉をもとにして作られたフィクションですが、親子二代にわたって心に染み入るようなことが 実際にあったとしたなら、まさに教師冥利に尽きますね。注釈には、こんな言葉が添えられていました。 学生時代にいただいた言葉です。シンプルで短い言葉の中に温かみが詰まっていて心に響きました。おかげ で、明るく前向きに行動できるようになりました。 以前、 「一言の重み」という話をしました。たった一言ですが、心が温まり「この子」にとって珠玉の言葉とな ることもあれば、全くその逆になってしまうこともあります。子どもを預かる私たちは、このことをしっかりと 胸に刻み、「この子」が置かれた状況や環境を汲み取って言葉がけができるようにしたいものですね。「この子」 にとって前者の言葉が一つでも二つでも増えることを期待しています。
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