幼児の絵画表現とセザンヌ

幼児の絵画表現とセザンヌ
木俣 創志
ツ タ ン カー メ ン王 墓 に描 か れた 壁 画
( 図 1)
エジプトの美術は、およそ三千年近くにわたって、殆んど様式が変化していません。
自然の描写には、驚くほど緻密で繊細な観察力を示しているのですが、一方、人物の表
現には横向きの顔に正面向きの目、正面向きの胸と胴に横向きの足、というようなスタイ
ルが継続します。(図 1)
不思議なことに、幼児の絵にも、横向きの顔には正面向きの目、横から見た足が描かれ
る場合が多く、これは、目が最も目らしく見えるアングル、足が最も足らしく見えるアン
グルを合成して描いているわけです。子どもたちは、当然、無意識にそう描いています。
この“らしく見えるアングル”をガンガン取り入れた初めての巨匠が、恐らく、ポール・
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セザンヌという人でした。彼は美術の歴史では、ポスト印象派、19 世紀の後半に活動した
人ですが、彼の強みは、
“らしく見えるアングル”の合成を、殆んど無意識的にやっている
ところなんですね。
では、実際の作品をみてみましょう。
彼の風景画に「道シリーズ」というのがありますが、子どもの自由な絵と大変よく似た
表現が認められます。(図 3)
通常の大人が道路の真ん中から見た道を描くと、このようになりますが(図 4)、子どもが
道を描くと細長くなります(図 5)。 教科書に載ってる、チゼック教室で描かれた、この子
どもの絵を見て下さい。(図 2)
これは、道は「細長い」という体験に基づいて道を描いているからであって、まさしく、
子どもは「見ているものを描くのではなく、知っているものを描く 」ということですね。
…遠足に行った子どもは、なかなか、その場で絵を描こうとはしませんが、記憶のなかの
遠足は、思い出としてすんなり描く、というやつです。
それはさておき、セザンヌもまた、子どものように道を細長く描きたかった、これは何
故でしょうか?
アプリケ
10 歳 児
(図 2)
彼の場合は、子どもと同様、道は細長いという記憶・経験もあるのかもしれませんが、
観察を重んじた彼にしてみれば、さながら、細長い道に車を走らせるような感覚で目線
を道に走らせてしまう、つまり、そういう感覚を大切にしてそのムーヴマン、動き、
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セ ザ ンヌ
曲が り 道
(図 3)
動性ですね、それを表現したかったのではないでしょ
うか?
私がこう考えるのは、彼の作品に残された筆跡、タ
ッチが、人間の目の動き、あるいは、目線の動きその
大 人 が 道を 描 くと 、 こん な ふう に な る ?
(図 4)
ものをダイレクトに表したものではないか、という
自分の立てた仮説によるものですが、今はそれにつ
いて、時間の都合でこれ以上触れることができませ
ん。もっと詳しく知りたい方は、ウエブサイトの『セ
ザンヌは世界をこう視た』をお読み下さい。
さて、セザンヌの静物画などにも見られる、たと
子 ど も が道 を 描く と 、こ ん なふ う に なる ?
(図 5)
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えば果物皿の表現やテーブルの表現やなんかには、お皿は上から見ると丸くテーブルは四
角い、しかし側面からはこう見える、というような「視点の合成」ないし「視線の合成」
が行われていることはよく知られていて、彼の作品のいたるところに顔を覗かせています。
(図 6)
要するにセザンヌは、子どもの表現に通じる特徴を濃密に持ちながら、一方で、決して
それにとどまらぬ独自の表現に向かおうとしたわけで、
“子どもの純粋さ”と“作家として
の挑戦”とを同時に備えていたというべきでしょう。
先ほどの、「道」の表現に戻れば、まるで上空から地上を眺めたようなこうした表現は 、
セザンヌ
リ ンゴ と オレ ン ジ
(図 6)
いわゆる「俯瞰図的表現」というふうに児童画の研究者のあいだで呼ばれたりしていま す。
私たちが「俯瞰図的表現」などというものものしい名称でセザンヌ作品の特徴としても
眺めてしまうのは、とどのつまりは、ルネサンス期に一点透視図法が完成されたからなん
です。私たちが、ルネサンス以降に生を受けたから、ということです。
どういうことでしょうか?
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一 点 透 視画 法 によ る 作 画 (1)
一 点 透 視画 法 によ る 作 画 (2)
(図 7)
(図 8)
ここで、並木道に立ち並ぶオフィス街の絵を描いてみましょう。すると、こんなふう
になります。(図 7~9)
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一 点 透 視画 法 によ る 作 画 (3)
(図 9)
中央の点は消失点と呼ばれていますが、vanishing point といって、日本語にすると難
しくなってしまいますが、要するに、全ての風景、道や並木、建物などがこの1点に収斂
し消えいくという意味です。
大人になると、程度の差はありますが、このように先細りにしっかり道を描けるように
なってくる。
こうしてみてくると、原始から古代――古代といえば、エジプトの美術に見られた人物
の表現が幼児画の特徴と重なるスタイルをいくつか備えていたことは既にみてきた通りで
すが――古代から中世、ルネサンス、そして現代へと繋がる美術の発展のプロセスが、人
間一人ひとりの、幼児期から大人への絵画表現の発展プロセスと大変よく似ている点で、
子どもたちは人類の絵画表現の歴史、その学習と発展のプロセス自体を猛スピードで追体
験している、などと指摘する学者もいたわけです。
赤ちゃんが 10 ヶ月あまりのあいだ、お母さんのお腹のなかで生命の進化の歴史を猛ス
ピードで追体験している、という学説に何だか似ていませんか?
セザンヌの絵と幼児の表現にみられる共通性、さらに相違点について、あれこれ お話し
してきました。
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さて、ここまでお話し
してくると、やはりここ
で、あのピカソに触れな
いわけにいかないでしょ
う。特に“子どもらしい”
表現、その活き活きした
生命力を、セザンヌ作品
やアフリカの彫刻などか
ら刺激を受けて、意識し
て引き出したのが彼だっ
たのかもしれません。
ピカソは、少年時代か
ら大人顔負けの優れたデ
ピカソふうに描いた肖像画
横顔に
2 つ の 目が … (図 10)
ッサン力の持ち主でしたが、
ようやく大人になってから子
どものように描けるようにな
った、ということを、本人が
どこかで述べています。
そんなピカソもまた、一枚
の画面上に複数からの視点を
合成することによって、セザ
ンヌよりももっと過激で大胆
なスタイルを打ち出していき
ました。
こうした彼のスタイルは、
キュビズムと呼ばれています。
ピカソ
彼の描き方は、こんな感じです。(図 10)
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座 る 女( 部分 ) (図 11)
女の人を描くのに、美しい女性は鼻が高いはずだということで、顔を真横から描く、し
かし人間の目はたいてい2つなので、この横顔に、こうしてもうひとつ目を描き入れます。
古代エジプト人たちが横顔に正面向きの目を描き込んだ、あの多視点の絵よりもずっと
ずっと過激で挑発的になってしまいますね。
こうしたある種のデモンストレーションを、
「ああ、いい絵ですね。」と言われても、我々
日本人には、なかなか受け入れ辛いところが、おそらく若い皆さんのなかにもあるかもし
れません。(図 11)
ところが、ではここで、私たち日本が世界に誇る文化であるアニメの表現を思い出して
みましょう。
横向きの顔、そして、正面向きの目、はたまた大変“不自然”な ことに、正面から見た
口が横のほっぺたに大きくあけられていても、こんなふうにです (図 12)、なにも不自然に
は感じません。実際に、隣に座っている人の横顔を見てみてください。目は、実際にはこ
ういうふうになっていて、線のようにしか見えません。
要するに、ピカソの名作をことさら“理解”しようとしなくても、あるいは、解説書な
どを読まなくても、私たちは子どものときからアニメを通じてキュビズムの表現の本質を
自然に受け入れているし、また子どものときからキュビズム絵画のように世界を眺めてい
ることの、これはひとつの証明になっているのではないでしょうか。
さてさて、話がだいぶ逸れてしまいましたが、多視点の表現様式をめぐって、エジプト
の極めて保守的なスタイルの持続、逆に、ピカソの大変 に革新的なスタイルの冒険、そし
て、私たち和製アニメの表現について、駆け足で見わたしてきました。
わけても私にとっては、セザンヌの絵は、多視点によって合成されたものの見方を“殆
んど無意識的に行っている”という点では、他のどのスタイルよりも、子どもの表現に近
いのではないかと感じていますが、皆さんはどのように感じられるでしょう。
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日 本 の アニ メ ふ う 横 顔
(図 12)
本講話は、授業の雑談として語 った内容を(ホワイトボードに
手描きした絵を含めて)なるべく忠実に再現したものです。
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