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平成 26 年 4 月 8 日
兵庫県立伊丹高等学校 平成 26 年度 1学期始業式挨拶
校長 秋田久子
皆さん、おはようございます。新年度が始まりました。67 回生、68 回生、皆さんのお顔
に勢いを感じます。今年度を一層充実した年にいたしましょう。
さて、なぜ学校で勉強をするのでしょう。勉強にはどんな意味があるのでしょう。それ
に気づかされた経験をお話ししたいと思います。
私事で恐縮ですが、息子が 2 歳の時こんなことがありました。お散歩の途中、畑に、大
根が見事に青々と葉を伸ばしていました。「太郎君、あの元気な葉っぱね、何の葉っぱだと
思う。あの下にね、おいしいものが埋まってるんだよ。太郎君も大好きなものよ。なんだ
と思う」と尋ねました。息子は腕を組む格好をして、「うーん、うーん、わかった!お肉か
な」と言いました。私は「えっ」と言ったまま、しばらく返答ができませんでした。葉っ
ぱとお肉が結び付く?どういうこと?この子、大丈夫かしら・・・絶句してしまいました。
次の瞬間、そうか、
「知らない」というのはこういうことかと思いました。2 歳の息子に
は物事の概念…簡単に言うと頭の中の引き出しがまだあまりないのです。
「食べ物」と「好
きなもの」で彼の引き出しから出てきたものが「お肉」だったのです。
私たちは普段無意識に、耳にしたこと目にしたことを、それぞれ分類して頭の中の引き
出しにしまって、必要な時に自由に取り出して使っています。「知らない」ということは分
類して引き出しにしまうことができない、いえその以前に、しまうべき引き出しがないと
いうことなのだと分かりました。
その引出しはどうやって作られるのでしょう。私たちが持つたくさんの引き出しの多く
は、やはり学校での系統だった学習や活動で作られます。多くの先人たちが世の中の現象
を分類し、概念という引き出しを作り、名前も付けてくれました。例えば哲学、天文学、
はたまた物理、音楽、歴史、などなど。学校で体系的に学ぶことによって、引き出しが作
られその中身が順序だって詰まっていくのです。
では、たくさんの引き出しから中身を選び出して、それを組み合わせたり分析したりし
て、判断や新しいアイデアを生み出す力、言い換えると「知恵」はどこから生まれるので
しょう。私はやる気と経験が知恵を生むと思います。よしやってみようと一歩前に出て経
験してみる、これが引出しを自由に開け閉めして使いこなす「知恵」を生み出します。で
すから今年も、経験のための、県高ならではの色々な機会を、先生方が用意してくださっ
ています。例えばフランス国の領事さんや先輩がたの講演、バルーク高校との交流、震災
支援活動、東京方面大学ツアーなど多様です。来週の遠足も新しい企画です。
さあ、この一年間、学習と活動で中身の濃いたくさんの引き出しを作りましょう。そし
て一歩前に出るやる気と経験で、その引出しを自由に使いこなす知恵を鍛えましょう。
皆さんの活発な取り組みに期待します。