さぴあ賞 絵本 いのちをいただく 私が今、ここにいる意味 M ・T さん 3年 誰でも、自分がしていることを悪く言われたら辛い。食肉センターにつとめら れる方々は、何度もそういう思いをされてきた。そのことを、私は「お肉のじょ うほう館」を訪れることで知りました。そこでは牛が解かれる様子といっしょに、 その仕事を非難する手紙も展示されていたのです。それを目の当たりにしたこと で、 私 は 、 仕 事 を や め よ う と 思 っ た 坂 本 さ ん の 気 持 ち が 、 い た い ほ ど 理 解 で き ま した 。 そうして私が思い出したのは、子育てです。私には年のはなれた妹がいて、妹 がどんなふうに大きくなってきたのかをおぼえています。それをふり返ると、 「子 育ても大変な仕事だな」と思うのです。お産のときはとてもいたいみたいですし、 生まれたあともオムツがえや吐いたものの後始末など、決してきれいではないも のをあつかいます。私や妹が言うことを聞かなくて、外ではずかしい思いをした ときは、母は、自分のしつけが悪いとせめられているような気がするそうです。 それでも私たちを育てられるのは、いつかは私たちが親の言うことを理解して、 社会を支える人間になってくれるという希望があるからだそうです。 坂本さんも、きっと同じだったのでしょう。自分の解いた肉を食べた人が、す こやかでいられるように。それをねがうことで、仕事を続けられたのだと思いま す。そうしてそのかくごを、みいちゃんも感じ取ったからこそ、坂本さんの前で おとなしくなったのではないでしょうか。 私はこの本を読むまで、今、自分がここにいることをあたりまえのように思っ ていました。でも、ちがいます。お肉を届けてくれる坂本さんたちのように、子 供たちを育ててくれる世界中のお父さんお母さんのように、今ここにいるという れている行為があることに、心から感謝するべきなのです。だから、これからは 「あたりまえ」の向こうには、いやなことや辛いことも「あたりまえ」にしてく 自分も、いやだと思うことでもそれが人のためになるのなら、あたりまえのよう にやっていくかくごをもちたい。もし、自分がしていることを悪く言われても、 そのことが誰かのためになると言い聞かせてがんばりたい。自分はあたりまえの ようにやって、人にやってもらっていることをあたりまえだとは思わない。こう して、いのちをつないでいくことが、この世界を支えてくれる人たちへの恩返し にな る と 思 い ま す 。
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