第7回 20世紀の資本主義とマルクス経済学

経済学概論
第7回
20世紀の資本主義とマルクス経済学
20世紀以降の先進資本主義国を中心とした資本蓄積の高度化と資本主義経済
の発達により、マルクスが『資本論』で描いた労働者の窮乏、貧困化の様相も
変化していった。これに対応してマルクス経済学も社会革命の理論と結びつき
ながら発展していくことになる。
1、帝国主義とマルクス経済学の発展(20世紀前半)
(1) 資本の集積・集中と金融資本
20世紀に入り資本主義経済は資本蓄積を推し進めていく
が、それは資本の集積・集中をともない、またそれを不
可欠とするものであった。
産業が軽工業から重化学工業に変わり、大規模の設備
(固定資本)が必要とされ個人の資金だけでは容易に企
業を立ち上げることは困難となる。そこで、個人資金に
代わって、株式会社制度によって大量の資金を集めるこ
とに成功したのがドイツであった。この事態をドイツの
マルクス経済学者ヒルファディング(Rudolf Hilferding,
1871~1941)は金融資本という概念で説明した。1
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ヒルファディング
信用制度の拡張
株式会社と銀行を通じての資本の動員
カルテルとトラストの確立による自由競争の制限
これらによって、銀行が信用制度を通じて大量の資金を市中から集め、そ
れを産業資本に流し込む。この銀行と産業資本との一体となった状態をヒル
ファディングは「金融資本」と呼んだ。
それは一方で、「金融資本」による資本主義の「組織化」、そして銀行(国
家)による生産のコントロールという社会主義像を生み出し、ドイツにおい
てもドイツ社会民主党(SPD)の政策に理論的根拠を与え、ベルンシュタイ
ン(Eduard Bernstein, 1850~1932)らの指導のもとに議会制民主主義を通
じた社会改良路線を進めることになる。そして、その後の資本主義の改良を
通じた社会化路線(社会民主主義思想)に影響を与えることになる。
1
※ヒルファディング『金融資本論』(岩波文庫、1910)
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(2)資本蓄積と世界戦争
資本蓄積の進展は固定資本を増大させる一方、剰余
価値もますます生み出されるようになる。一方、資本
蓄積に伴う可変資本の相対的減少は労働者の需要を減
少させ、その結果、剰余価値の実現が資本主義経済内
部で困難になると考えたポーランド生まれのドイツの
経済学者であり革命家であったローザ・ルクセンブル
ク(Rosa Luxemburg, 1870~1919)は、『資本蓄積
論』(1912)の中で資本主義が必然的に植民地支配を
目指して膨張することを唱えた。
実際にも資本主義諸国は海外市場を求めての植民
ローザ・ルクセンブルク
地支配と領土分割を求めての世界戦争(第一次世界大戦)に進んでいくこと
になる。そして、労働者階級の政党であるドイツ社会民主党(SPD)も自国
の労働者の収入を守るために戦争に協力していくことになる。
そこで、ローザやカール・リープクネヒト(Karl
Liebknecht, 1871~1919)ら SPD 左派は1914年にス
パルタクス団(後のドイツ共産党:KPD)を結成し、
反戦運動と革命闘争を指導していことになる。第一
次世界大戦後、ローザはレーニン率いるロシア革命
の成功(1917)に倣ってドイツでの蜂起を目指すが、
社会民主党が
率いるワイマ
ール共和国体
制化で弾圧さ
れ虐殺されることになる。
なお、ローザの理論によれば資本主義経済はその外部(周辺)に前資本主
義経済を有することによって成り立つことになる。そして周辺の前資本主義
経済は資本主義諸国に市場(商品輸出先)としてのみ存在していることにな
る。この理論を突き進めていけば、資本主義経済は周辺の前資本主義経済を
自らの内部に取り込みつくしたときに、自らの市場を喪失し、その結果資本
蓄積自体が不可能となり消滅することになる。 2
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※ローザ・ルクセンブルク『資本蓄積論』(第三書館、1912)
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(3)資本の集積・集中と帝国主義
20世紀に入り、資本主義国が、ローザの主張するよう
に海外市場を求めての植民地支配と領土分割を求めての世
界戦争へ突き進んでいったのは事実である。これをより経
済学的な理論体系に位置づけ、また革命の理論へと発展さ
せ、さらに実践していったのがロシアの革命家レーニン
(Vladimir Il'ich Lenin, 1870~1924)であった。レーニ
ンは資本主義が自由競争から独占の段階へ転化していると
して、独占段階の資本主義を帝国主義と定義した。その内
レーニン
容は
1
生産の集積・集中による競争から独占への転化、独占資本による超過
利潤の取得
2
銀行による資本の集積と独占の形成、銀行と産業の融合と癒着による
金融寡頭制=金融資本の形成とその支配
3
先進資本主義国での資本の過剰と、それによる資本の輸出
4
先進資本主義国による世界の領土的分割と植民地戦争の必然性、
である。
レーニンはヒルファディングの指摘するように、生産の集積・集中が生産
の社会化を進める一方で、その所有が依然として私的であり、その矛盾はま
すます激化すると考えた。
特に『資本論』で説かれた相対的過剰人口の存在は、資本蓄積によって逆
に資本過剰へと転じることになるが、資本家は過剰となった資本を労働力が
豊富で労賃の安い海外へ移転することによって国内でも国外でも再び「相対
的過剰人口」を作り出すことになる。この資本の運動が先進資本主義国(イ
ギリス、アメリカ、フランス)による世界の領土的分割へと、そしてロシア
やドイツ、イタリア、日本などの後進資本主義国の領土再分割を求める動き
が植民地戦争~世界大戦へとつながることを解き明かしたのである。
レーニンは革命の実践においては、資本主義の発達が遅れ封建制度が残存
するロシアにおいても、労働者階級と農民との協力=労農同盟によって社会
主義革命を遂行することが可能だと考えた。また、先進資本主義国の労働者
に国内での階級闘争を呼びかける一方、領土再分割の戦争において「鎖の最
も弱い環」である後進ロシアにおいて戦争を内乱へ~革命を成就させる戦略
をとった。そしてロシア革命を指導(1917)して史上初の社会主義政権(ソ
ビエト社会主義共和国連邦)を誕生させた(1922)。3
※レーニン『帝国主義』(岩波文庫、1917)
※レーニン『国家と革命』(大月文庫、1917)
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2、植民地の解放とマルクス経済学(20世紀後半)
マルクス~レーニンとつながる理論(マルクス=レーニン主義)は世界の革
命勢力に大きな影響を与えた。だが、ソ連の社会主義建設の過程で、革命の継
続を唱える勢力(トロツキーなど)は排除され、スターリンが権力を掌握
(1928)することによって一国社会主義建設が進められ、他の資本主義国の革
命勢力もこれに協力させられ、またその革命闘争もソ連とソ連を中心とした国
際共産主義組織(コミンテルン)の指導下に組織されるようになる。
一方、マルクス経済学は先進資本主義国から被植民地諸国、開発途上国に広
がり、二つの世界大戦を通じて高揚した民族自決と植民地解放の運動に大きな
影響を与えることになる。
(1)農村革命とマルクス経済学の改竄
中国では中国共産党がロシア革命を模倣して、都
市の労働者を組織し、権力を奪取しようと試みたが
失敗した(1927)。都市での革命運動に限界を感じた
毛沢東(Mao,Tse-tung、1893~1976)は、農村で
蜂起を起こし都市を包囲する戦略を実行し、抗日戦
争の戦いの後に(日本の第二次世界大戦での敗北、
1945)、国民党との内戦に勝利し、中華人民共和国を
建国した(1949)。
毛沢東の思想は農民中心の革命方式であり、被植民
毛沢東
地の革命運動に影響を与えた。その理論は「中国化されたマルクス主義」と
言われるが、まとまりがなく恣意的な解釈を許すこととなり、文化大革命
(1960年代後半から1970年代前半)などの個人崇拝を生み出すことになる。
一方、朝鮮半島では抗日パルチザン闘争を行ったと言われる金日成(Kim
Il-son、1912~1994)がソ連軍の後押しで「朝鮮民主主義人民共和国」を建
国した(1948)。1960年代に中ソ対立が激化してくると独自性を保つために
主体(チュチェ)思想によってマルクス=レーニン主義の朝鮮化を推し進め
たが、後継者問題が浮上してきた1970年代に金正日(Kim Jong-il、1942
~)によって「全社会の金日成主義化」にすりかえられ、世襲制と個人崇拝、
独裁恐怖政治を生み出すことになる。
これらの「革命」理論はいずれもマルクス経済学、そして『資本論』とは
無縁の、経済学による理論的な裏づけを持たない権力闘争の側面が強い。
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(2)新植民地主義と新従属理論
1950年代から1960年代にかけて、アジア・ アフリカ・ラテンアメリカ
の多くの諸国で先進資本主義国の植民地からの開放と政治的独立が達成され
たが、1960年代に高度成長を遂げた先進資本主義国との経済格差は拡大する
一方であった。また先進資本主義国の企業の利潤を求める運動は国境を超え
て展開し(多国籍企業)、開発途上国の低賃金労
働力を利用し、資本の蓄積を一層推し進めてい
った。開発途上国は政治的には植民地からの独
立を達成したが、経済的な植民地化はより進ん
でいったのである(新植民地主義)。
新植民地主義との戦いは当初はチェ・ゲバラ
(Ernesto Rafael Guevara de la Serna, 1928~
1967)に代表されるような武装ゲリラ闘争が中
心であり、挫折を繰り返していったが、1960年
代から1970年代の先進資本主義国の学生運動に
は大きな影響を与えていった。
チェ・ゲバラ
一方、理論的な側面からは、アルゼンチンの経済学者プレビッシュ(Raul
Prebisch)が1950年代より「中心-周辺理論」を提起し、世界の中心に位置
する先進資本主義国は、貿易と投資により周辺部の開発途上国から富を吸い
上げますます豊かになっていくと論じていた(従属理論)。
エジプトの経済学者アミン(Samir Amin, 1931~)やフランク(Andre
Gunter Frank)らはプレビシッシュの理論を発展させる形で、マルクスの
国内での資本家階級と労働者階級の対立の概念を国家間の対立に置き換えた
新従属理論学派を形成していた。これらの理論の影響を受けて1970年代には
「新国際経済秩序(NIEO)」の主張が第三世界の政治家たちから起こってき
た。4
また、ドイツのマルクス経済学者エルネスト・マンデル (Ernest Mandel、
1923-1995)は、先進資本主義国のみが近代科学技術を利用することによっ
て労働生産性を高め法外な超過利潤(特別剰余価値)を手中にする仕組みを
明らかした。そして、先進資本主義国が高度な産業を発展させる一方、軍事
的テクノロジーや巨大な浪費をも生み出し、かつ第三世界との絶望的な経済
格差を生じさせてしまっている現実を指摘した。
4
※チェ・ゲバラ『ゲバラ日記』(みすず書房、1968)
※サミール・アミン『帝国主義と不均等発展』(第三書館、1970)
※エルネスト・マンデル『後期資本主義』(柘植書房、1972)
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