松下幸之助 イノベーションの軌跡

松下幸之助
イノベーションの軌跡
松下幸之助のイノベーション――それは、経営、組織・風土、商品開発、人
材育成、営業、さらには日本社会への提言に至るものまで、非常に広範囲で
多岐にわたるものであった。そして、94 歳でその生涯を閉じるまで、絶え間
なく続いた。
・1917 年(22 歳)
大阪電灯を辞め、たった 100 円(現在の約 100 万円)の
資金で起業
・1918 年(23 歳)
市価より3割も安く、古電球の口金を利用し、高品質の
改良アタッチメントプラグを考案・発売
・1920 年(25 歳)
自分も含めた全従業員 28 名で歩一会を結成
東京駐在所を開設、弱冠 17 歳の義弟・井植歳男を派遣
・1923 年(28 歳)
社運を賭して砲弾型電池式自転車ランプを実物宣伝販売
・1927 年(32 歳)
「ナショナルランプ」発売にあたり、1 万個を販売店に
無料配布
・1929 年(34 歳)
半日勤務、生産半減、給与全額支給とし、
従業員を解雇することなく不況を乗り切る
・1932 年(37 歳)
第 1 回創業記念式典を挙行、産業人の使命
を闡明
・1933 年(38 歳)
日本で初めて事業部制を導入
将来の飛躍を期し、本社・大工場群を建設
・1934 年(39 歳)
「物の生産と教育とが同時に行なえる工場学校」
として店員養成所を新設
将来性を予見し、小型モータの生産販売を開始
・1935 年(40 歳)
メーカーで初めての貿易会社・松下電器貿易を設立
・1946 年(51 歳)
終戦後の混乱の中、「繁栄によって平和と幸福を」
実現するため、PHP 研究所を創設
・1952 年(57 歳)
欧米の先進技術をいち早く導入するため
フィリップス社と技術提携
・1956 年(61 歳)
民間企業で初めての長期計画「5 カ年計画」
を発表
・1959 年(64 歳)
業界に先駆けてアメリカに販売会社を設立
・1961 年(66 歳)
海外生産工場を次々と建設、経営理念に基づき運営
・1964 年(69 歳)
販売会社の経営悪化を憂慮し、全国販売会社・代理店社長
懇談会(通称・熱海会談)を開催
・1965 年(70 歳)
アメリカ以上の高能率実現を目的に、日本の大企業で
初の週 5 日制を実施
・1969 年(74 歳)
時代を予見し、日本初の2ドア冷凍冷蔵庫を発売
・1973 年(78 歳)
日本の事務用ファクシミリ市場を創造した
「パナファクス 2000」を発売
・1979 年(84 歳)
初めて中国を訪問、鄧小平副首相(当時)に
中国の電子工業近代化への協力を約束
・1980 年(85 歳)
21 世紀のリーダー育成を目指し、私財を
投じて松下政経塾を開塾