追い越し 明るい日の光を受け、ハイウェイはずっと伸びていた。その男の運転する最新型の自動車は、郊外に向かっ すべ て るように進んでいた。 滑 新しい車は、なにもかも*1 調子がよかった。彼はこれから、新しく付き合いはじめた女の家を訪ねにゆくと ころだった。 「自動車は新しい型に限る。いや、自動車ばかりではない。女の子も同じことだ。古い型のはなんでも、つ ぎつぎと払い下げ*2 、新しい型を手に入れる。これがおれの主義なんだ」 彼はこうつぶやきながらスピードをあげた。いくらか開けた窓からは風が流れ込み、彼のいかにもドンファ ンらしく見える顔に当った。 軽く快くつづく振動は、彼に少し前に売り払った古い型の車のことを思い出させた。そして、それととも に、このあいだ別れた女のことに連想が移った。 「あなたは、あたしがきらいになったのでしょうね、そうなんでしょう」 彼は別れ話を切り出した時、そのモデルを仕事としているという女は、顔をひきつらせ*3 、すがる*4 よう な*5 声で言ったのだった。 「いや、そういうわけでは...」 彼はあいまいに答えたが、女はますます真剣になった。 「ねえ、別れるのはいやよ。あたしを捨てないで」 「しかし、これ以上付き合うのは、お互いのためにも、意味ないと思うんだが」「あなたと会えなくなるのな ら、あたし、死んでしまうつもりよ」 よくあるせりふだ。女はいつも別れ話のときには、こんな言葉を使う。だが、この手が通用するのなら、世 の中で女と手が切れる者など、ないはずだ。彼はこう簡単に片付け、別の女に熱中しはじめたのだった。 しかし、まさか本当に死んでしまうとはな... しばらくして、彼女が自殺したのだ。彼はこのことを思い出すたびに、いやな気持ちになった。もちろん、 別れた女に死なれては、誰でもいい気持ちではない。しかし、彼の場合には、それをさらに重苦しく*6 させる ことが加わっていた。それは、別れぎわに彼女が言い足した*7 言葉だった。 「あたしは死んでからも、あなたにどこかで会うつもりよ。きっと会うわ。そのときには、せめて手でも握っ てね」 いったい、どういうつもりで、あんなことを言ったのだろう。彼はこの言葉を忘れられず、思い出すたびに 不気味な感じにおそわれた。 「どうせ、いやがらせさ。その場の思いつきで、なんの気なしに口から出たんだ。気にすることはない」 彼はつぶやきながら、この気持ちを振り切るように、さらにスピードをあげた。そして、前を走っている一 台の車に迫った。 *1 *2 *3 *4 *5 *6 *7 何事も、すべて 官公庁などが不要になった動産・不動産を民間に売り渡す、政府機關拍賣盧理品 引き攣る、又如「怒りに頬 (ほほ) をひきつらせる」 縋る 乞求般的 おもくるしい …とつけ加えて言う 1 こうぶ しかし、彼は追い越すのを不意にやめた。前の車の 後部 座席に乗っている女の後ろ姿が、あの女に似ている ように思えたのだ。彼はしばらく見つめていたが、やがて強く首を振った。 気のせいだ。気のせいだとも。きょうのおれは、どうかしている。彼女は、確かに死んだのだ。いま、こん なことを考えていたから、ふと見た女が似ているように思えただけだ。こんな気分は、追い払わなければ。追 い払うのは簡単さ。追い越しながら、顔を確かめればいいのだ。 かれはふたたびスピードを上げ、追い越しながら、その女の顔に目を走らせた。「あっ」 彼は悲鴫をあげた。それは疑いもなく、あの女ではないか。しかも、彼に向けて、手を差し伸べている。 「握ってよ」 と呼びかけるように。彼は、思わず両手で顔をおおった。 「即死*8 ですね。しかし、いったい、なんでこんな事故になったのでしょう。目撃なさっていて、何か気が ついたことはありませんか」 警官は手帳に書き込みながら、追い越されたほうの車を運転していた男に聞いた。「まったく、わかりませ ん。私の車を追い越して、しばらくいってから、電柱めがけて突き当たったんです。急に目まい*9 でもしたと しか、考えられませんね」 「そうですか」 警官は手帳を閉じながら、なにげなく、その男の車の中を覗いて言った。 「ところで、後ろの席の女のかたは、なにかようすがおかしいようですが...」 「いや、あれはマネキン*10 人形ですよ。私は、マネキンのメーカーをやっているのです。これから注文先に 届ける途中なんです」 「なかなか、うまくできているものですな」 「ええ、これを作るときの、モデルがよかったのです。いいモデルでしたよ。しかし、気の毒なことに、男 に振られて、しばらく前に自殺してしまいましたね」 *8 當場死亡 めまい、目眩、眩量 *10 monnequin 服装模特儿; 人体模型 *9 2
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