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新潟県立新潟翠江高等学校
校長通信 No. 12 (H27、 10.2)
萩野
俊哉(はぎの・しゅんや)
「批判したけど できるのか」
(相田みつを)
(Don’t be afraid of the risk!)
risk!)
私たちは、しきりと人の批判をしますが、批判には正しいものと正しくないものとがあ
ります。
もし、批判が物事の良い点は正当に評価する一方、欠陥についてはしっかりした根拠を
もってそれを指摘し、本来どうあるべきかを論じるためのものであれば、批判は建設的な
良いものとなります。正しい批判は、相手の人格を認めながら、自分の意見を率直に述べ、
良い方向に向かわせるために行われなくてはなりません。
そのような批判は、時として痛烈に響くものです。しかし、受け取る側にも、それが正
しい批判かどうかを見極め、そうであれば批判に対して謙虚に耳を傾け、己を振り返って
柔軟に修正していける姿勢が欠かせません。日本人にありがちな、批判されると自分の全
人格を否定されているように感じるという心性は、自己防衛のみに走らせ、進歩を閉ざす
だけだと思います。
批判する側は、ある一つのことだけをとらえて、それだけでその人の全体を批判してし
まうという愚を犯してはなりません。こうなれば、それはもはや批判とは呼べず、揚げ足
取りになってしまいます。揚げ足取りは自分の姿を醜くします。また、感情で行う批判は
愚痴であり、悪口にすぎません。「虫が好かない」「腹が立つ」といった理由で人の批難ば
かりしている人をよく世間に見かけますが、それは気に食わぬものに難癖を付けて、視野
をどんどん狭くしていることになります。いわば、自ら不幸を背負い込んでいるようなも
のでしょう。
相田みつを氏の言う、
「自分ができないのに批判する」ことも悪い批判です。批判をする
ためには、まず自分がそれをできなければなりません。できないのに批判するのは、竹刀
を持たないで剣道の試合に臨むようなもので、何の得るところもなく、逆に痛い目にあう
だけです。
「ひがみ」や「ねたみ」の裏返しとすれば、あら探しだけの「中傷」になってし
まいます。英語で言う“armchair critic”
(自分では何もしないで、人の批判ばかりする人)
になっては何の影響力もありません。「口だけ人間」として疎んじられるだけです。
上で書いた、一面だけをとらえて批判することに
も通じますが、その対象についてよく知らずに批判
することも避けなくてはなりません。「あんな考え
方はダメだ」と言うのであれば、その考え方につい
て熟知し、どこがどうだめで、どうすれば良くなる
かを示せなければ、本当の批判とは言えないでしょ
う。軽々しい批判は底の浅さを暴露します。
もっと悪いのは、
「自分ができないから批判する」
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ことです。自分の殻に閉じこもり、できないことにはもっともらしい理由を付けて攻撃す
る。これは心理学でいう一種の「自己合理化」です。こうなったら、もう進歩は望めず、
ひたすら殻を硬く閉ざし保身のみに人生を費やすことになってしまうでしょう。どんなす
ばらしいことでも「酸っぱいブドウ」になってしまいます。
批判を恐れず行動し、広い視野で考えることが、正しい批判精神を生むのだとつくづく
思います。
今日の一言
僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている。
だから、誤りを犯すこともある。
しかし、―――
僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている。
だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。
(吉野源三郎
『君たちはどう生きるか』)
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