角継ぎのワルツ

ほど誰かと合わせるには高すぎる位置にありました。
彼女はその角を少しもいやだと思ったことはありません。
それどころか今日の先生の話を聞いて余計に誇らしく
『シュピラーレの角継ぎ』イメージ SS
思いました。それは彼女の書棚にある沢山の本と同じ
角継ぎのワルツ
ように、両親からの素晴らしい贈り物なのです。
けれど、角を合わせる相手がいないのは少し寂しいと
思っていました。口には出しません。態度にも出しませ
ん。彼女には矜持があるのです。だから彼女が席を立
つのは最後の方。本を片付けてからゆっくり帰るのだと
装って、タイを整えたりして他の子の角合わせが終わる
【角合わせ】
のを待つのです。
からんからんと終礼の鐘を合図に子どもたちは席を
(全くもって非効率)
立ち、散り散りになりました。特別に親しい子とは角
今日ものろのろと、彼女は本を鞄に仕舞います。あ
を軽くぶつけてからさよならするのが近ごろの流行です。そ
ぁ、沢山持ってきたから上手く入れないと入らない。困
のためにあちらこちらから、かちりかちりと角がぶつかる音が
ったなぁ困ったなぁとそんなフリをして。
します。
そんな彼女の手元がふいに暗くなりました。
からんからんの後はかちりかちり。まるでそう決まっている
「……? 」
かのように、短い角を持つ子も、大きい角を持つ子も、
「ねぇ」
そうしてから帰ります。
顔を上げると、大きな角を持った子がいました。
だけども皆が皆、角を合わせる相手がいるとは限りま
彼女はぽかんと口を開けたまま言葉が出てきませんで
せん。相手がお休みなら一人寂しく帰らねばなりません
した。大きな大きな角はその子の身体の倍も横に飛び
し、初めからそんな相手がいない場合だってあります。
出している上に、青紫の薔薇を咲かせているのです。
「……やれやれ、流行というのは困ったものだ」
(樹がうさぎに恋をして――)
眼鏡の彼女もその一人でした。レゾニカという名前
先生の言葉を思い出します。見たことがないわけでは
の彼女は文字食みと揶揄されるほどの読書家で、いつ
なかったけれど、目の端には映っていたけれど、こんなに近
も机に本を積んでいます。最近はその本の数が増えまし
くできちんと見たのは初めてです。名前はなんといったか、
た。
どうにも思い出せません。
なにも友達がいないというわけではありません。皆のうち
文字食みがいつまでも話さないので、その子の方から
一番物知りで、しかも優しい彼女は小さな先生のよう
口を開きました。
に慕われています。それでも、角を合わせる相手はいない
「君は誰とも角合わせをしないの? 」
のです。
「…………それが何か」
彼女は聡明ですから、その理由をよく知っていました。
いささか彼女は不機嫌になりました。まるで親友がい
(ひとつ。僕にはお互いを一番と呼べる友がいない。ひ
ないのでしょうと言われたようなものです。
とつ。そして僕の角は角合わせには不向きだ)
薔薇角は彼女の向かいの席に腰を下ろしました。
額の上の方から螺旋を描いて高く伸びる角は、なる
ゆっくりとしたその動作に、角の影がゆらゆらと動きます。
1
「気を悪くしないで。僕もそうなんだ。こんなに角が大き
【卵から持ってきたもの】
い上に棘のある薔薇を咲かせているから振られてしまった」
「それは。お気の毒に」
「ねぇ巻き毛、君は何を持ってきたんだい」
「僕と君、気が合うと思うんだけどどうかな」
誰もいなくなった後、青い角の子は御行儀悪く机
「境遇が似ている、の間違いだろう」
の上に座っていました。足を揺らせば耳に付けたお星様
こののんびりとした角の子は、少しばかり神経質な僕
が同じようにふらふらと揺れます。夜飼いのシジルという子
とは上手くいかないに決まっている。
でした。
決め付けて彼女はとんとんと本の角を合わせて手早
「……? 」
くまとめてしまいました。本当はすぐに鞄に仕舞えるのです。
巻き毛は目の前に座る夜飼いを見上げるために、
もうほとんどの子が帰って、長居をする理由はありません。
うんと顔を上へ向けました。さっきの先生の話のことかと
彼女だって家に帰れば紅茶と共にお気に入りの物語
首を傾げてみます。巻き毛――13 号というのですが―
の続きを読むという楽しみが待っています。
―彼女はとにかく喋らない子でした。
薔薇角はそれを詰まらなさそうに見ていました。せっか
ですが二人はよくこうして誰もいなくなった後に密やか
く話しかけてくれた相手をこのまま置いて帰るのも薄情な
に話し込むので、皆からは双子のようだと思われていまし
気がして、文字食みは口を開きます。
た。もちろん、ほんとうに双子のように仲がいいのです。
「君、家はどっちだい」
「僕たちは卵から持てるだけのものを持って孵ったのなら、
その子が答えたのは彼女と別の方向でした。
きっと僕達の思う最善を持ってきたのだと思うんだ」
それは都合がよく、だけでも少しだけ残念のように思
巻き毛は二本の人差し指でバツを作りました。自
えました。ひとまず一緒に帰る事はなさそうです。
分はそうは思わない、と言うのです。彼女の手がペンを
「それではさようなら」
取ります。
立ち上がった彼女はぺこりとお辞儀をしました。
『ひとはいつも最善をえらべない。いつだってまちがえる生
かちり。
き物』
高い角が大きな角にぶつかりました。
最初の最初にきちんと選べるかな?
目を丸くしたのは薔薇角の方でした。
彼女はそう問います。
「また明日」
「うーん、そうなのかなぁ」
彼女は沢山本が入って重たい鞄をそんな風には感
夜飼いは考えます。
じさせずに颯爽と抱えて帰ります。
――巻き毛は鈴の転がるような声をしています。だけ
(特別に親しくないといけないという道理はあるまい)
ども話すことは滅多にありません。彼女はそのか細い声
彼女たちは明日も角をぶつけるのでしょうか。それは
が好きではないのです。だけどもそれは夜飼いのお気に入
誰にも分かりません。
りでした。また、可愛らしい髪もリボンを結んでいる時以
外は手のかかる存在なのですが、やっぱり夜飼いのお気
に入りなのです。
きっと、そういうことなのだろうと思いました。
「それじゃあどうやって選んだのだろう。僕たちは、僕たち
自身を」
2
真っ白いページに巻き毛はひとつの単語を書きました。
【しろいほね】
『本能』
「本能」
瑞々しい桃色を灯した指が桜色の髪を梳いていき
夜飼いは巻き毛の言葉を繰り返しました。
ます。少女の形をした宝石は、今日はどこか憂鬱のよ
「本能は大概本当に必要な事を選ぶけれど、それが
うでした。
皆と暮らすのに最善とは言えない。本能だけで生きてい
そこに小鹿のように軽快な歩みで三つ編みがやってき
たら大変なことになるじゃあないか」
ます。彼女は角宿りのファフーフといいます。
かつん、と机から降りた足が硬い音を立てました。
「やぁやぁ恋水晶、どうしたんだい。気分が優れないよ
「僕は、どうせなら自分の好きなものを持てるだけ選ん
うじゃあないか」
だと思いたいな」
恋水晶と呼ばれたメルリクオーツはとろりと怠惰に顔
巻き毛の周りを夜飼いは歩きます。
を上げました。
「僕はこの青い角や星の音が聞こえる耳をとても気に
「今日のお話で、気になることがあったのです」
入っている。中には自分の選んだものを嫌っている子もい
稚い手を顔を出したばかりの月に翳しました。
るようだけれど……それは何か困った事があってそう思う
彼女はしばしばそのようにしました。曰く、月光浴を
ようになったに違いない。気の毒なことにね」
したいけれども眩しすぎるのだと。宝石を宿した彼女には
夜飼いは巻き毛の傾いたリボンを調えました。そうす
どうやら太陽よりも月の光が強く感じられるようです。
ると巻き毛は一層可愛らしくなったように思われました。
「気になることって? 」
「最初は好きだったはずだ。僕たちは、きっと」
どちらかと言えば太陽の方を好む角宿りはそれを追
だけども巻き毛はそっと俯いてしまいました。
いかけるようにうんと背伸びをしました。もちろん届きません。
ペンが走ります。
それに探し物は空よりも恋水晶のきらきらと反射す
『君の考えはとても頼もしいけれど、ひとつ説明のつかな
る角の中にあるような気がして、そちらに手を伸ばしてしま
いことがある』
いました。硬く、冷たい角です。
「なんだい? 」
「わたしたちも骨になったら真白くなるのでしょうか。あまり、
夜飼いは巻き毛の顔をじっと覗き込みます。
信じられないけれど」
巻き毛は小さな口をそっと手で覆って呟きました。
恋水晶はそんな彼女に慣れっこのようで、角宿りの
「僕はどうして君を持って生まれてこなかったのだろう」
好きにさせたまま話します。
にっこりと、夜飼いは陽だまりのように笑いました。
「そんなこと決まってる!
角宿りだって話を聞いていないわけではありません。真
卵の中に僕がいなかったんだ」
白い骨と恋水晶の角が色以外はとてもよく似ていると
思ったほどです。きっと、同じように月の光を待つものだか
らでしょう。
だけど、それだけです。
「そんな先のことなんてわからないさ」
水晶角の輪郭を撫でて角宿りは言いました。
角宿りに難しいことはわかりません。本当は人並に
色々なことは知っていて、森の中の獣の骨が朽ちる迄
3
のことをきっと誰よりもよく見ているけれど、深く知る必要
【継ぎ目】
はないと思っています。それで困ったことなどひとつもないので
すから。そういった出来事がそこにあるだけなのです。
卵の中はきっと揺り籠でした。何にも脅かされず、し
「ところで、ねぇ。何か楽しい話をしようじゃないか。文
かし何とも触れ合うことのない独りだけのための揺り籠で
字食みに本を借りたんだ。僕でも読みやすいだろうって易
す。大切なものが何もかも入っているのです。
しい本を。読んでくれない?
それとも噂話をしようか、
そこから出る時には選ばねばなりません。持っていかな
彼女が薔薇角と一緒に居たんだ」
いものを。持っていくものを。接ぎ木をしてどろどろに溶け
角宿りの話題はくるくると変わります。
合わさったものが身体になってしまうのですから、きちんとし
それは恋水晶を楽しませました。
た形で持って出るにはなかなか骨が折れるのです。未だ
渡された本を読むことにはならないでしょう。なにしろも
骨などないうちに、それを選ばねばなりません。ひとつとして
っと面白い話題を見つけたのですから。本のことなどすぐ
同じにはなりません。
に忘れてしまった角宿りの言葉を耳で拾いながら、その
遺伝子は、父とも母とも、きょうだいとも、ましてや
本を広げました。
友人とも違います。ひとつきりなのです。同じ角を探せば
挿絵の沢山入った可愛らしいお話でした。あの気
独りきりになりましょう。
難しそうな文字食みがこれを持っていたかと思うと、恋
ですから角を合わせて試します。あなた、如何ですか、
水晶はもっと彼女のことが知りたくなりました。
と。遊びのようで、本能なのです。
だけども恋水晶はあまり人に話しかけることが得意で
見誤ることもありましょう。独りにもなりましょう。それ
はありません。ですから角宿りのように、話しかけてくれる
でもいつか、接ぎあって継ぎあえる相手を探します。
友人を待つばかり。彼女が話しかけてくれるから恋水
例えば、月が降る丘で羽根を広げて。例えば、星
晶は退屈することなく憂鬱に耽るのです。
の祝福を受けて。例えば、培養液の中で。
角宿りの話はいつの間にか他の子の噂になっていまし
どこかにいるはずの誰か、卵の中に居なかった片割れ
た。いつも二人で居る青角と巻き毛の話です。彼女
を探して。
たちは随分と仲が良さそうです。
だけど。
本を捲りながら彼女は思います。
だけどやはり皆みんなしろいほねになるのです。
本が好きなあの子も、薔薇を咲かせるあの子も、夜
を歩くあの子も、いつも眠たそうなあの子も、森を跳ねる
この子も、そして宝石の角も。
そうして――その先は宿題でした。卵と骨の関係。
Cannibal:Carnival
「ねぇ三つ編み。宿題を忘れているわ」
ぱた様へ
「そうだっけ? 」
kirou(Junk-boX)より
ノートとペンを。
2015/03/22
恋水晶に言われて角宿りは2 人分のそれを鞄から
取り出しました。
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