ディスカッション・ペーパー:医療事故調査制度 「第 5 回フォーラム

ディスカッション・ペーパー:<特集>医療事故調査制度
平成 27 年(2015 年)11 月 29 日(土)に、約 140 名の参加を得て、第 5 回フォーラムを開催しました。多くの質問が
寄せられ、関心の高さが伺い知れました。ご出席いただきました皆さま、どうもありがとうございました。
先月号に引き続き、ご出席者によりフォーラムを振り返りつつ、制度運用の課題や期待等についてまとめていただき
ます。
※当日の講演資料を会員用ウェブサイトに掲載中です。
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「第 5 回フォーラム『動き出す医療事故調査制度』に参加して
~プロフェッションとしての自発性というキーワードに着目して~」
渡辺 千原
立命館大学法学部教授・法社会学
昨年(平成 27 年(2015 年)
)11 月 29 日開催された「医療と法ネットワーク」第 5 回フォーラムに参加
させていただきました。昨年 10 月に始動したばかりの医療事故調査制度について、制度施行に係る検討会
の座長の山本和彦教授をはじめ、難産だったこの制度づくりに尽力され、また医療安全への取り組みのリ
ーダー的存在の先生方の講演を一度に拝聴できるという貴重な機会で、心から参加して良かったと思える
フォーラムでした。主催者の方々、またご講演の先生方に深く感謝申し上げます。
筆者は、法社会学を専門にしており、医療や科学にかかわる裁判を研究対象としていますが、医療実務
や法実務の門外漢であり、今回の医療事故調査会がどのような制度として発足したのかという、多くの参
加者にとっては恐らく「何を今更」であろう点が知りたくて参加しましたので、そういう外野からの拙い
感想として読んでいただければ幸いです。
今回の医療事故調査制度は、事故の報告によって法的責任の免責を求めてきた医療界と、医事紛争の解
決手段としての機能も求めてきた患者側とせめぎ合いの中で、運用開始にまでこぎつけられたというだけ
でも、賞賛に値するでしょう。そして、今回フォーラムに参加させていただいて、制度化に至ったポイン
トは、(誤解かも知れませんが)「一粒で二度(あるいは三度?)おいしい」マルチ・タスク型の制度では
なく、法的制裁や紛争解決機能とは切り離して「医療安全」に向けた制度としたことと、そのための事故
調査について院内調査をベースとし、それを「プロフェッションとしての自発性(山本報告)
」というキー
ワードで整理した点にあると学びました。そして、それに、なるほど・・・と感心した一方で、その整理
に無理があるようにも感じたのです。
プロフェッションというのは、一般に専門家と解されていますが、いわゆるスペシャリストとは区別さ
れた概念です。市場原理に服さず、利他的な精神で公共のために仕事をするという側面を含み、専門性ゆ
えに、その専門家以外は十分に仕事の質を評価できないため、自分たちで仕事の質を向上させる、自律性
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を必要とします。そこで、国家権力等からの介入を受けることなく自らの職業倫理や懲戒手続等を有して、
非違行為への規律を行う仕組みを備えていることも求められるのです。「プロフェッションとしての自発
性」は、そうしたプロフェッションの自律性という考え方に依拠していると思われます。もっとも、
「プロ
フェッションの自律性」は、社会にとって有益な価値や理念を実現するための要素である一方で、時にそ
れが、専門家の独善、場合によっては堕落につながる恐れもあります。
そのような問題があるものの、こうした職業モデルは、戦後、完全な自治権を得た弁護士の役割論とし
て受け入れやすいものでもあり、今も、弁護士役割モデルとして広く受容されています。司法制度改革審
議会が発表した 2001 年(平成 13 年)の意見書では、
「プロフェッションとしての法曹」が、
「国民の社会
生活上の医師」としての役割を果たすよう求めています。つまり、今次の司法制度改革では、プロフェッ
ションとしての法曹は、医療専門家を目標に、国民にあまねく法的サービスを提供することを目標にして
きたのです。
でも、理想とされる医療のほうは、非違行為に対する制裁を伴いうる自己規律という点では、法曹の模
範となるようなしくみを持ってこなかったのではないでしょうか。弁護士と違って強制加入ではない医師
会では、会員の統制は簡単ではないでしょうし、各学会での規律で出来ることには限界があります。医道
審議会は、裁判の後追いで、独自の自浄機能を十分に果たしてきたとは言えないでしょう。
それに対し、今回の制度は、医療専門家それぞれが自ら、医療安全のための取り組みとして、医療事故
を届け、院内調査を行い、日本の医療界全体で医療安全につなげていくことを構想しています。
「医療安全
への取り組み」という新たな仕事を医療専門家の専門性の一部として位置づけ、その実現における自律性
を尊重した制度で、医療専門家が「自己規律」という要素も含めて真の意味でのプロフェッションとなる
ための土台を築くものと評価できるでしょう。フォーラムでは、すでに医療安全のための取り組みをされ
ている日本医療安全調査機構の木村先生や名古屋大学の長尾先生のお話しを伺って、このような取り組み
の姿勢こそプロフェッションとしての自己規律のあり方だと感銘を受けました。
とはいえ、この制度は医療界が自ら作り上げた制度とは言い難く、医療界が「国からの押しつけ」と防
衛姿勢で受け止めるならば、たちまち機能不全に陥ってしまうでしょう。全件調査という建前とは裏腹に、
事故調査は、各医療機関が積極的に問題を問題として認識しないことには始まりません。また、刑事制裁
や民事訴訟という他律的な制度との連関を切っていますが、その分、警察への届け出とか、紛争解決など
の要請には別途、これまでと同様に対応しなければならないわけです。今までの業務にオンするかたちで
この制度が加わったことになるので、すでに取り組んでいる医療機関と事故調査の経験のない医療機関と
の格差は大きく、これからの出発となる医療機関の負担感は相当大きいでしょう。支援態勢も、まだ万全
というわけにもいきません。そうした制度的脆弱さをプロフェッション性で埋めようとするのは、無理な
注文のように思えます。
また、プロフェッションと自律性との関係も、時代とともに変化しつつあります。専門性や自己規律性
が、専門家支配を生み出してしまうとの反省から、医療ではインフォームド・コンセントの必要性が説か
れるようになってきたのですし、弁護士のほうも法曹人口の拡大から、依頼者に選ばれない弁護士は生き
延びられないという事態はすでに現実のものとなっており、自律性の主体は専門家から利用者へと移行し
つつあります。自己規律についても、第三者による監視といった要素が組み込まれてこそ公正さが担保さ
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れるようになってきています。自律性をマジックワードに、患者や外部からの規律を排除する論理は、も
はや維持できないし、維持すべきでもないでしょう。
現代社会のめまぐるしい変化の中で、多様な意味づけや価値を負荷されたプロフェッションという概念
自体、もはや不要なのではないかという意見もあります。でも、一市民としては、今回の制度を外部から
の押しつけとしてではなく、自分たちのものとして育てていく医療界のプロフェッション性に大いに期待
したいと思います。
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