ディスカッション・ペーパー:<特集>医療事故調査制度 平成 27 年(2015 年)11 月 29 日(土)に、約 140 名の参加を得て、第 5 回フォーラムを開催しました。多くの質問が 寄せられ、関心の高さが伺い知れました。ご出席いただきました皆さま、どうもありがとうございました。 今月号と来月号では、ご出席者によりフォーラムを振り返りつつ、制度運用の課題や期待等についてまとめていただ きます。 ※当日の講演資料を会員用ウェブサイトに掲載中です。 ************************* 「医療と法ネットワーク第5回フォーラムに参加して」 齋藤 信雄 NTT 西日本京都病院院長 1.はじめに 「医療と法ネットワーク」の第 1 回フォーラムは平成 23 年(2011 年)3 月「医の求めるもの、法の応え るもの~伝え合うことから解決が始まる~」をテーマに行われた。 「新しい医療安全文化を目指して」と題 して発表の機会を頂いた。医療安全は本来医療界のプロフェッショナル・オートノミーの中で解決すべき ものである。準委任契約である医療は医師・患者関係の中で解決すべきものである。しかし、それを実現 するための包括的仕組みは全くない。医療界にも自律を発揮するべき規範もないままで来た。法の世界は この医療界のオートノミーの実現を暖かく見守ってほしいと訴えた。そして喫緊の課題として事故調、無 過失補償制度の実現を訴えた。 大綱案による医師法第 21 条による警察への届け出義務とのトレードオフを企図した医療安全調査委員 会が廃案となり、今回民間の第 3 者機関としての医療事故調査・支援センターが実現した。医療事故の原 因調査は医療行為の最後の詰めの作業であり、正しい死亡診断書を記載して初めて医療が終了する。警察 ではなく医療者が原因究明することは誰も異存はない筈である。そこに公正性、中立性を担保するために 中立的な支援団体の支援を受け入れる。正にプロフェッショナル・オートノミーが問われる制度になった のである。行政処分、刑事処分を避けることを前提として今回の医療事故調査制度は構築された筈である。 そのことを担保するのは医療事故に対して医療者自らが責任をきちんと果たすことである。しかしながら、 オートノミーの発揮と言いながら、現在のところ自己規範の制度はない。 2.医療事故の責任 準委任契約の結果がうまくいかなかったとき、行為責任は問われるが、結果責任を問われる筋合いはな いと簡単に割り切れるものではない。人と人の関係で命がかかった事件で、ビジネスライクに済ませられ るものではない。真実説明と反省と謝罪そして再発防止を誓うことが、医療事故における責任を取ると言 うことである。期待に添えなかったことを謝罪することは当然と考えるべきである。真実説明といいなが 1 Medical-Legal Network Newsletter Vol.60, 2015, Dec. Kyoto Comparative Law Center ら医療事故原因は白か黒かに明確化できるものではなく、その原因を一つに特定できることは少ない。10 人がみれば 10 通りの真実があるかもしれない。一生懸命の説明が、下手をするとごまかし、言い訳と取ら れる恐れもある。反省謝罪で宥恕が得られない場合は金銭による解決ということになる。これを担保して くれるのが今回の事故調制度であり、ADR 機能であり、 (現在は産科医療にしか認められていない)無過失 補償制度である。明らかな過失である場合は医賠責の適応ということになり、反省と責任表明謝罪は当然 ということになる。 警察への届け出の根拠法は(外表の異状を見たときの医師法第 21 条に該当する場合を除いて)今のとこ ろ無い。本制度に消極的な論者は、責任追及の制度であれば、余計な紛争論議を呼び覚まし国民の医療不 信を増強し、医療現場にさらなる過重労働を強いることになると言う。この制度は責任追及の制度ではな く、責任を果たすための制度であることを想起して欲しいものである。 3.第 5 回フォーラム 上記のような視点を持って、第 5 回フォーラムに参加した。3 氏による基調講演について振り返ってみ たい。 (1)最初の演者は本制度の根幹をまとめた厚労省の「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検 討部会」 、そして法律制定後に置かれた「医療事故調査制度の施行に係る検討会」の座長を務められた山本 和彦氏による制度の概要についてのご講演であった。 前者の検討部会で平成 25 年(2013 年)5 月に制度の基本が答申され、それをもとに平成 26 年(2014 年) 6 月に医療法が改正された。そして、引き続いての検討会で 西澤班の研究会の答申と医法協のガイドラ インを基に、省令、通知の内容が検討されたのである。 山本氏は、本制度の概要について説明をされた。医療側のプロフェッションとしての責任を重視し、自 発性を尊重した制度であることを強調された。医療事故の報告先として、先の大綱案の「行政機関」では なく、民間の第 3 者機関として医療事故調査・支援センターが設置された。非制裁の仕組みであり、医師 法第 21 条問題とは全く相関しない。 平成 25 年(2013 年)の基本答申との違いは、答申に有った医療事故の定義の中から管理に起因する事 故が消え、死産が導入された。また、答申には「独立性、公正性、中立性、透明性、専門性を有する民間 機関を設置する」とあったが、今回の講演でも言及されたが出来上がった法律の中にはその文言はない。 このあたりの説明は伺うことは出来なかった。この民間組織が厚労省から自由な存在なのか伺いたいとこ ろであった。 最後に医療事故調査制度が与える影響として、制度の趣旨に適った運用への期待として来年 6 月に行わ れる見直し条項に言及された。責任追及への影響と共に、紛争予防の効果、医療と法律の相互不信の克服 が適うか否か。医療界の多種多様な意見をまとめてここまでこぎ着けたご苦労が垣間見えると共に、オー トノミーの発揮への不安感を感じ取った次第である。 (2)次いでの講演者は今回制度の要ともいうべき医療事故調査・支援センターに指定された日本医療安全 2 Medical-Legal Network Newsletter Vol.60, 2015, Dec. Kyoto Comparative Law Center 調査機構の常務理事であり、モデル事業により医療事故原因調査に携わってこられた木村壯介氏である。 日本病院会の医療安全確保推進委員会の委員長でもある。 木村氏の講演を振り返る前に、医療事故死が一体どれほど発生しているのかを過去の数字から整理して みたい。最も権威ある報告は 1991 年ハーバード大、ニューヨーク州における 3 万冊を超えるカルテ・レビ ューによる調査である。医療安全全国共同行動のキャッチフレーズである「10 万人の命を救おう」の根拠 になった数字である。それによると医療事故死が 0.5%、回避可能性が 49.6%、全米に敷衍すると 98,000 人が医療事故死するという。 日本でのカルテ・レビューによれば平成 18 年(2006 年)厚労省研究班による 4,000 冊のレビューがあ る( 『厚生労働科学研究 医療事故の全国的発生頻度に関する研究』) 。それによると 0.21%の死亡、23.8% の回避可能性、全国に敷衍すると 26,000 人の医療事故死があるとされた。原因調査をして再発防止に資す るべきケースが約 6,000 件というわけである。 一方、報告システムによる医療事故死者は日本医療機能評価機構による事故情報収集等事業がある。272 -275 の報告義務病院が、レベル 3b 以上の報告を求められている。これは、病床数で言えば我が国の 10% に相当する。平成 17 年(2005 年)1,114 件の報告、うち死亡例 149 例であったのが、暫時報告数は増加し、 昨年度は 2,911 例、うち死亡例が 225 例( 『平成 26 年(2014 年)年報 医療事故情報収集等事業』 ) 。これ をもとに今回の制度下での報告数を年間 1,300 から 2,000 件と見込んだのである。しかし、275 の報告義 務病院の中には報告ゼロ病院がある。昨年度 36 病院が報告ゼロである。500 床以上の病院ですら 5 病院が ゼロである。 もう一つ別の調査がある。日本病院会が 2011 年から 2013 年度における各病院の医療事故死者数をアン ケート調査した(『平成 26 年度(2014 年度)医療安全に係わる実態調査』 ) 。それによると、1 病院 1 年あ たり 0.3 人の医療事故死があるという。全国に敷衍すると我が国で 1 年に 1,225 人の医療事故死が推定さ れる。 このように、カルテ・レビューによる客観的調査と自主報告であらわれてくる事故死者数に 5 倍の差が あり、日本をリードするべき病院群においてもまだまだ報告文化が未達成であることは明らかである。 木村氏の講演によると、制度発足の 10 月における「医療事故調査・支援センター」への報告が 20 件、 発生から報告までの日数が平均 11 日、 最短 3 日、 最長 25 日であったという。 相談件数は 250 件であった 1)。 講演後のパネルディスカッションでの追加説明によると、報告された 20 例の内 5 件が診療所からであった 3 Medical-Legal Network Newsletter Vol.60, 2015, Dec. Kyoto Comparative Law Center という。多分これは新制度のもたらした新しい動きと思われる。しかしながら、予測より少ないという印 象は否めないところである。木村氏は、実際の相談事例からこの少なかった理由を考察された。まず、医 療機関が自ら判断することが難しいこと。そして、医療事故として報告することへの抵抗。その他、遺族 に対して事故と報告・説明を行っていないためセンターに「事故」として報告はできないという事例や、 支援団体から事故としなくても良いと言われたという事例があったこと等から、Claim oriented から Event oriented へ脱却できていないと分析され、医療事故に対する文化の醸成が必要と強調された。 さらに相談体制の在り方の中でも、支援団体による意見のばらつきが目立つことを強調されていた。こ のことは、ありとあらゆる団体が支援団体に名乗りを上げ、そのほとんどを厚労省が認めたことから危惧 していた通りの結果と言える。厚労省の検討会の段階で様々な意見が噴出し、これをすべて包含する方向 で船出した経緯があり、その様々な意見を言った団体がすべて支援団体として登録されている。この点か ら、とりあえず小さく生んで、本来の目的に向かって進むしかない。透明性と説明責任に消極的な団体が それでは済まされない方向へのかじ取りを医療事故調査・支援センターにはぜひお願いしたいところであ る。事故調査制度の成否は支援団体の果たす役割が最も重要であり、個人的な意見ではあるが患者遺族へ の説明の段階にも支援団体がメディエーター的役割を果たすべきと考えている。一種の ADR 機能の発揮で ある。 ちなみに、参議院の附帯決議の中には、地域における事故調査の内容及び質の差が生じないように中立 性、専門性が確保される仕組みの検討を行うこととあり、通知の中では、団体間で連携して、支援窓口や 担当者を一元化することを目指すとある。京都府医師会では、京都府下の支援団体全てに呼びかけて、京 都府医療事故等支援団体連絡協議会を設置し府医に窓口を一元化することが了解されている。 木村氏が、本制度は責任追及の制度ではない、しかし専門家としての説明責任を果たすことが求められ ていること、WMA のマドリッド宣言を引用され、プロフェッショナル・オートノミー、自浄作用の必要を 訴えられたことに大いに共感した。 (3)最後の演者は「逃げない、隠さない、誤魔化さない」の本家である名古屋大学医療の質・安全管理部 部長、長尾能雅氏が「医療現場における対応と支援機関による支援」と題して講演をされた。現場では医 療事故の院内報告がなされることがまず必要であり、合併症であっても院内的には届け出対象とする。い わゆる医療過誤は「予期しなかったもの」として本制度の届け出対象となる。誤診は例外とする。予期し ていた事故であってもケースバイケースで検討を要する。まさに逃げない姿勢で対応することを示された。 充分か否かは分からないが、我が国における報告文化の最先端であると思われる。 「過誤は今回報告の要件 ではないので良く知られた誤投薬、更に合併症などは報告の対象外」と言い切る団体が尚存在するが、長 尾氏は、合併症でも再発防止に大いに役立つケースもあり、過誤がきっかけのことも有ることから、報告 事例として検討の対象になることを示された。一方で、院内調査における過重労働など課題も山積するこ とを示された。 4.おわりに 講演後のパネルディスカッションでは、コメンテーターとして講演者 3 名に加え、医療の安全対策に対 4 Medical-Legal Network Newsletter Vol.60, 2015, Dec. Kyoto Comparative Law Center するオピニオンリーダーである東京大学の樋口範雄氏、医療コミュニケーション研究者の岡本佐和子氏、 患者の視点で医療の安全を考える連絡協議会の勝村久司氏が登壇された。今回のフォーラムは医療の信頼 回復のための制度がようやく発足し、医療界の自律機能が問われる場面に至ったことが伝えられる意義あ るフォーラムであった。制度の滑り出しは順調とは言えないが、うまく育つことを期待したい。 注 1) なお、12 月 9 日に、11 月の現況報告に関するプレスリリースがあり、それによると、11 月の報告件数は 26 件、 相談件数は 160 件とのことである。 5 Medical-Legal Network Newsletter Vol.60, 2015, Dec. Kyoto Comparative Law Center
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