在宅医療推進の光と影 - 比較法研究センター

ディスカッション・ペーパー:
平成 27 年(2015 年)3 月号から 5 回にわたり、国立長寿医療研究センターの先生方による「医療・介護連携」にま
つわる臨床現場で直面している問題に関する論考を掲載しています。現場の取組み・問題意識・課題を共有させていた
だき、地域住民としての我々一人一人が、住み慣れた地域で安心して暮らし続けるために、何ができるか、何をすべき
か等について考えるきっかけとなれば幸いです。
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医療・介護連携における現場の問題(4/全 5 回)
「在宅医療推進の光と影」
キーワード:地域包括ケア、在宅医療、寝たきり老人アパート、患者紹介ビジネス
三浦久幸
国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター
在宅連携医療部長
1.はじめに
地域包括ケアシステムの構築については、数年前まではその実効性に懐疑的な人が多かったが、本シリ
ーズの 2 回目に後藤が述べたように、社会保障国民会議で提出された「病院完結型医療」から、
「地域完結
型医療」への転換を基本的理念として、地域医療介護総合確保法案が成立し、急ピッチに「地域包括ケア
システムの構築」が既定路線となった。このため、内科系、社会学系を問わず、さまざまな学会、研究会
が地域包括ケアシステムをテーマにしたシンポジウム等を開催している。このシステムの目指すところは
もちろん、住み慣れた地域で最期まで住み続けるために、ということであり、この地域包括ケアシステム
の構築と在宅医療とは当然、密接に関係しており、さらなる在宅医療の充実は喫緊の課題である。このた
め、これまでの診療報酬上のインセンティブが、極端に在宅医療に偏ったものであったとしても無理のな
い状況であったと言える。しかしながら、この純粋な目指すべき方向とは別に、医療・介護の利用者にと
っては、とても享受できない医療ビジネスが広がっている。今回のコラムでは一見華やかな「在宅医療」
の、主に影の部分に焦点をあてる。
2.在宅医療のビジネス化
厚生労働省が提唱する地域包括ケアシステムの 5 つの要素(住まい、予防、生活支援、医療、介護)の
うち、最も中心に位置しているのは、
「住まい」である。この住まいが、現在大きな課題となっている。こ
れからの人生の最期を迎える場所の予想では、2030 年(平成 42 年)にはおよそ 47 万人が、現在の病院・
診療所、自宅、介護施設以外で、最期を迎えざるを得ないというデータが、以前に報告されている。この
「以外」に含まれるのは、現在、多く建てられている、サービス付き高齢者住宅や有料老人ホームが中心
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となるが、その他の、宅老所のような介護施設としては無認可の施設が含まれる。ADL (Activities of Daily
Living、日常生活動作)の低下した超高齢者や認知症の人が増える中、一人暮らしで最期まで過ごせる人
の割合は当然、低下していく事が予想されるため、
「集住」の形で、いかに質が高く暮らしてゆけるかが課
題となる。しかしながら、この「集住」を舞台にした、
「医療」とはとても言えない「医療ビジネス」が広
がっている。
その一つが、
「寝たきり老人アパート」のように、低所得かつ低 ADL の人を対象としたビジネスである。
具体的には、胃ろう栄養の人を対象に、入所時に「入院はしない」
、
「経口摂取はしない」契約をさせられ、
たとえ状態が改善し、経口摂取ができるような状態になっても、胃ろうを通じての流動物と体位交換で毎
日を過ごす、というアパートである。そのアパートの入所者全員に、必要性の程度とは別に訪問診療や訪
問看護を導入し、その一部の医療報酬をアパートの経営側にキックバックすることで収益を確保している。
最近でも、サービス付き高齢者アパートや有料老人ホームを中心に、施設経営者側が、医師、あるいは歯
科医師をなかば雇い上げ、これも必要性の程度とは別に入所者全員に訪問診療、歯科診療を行い、収益の
一部をキックバックすることで、収益を上げるという「患者紹介ビジネス」が広がりつつあった。これに
対して厚労省は、地方厚生局や都道府県等に対して「患者紹介ビジネス」の疑いのある施設の報告をする
ことを通達しており、また、診療報酬でも、アパートなど同じ建物に同一日に訪問診療をする場合の報酬
を減額するなどの措置に出ている。この減額措置に対して、心ある在宅医療に努めていた医師の多くが、
割を食った形になり、減額措置を見直すよう、関係団体からの意見が出ている。問題は、在宅医療の活性
化を図ろうとする診療報酬を悪用し、利用者、患者の利益は二の次にして、収益を上げようとする事業者
が後を絶たないと言うことにつきるであろう。
この「住まい」とは別の状況でも、在宅医療の影の部分が認められる。ひとつは、患者の囲い込みと分
業によるビジネス化である。
「強化型」という形で、3 人以上の医師が常勤でいる在宅療養支援診療所が報
酬上優遇されているのは、しごく納得できることであるが、問題となるのは、周囲の医師会に加入してい
る診療所との調和がなく、無制限に利用患者を増やし、さらに大型化して昼間と夜間を分業化し、より多
くの収益を確保するという診療所の存在である。分業でも、患者の情報共有がしっかりできており、また、
在宅医療に精通した医師同士が連携を取れればまだ良いが、夜間は医師になって間もないアルバイト医師
が、病状も分からず対応している診療所も見られる。他にも、訪問看護で対応できる局面でも、あえて、
報酬の多い訪問診療を行う、また、介護保険利用者に、一様に、身体障害者の申請をして、自己負担軽減
による、さらなる患者確保に努めている診療所も見られる。
3.地域における医療倫理を誰が守るのか
上記の記載を読み、まさに「誰のための在宅医療なのか」とあきれる方が多いのではと想像するが、客
観的にみるとビジネス中心とみられるケースでも、当事者の人々は、必ずしも悪意を持っているわけでは
なく、自分の正義感で、これらの事業を行っているケースが少なくないことも事実である。例えば、
「国の
制度が不十分なため、私たちが制度の狭間で苦しんでいる(貧困層の)人を助けなければならない。この
行為の何が悪いのか?」、「まわりの医師がまともな在宅医療ができないので、この地域の在宅医療の質が
保てない。このために私が、この地域の医療を守るために事業拡大を行わざるを得なかった」ということ
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である。
「正義感」をテーマにすると、議論はつきないと思うが、実際に地域で行われている医療倫理について、
それをチェックする仕組みが国内にはないことが、最大の問題である。例えば、認知症で口から食べられ
なくなり、胃ろうを作るべきかどうかの局面で、受け入れ施設の「この施設には嚥下障害で、食事の時間
がかかったり、食材に工夫が必要であったりする人は入所できません。胃ろうなら対応できます。
」という
要望で胃ろうをつくるということが普通の行為として、多くの地域で今も行われているが、この行為に対
しての倫理的評価は誰が行うか。もし、事前に本人の延命拒否の表明があった場合、誰がどう責任を取る
のか。このような局面で、現在までに地域での倫理的評価を行う仕組みを持っている地域は、著者の知る
限りでは皆無で有り(ご存じの方があれば、御連絡頂きたい)
、今後、地域包括ケアや在宅医療を推し進め
るにしても、医療倫理との接点を求めなければ、
「医療倫理の無法地帯?」が増えるばかりであろう。つま
り、地域包括ケア構築の鍵は、いかに地域の医療倫理が確立できるかにかかっていると考える。
4.おわりに
地域の医療倫理を誰も Audit していない(できない)事態に対し、現時点では、これを解決する特効薬
はないように思える。しかしながら、著者が、全国の医療・介護連携を視察して学んだことは、医療・介
護連携にしろ、地域包括ケア構築にしても、その根幹は、人と人のつながりをいかに作っていくかにつき
る、ということである。専門職にしても、非専門職にしても、各人が繋がることによるダイナミクスが、
地域包括ケア構築の唯一の原動力となると考える。このつながりには当然、専門職同士のピア・レビュー
も含まれる。診療所は,独立した事業主であるとともに、この独自性はともすれば、パターナリズムに陥
りやすく、周りの反応すら分からない「裸の王様」になってしまうリスクもはらんでいる。病院スタッフ、
医師会医師、訪問看護、介護スタッフ、行政官、場合によっては社会学や医療倫理学等の専門家との交流
など、自らの事業所以外の多くの人たちとの交流により、
(環視の中で)自分の医療行為を振り返り、洗練
させていく以外に方策はないように考える。
最後に、本来なら立場上、ここで「在宅医療の質」の向上を語るべきであるが、特に倫理面の成熟度に
至っては、在宅医療は未だ発展途上の段階であり、解決の糸口も見えない状態である。いかに地域の医療
倫理を確立するか、は地域包括ケアを推進するにあたり、検討すべき最優先課題と考える。
【参考資料】
・「寝たきり老人専用アパート 岐阜でシンポ 回復へのケアなし」つなごう医療 中日メディカルサイト
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20100226192253861
・平成 26 年度診療報酬改訂に関わる「疑義解釈資料の送付について(その8)<別添5>」厚生労働省保険局医療課
http://www.mhlw.go.jp/file.jsp?id=205571&name=file/06-Seisakujouhou-12400000
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