ディスカッション・ペーパー:<特集>医療事故調査制度 平成 27 年(2015 年)11 月 29 日に約 140 名の参加を得て、第 5 回フォーラム「動き出す医療事故調査制度」を開催し ました。多くの質問が寄せられ、関心の高さが伺い知れました。ご出席いただきました皆さま、どうもありがとうござ いました。 今月号も、ご出席者によりフォーラムを振り返りつつ、制度運用の課題や期待等についてまとめていただきます。 なお、すでに報道発表等でご案内のとおり、去る 2 月 16 日に、日本医療安全調査機構(医療事故調査・支援センター) より、平成 28 年(2016 年)1 月の医療事故報告受付件数が発表され、また、制度発足後初めてセンターへ医療事故調査 の依頼があった旨が明らかにされました。今後の運用動向を注視しつつ、今年 6 月を目途に行われる制度の見直し議論 にも注目していきたいと思います。 ※フォーラムの講演資料は会員用ウェブサイトに掲載中です。 ************************* 「第 5 回フォーラム『動き出す医療事故調査制度』に参加して ~ 一民法学者の視点から ~」 寺沢 知子 京都産業大学客員教授 平成 27 年(2015 年)11 月 29 日、医療事故調査制度(以後、本制度)についてのフォーラムが開催され た。本制度は、平成 27 年(2015 年)10 月 1 日から運用が開始されたばかりであるため、運用等について とりわけ医療側からの関心が深い。そのため内容解説や運用等のためのシンポジウムが多く開催されてい るが、本フォーラムは、制度運用の実際や医療側の取り組みのみならず、パネルディスカッションにおい ても患者側(遺族側)の意見なども取り入れた多角的な視点を持った意義深いものであったと思う。 もっとも、院内調査の内容や運用などについて、未だ具体的に明確にされていない部分も多く、今後の 運用と整理・分析による具体化が必要であると思われた。報告者の木村壮介氏によれば、10 月 1 日から 1 ヶ月間の報告件数が 20 例(病院 15 例、診療所 5 例。診療科別では、外科、産婦人科、精神科における事 例)で、相談件数が 250 件であった(日本医療安全調査機構のプレスリリースによれば、11 月は 26 件、12 月は 36 件、1月は 33 件の報告) 。この件数は予想より少ないとされているが(医療と法ネットワーク会報 誌平成 27 年(2015 年)12 月号ディスカッション・ペーパー齋藤信雄氏「医療と法ネットワーク第 5 回フォ ーラムに参加して」4 頁)、その理由は木村氏の考察によると「医療機関が自ら判断することが難しい」な どであり、新しい制度を今後どのように活用できるかを示唆しているようにも思える。パネリストの樋口 範雄氏は本制度の今後について三つのシナリオを描かれたが、その中の「予期しなかった」をキーワードに して院内事故調査が殆ど始まらないという 1 つ目のシナリオ(医療と法ネットワーク会報誌平成 27 年(2015 年)10 月号ディスカッション・ペーパー)に陥らないために、まずは医療側の自主的な努力が必要である 1 Medical-Legal Network Newsletter Vol.62, 2016, Feb. Kyoto Comparative Law Center と思われる。 ここでは、フォーラムに参加して感じた幾つかの問題または感想を簡単に述べる。 1.実際の運用に際して まず、枠組みができてガイドライン(厚生労働省の Q&A や通知など)も作られているが、実際の運用 には多様な解釈が可能な文言がある。多様性を持たせないと適用範囲が狭くなってしまうものの、一定 程度具体的な方向性を示した方が良い場合があると思う。最も重要なポイントとして、医療事故が発生 した医療機関が院内調査を行うが、医療事故の定義の一つに、当該死亡または死産を管理者が「予期しな かった」ことがあげられているという点がある。 「予期していた」ものであれば、院内調査は行われない。 管理者が「予期しなかった」かどうかは、医療機関によって判断が変わりうる可能性がある。例えば、長 尾能雅氏のご報告では名大病院では薬剤誤投与は届出対象にあげられているが、管理者の予期した過誤 として届出対象に当たらないという考えもある(日本医療法人協会「医療事故調運用ガイドライン」最終 報告書) 。安易な標準化はしてはならないものの、当該医療機関や支援団体が参考にできる、ケース毎に おける統一した基準作成は必要であると思われる。 2.原因究明の方法 本制度は、医療の安全と質の向上のために医療事故の原因究明・再発防止を目的とし、院内調査や第 三者機関としての医療事故調査・支援センター設置など医療側の自主性を尊重して、行政・刑事・民事 の法的責任につながらない。 医療上の原因究明・再発防止を目的とした他の先行する制度としては、産科医療補償制度がある。も っとも、これは患者及び家族への補償と産科医療の質の向上を目的とした制度である。この制度は医療 側の努力に係る安全を主目的とした原因分析というよりも、紛争防止や早期解決をも視野に入れたもの であるが、過失の有無とは切り離されている。補償対象となった場合は、産科医、助産師、新生児科医、 弁護士、有識者等から構成される委員会により医学的観点から原因分析が行われ、分析報告書は保護者 と分娩機関に送られる。分析にあたっては、臨床経過に関する医学的評価もなされるが、これは結果で はなく診療行為時での医療水準を基準とした判断である(「優れている」から「誤っている」まで 15 段階に 評価される) 。原因分析が責任追及につながるという誤解を招かないように、産科医療関係者等に対する 原因分析の考え方(医学的観点からの原因究明と再発防止)を丁寧に説明することが重要とされている (公益財団法人日本医療機能評価機構産科医療補償制度運営委員会『産科医療補償制度見直しに係る報 告書』平成 25 年(2013 年)11 月 27 日版 7 頁) 。この制度は目的が(損害賠償ではなく)補償であるが、 原因分析においては、医学的観点から「医療水準」を基準とした規範的判断が行われる。ところで法的 に使用される「医療水準」という用語は、当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の 事情を考慮して決するので既に用語自体が規範的である。法的責任の有無を問う法的評価である過失評 価においては、この意味での「医療水準」や基本書等を基準とした規範的判断がなされる。もし、産科 医療補償制度の原因分析の「医療水準」が法的医療水準と同じ意味で使用されているのであれば、純粋 に医学的観点から行われる評価と法的評価の違いを明確に区別することは難しいように思える。 2 Medical-Legal Network Newsletter Vol.62, 2016, Feb. Kyoto Comparative Law Center 医療事故調査制度においても原因究明は医学的観点から行われる。医療安全を目的とするのと損害賠 償を目的とするのでは、原因究明の方法は全く異なっているとされている。したがって、過失の評価と 本制度における原因究明は異なるはずである。つまり、医療安全を目的とする本制度では医学的評価を 行い、損害賠償を目的とする場合(つまり裁判などの場合)は医学的評価に法的評価を加えると考えら れているのであろう。具体的な方法は、長尾氏のご報告によると(スライド 19 頁「“院内事故調査の手 引き”より」)、医療者の行動や事故防止機能が働かなかった原因等を、医療側が「標準的医療」かどうか につき「事前的視点」で検証・評価し、死亡については「事後的視点」で再検証を行うとされている。この 様な評価方法は、医学的観点という前提があるにせよ、産科医療補償制度の場合と同様な疑問を抱かせ る。つまり、現実の作業として、事前的視点での不適切な医療行為と過失とを本当に区別できるか、医 療側への責任追及につながらないか、という疑問または危惧である。医療側への原因分析の考え方に対 するさらに丁寧な説明が必要な場面ではないだろうか。 ところで、医療事故と直接的な関係はないが、医薬品等副作用被害救済制度というものがあり、厚生 労働省の判定部会(副作用・感染等被害判定部会第一部会、第二部会)が救済給付支給決定について、 適正使用かどうか、医療と結果との因果関係の有無などの判定を行っている。判定部会委員は 33 名(平 成 27 年(2015 年)9 月 30 日現在)で、そのうち 2 名が法学関係者で、ほかは医学薬学関係者である。 この制度は、医薬品には避けられないリスクがあるという前提で迅速な救済を図るために創設されたも のであり、製薬会社や医師の民事責任とは切り離されたものである(独立行政法人医薬品医療機器総合 機構ウェブサイト参照) 。救済の対象となるためには、民事責任の追及が困難であること、医薬品等が適 正に使用されたことなどの要件を満たさなければならない。したがって、明らかな医薬品の不適切使用 により被害が発生した場合は給付対象に当たらないが、不適切使用かどうか、当該医薬品等(の不適切 使用)による被害発生かどうかが問題となりうる。不適切使用の判断については、薬品等の添付文書、 薬学の教科書、ガイドラインなどが評価について大きな役割を果たしているが、評価には法的判断を加 えるものではなく、純粋に添付文書等に準拠しないかどうかによって、適正使用かどうかが判断されて いるようである。もっとも、被害者救済を目的とするため、微妙な事案では本制度は賠償責任に代わる 補償を行うものではないので、支給判断がされる製品と発現した被害との間の因果関係も民事責任追及 における因果関係評価とは異なった基準に依っているようである。因果関係が当該医薬品等に想定され ている副作用であれば因果関係が認められるのである。つまり、添付文書にある副作用と一致すれば説 明が可能で、因果関係があると評価され、通常知られていない副作用なら因果関係なしと評価されてい るようである。もっとも、添付文書の警告を守らなければ「不適切使用」と判定されることは当然ながら あり、後日裁判が提起されれば医療側の損害賠償責任が生じる可能性もあるとされる。この制度は、あ くまで被害者救済を目的としたものであるため、適正使用についても緩やかに認定されるなど、その方 法は、医療事故調査制度とは異なっている。しかし、客観的かつ具体的な基準による判断手法は参考に なりうる。もっとも、この制度について医療関係者からの相談は非常に少なく(平成 26 年度(2014 年度) 58 件) 、医療関係者が患者に本制度を勧めたくない理由は、医療関係者本人が制度をよく理解していない (57.8%) 、診断書など、必要書類の作成が複雑・面倒(31.6%) 、不支給の場合に責任を問われる(21.5%) が多く、支給決定に時間がかかる、制度利用は自分の責任問題になる、制度利用を医療機関が嫌がるな 3 Medical-Legal Network Newsletter Vol.62, 2016, Feb. Kyoto Comparative Law Center どがこれに続いている(「医薬品副作用被害救済制度に関する認知度調査」平成 26 年度(2014 年度)調 査分) 。医療事故調査制度においても、センターへの報告、院内調査など、当該医療機関の負担は大きく、 医療機関の自発的な努力が必要であると感じた。 3.法学者・法律家の関与の可能性 医療事故調査制度は、医療側の自主性を尊重する制度である。改正医療法第 6 条の 11 には「病院等の 管理者は、医学医術に関する学術団体その他の厚生労働大臣が定める団体・・・に対し、医療事故調査 を行うために必要な支援を求めるものとする。」と規定されており、院内事故調査にあたっては外部委員 の参画が求められているが、法律の書きぶりからは、支援を求める先は「医学医術に関する学術団体そ の他の厚生労働大臣が定める団体」と主として医療側のみであり、外部委員に医療関係者以外の委員を 入れるかどうかは議論のあるところである。本制度は、医療側の自主的な努力に懸かるものであること を考えると、また医学的観点から原因究明を行うものであることを考えると、本来ならば当該医療機関 とは無関係な医療関係者が外部委員として参画すればよいであろう。しかしながら、外部委員の第三者 性を担保するためには、法律家など医療関係者以外の委員も必要になってくると思われる。木村氏のご 報告では、外部専門医のみならず、審議全体の客観性・公平性を審査するために社会的第三者による審 査の必要性が言及されていたし、また、長尾氏のご報告でも、名大病院の院内事故調査会の構成員に外 部委員(弁護士)1 名が入っていた。パネルディスカッションでの会場からの弁護士の役割についての質 問に対し、長尾氏は、この外部委員の存在は、遺族への説明に当たって説得性を持たせることができる という意味の説明をされていた。本制度は、あくまで医学的観点から原因究明を行うものであるので、 その点から言えば法律家は必要ない。しかし、調査・審査手続の中立性・公正性・透明性を明確にする ためにも、遺族への説明・円滑なコミュニケーションのためにも、法律家等の医療側以外の外部委員の 関与が望ましいと思われる。なお、前述した産科医療補償制度の原因分析委員会における法律家(弁護 士)委員の役割は、「論点整理や、報告書をお子様・保護者にとってわかりやすい内容とする」ことであ るとされている(公益財団法人日本医療機能評価機構「産科医療補償制度の詳細説明・原因分析につい て」) 。 以上、院内事故調査に焦点を当てて、他制度との比較を試みながら、法学研究者としての感想を述べ た。本制度は具体的な調査手法と支援方法が明確になれば、医療側にとっても患者側にとっても非常に 利益がある制度だと思う。まずは医療側の今後の取組みを注目したい。 4 Medical-Legal Network Newsletter Vol.62, 2016, Feb. 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