僻案抄

あ案
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藤原定家著
時代
中期写 1冊
鎌倉
縦 24cm 横 15.5cm
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抄 (重 要文化財)
天理図書館
僻案抄
代 初 期 にか け て、 激 動 の時 代 を
一︶ は 平 安 時 代 末 期 か ら鎌 倉 時
藤 原 定 家 ︵一 一六 二∼ 一二 四
歌 句 の注 釈 、 本 文 の
ら の教 え を 中 心 に 、
集 ﹂ に つ い て、 父 か
和 歌 と と も に生 き た 歌 人 であ る。 検 討 、 人 物 や 歴 史 的
事 実 に つ いて の考 証
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巻 末 に あ る定 家 の
定 家 の生 ま れ た御 子左 家 ︵
藤
一文 に よ る と 、 定 家
な ど を ま と め たも の
一四 ∼ 一二〇 四︶ は当 時 の宮 廷
集﹄﹃
後 撰 集 ﹄ の教 え を 受 け た が 、 あ った と さ れ る 。
原 氏 の家 系 の 一つ︶ は 、 代 々歌
掟 之 九 芝 像 機 Z 撃る キ 静 孝
和 歌 の指 導 者 であ った。 定 家 自
定 家 の息 子 藤 原 為 家 ︵一 一九
シ 2 人 にλ
身 も 作 歌 を 積 極 的 に行 う と と も
に、 勅 撰 和 歌 集 の編 纂 や歌 論 書
時 が 過 ぎ そ れ を 忘 れ る こと を 恐
八 ∼ 一二 七 五 ︶ の筆 と 伝 え ら れ
であ る。
・歌 学 書 の著 述 を 行 った。 ま た
れ て いる 。 老 いが 迫 った 今 、 残
る本 書 は 、 鎌 倉 時 代 中 期 か ら 末
人 を 輩 出 し、 父 藤 原 俊 成 ︵一 一
﹃
源 氏 物 語﹄ の書 写 校 合 な ど 、
さ れ る 子 孫 のた め に 特 に 重 要 な
期 に か け て の写。 ﹃
僻 案 抄 ﹄の古
天理 図書館 西 口尚 子︶
︵
る貴 重 な 資 料 であ る。
る。 成 立 は 定 家 六 十 代 半 ば 頃 で
古 典 学 者 と し ても 活 動 し 、 偉 大
こと を 密 か に書 い て お く の で、
写 本 中 、 最 古 のも の の 一つと な
和 歌 宗 匠 家 と し て の自 党 の下
が 十 代 後 半 の頃 、 父 よ り ﹃
古今
な功 績 を 残 した。
他 に見 せ ぬ よ う に 、 と あ る 。
は じ めと す る ﹃
後撰 和歌集﹄﹃
拾
に 子 孫 に伝 え よ う と し た の で あ
﹃
僻 案 抄﹄ は ﹃
古 今 和 歌 集﹄ を
遺 和 歌 集﹄ の、 いわ ゆ る ﹁三代
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