久坂玄瑞書簡

やまとの名品 刑贈館
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久坂玄瑞書簡
月性 宛
安 政 5年 (1858)正 月 19日 付
縦 28cm 横 132cm
1軸
天理 図書館
玄 瑞 は 、 長 門 国 萩 藩 医 の三男
陰 の妹 で、 久 坂 玄 瑞 の妻 です 。
燃 ゆ﹂ の主 人 公 。文 は 、吉 田松
今 年 のN H K大 河 ド ラ マ ﹁
花
ら倒 幕 論 を 唱 え 、 海 防 の重 要 性
す 。 そ の際 、 長 州 藩 内 で早 く か
と の間 で激 し く 意 見 が対 立 し ま
巡 り 、 藩 校 の明 倫 館 と 松 下村 塾
﹁
松 門 の双 璧 ﹂ と 称 さ れ る ほ ど
角 を あ ら わ し、 高 杉 晋 作 と 共 に
に 入 門。 入 塾 後 は 、 た ち ま ち 頭
を 遊 学 し た後 、 松 陰 の松 下村 塾
ま す 。 幼 い頃 か ら 優 秀 で、諸 国
でき ま せ んと と あ り 、事 態 の切
き 、 大 議 論 な く ては 捌 く こと が
不申 候 ︵
早 々に萩 に来 て いた だ
早 々出 府 、 大 議 論 無 ク テ ハ相 捌
た め に記 し た 文 面 に は ﹁
上人
月 性 へ双 方 の調 停 を 依 頼 す る
意 志 を受 け 継 ぎ 、 英 国 公使 館 焼
松 陰 が 刑 死 す ると 、玄 瑞 は師 の
そ の後 、 安 政 の大獄 によ って
を 説 いて いた 僧 。月 性 に玄 瑞 は
でし た。 そう し た 玄 瑞 を 松 陰 は
迫 し て いた 事 を 窺 わ せ ま す 。 松
き 討 ち な ど の尊 皇 攘夷 運動 を主
に生 ま れ ま す が 、 母 。兄 に続 き
防 長 年 少 第 一流 の人 物 ﹂ と 高
﹁
陰 も ま た 、 同 月 日付 で月 性 宛 に
本書 簡 を 送 り ま し た。
く 認 め、安 政 四 ︵一人 五 七 ︶年
導 しま し た が、 蛤 御 門 の変 によ
︵
天理図書館 佐上圭太︶
十 五 の若 さ でし た。
十 二月 、 文 と の縁 談 を 勧 めま す 。 同 内 容 の書 状 を 届 け て いま す
め る のでし た 。
り負 傷 し 、 つ いに自 刃。 享 年 二
れ た 日米 修 好 通 商 条 約 の是 非 を
。 月 性 は ほど な く
︵
本館 所蔵︶
吉田松陰(1830-1859)
玄 瑞 十 八歳 、 文 十 五歳 でし た。
父 も 失 い、 十 五歳 で当 主 と な り
文 (1843-1921)
久坂
安政 5年 、萩に来て仲
裁を依頼する手紙を月
性に送付
※前年、文 と結婚
※翌年、松陰処刑
久坂玄瑞 (1840-1864)
ッコ内 は生 没年 )
(カ
し て萩 に赴 き 、当 面 の事 態 を 収
安政 5年
結 婚 し た 翌年 、藩 では締 結 さ
【
玄瑞とその周辺の人々】
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「天理ギャラリー」に出展予定です。
本書簡は、5月 から開催される、
東京天理教館