谷崎潤一郎書簡

や自との名品 刑贈館
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昭和 5年 (1930)8月 16日 付 3枚
各 縦 24cm 横 34cm
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谷崎潤 ― 郎書簡 (根 津松子宛)
潤 一郎 ︵一人 八 六 ∼ 一九 六 五︶
東 京 。日本 橋 に生 ま れ た 谷 崎
へ、突 然 に家 族 の
まず 谷 崎 は松 子
は 、 関東 大 震 災 後 に 関 西 へ妻 ・ 醜 態 を 知 ら せ て驚
い 付︲ヽ
一 レ”ヽ 壇 4
松 子 を モ デ ル にし た作 品を 次 々
す ﹂ な ど の文 面 か ら 、 谷 崎 が 、
商 家 の御 寮 さ ん は高 嶺 の花 だ 、
不安 定 な夫 婦 生 活 が続 く 中 、
論新社︶では、こ の手 紙 が松 子宛
重 子姉 妹 と の書 簡集︱ ﹄ ︵
中央公
天理図書館 ︿
︵
眉石 実︶
天理図書館のお知 らせ Tel:0743‐ 63‐ 9200 httpノ /www.tcLgrjp/
◆平 日 (午 前 9時 ∼午後 5時 半 )土 。日・祝 (午 前9時 ∼午後4時 半)
06月 の休館 日:30日
5月 17日 ∼6月 14日 開催 の、
天理ギ ャラリー第155回 展「手紙 ―
(本 書簡 は、
筆先 にこめた想 い 一」(http//www tcLgrjp/tenjン k84 htm)に 出品 します)
も
直 そう と す る彼 を 支 援 し た のが、 無 妻 と な った寂 し さ を し ん みり
に生 み出 す 谷 崎 でした。 そ の想
沐 互
ィ性呼ム ふう″︺“μノ
と語 り伝 え て ﹁
女 中 ば か り でな
いは、 初 対 面 か ら 八年 が経 った
か せ た こと を 詫 び 、
大 阪 の豪 商 。根 津 清 太 郎 で、宛
く 御 嫁 さ んも 御 心 が け ﹂ を と 哀
昭和 十 年 、 つ いに松 子 と 結 ば れ
千 代 らを 連 れ て移 り 住 みま す 。
根 津 御 奥 様 ﹂ と は、 こ の
名の ﹁
願。 さ ら に、今 後 も 上 方 で暮 ら
る こと で成 就 さ れ、終 生 を 共 に
次 に、 四十 四歳 で
清 太 郎 の夫 人 。松 子 です 。 彼 ら
す つも り でお り ﹁
御 宅 様 より外
新 天 地 で 一か ら作 家 生 活 を やり
は 、家 族 ぐ る み の付 き 合 いを し
過 ごす のでし た 。
没後 五十 年 の節 目 にあ た る今
は御 す がり 申 す と こ ろも な く ﹂
と 、 文 豪 はす っか り 頼 り き った
昭 和 五年 ︵一九 三 〇 ︶ に千 代 を
と あ こが れ を 抱 き つ つ、 微 妙 な
書 簡 の巻 頭 を 飾 って いま す。
年 の 一月 に出 版 さ れ た、 千 葉俊
め ぐ って 佐 藤 春 夫 と 起 こ し た
距 離 を 保 ち 続 け な が ら、 ﹃
盲目
態 度 を 見 せま す 。
﹁
細 君 譲 渡 事 件 ﹂ の直 前 と 推 定
春 琴 抄﹄ な ど で は、
物 語﹄ や ﹃
谷 崎 潤 一郎 の恋 文︱ 松 子 ・
二編 ﹃
でき ま す。
藤 新 夫 婦﹂ ﹁
家 を 佐 藤 に明 け 渡
本 書 簡 が 書 か れ た のは、 ﹁
佐
て いま した。
谷崎潤 一 郎 書 簡
天理図書館