03 鹿児島県 鹿児島市立坂元中学校 1年 篠崎 愛実

平成 26 年度「土砂災害防止に関する絵画・作文」作文中学生の部 優秀賞(事務次官賞)
「21 年前の写真集」
鹿児島県 鹿児島市立坂元中学校 1年
しのざき
篠崎
まな み
愛実
今年の夏も全国各地で雨による災害が起こった。河川の氾濫や土砂災害のニュースが流れるたび
に胸が痛んだ。また、雨が続くと、祖父母のことも心配になる。祖父母の家は、土砂災害警戒区域
に指定されているからだ。実際、数年前に家の前のシラスの山壁から土がドスンと落ちてきて、停
めてあった車に土がかぶさったこともある。母も雨が続く時は祖母に電話して「うちに避難しに来
れば。
」と言っている。我が家にとって土砂災害は、他人事とは思えないことなのだ。
1993 年。私の生まれる9年前のこと、私の住む鹿児島でも大きな災害があった。鹿児島市では、
「8・6水害」と言われていて、その呼び名は、私も聞いたことはあったし、その時の様子を身近
な人から聞いたことはある。けれど私にとっては、遠い昔のことのようで実感がわかない出来事だ
った。私の家には、父が昔買ったという1冊の報道写真集がある。南日本新聞社の発行の「’93 夏
鹿児島風水害」という本で、本棚に並んでいるのは小さい頃から知っていたが、手にとって見るこ
とは、今までなかった。しかし、今年の夏、台風 11 号の影響でたくさんの被害が出ているので、
ふと見てみたい気になったのだ。
表紙をまず開けて「肉親を隣人を・・・・・かけがえのない数多くの命を奪って、夏は過ぎ去っ
た」という言葉が目にとびこんだ。そして手を合わせて泣いているおばあさん、おじさん達の写真。
その悲しみの表情に私まで涙が出そうになった。調べてみると鹿児島県で 119 人、鹿児島市で 48
人の人が亡くなったことがわかった。私の住む伊敷台のすぐ近くの伊敷や東坂元、玉里でも人が亡
くなっているのだ。知らなかった。私の生まれるたった9年前にこんなことが起こっていたなんて。
死者は大半が土砂崩れの犠牲者だったそうだ。
ページをめくるたび、衝撃的な写真が出てきた。私のよく知っている道や建物も写っていた。
「こ
こ、新上橋の鉄橋の下だよね。」
「えっ新上橋って真ん中の部分が、流されたの。
」
「あっこの道、タ
イヨーがある。草牟田の道路は、こんなに放置された車でいっぱいになったんだ。
」自分とは無縁
の遠い過去の出来事だと思っていたことが、見覚えのある風景の無残な姿に、急に生々しく現実味
をおびてきた。この写真に写っているのは、まぎれもなく私の生活圏で、よく知っている場所なの
だ。その他にも土石流に押し流された家や車が散乱する国道 10 号の様子、線路から転落し、土砂
に埋まった列車、必死の捜索活動の様子の写真など目をおおいたくなる物がたくさん載っていた。
そんな中白黒の静かな写真だが「土砂の中から白い雨がっぱ姿の小学生の遺体が見つかった。
」と
いうコメントが載っている記事が、私の心に1番残っている。
この写真集のあとがきに「痛みを記憶し、惨状を記録に残すことは、現場に立ち会ったもののつ
とめだ。これからの防災に貴重な示唆を与えてくれるに違いない。それはまた、亡くなられた方々
のめい福を祈ることにもなる。
」とある。実際私はこの写真集を 21 年後に目にしたことで、風水害
の恐ろしさを改めて知ることができ、亡くなった方々に対して「安らかに」という思いで胸がいっ
ぱいになった。
この水害の後、鹿児島では河川の整備等もすすんだそうだが、自然の力に対して人間は小さすぎ
る。災害に負けない保護策ももちろん大事だが、自分の命を守るための早目の避難の大切さも忘れ
たらいけないと思う。今年の他県の被害では、長引く雨に何回も避難勧告が出され、何回も無駄足
になったため被害にあわれた方もあったと聞く。
「無駄足だったとしても、無駄足だと思わずに何
回も避難訓練をしているつもりで避難してほしい。
」とラジオで呼びかけていた。
21 年前のこの古い写真集が、私に伝えてくれたことをこれからも忘れず心に留めていけたらと
思う。