松尾芭蕉像 南千住駅前に建立 とりがい秀夫の地域ニュース

地元自民党区議の情報紙 27 年2月下旬号
№90号
とりがい秀夫の地域ニュース
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松尾芭蕉像
南千住駅前に建立
3月4日2時30分頃除幕式(2 時の式典後)
世界に俳句という芸術を広めた第一人者「松尾芭蕉」の銅像
が南千住駅前西口に建立されることになりました。荒川区は昨
年から建設地を駅前の他、千住大橋際も候補地として検討して
きましたが、今回の現在地に決定しました。全国にある芭蕉像
を見ると、弟子の曾良を伴った二人像と芭蕉だけの一人像があ
りますが、荒川区は一人像になりました。制作者は彫刻家、平
野千里氏。
【製作費は 500 万円。工事費は約 200 万円】これを
機会に多く区民に知ってもらえれば、と願うものです。
何故、今、南千住に芭蕉像なのか
元禄 2 年、芭蕉は深川を立ち∼石浜・汐入を見ながら∼千住
大橋に船で上がりました。
「奥の細道」では「・・・千じゅと
云う所にて船をあがれば・・・」と記されていますが、荒川区
と足立区側のどちらに上陸したのか定かではありません。その
ことは有名な「奥の細道」の矢立て(旅の最初の句) 「行春
や鳥啼魚の目は泪」の句をどちらで創ったのかという根本の問
題に突き当たるために論争が起きているわけです。荒川区側説
は①「奥の細道」の中で、下野の国・黒羽藩(栃木県大田原市)においては 14 日間
という最も長逗留した所であり、当時、この黒羽藩・大関家(18,000 石)の下屋敷が
現在のジョイフル三ノ輪商店街付近にあり(大関横丁の名の由来)更に、黒羽藩の家
老が芭蕉の門下生であることから当然、南千住側に上陸し挨拶に行った。②芭蕉の出
身地である三重県、伊賀の藤堂藩の下屋敷が荒川遊園地付近にあり挨拶に行った、と
いうものです。この論争の決着はしばらく続くのではないでしょうか。