﹃惟然坊句集﹄ 文(化九 年 )中島秋挙編 1812 春 しづかさの上の静かや梅の花 梅さくや赤土壁の小雪隠 梅の花赤いは赤いはあかいはな ・梅昼 梅の花あの月ながら折らばやな ・人日 芹薺踏みよごしたる雪の泥 山の幅啼き広げけり雉のこえ 風呂敷へ落ちよ包まん舞雲雀 衣更着のかさねや寒き蝶の羽 山吹や水にひたせるゑまし麦 まだ山の味覚えねど松の花 ・こよひ智積院の鐘聞き、今朝までそこ元の事ども 益々御無事の旨承り及び候、秋与風 ふ(と 須)暦明石 のはつ花一両日巳前にあわてて東山に飛びまはれば 花もなふ少しの分かまたなんぼ ・久泄 き(ゅうせつ に)弱り果て、いづ方にてもゆるり と伏し申す分別のみ、大雲様近日御下り可被成候よ し御聞き可被成候かしく 三月二七日 惟然 ・東暇丈 かう居るも大切な日ぞ花盛 我侭になるほど花の句をさらり ・富貴なる酒屋にあそびて、文君が爪音も酔のまぎれ におもひ出らるるに 酒部屋に琴の音せよ窓の花 ・上市にとまりける夜は雨ふりけるに、明けて晴れ渡 りける、よしの川をわたれば、口の花はちり過ぎて、 かへらぬころほひになりぬ、それよりしてひたはひ りにはひれば、花も奥あるけしきにて、匂ふばかり に咲きわたりぬ、なほ山深くく入れば、円位の住め る蹟 あ(と と)て幽静の谷あり、鳥しづまり、処々花 はかなげにて、しばらく此の石上に眠れば、心空し く万事を休す。 今日といふ今日この花の暖かさ 馬の尾に陽炎ちるや昼多葉粉 た(ばこ ) ・出羽にて しとやかな事ならはうか田うち鶴 鴬や笹葉をつたふ湯だて曲突 く(ど ) 新壁や裏もかへさぬ軒の梅 ・宗鑑の珍蹟を尋ねて 梅散て観音草の道の奥 ・詣聖廟 如日 き(さらぎ や)松の苗売る松の下 乙鳥や赤士道のはねあがり 鳥散す檜木 く(れき の)中や雄子の声 菜の花の匂ひや庵の磯畠 文台に扇ひらくや花の下 夏 若葉吹く風さらさらと鳴りながら ・於知足亭 名所 夏 涼まうか星崎とやらさて何処じゃ 沢水に米ほほばらむ燕子花 か(きつばた ) かるの子や首さし出して浮藻 ひ(るも 草) 撫子やそのかしこさに美しき 夕顔や淋しうすこき葉のならひ 糊ごはな帷子かぶる昼寝かな ・追善 追つかん誰もやがてぞ夏の月 ・故郷の空ながめやりて あれ夏の雲又雲のかさなれば ・四日市にて 涼しさよ饅頭食うて蓮の花 無花果や広葉にむかふ夕すずみ 竹の子によばれて坊のほととぎす 蓴菜やひと鎌入るる浪のひま ・嵯峨鳳仭子の亭を訪ひし頃、川風涼しき橋板に踞して すずしさや海老のはねだす日の曇り ・史邦吟士別る 起臥しにたほふ蚊帳 し(ちょう も)破れぬべし ・芭蕉翁岐阜に行脚の頃したひ行き侍りて 見せばやな茄子をちぎる軒の畑 ・遺悶 鶏鳴くや柱踏まゆる紙張ごし ・玉江 貰うよ玉江の麦の刈り仕舞 秋 なほ秋に竹のしわりのしなしかな 更け行くや水田のうへの天の川 七夕やまづ寄り合ふて踊初 張り残す窓に鳴き入るいとどかな ・尚々御無事の段承りたく奉存候、ここもと折々の会 にて風流のみに候、以上先月ははじめて罷り越し、 ゆるゆる得貴意、大慶に奉存候、色々預御馳走、御 懇意の御事ども忝奉存候、翁弥御無異にて奈良一宿 仕、重陽の日に大坂着仕候、 菊に出て奈良と難波は宵月夜 翁 ・此の御句にて会など御坐候、其元弥御無事に被成御 坐候哉、御句など少々承たく候、先日奈良越にて、 近付きになりて別るる案山子かな 銭百のちがひが出来た奈良の菊 ・右両句いたし申候、御聞可被下候、土芳丈望翠丈ど れどれ様へも可然様に御心得被成可被下候、如何様 ふと罷越、万々可得貴意候、京都にて高倉通松原上 ルつづらや町笠屋仁兵衛店にて素牛と御尋被下候へ ば相知れ申候、何時にても風流の御宿可申上候、恐 惶謹言 九月二十二日 惟然 ・意専老人 此の冬の寒さもしらで秋の暮 ・粟津にて いまならば落ちはなされじ田刈時 塩壺の庇のぞかん今日の月 なほ月に知るや美濃路の芋の味 ・奥の細道 萩枯れて奥の細道どこへやら 田の肥ゆる藻や刈り寄せる磯の秋 物干にのびたつ梨子の片枝かな 朝霧にいざり車や草の上 ・広瀬氏の別野を萩山とも又は松山ともいへり 萩にのぼる雲の下のは木曽山か かなしさや麻木の箸も長生並 竹藪に人音しけり烏瓜 ・伊賀の山中に阿叟の閑居を訪ひて 松茸や都にちかき山の味 ・湖辺 八景の中吹きぬくや秋の風 我寺のあかぎは杖になりにけり 肌寒きはじめに赤し蕎麦の茎 世の中をはひりかねてや蛇の穴 ・翁に坂の下にて別るるとて 別るるや柿食ひなから坂のうへ 冬 何事もござらぬ花よ水仙花 水仙の花のみだれや藪屋敷 凩や刈田の畔の鉄気水 鵜の糞の白き梢や冬の山 しがみつく岸の根笹の枯葉かな 鵯や霜の梢に鳴きわたり 枯芦や朝日の氷る鮠 は(や の)顔 ・欲填溝壑唯疎放 水草の菰にまかれむ薄氷 茶を畷る桶屋の弟子の寒さかな ・稲葉堂に詣る 撫房のさむき影なり堂の月 ・万句興行 はつ霜や小笹がしたの蔓 冬川や木の葉は黒き石の間 寒き日にきっとがましや枇杷の花 ・蕉翁病中祈祷之句 足ばやに竹の林やみそざざい ・看病 引張りて蒲団ぞ寒き笑ひごゑ ・於義仲寺六七日 花鳥にせがまれ尽す冬木立 ・越路にて 薪も割らむ宿かせ雪のしづかさは あそびやれよ遊ぼぞ雪の徳者達 ・世の中はしかじとおもふべし、金銀をたくはへて人 を恵める事もあらず、巳をも苦ましめんより、貧し うして心にかかる事もなく、気を養へるにはしかじ、 学文して身を行はざらんより知らずして愚なるには しかじ 人はしらじ実に此の道のぬくめ鳥 ・有千斤金不如林下貧 ひだるさに馴れてよく寝る霜夜かな 水さつと鳥はふはふはふうはふうは 水鳥やむかふの岸へつういつうい ・芋鮹汁は宗因の洒落 ・奈良茶漬は芭蕉の清貧 冬ごもり人にもの言ふことなかれ 臘八や今朝雑水の蕪の味 煤掃や折敷一枚ふみくだく 節季候や畳へ鶏を追上げる 天鵝毛 び(ろーど の)財布さがして年の暮 年の夜や引結びたる* さ(し 守) 年の雲故郷に居てもものの旅 ・尋元政法師塚 竹の葉やひらつく冬の夕日影 ・曽根松 曽根の松これも年ふる名所かな 貧讃 いにしへより富めるものは、世のわざもおほしとやらん。老夫こ この安桜山に隠れて、喰はず貧楽の諺にあそぶに、地は本より山 畑にして茄子によろしく夕顔によろし。いまは十とせも先ならむ、 芭蕉の翁の美濃行脚に、﹁見せばやな茄子をちぎる軒の畑﹂ 、と招 隠のこころを申つかはしたるに、﹁その葉を笠にをらん夕顔﹂と、 その文の回答ながら、それを絵にかきてたびけるが、今更草庵の 記念となして、尚はた茄子・夕顔につちかひて、その貧楽にあそ ぶなりけり。さて我山の東西は、 木曽伊吹をいたすきて、 郡上川 その間に横ふ、ある日は晴好雨奇の吟に遊び、ある夜は軽風淡月 の情を蓋して、狐・たぬきとも枕を並べてん。いはずや、道を学 ぶ人は先ただ貧を学ぶべしと。世にまた貧を学ぶ人あらば、はや く我会下に来りて手鍋の功をつむべし。日用を消さむに軽行静座 もきらひなくば、薪を拾ひ水を汲めとなむ。 椎葉文之事 坊、適々おのれが庵に在て、 紙なき時は、みづから軒端なる椎の 枝をりて、葉の次第に一二三のしるしをわかち、 味噌ほしき、或 は米ほしき、その余のあらまし事、 葉毎に書て関里の社友へおく り、事たしぬとなむ。家にあればけにもる飯を旅にしあれば椎の 葉にもる。事かはれど用をなす事ひとつにして、その気韻尤高し。 坊名を偽り俳席に交る事 西国に遊びける頃にやありけん。たはむれにおのれが名を隠し、あ る好人の家を訪ふに、をりしも人つどひ、俳席を設けゐたりけり。 あるじすすみ出て云やう、いづこの人かはしらざりけれど、俳諧 好みけるとあれば、まづ此席へつらなれかしといふ、坊とみにに じりあがりて、はるか末座につらなり、ただ黙々として沈吟す。も とより孤独清貧の身なれば、衣服などとりつくろふべきやうなけ れば身すぼらし。 一座のもの皆々あなどりて、 指さし、囁きあへ り。さる程に付るほどの連句、いひ出すほどの発句、ことごとく 引直しけれど、さもうれしげに、一々おしいただきぬ。とかくす るうち、巻満尾にいたれば、人々たちかへりぬ。坊も帰らんとし ければ、あるじ呼びとどめて、二夜とはならざれど、こよひ一夜 は宿かさ﹂むなど、見下しがましくいひければ、 坊大笑して、 天 を幕とし地を席とし、雲に風に身を易うするもの、何ぞ一夜のや どりに身を屈せんやとて、ただはしりに走りゆきぬ。あるじも今 さら、いささかいぶかしき者とおもひいりぬ。 明る日朝とくきの ふのあらまし且、﹁粟の穂を見あげてここら鳴く鶉﹂かかる句書て、 加筆ねがはしとて、けふは惟然坊と文の奥に書きしたためてやり けり。あるじひらき見て、さてはきのふ来られしは、聞及ぶかの 惟然道人にて有しやと、開たる口をもふさがず、腋下に冷汗流し、 はぢに恥入て、返事さへ得せざりしとぞ。 翁に随従 惟然行脚の事 翁と共に旅寝したるに、木の引切たる枕の、頭いたくやありけん。 自らの帯を解て、 これを巻て寝たれば、 翁みて、惟然は頭の奢に 家を亡へりやと笑れしとなり。 蕉像の事 風羅念仏の事 翁の亡骸、いとねもごろに粟津義仲寺に葬たてまつりて、 幻住庵 の椎の木を伐りて、初七日のうちに蕉像百体をみづから彫刻し、こ れを望めるものにあたへぬ。又、まづたのむ椎 もあり夏木立、降はあられか桧笠、古池やふるいけや蛙とびこむ 水の音南無アミダー南無アミダかかる唱歌九ツをつくりて、 風羅 念仏となづけ、翁菩提のためにとて、古き瓢をうちならし、ここ ろのおもむく処へはしりありく、そも風狂のはじめとぞ。 翁亡きあと旅のものの具携行事︵略︶ 翁亡きあと旅のものの具携行事 かくて惟然坊、翁遷化し給ひし難波花屋何がしが家に帰り、 残れ るみの笠をはじめ、 旅硯、銭入、杖などひとつにとりあつめ、 み づから背に負て播磨国姫路にゆきぬ。旧友のしゐてもとむるにま かせて、みなあたへぬ。今増井山のふもと、風羅堂の什物となりぬ。 翁百年忌の頃、笠あてややほつれければ、堂守こはよく翁の筆の 蹟に似たりとて、ほどきてみるに翁の草稿なり。こまやかにきれ たるをかれこれとつぎあつめぬれば、 芳野山こぞのしをりのみちかへて まだみぬかたのはなをたずねむ わが恋は汐干にみえぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなし 青柳の泥にしだるる汐干かな かかる一紙にて、ことに筆のすさみいとうるはしく、めで度一軸 とはなりぬ。 坊婚家一宿の事 坊ある俳士のもとにやどる、其あるじちかき比、妻をむかへて、い まだ座敷のかざりをおさめず。振袖の小袖あまた、衣桁にかけな らべ置たり。朝とく家なる下女、 座敷へゆきて見るに、 かの坊は とく出で行たりと見えて、やり戸明けはなちたるままにてあるに、 衣桁にかけたる娘の小袖ひとつうせたり。 さはこの坊のぬすみた るものにこそと、走り入てあるじにかくと告るに、あるじの日、惟 然坊、なかなか盗などすべき小器の人にあらず、 しかし酒落の道 人なれば、朝の寒さを凌んために、 この小袖を着て往まじきもの にもあらざれば、夜前のものがたりに、明日はそこそこの風士の かたへゆかんなどときこえければ、先かのかたへおとづれしてみ んと、やがて坊行べきしるべのかたへ、使もてたづねつかはしけ るに、坊その家に在て答へけるは、その事なり。今朝とくたち出 たるに、野風の身にしみて、甚寒かりしゆへに、たちかへりて衣 桁に有し小袖をひとつとり、うへに覆ひ来れり。もとより小袖な ることは知りたれども、男女の服のわかちはおぼえず、さだめて これにてやあらんと、かの振袖したる伊達模様の小袖をとり出し、 其使に返し侍りけるとぞ。 坊布を得る事 西国行脚の時ならん、播州姫路の方に知る人有て、立寄侍りける。 もとより風狂者のならひ、裾を結び肩をつなぎたる単物を身にま とへり。あるじあはれみて、布一匹とり出てあたへけり。坊これ を得て柱杖にかけていでてゆき、旅店に到りて云やう、この布に て帷子ひとつ縫て給れ、残りは内儀にあたへんといひけるゆへ、あ るじ悦び、取いそぎ縫たててあたへぬ。 やがて古衣をぬぎ捨て新 衣に着がへ出けるが、二町もゆきぬらんとおもふころ、たち返り ていふやう、何としても着なれたるものはこほろよきものなり、新 しきものはどこやら着ごころあしければ、 もとの古衣に着がへん ために返りたりとて、やがてかの帷子をぬぎ、もとの垢つきたる ものに着がへ、あとをもみず出行ぬ。ここにおきてあるじもはじ めて道人なる事を感じ、このものがたりしてとふとみけるとぞ。 俳諧の心を語る事 姫路に寓居しておはせし頃、久しく俳諧の席へ出ず、うち篭りて 居侍りけるを、或人いふやう、此程は何とて俳諧の交りしたまは ざる、今宵は誰が亭にて俳諧あり、いざさせ給へかしとすすめけ れば坊うちわらひ、をかしき事をいふ人かな。我は俳諧師なり、さ あれば日いでて起き、日入りて休らふ、喫茶餐飯行往座臥共に皆 俳諧なり、それを外に俳諧せよとは何事ぞや。 さやうのことは俳 諧と常とかはりたる人にこそ勧むべき業なれといはれければ、 其 人且恥ぢ且歎じて還りけるとぞ。 娘市上に父惟然坊に逢ふ事 坊、風狂しありくのちは、娘のかたへ音信もせず。ある時名古屋 の町にてゆきあひたり。娘は侍女・下部など引つれてありしか、父 を見つけて、いかに何処にかおはしましけん、なつかしさよとて、 人目もはぢづ。乞食ともいふべき姿なる袖に取つきて歎きしかば、 おのれもうちなみだぐみて、 両袖にただ何となく時雨かな といひ捨てはしり過ぬとなん。 娘父を慕ひ都に登る事並娘薙髪の事 娘、父にあはまほしくおもふこころ明くれやまざりけるを、 ある 時父都に在りと聞て、いそぎ都にのぼり、書肆橘屋何がしの家は、 諸国の風客いりつどふ処なれば、此家にゆきてとはば、父の在家 もしらるべければとて、ゆきてあるじにあひていふやう、 ﹁みづか らは惟然坊といふものの娘にて侍る。ちち風雲の身となりてより、 たえて音信なかりしを、さいつ頃ある街にてふとゆきあひ侍りて、 いとうれしくちかくよりて、過こし程の事いひ出んとし侍りしほ どに、かきけつごとく遁れ隠れて、かげだにみえず侍りつれば、い はんかたなく打なげきつつ日数過しつるほどに、 此ごろ都におは するよし、風のたよりにうけ給はりて、 取ものもとりあへず、 は るばるのぼり侍りぬ。父の在家しり給はば、あはせ給へ、いかで いかで﹂となくなくいひ出れば、うちうなづきて、げにことわり なりけり、さらば尋もとめてあはせまゐらせんとて、 かなたこな たかけあるきつつ、からうじて坊がありかたづねあたりて、かく てしかしかのよしかたりければ、坊とかうの返事なく、硯とり出 て、墨すりながし、かかる画かきて、うへに発句書ていふやう、あ ふべきよしなし。此一片の紙をあたへてかへし給ひてよとて投出 しつつ、かくてそ身は雪の越路の冬籠りこそこのもしけれとて、う ちたたんとしけるを、袖をひかへて引とどむれど、ふりはなちて 草鞋さへ足にはかずして、越路をさして走りゆきぬ。橘屋何がし、 ほいなくおもひけれどせんすべもなく、かのかいつけたるを持て 帰り来て、ありしことのよしをかたりければ、 むすめはただふし にふして泣きけり。あるじもともに涙にかきくれけるを、ややあ りて娘、頭をもたげていふやう、かくまで清き御こころを、しひ てしたひまゐらするは、わが、心匠のつたなきなり。これぞ我身 にとりてこのうへなきかたみなるとて、懐にいれて、いとねごろ に、あるじにいとまごひして、父のふるさとこそ恋しけれとて、関 の里へかへりり、みづからもとどりをはらひ、幽閉なる山陰の竹 林に草の庵をむすび、かの都よりもて帰りたる を一軸となして、明暮父につかふこころ心にして、かの一軸をぞ かしづきける。坊かかるよし越路にて聞て、にはかにはせ帰りて、 かく染衣の身となりぬれば、過こしかたの物語し、一椀のものを もわけつつ喰ひて、ともにわび住居せんと、こころうちとけて、多 年のおもひ一時にはらし、かくて弁慶庵といふ額をみづから書て 懸けつつ、この庵の名としぬ、 ︵調度七つをもて明暮の弁用とする ゆへとぞ。 ︶ さるを一とせもたたざるうちに、又風雲のこころおこりて、風羅 念仏をうたひううかれてはしり出ぬ。かくて播磨国姫路のさとは、 したしき友おほければ、尋ゆきてここに足とどめしを、日あらず して病して、終に姫路にて身まかりぬとぞ。 曙庵道人我関里に来給ひて、一日惟然坊が旧蹟に遊び、道人、坊 が人となり、坊の吟詠をよく覚え、 つまびらかに語りてのたまふ やう、惟然以前惟然なし、惟然以後惟然なし、前後その風調を似 せさせず、誠に俳家に二なき風骨なりと歎美し給ふ。 けふ庵につ どへるものそれを喜び、それを慕ひて、とりあへず道人の筆労を かりて此集なりぬ 秋香亭 巴圭 ︵漢文跋 省略 ︶ 三河 宍戸方鼎 併書 追加 春 ・南部に年を越して まづ米の多い処で花の春 鴬のうす壁もるる初音かな 下萌もいまだ那須野の寒さかな 宵闇も朧に出たりいでて見よ 飛で又みどりに入るや松むしり ・山中に入湯して ここもはや馴れて幾日の蚤虱 ・惟然坊は枕のかたきを嫌はれしか、故郷へ帰るとて 草庵を訪れける、なほいまだ遠き山村野亭の枕に如 何なる木のふしをか侘びむと 木枕の垢や伊吹にのこる雪 丈草 ・かへし うぐひすにまた来て寝ばや寝たい程 行く春や寝ざめきたなき宵の雲 ほととぎす二つの橋の淀の景 ・ただ物はもてなすべき美悪をしらむにこそ、その愛 する心のすがたも別るるにあめれ、あるじ雪下風人 は淵明が菊にならひ、宗祇の朝がほをもおもはるる 草々花の籬中ながら、とくに蘭にあり。専らならむ。 古人もあわただしからぬ匂の一間へだつるに、なほ なほなればことにとぞ、草中に入りてその香をしら ず、知らざるにより其の談無味をしられつる、にほ いなほうすうすとしてうすうすしからぬも、又風雅 の友にこそ すんごりとなほなる蘭かことに月 磯際の浪に啼きいるいとどかな 夜あらしに尻吹きおくれ峯の鹿 しぐれけり走り入りけり晴れにけり 彦山の鼻はひこひこ小春かな 長いぞや曽根の松風寒いぞや 山茶花や宿々にして杖の痩せ しめなほす奥の草鞋や冬の月 名とりとの二つ三つ四つ早梅花仙 ・花柚押 ・ゆべしゆべし汝そよ、ある園に生じ実の経山寺の会 下となり、味噌にあらぬ ・華衣 晩方の声や砕くるみそさざい ゆつたりと寝たる在所や冬の梅 ・贈杜国 笠の緒に柳綰 わ(が ぬ)る旅出かな 古沓や老の旅出のひろひもの ・相国寺にて 鴬に感ある竹のはやしかな 山頭月掛雲門餅 屋後松煎超州茶 仏法は障子のひき手峰の松 火打袋にうぐひすの声 これこれを以て俳譜の変化を知るべし ・煙草のまぬ傾城と菓子食はぬ俳諧師は少なきものなり ちり枝や鶯あさる声のひま 再追加 春 ふみわける雪が動けばはや若菜 ・深更 ねられぬぞ未だ寒さの梅の花 ・深川庵 思ふさま遊ぶに梅は散らば散れ 磯際を山桃舟の日和かな 夏 ・奈良の高僧供養に詣でて、片ほとりに一夜をあかし けるに、明けて主に遺すべき料足もなければ、枕元 の唐紙に名処とともに書き捨ててのがれ出侍る 短夜や木賃もなさでこそばしり ・故郷の空を眺めやりて あれ夏の雲また雲のかさなれば ・弁慶庵盆の賀 茶の下に真菰はくべて裸粽 ・越中に入る ゆりいだす緑の波や朝の風 かろがろと荷を撫子の大井川 秋 初秋をもてなすものや燕の羽 待宵や流浪の上の秋の雲 またいつと寄占のはたや秋の風 ・もも島の浦は村上近き所にて有明の浦ときけば 月に鳴くあれは千鳥か秋の風 ・湯殿山にて 日の匂ひいただく秋の寒さかな 松島や月あれ星も鳥も飛ぶ ・象潟にて 名月や青み過ぎたるうすみ色 ・酒田夜泊 出て見れば雲まで月のけはしさよ ・元禄八年の秋西海の*旅思ひ立ち月に吟じ雲に眠りて九月 一日崎江十里に落付きたる 朝霧の海山うづむ家居かな 七夕やまだ越後路の這入りぞめ 行く雁の友の翼や魚の棚 風に名のあるべきものよ粟の上 夕暮れて思ふままにも鳴く鶉 ・羽黒山に僧正行尊の名ありけるに里人に案内せられて 豆もはやこなすと見れば驚かれ ・芭蕉翁の伊賀へ越し給ふを洛外に送りて まづ入るや山家の秋を稲の花 時を今渡るや鳥の羽黒山 ・伊丹鬼貫を尋ねし時 秋晴れてあら鬼貫の夕べやな 刈りよする蔦の枯葉や雪の朝 雪をまつ家なればこそ有りのまま 銭湯の朝かげ清き師走かな 春かけて旅の宿りや年忘 ・奥の細道 萩枯れて奥の細道どこへやら 序 梅華鳥落人、惟然坊は美濃国関里の産、広瀬氏安通が舎弟なり けり。或日庭前の梅花時ならずして鳥の羽風に落散るを感動せし より、しきりに隠遁のこころざし起こりてやまず、 ある夜妻子を 捨て、自から薙髪して芭蕉門にかけ入り、吟徒となりて、昼夜を わかず俳諧三昧にして、終に此の道の人眼悟徹を遂げたり。翁遷 化後師として随ふべき人なし、友とし親しむものなしとて、風羅 念仏といふものを作り、古き瓢を打鳴し、諷ひ風狂して足の行く 処に走り、足のとどまる処にとどまりて、 心の侭に身の天然を終 れり。こまことに世に奇々たる風骨のこのもしきあまり、 わが旅 寝のひまひま、かの鳥落人の句々、奇事奇談眼に見耳にふれたる 程の数々書き集め、一嚢となしたるを、関里巴圭が勧めにまかせ て、一嚢の紐解きて、一とぢの冊子とはなしぬ。 曙庵秋挙 鳥落人惟然坊は蕉門の一奇人なること、世に知る人まれなり。秋 挙之をかなしび、草枕の時々目に見耳にふるる毎に年頃書き置き ぬ。このたび惟然坊がふるさと関に仮寝して巴圭にかたらひ、 鳥 落人の遺稿をあはせて、かの風韻を世に輝かすことしかり。 朱 樹叟士朗 惟然坊句集 曙庵先生選定巴圭校 ◎この書は、広瀬惟然没後百年ほど後に、三河の俳人中島秋挙が、 収集していた惟然の句文・書簡などを一書にまとめて刊行したも の。 参(考書:名家俳句集︵有朋堂文庫︶ほか )
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