芭蕉と大垣の蕉門俳人 - 1 - 戸田如水(じょすい)。大垣藩次席家老。生年未詳。祖父戸田氏鉄が、承応 4年80歳没、40歳と仮定。 津田前川(ぜんせん)か。生没未詳。木因と同年と仮定。 近藤如行。致仕、俳諧に専念。一応生年未詳。斜嶺同年と仮定。 俳人 宮崎荊口。生年未詳。長男此筋の生年で推量、斜嶺同年と仮定。 \ 長 兄弟 岡田千川。荊口二男。生年未詳。年齢は、長男此筋、三男文鳥の間と推定。元禄3年江戸へ。 年 男 秋山文鳥。荊口三男。生年未詳。元禄2年入門時、長男が17歳、次兄もあって15歳と推定。 芭 木 如 嗒 如 斜 怒 荊 此 千 文 左 残 涼 濁 中川濁子(じょくし)。大垣藩士。江戸守居役(家老)。生没未詳。大石良雄同年と仮定。 蕉 因 水 山 行 嶺 風 口 筋 川 鳥 柳 香 葉 子 ※ 木因以外は大垣藩士。 38 36 66 36 29 29 19 29 9 8 7 ・ ・ ・ 33 9/29改元 他の連衆(下線大垣藩士) 興行 発句 延宝9 1681 3句 江戸素堂亭 秋とはゞよ詞はなくて江戸の隠 素堂 天和元 ○○ 7月下旬 天和2 1682 39 37 67 37 30 30 20 30 10 9 8 ・ ・ ・ 34 天和3 1683 40 38 68 38 31 31 21 31 11 10 9 ・ ・ ・ 35 41 39 69 39 32 32 22 32 12 11 10 ・ ・ ・ 36 2/21改元 天和4 歌仙 大垣 師の桜むかし拾はん落葉哉 嗒山 ○○ ○○ 10月上旬 1684 貞享元 2句 大垣如行亭 霜の宿の旅寝に蚊屋をきせ申 如行 ○ ○ 10月上旬 2句 大垣木因亭 能程に積かはれよみのゝ雪 木因 ○○ 10月上旬 「野ざらし紀行」 貞享元年8月14日深川~貞享2年4月下旬深川 貞享2 1685 42 40 70 40 33 33 23 33 13 12 11 ・ ・ ・ 37 ※参考 松江 元大垣藩士。島原の乱平定で負傷し致仕。潮来に隠棲。医術で芭蕉の師。 貞享3 1686 43 41 71 41 34 34 24 34 14 13 12 ・ ・ ・ 38 廻 船 問 屋 貞享4 1687 貞享5 元禄元 1688 44 42 72 42 35 35 25 35 15 14 13 ・ ・ 45 43 73 43 36 36 26 36 16 15 14 ・ ・ ・ 40 46 44 74 44 37 37 27 37 17 16 15 ・ ・ ・ 41 元禄3 元禄4 1691 48 46 ○ ○ ○ ○ 1692 元禄6 1693 ○ ○ 1694 没 47 40 40 30 40 20 19 18 ○○ ○○ ○○○ 50 48 元禄7 46 39 39 29 39 19 18 17 ・ ・ ・ 42 ・ 43 ・ ・ 48 41 41 31 41 21 20 19 ・ ・ ○ ○ 49 42 42 32 42 22 21 20 ・ ・ 歌仙 歌仙 歌仙 半歌仙 6句 3句 歌仙 江戸 江戸 江戸嗒山旅亭 大垣 大垣如水亭 大垣如水亭 大垣左柳亭 ・ 水仙は見るまを春に得たりけり 路通 李沓・亀仙・泉川 衣装して梅改むる匂ひかな 曽良 路通 かげろふのわが肩に立かこみかな 芭蕉 曽良・嵐蘭・北鯤・嵐竹 野あらしに鳩吹立る行脚哉 不知 こもり居て木の実草の実拾はばや 芭蕉 伴柳・路通・誾如 それぞれにわけつくされし庭の秋 路通 はやう咲九日も近し宿の菊 芭蕉 路通・越人・曽良 「奥の細道」 元禄2年3月27日深川~元禄2年9月6日大垣 大垣~伊勢~伊賀~京~元禄3、大津~伊賀~大津「幻住庵の記」~京「猿蓑」~元禄4、大津~京「嵯峨日記」~大垣 もらぬほどけふは時雨よ草の屋 斜嶺 大垣~熱田~新城~島田~元禄4年10月29日日本橋~元禄5年5月15日新芭蕉庵 8月15日 冬 12月22日 半歌仙 江戸 16句 江戸芭蕉庵 半歌仙 江戸千川亭 名月や篠吹雨の晴をまて 濁子 洒堂・海動・岱水・嵐蘭・丈草 月代を急ぐやうなり村時雨 千川 木枯しにうめる間おそき入湯哉 荊口 洒堂・大舟 45 ○○ ○ ・ 「更科紀行」 貞享5年8月11日岐阜~貞享5年8月下旬深川 44 ○○ 江戸桜心かよはんいくしぐれ 濁 嵐雪・其角 江戸濁子亭 10月上中旬 半歌仙 大垣斜嶺亭 ○ ○ ○○ ○○ 49 ・ 十句 「笈の小文」 貞享4年10月25日深川~貞享5年4月25日嵯峨 1月上旬 閏1月26日 2月7日 9月3日 9月4日 9月4日 9月4日 ○○○○○○○○○ 49 47 元禄5 10月上旬│表6裏4│江戸│しろがねに蛤をめせ霜夜の鐘 松江│曽良・依々・泥芹・水萍・風泉・夕菊・苔翠 39 ○ 10月上旬 ○ ● ○ ○ ○ ○ ○ 1689 ○ ○○○○ ○○ ○ ○ ○ ○ ○ ○○ ○○ ○○ ○○○ 1690 47 45 没 45 38 38 28 38 18 17 16 ・ ・ 元禄2 ・ ○ 1月 4月下旬 歌仙 歌仙 江戸千川亭 江戸千川亭 野は雪に河豚の非をしるわかな哉 涼葉 宗波 篠の露はかまにかけし茂哉 芭蕉 青山・遊糸・大舟 46 左欄「反転部」は、入門前及び没後。数字は、年齢(数え年)/左欄「○印」は、右欄俳諧の連衆。右欄の俳人名は、その他の連衆/ 「●印」は、要検討。 芭蕉と大垣の蕉門俳人 - 2 - 【藩士】 ・ 大垣の門弟は、ほとんどが大垣藩士である。江戸詰藩士の居住地は、次のいずれか。 ① 上屋敷。溜池南。芭蕉庵西南西7キロ。ANAのホテル一帯。港区赤坂一丁目1。/② 中屋敷。将監橋南。芭蕉庵南西6キロ。UFJ銀行一帯。港区芝 二丁目4。 /③ 下屋敷。竜泉寺辺り。芭蕉庵北5.5キロ。台東区竜泉2丁目17。 【木因】 ・ 素堂・木因・芭蕉は、季吟門の兄弟弟子。三物「秋とはゞ」は、延宝9年7月24日、木因が江戸の素堂を訪れたときの付合に、芭蕉が第三を付けたもの。 <延宝9年7月25日付木因宛書簡> 【嗒山】 ・ 嗒山は、津田前川か。前川は、大垣藩士。<元禄2年閏1月26日付嵐蘭宛書簡>に、「昨日嗒山子へ参り候ふ。貴様御事は不定に御座候へば、又重 ねて催し申すべく候」とある。嗒山歓迎の俳諧に、嵐蘭・嵐竹の参加を促す書状である。「昨日嗒山子へ参り」は、「昨25日、嗒山子の旅泊先へ行った」、 「重ねて催し」は、「既に一巻巻いたが、江戸の連衆で歓迎の会を催したい」ということである。また、嗒山について注釈のないことで、嵐蘭も知っていたと推 測できる。「昨日」の俳諧は、歌仙「衣装して」で、前川名。嵐蘭を交えた歓迎の会「かげろふの」の巻は、2月7日に興行。嗒山は三月ほど江戸に滞在。 【千川】 ・ 元禄2年1月、歌仙「水仙は」の連衆「泉川」は、「千川」かという問題がある。上記「嗒山歓迎の俳諧」に、兄此筋が参加しているから、千川も江戸にいた 可能性(※資料1~3)はある。しかし、歌仙「水仙は」の興行は1月上旬で、2か月ほど前のことである。千川だけが先にきていた可能性はないとは言えない が、この年16歳。付方や句姿から見ると、泉川と千川は別人である。 初オ5 初ウ7 歌仙、水仙は 槿にいらぬ糸瓜のからみあひ はらはらと葉廣柏の露のをと 初ウ11 花 猪猿や無下に見殘す花のおく 名オ4 いはぬおもひのしるゝ溜息 名オ11 唐人のしれぬ詞にうなづきて 塘(つつみ)の家を降うづむ雪 名ウ2 泉川 泉川 泉川 泉川 泉川 泉川 前句、絹張り→糸瓜の絡み合い 前句、餅→葉広柏。新古今能因俤:閨のうへに片枝さしおほい外面なる葉広柏に霰降るなり 前句、年号→猪猿。知らぬ→無下に見残す 前句、失意→溜息 前句、老朽船修理→唐人の指揮 前句、飼い鳥見えず→降り埋む雪 千川 千川 千川 千川 千川 千川 千川 千川 千川 千川 千川 前句、念佛の聲の細うきこゆる 前句・脇、客にまくらのたらぬ虫の音 前句、猟人の矢先迯よと手をふりて 前句、船上り狹くばおりて夕すゞみ 前句、月影は夢かとおもふ烏帽子髪 以下、千川18・19歳の句。 半歌仙、もらぬほ ウ5 第三 ウ2 半歌仙、名月や ウ6 ウ10 発句 月 16句、月代を ウ2 ウ9 ウ1 半歌仙、木枯し ウ6 に ウ9 月 わかれんとつめたき小袖あたゝめて 秋をへて庭に定まる石の色 青き空より雪のちらめく 輕ふ着こなすあらひかたびら 殿の疊のふるびたる露 月代を急ぐやうなり村時雨 散際ひさし南天の花 伊豆の舟御崎の舟をかき入て 秋風に架(ほこ)こしらゆる鷹の宿 箕面の瀧のくもる山降 月代も小ぐらき里のはなれ際 前句、物書くに慰む日あり五月雨 前句、傷寒病みの天窓かゝへる 前句、桶に色こき芋売(いもがら)のあく 前句、袈裟斗リかけて供する浄土宗 前句、俵に豆の葉をしごく秋 ※1 元禄2年7月29日付、如行宛書簡 「…略…、いまほど加賀の山中の湯(7/27着)に遊び候ふ。中秋四日五日(8/4・5)比、ここ元ヲ立ち申し候ふ。敦賀 の辺り見めぐりて、名月、湖水(琵琶湖)か、若し美濃にや入らむ。何れ其前後其元へ立越え申すべく候ふ。嗒山丈・此筋子・晴香(残香)丈、お伝え下さる べく候ふ。 以上」 ※2 奥の細道、大垣の段 「駒にたすけられて大垣の庄に入れば、曽良も伊勢より来り合ひ、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子・荊口父子、其外 したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたはる」 ※3 曽良旅日記、元禄2年8月 「十五日 曇。辰ノ中刻(AM8)、出船。嗒山・此筋・千川・暗香(残香)へノ状残。翁へモ残ス。如行ヘ発句ス。竹戸、脇ス。未ノ 刻(PM2)、雨降出ス。申ノ下刻(PM5)、大智院(桑名市長島)ニ着。院主、西川ノ神事(西川弁財天)ニテ留主。夜ニ入テ、小寺氏へ行、道ニテ逢テ、其 夜、宿」 芭蕉と大垣の蕉門俳人 大垣蕉門俳人一覧 かいどう 金森海動(50石) けいこう 宮崎荊口(100石) 此筋・千川・文鳥父。 ごちく 水魚呉竹 さりゅう 浅井左柳 しきん 宮崎此筋(100石) 荊口男、千川・文鳥兄。 しゃれい 高岡斜嶺(200石) 怒風兄 しょうこう 本間松江 島原の乱で負傷、致仕。潮来に隠棲。 じょくし 中川濁子(700石) 中川守雄。大石良雄と親交。 じょこう 近藤如行 致仕 じょすい 戸田如水(1300石) 戸田家初代藩主氏鉄の孫。 せんせん 岡田千川(100石) 岡田治左衛門。荊口男、此筋弟・文鳥兄。 ぜんせん 津田前川(300石) 嗒山 たいしゅう 鈴木大舟(300石) だいせん 戸田大川 氏鉄七男家老利鉄(1000石)の二男。 ちくこ 竹戸 鍛冶職 どふう 高岡怒風(200石) 斜嶺弟 ばいがん 水谷梅丸 竹島町楠屋主人。水谷久右衛門。 ひりょう 菅原飛良 ぶんちょう 秋山文鳥(200石) 荊口男、此筋・千川弟。 ぼくいん 谷木困 ゆうし 高島遊糸(50石) りょうよう 上田涼葉(250石) - 3 - 大垣蕉門俳人邸略図
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