事を、 紫式部日記は次のように述べている。 川五節は二十日に参る。 時

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滋 賀 大学 教 育 学 部紀 要 人文 科 学 ・社会 科 学 ・教育 科 学 第 三十 九 号 一- 十 一九 八九
﹁ひ か げ ﹂ 考 一 1 -紫 式 部 日 記 覚 書
閑 ①。。$ 零 7 0コ 口 貯 "①qo
山
本
利
道
の話 題 と な り 、 左 京 君 へいた ず ら す る こと と な った 。
Z g o o冒 冒 霞 9。。自曽霞 。。露 霞 げ=.
。
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田 什象 ωロ 照 ﹀]
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② ﹁か の女 御 の御 方 に 、 左 京 馬 と いふ 人 な む 、 いと 馴 れ て ま じ り た る﹂
l
が 遣 わさ れ た 。
中 宮 権 亮 藤 原 実 成 の出 し た 舞 姫 の介 添 の中 に左 京 君 (本文 で は ﹁左 京
寛 弘 五年 十 一月 二十 日 は、 五節 の舞 姫 の参 入 の日 であ った。 そ の 日 の
と 宰 相 の中 将 、 む か し 見 知 り て 語 り た ま ふ を 、 ひと 夜 、 か の か い つく
馬 ﹂と あ るが 、 ﹁左 京 君 ﹂ の誤 り であ ろ う )が い る こと が 、 中 宮 の女 房 達
事 を 、 紫 式 部 日 記 は次 の よう に述 べ て い る。
い ひ つ つ、 いざ 、 知 らず 顔 に はあ ら じ 、 む か し 心 にく だ ち て見 な ら し
ω 五 節 は 二 十 日 に参 る。 侍 従 の宰 相 に、 舞 姫 の装 束 な ど つか は す 。 右 の
け む 内 裏 わ た り を、 か か るさ ま に てや は出 で た つべき 、 し のぶ と 思 ふ
ろ ひ に て み た り し、 東 な り し な む左 京 ﹂ と 、 源 少 将 も 見 知 り た り し を 、
二頁-
ら む を 、 あ ら は さむ の心 に て、 御 前 に扇 ど も 、 あ ま た さ ぶ ら ふ中 に、
も のの よ す が あ り て 伝 へ聞 き た る 人 々、 を か し う も あ り け る かな ﹂ と
こ の年 、 五節 の舞 姫 を出 し た のは 、 公 卿 分 と し て は 、 参 議 の藤 原 実 成 と
蓬 莱 つく り た る を し も え り た る 、 心 ぽ へあ る べし 、 見 知 り け む や は。
宰 相 の中 将 の、 五節 に 偽 かづ ら 申 さ れ た る、 つ か はす つ い で に、 筥 ひ
藤 原 兼 隆 、受 領 分 は、 丹 波 守 高 階 業 遠 と 尾 張守 藤 原 中 清 であ った。 実 成
筥 のふ た に ひ ろげ て 、 晒日 蔭 を ま う め て、 そ ら い た る櫛 ど も 、 白 き 物
と よ う ひ に薫 物 入 れ て 、心 葉 、梅 の枝 を し て 、 いど みき こ え た り 。(六
は 、 中 宮 権 亮 で、 中 宮 か ら は舞 姫 の装 束 が 贈 ら れ た 。 中 宮 の伯 父 道 兼 の
新 潮 日本 古 典 集 成 に よ る。 以 下 同 じ )
子 息 の兼 隆 は 、 舞 姫 へ ﹁かづ ら﹂ の御 下 賜 を中 宮 に願 い出 た の で、 そ れ
(1)
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山本利道
んざ し にま と ひ てた る Σ な り 。 其 心 葉 と い ふ は、 梅 の結 花 を作 枝 に付
右 の傍 線 部 は、 和 名 抄 や、 古 今 集 四 五 一番 の ﹁さが り ご け ﹂ に つ い て の
忌 し て 、つま づ ま を 結 ひ そ へた り 、﹁す こ し さ だ す ぎ た ま ひた る わ た り
説 に よ って い る ら し い。
た り。
さ ま あ し き ま で つま も あ は せ た る そ ら しざ ま し て、 黒 方 を お し ま う が
に て、 櫛 のそ り ざ ま な む な ほ な ほ し き ﹂ と 、 公 達 の た ま へぼ 、 今 様 の
し て、 ふ つ つか に後 先 切 り て、 白 き 紙 一か さ ね に、 立 文 に し た り 。 大
苔 類)
ω 薩 唐 韻 云 、 幕 請判転 畑鱗柵堀記女 羅 也 。 雑 要 決 云 、 松 蘿 一名 女 羅 幅厘助革
醇 乎 べ+巻本
輔 の お も と し て書 き つけ さ す 。
お
ほ
か
の
り し豊 の宮 人 さ し わき てし るき 一日 かげ を あ は れ と そ 見 し
⑥ さが り ご け は岩 にさ が り た る 苔 な り。 日 陰 のかづ ら と も 云。 神 ま つる
⑤薙 唐 韻云 、羅 講阿転 畑麻柵私記女羅也 。
ざ る べ し。 わ ざ と つか はす にて は 、 し のび や か に け し き ぽ ま せ た ま ふ
時 、 む か し は 此 こけ を と り て、 舞 人 神 子 な ど のか づ ら に し 、 又 袖 に か
御 前 に は ﹁おな じ く は 、 を か し き さ ま に し な し て 、扇 な ど も あ ま た こ
べき に も は べら ず 、 これ は 、 か か る わ た く し ご と に こそ ﹂ と 聞 こえ さ
ざ り け る と な ん 。 今 も 日蔭 の糸 と て 、草 に か たど り て糸 に て む す ぶ 也 。
数、類)
せ て、瀕 し る か る ま じ き 局 の人 し て、 ﹁これ 、中 納 言 の君 の御 文 、女 御
古 歌 奥 山 の 日陰 のか づ ら か け て など つれ な き 人 にな び き 初 け ん 。 或 説 、
∵ 三 +乗
殿 よ り。 左 京 の君 にた てま つら む ﹂ と、 高 や か に さ し お き つ。 ひ き と
さが り ご け は さ るを が せ と い ふ物 也 。 又 説 、 山 の岸 な ど にも お ひ、 木
松蘿 辮要決云、松墓 名女義 唱纏 態
ど めら れ た ら む こ そ 見 苦 し け れ と 思 ふ に 、走 り 来 た り 。 女 の声 に て、
そ ﹂と 、 の た ま は す れ ど 、 ﹁おど ろ おど う し か ら む も 、 事 のさ ま にあ は
﹁いっ こよ り 入 り来 つ る﹂ と問 ふ な り つる は 、 女 御 殿 のと 、 う た が ひ
な く 思 ふ な る べ し。 (六 七 ∼ 六九 頁 )
傍 線 を つけ た ㈲ の ﹁日 陰 ﹂ お よ び ㈲ の ﹁日 かげ ﹂ は ど う いう も の であ ろ
壷 井 義 知 の ﹃紫 式 部 日 記 傍 注﹄ に は 、 ㈲ の傍 注 に ﹁日 蔭 注 レ上 ﹂ と し、
が 中 世 以 来 あ った 。
蔭 のか づ ら ﹂の こ と と す る説 、 あ る いは 、 ﹁さ る を が せ﹂の こ と と す る説
﹃八 代 集 抄 ﹄ は ﹃栄 雅 抄 ﹄ を そ のま ま あ げ て お り 、 ﹁さ が り ご け﹂ は ﹁日
に も か xり た る 苔 の、 なが く し だ り た る 也 。 或 云 、 文 選 云 、僻 苔 有 毛
カツラ へきれい
丘 葛 と い へる は 、木 にさ が り た る 蔦 也 と い へり 。 蒔 蕩 と も 書 。 (古 今
さかりこけ
集 四 五 〇1 古 今 集 栄 雅 抄 )
頭 注 に は ﹁日 蔭 の事 、 詳 二見 二後 神 一﹂ と す る 。 後 神 と し て は 、 石 清 水
に は 、 ﹁蔦 寄 生 也 。 女 薩 菟 糸 、 松 蘿 也 ﹂と あ る。 これ に対 し、 ﹃ホ 雅 義 疏 ﹄
﹃詩 経 ﹄ の ﹁小 雅 ﹂ の ﹁頓 弁 ﹂ に 、 ﹁蔦 与 女 難 施 干 松 柏 ﹂ と あ り 、 毛 伝
う か。
社 士 谷 村 光 義 の注 が 附 し てあ る。 そ こ に は 、 ﹃類 聚 雑 要 抄 ﹄ ﹃日本 書 紀 神
に は 、﹁按 本 草 、 菟 糸 一名 菟 藍 、 一名 菟 縷 、 一名 唐 蒙 、 一名 王女 。 不 言 女
代 巻 ﹄ ﹃延 喜 式 ﹄ ﹃和 名 抄 ﹄ の中 か ら 、 日蔭 蔓 に関 す る資 料 を 挙 げ 、 植 物
と し て の 日 蔭 蔓 の 図 を 示 し、 次 のよ う に述 べ て い る。
に至 て 、 白 糸 を よ り 合 て、 あ げ ま き に
く
み
て
、 あ は ひ 結 と い ひ 、 日 蔭
に用 ひ ら れ し事 あ り 。 延 喜 式 に、 日蔭
二荷
と
あ
る
、 是 な り 。 但 、 後 世
じ て、 北 山 の辺 、湿 地 に生 ず る な り 。
こ の日 かげ を 、 神 代 に は 、 手 繧
る。
﹃
古 今 六帖 ﹄ 第 六 の ﹁草 ﹂ の部 の ﹁ひ か げ ﹂ には 次 の 五首 が あ げ てあ
見 られる。
十 巻 本 は ﹁辮 要 決 云 ﹂) と し て引 く ﹁松 蘿 一名 女 薙 ﹂と い う説 が こ こ にも
と菟 糸 と は別 物 で、 松 蘿 は 一名 女 難 だ と いう 。 和名 抄 に ﹁雑 要 決 云﹂ (二
難 而 木 部 別 有 松 薙 、 一名 女 幕 。 似 為 二物 ﹂ と あ り 、 本 草 に よ れぽ 、 女 羅
の かづ ら と 名 付 て 、 男 は冠 の左 右 に 八筋 欄㍑卜駁駕駅副ザ細丸た る xな り 。
あ し ひき の や ま し た 日 影 か づ ら け る う へに や さ ら に む め を し のぼ ん
㈲ 光 義 按 、 日蔭 は 、 羅 な り 。 又 は 、 女 難 と も 、 或 は 下 苔 と も い へり 。
オトコ
俗 名 は 、 狐 のを が せ と い ふ よ し な り 。
則 、 我 雄 徳 山 にも 多 く あ り 。 惣
タスキ
或 は、 青 糸 を 組 て用 ひ ら る 玉人 も あ り。 是 を 、 心 葉 にそ へて、 冠 の か
(2)
と き はな る ひ かげ のか づ ら け ふ し こそ 心 の いう に ふ か く 見 え け れ (三
(三 九 三 一)
を と め ご が 日 かげ の う へに ふ る 雪 は は な の か ざ し に いつ れ た が へり
(三 九 三 〇 )
二 の ﹁こ け ﹂ も 同 じ も のと 思 わ れ る。
け ﹂ であ り 、 松 蘿 一 ﹁マツ ノ コケ﹂ で あ り 、 古 今 六 帖 の 三九 五 九 ・三 九 六
松 に生 え て下 る苔 は 、古 今 集 四 五 〇 番 に物 名 と し て詠 ま れ た ﹁さが り ご
(私 家 集 大 成 躬 恒 集 m = 二八 )
九 三 二)
ひと しれ ぬ こ こ ろ をき み に おく や ま の おも ひ か け て ふ く さ に お ひ け り
(三 九 三 三)
と き はな る 松 に か か れ る こけ み れぽ 年 のを なが き し る べ と そ 思 ふ (三
てある。
遣 時 ﹂ (一 = 二詞 書 )、 ﹁子松 之 末 ホ 薙 生 萬 代 ホ ﹂ (二 二 八) の場 合 は 、 松
る。だ が 、物 と し て は 同 一のも の で はな い。﹁従 二 吉 野 ﹁折 二 取 羅 生 松 何 一
日 本 書 記 神 代 紀 上 で は、 ﹁亦 以 二 天 香 山 之 真 坂 樹 一為 レ髭 以 レ薙 葦 駈
胴磯 一為
二 手 纏 一﹂ と あ り 、 薙 に つ い て ﹁比 航 磯 ﹂ の 訓 注 が つ い て い る。
ま た 、 万 葉 集 で は羅 が 歌 にも 詞 書 に も 用 いら れ 、 ﹁コケ﹂ と よ ま れ て い
朝 日 影 に ほ へるや ま に 照 る月 の う つく し つま を 山 ご し にお き て (三 九
九五九)
(= 一
=二八 ) の場 合 は 、 岩 に生 え た 苔 であ る 。 類 聚 名 義 抄 で は、 ﹁羅 暗躍、
の枝 に生 え る苔 であ り 、﹁奥 山之 盤 ホ 羅 生 ﹂ (九 六七 )、﹁奥 山 之 於 石 羅 生 ﹂ .
三四)
いし のう へに生 ひ いつ る こけ の ね も いら ず よ な よな 物 を お も ふ比 か な
(三 九 六 一)
お く や ま の い は ほ の こけ の年 ひ さ に み れ ど も あ か ぬ 君 にも あ る か な
にも 、 ﹁和 、 末 川 乃 己 計 ﹂と あ る が 、 いず れ も 、 和 名 と し て ﹁ヒカ ゲ ﹂と
つ い て諸 説 を あ げ な が ら 、 ﹁和 名 末 都 乃古 介 ﹂と あ り 、 ま た 、 ﹃
康頼 本草﹄
サ ガ リ ゴ ケ 、 サ ル ヲガ セ﹂と は区 別 し て い る。 ﹃輔 仁 本 草 ﹄にも 、 松 蘿 に
"、 .﹂、 ﹁松 蘿
同じく ﹃
古 今 六帖 ﹄ 第 六 の ﹁草 ﹂ の部 の ﹁こ け ﹂ に は 次 の四 首 が あ げ
(三 九 六 〇)
あ ふ こ と を い っか そ の ひ と ま つ の木 の こ け の み だ れ て こ ふ る此 ご ろ
は い って いな い。
岩 や 石 に生 え る 苔 であ り 、 ﹁ひ かげ ﹂と は 明 ら か に 異 な ったも の であ る こ
の中 、 三 九 五九 二 二九 六 二は 、 松 に寄 生 す る苔 、 三 九 六〇 ・三 九 六 一は 、
陸 機 の説 は、 毛 伝 の ﹁女 羅 蚕 糸 、 松 蘿 也 ﹂ を 批 判 し た も の で 、菟 糸 と 松
然 。 (十 三 経 注 疏 によ る)
薬 菟 糸 子是 也 。 非 松 蘿 。 松 蘿 白 蔓 松 上 生 校 正 青。 与 菟 糸 殊 異 事 。 或 当
菟 糸 為 松 蘿 放 言 松 蘿 也 。 陸 機 銃 云。 今 菟 糸 蔓 連 草 上 生 黄 赤 如 金 。 今 合
ッ ノ コケ、
(三 九 六 二)
﹃毛 詩 正義 ﹄ に は次 のよ う にあ る。
とが わ か る。
蘿 と は別 物 だ と す る。 陸 機 の説 に よ れぽ 、 菟 糸 は ヒ カゲ ノ カ ズ ラ の類 、
;
和 名 抄 で は、 ﹁ひ かげ ﹂ は 苔 の類 にあ げ てあ る が 、 古 今 六帖 で は 、 ﹁ひ か
㈹ 正 義 日。 蔦 釈 草 無 文 。 寄 生 者 毛 以時 事 言 之 耳 。 陸 機 疏 云。 蔦 一名 寄 生 、
ω (延 喜 十 七 年 承 香 殿 御 屏 風 和 歌 )
と あ る 。 ﹁・ カ ゲ ﹂ と
げ ﹂ も ﹁こ け﹂ も 共 に草 の部 に入 れ ら れ て い る。 そ し て、 三 九 三〇 ・三
葉 似 当 盧 子 如 覆 益 子 赤 黒 悟 美 。 釈草 云 。 唐 蒙 女 羅 、 女 羅 菟 糸 。 毛 意 以
ま つに か Nる こけ を 見 た る所
松 蘿 は サ ルオ ガ セ の類 を いう よう であ る 。 し か し 、 ﹃ホ 雅 義 疏 ﹄は 陸 機 の
弱 影 壁 卜.拝 習 ﹂
三九 三 三 で は、 ﹁ひ かげ ﹂ が 草 と いわ れ て いる 。 と こ ろ が 、 ﹁こけ ﹂ の歌
九 三 一 ・三九 三 二は 、 ﹁ひ かげ ﹂ が ﹁かづ ら ﹂ にさ れ て いた こと を 示 し、
千年 ふ る ま つ にか 曇れ る こけ な れ ぽ と し のを なが く な り にけ ら し も
(3)
紫式 部 日記覚 書
「ひ かげ」 考
256
255
山本利道
普 本 草 亦 云菟 糸 一名 松 蘿 。 並 与 ホ 雅 合 。 旧 説 菟 糸 無 根 以茯 苓 為 根 。
雅 女羅菟糸 自足兼有所包。 故類弁釈 文、在草 日菟糸、在本 日松蘿。呉
に こ そ 、︺ (三 七 一∼ 三 七 二 頁 - 筑 摩 書 房 版 本 居 宣 長 全 集 巻 九 に よ る 。
に顕 仲 ノ 朝 臣 ,歌 に 、 露 か Σら ね ど か る xよ も な し と よ め るも 此 ノ 由
カラグミ サ ガ リゴケ
色 青 く 帯 の如 く な る 物 と 、 漢 籍 ど も に 見 え た れ ば 、 佐 賀 理 苔 て ふ 名 も 、
サ
ガ ハピ
松 ノ 上 よ り 懸 る よ し な り 、 ︹或 説 に 、 地 に 延 つ ゴ く 物 な り と 云 は 非 な
オヒ ホシ
カレ
り 、︺ 此 物 奥 山 な ら で は 生 ず 、 又 乾 て も 色 青 く て 枯 ず と そ 、 ︹堀 川 百 首
説 を 批 判 し て次 のよ う に いう 。
観醐畿鯖瀬禰徽亦 不 必 然 。 今 験 菟 糸 、 初 亦 根 生 、 及 至 蔓 延 其 根 漸 絶 、 因 而
こ の説 は、 ホ 雅 の説 を 正 し いも の と す る た め のも の で 、植 物 と し て の存
⑧ 陸 蓋 拠 本 草 以 匡 毛 。 而 不知 義 乖 雅 訓 也 。 且菟 糸 雛 多 依 草 亦 或 附 木 。 ホ
附 物 以 生 。 蓋 亦 寄 生 之 類 。 故 詩 以 蔦 羅 称 一名 。 (下 略 )
マサキカヅラヒカゲヤマピコグミ
に 、造 酒 式 大 嘗 祭 供 神 料 ノ 物 ノ中 に 、真 前 葛 日蔭 山 孫 組 各 三措 と 見 え
ヤマピコグミ
た る に 、 (山 孫 組 も 名 の様 を 思 フ に 、松 蘿 の 類 に て 、 此 レ も 覧 に せ し 物
サ ル
ヲ カ セ
と 見 ゆ 、 或 説 に佐 梳 手 加 世 は 日蔭 と は 別 に て 、此 物 の こ と な り 、 故 に
よ め る は、郵 彰 な る ゆ ゑ な り 、頭 に垂 る ﹂麺 を 云 にあ らず ︺故 レ今 考 ル
以 下 同 じ 。)
カ
ク
カヅ
ラ マ
サキ
ビカゲ
タスキ
⑪ さ て、 此 ノ段 に如 此 、 鷺 に は真 析 を 用 ひ 、 薙 を ぽ 手 次 に し た り と あ れ
ホカ
ヒ
カゲ
ノカ
ヅラ カヘリ
ど も 、後 に は萬 葉 延 喜 式 典 ノ 絵 の書 にも 、も はら 日 蔭 蔓 の み有 て、却
マサキノカヅラ
て 真 析 髭 と 云 こ と は 見 え ざ る は 疑 な し 、 ︹歌 な ど に ま さ き の か づ ら と
在 の疑 わ し い説 と 思 わ れ る 。 し か も 、 詩 経 で は 、 蔦 と 女 難 と は別 物 であ
る の に ﹁称 一名 ﹂と いう のも 理 解 し が た い。 詩 経 では 、 ﹁蔦 と 女 羅 は 松 柏
うつ
に施 る﹂ と あ る 。 毛 伝 には ﹁蔦 寄 生 也 ﹂ と あ り 、 類 聚 名 義 抄 に は、 蔦 に
﹁ホ ヤ﹂ の訓 が あ る。 和 名 抄 で は 、 ﹁寄 生 ﹂ に つ い て、 ﹁和 名 夜 止 里 木 、
一云 保 夜 ﹂ (十 巻 本 )、 ﹁和 名 夜 度 利 岐 、 一云 保 夜 ﹂ (二 十 巻 本 ) とあ る。
女 薙 が ヒ カゲ ノ カ ズ ラな ら 木 に延 い移 る こと は な い。 毛 伝 の いう よう
に、 女 羅 が 松 蘿 な ら 、 松 の枝 に根 を 下 す 松 の苔 の類 と な り 、 松 柏 に移 っ
て生 え て い ると いう こと にな る。 類 弁 に よ り 、 毛 伝 は ﹁女 難 菟 糸 、 松 蘿
和 名抄 にも 別 に挙 たり と 云 は誤 な り 、 佐 梳 手 加 世 は 即 チ 日蔭 の こ と に
ヒ カ ゲ
て 、 山 孫 組 は 別 に 一種 な り 、 和 名 抄 に 薙 を 比 加 介 、 松 蘿 を 佐 流 乎 加 世
イフナ
と 別 に挙 た る は 、 松 蘿 の訓 は世 間 に呼 名 、 薙 の訓 は 私 記 に依 て別 物 と
心 得 た る な り 、 さ れ ど 薙 八女 幕 也 と 云 て 、 松 蘿 ハ 一名 女 難 と 云 へ れ ば 、
也 ﹂と い い、 女 薙 は松 蘿 であ り、 ﹁松 蘿 一名 女 幕 ﹂と いう 説 が 踏 襲 さ れ る
こ と に な った よう で あ る。 し か し 、 陸 機 の批 判 の よ う に、 女 難 と 松 蘿 と
彼 ノ 三 ッノ物 共 に 、壼 に か て は み な 日 蔭 ノ 髪 と 哩 し な る べ し 、 か L れ ぽ
は別 物 で あ った と考 え ら れ る。
.者
一物 た る こ と 明 け し 、︺大 嘗 祭 に は た y 日 蔭 塁 と の み 見 え て 、 餓 の 二物
ヒカゲカヅラ
の塁 は 見 えず 、 又和 名 抄 ノ 祭 祀 ノ 具 に も た だ ∫薩 覧 の み出 せ る は 、
国
拾遺 煮 難
﹃古 事 記 伝 八 ﹄ に は 次 の よ う に い う 。
ヒ カゲ カキ ヒ カ ゲ へ
ダ書紀 に薙 と作 て、此 .云 二比 輌蟹
次 元 で 扱 う 点 、 不 用 意 で あ る 。 延 喜 式 の斎 宮 式 に は 、 日 影 又 は 日 影 葛 と
て慎 重 で な い。 延 喜 式 の斎 宮 式 や 造 酒 式 の記 事 と 、 和 名 抄 の記 事 を 同 一
山 孫 組 も 、 日蔭 登 と い った のだ ろ う と す る 。 これ は、 資 料 の扱 い にお い
宣 長 は 、 日 蔭 は ﹁さ が り ご け ﹂ ﹁さ る を が せ ﹂説 で あ り 、 日 蔭 も 真 前 葛 も
身 構 も 登 に用 ひざ る に は非 ず 、 伊 勢 外 宮 ノ儀 式 帳 にも 、 費 伽 薫 る 製 を
マキ
ムク
アナ シ
す る こ と 、 二処 に見 え 、 古 今 集 採 物 ノ歌 に 、 巻 向 の穴 師 の山 の山 人 と
ヤマカヅラ マサキ カヅラ
人 も 見 る が に 山 鬘 せ よ 、 此 を 典 儀 抄 に 、 神 楽 す る に は 、 真 前 の葛 に て
ユフ
頭 を 結 な り 、 そ れ を 山 鬘 と は 云 と 註 せ り 。 (三 七 三 頁 )
軌
⑩場
あ って 、 新 嘗 祭 に斎 宮 に お い て 使 用 さ れ る 物 と し て あ り 、 造 酒 式 に は 、
瑞
比
輌気
と
あ
り
、
斎 宮 試 供 ⊃ 新 嘗 一
︻
料 物 に 、日
蔭
二
荷
と
も
、 日 影 葛 二 荷
ヘ
ヒ カ ゲ カ ヅ ラ
と も 見 ゆ 、 さ て 和 名 抄 祭 祀 ノ 具 に 、 薙 蔓 .比 加 介 加 都 良 、 又 苔 類 に 、
ヘ ビ カ ゲ へ マ ツ ノ コ ケ サ ル ヲ カ セ
薙 .比 加 介 、 女 薩 也 、 松 蘿 . 一名 女 難 萬 豆 乃 古 介 、 = 王佐 流 手 加 世 、
サガリコケ
︹纂 疏 に も 、薙 ハ 謂 コ 垂 苔 づ也 、俗 二 謂 二 日 蔭 葛 ↓ と あ り 、︺古 今 集 ノ
イト
物 ノ名 に 、 さ が り ご け と あ る是 な り 、 女 羅 は 、 松 ノ枝 に生 で甚 長 く 、
(4)
調 え ら れ た ﹁真 析 蔦 、 日蔭 、 山 孫 組﹂ は 、 ﹁践 祚 大 嘗 祭 供 神 料 ﹂ であ り 、
し ては 薙 を 用 い、 祭 祀 具 と し て は ﹁羅 髪 ﹂ と髭 を 用 い て い る。 造 酒 司 で
区 別 し て い る よ う であ る 。 同 様 のこ と は、 和 名 抄 でも 見 ら れ 、 植 物 名 と
す る記 事 の中 に、 ﹁親 王 以 下 女 孺 以 上 皆 日蔭 塁 ﹂と あ る 。 葛 、 量 と 文 字 を
等 が あ り、 そ れ は ﹁畿 内 所 造 ﹂ であ る。 そ れ に対 し 、 大 嘗 祭 の斎 服 に関
大 嘗 祭 供 神 料 と し て造 酒 司 で 調 え ら れ る中 に ﹁真 前 葛 、 日蔭 、 山 孫 組 ﹂
合 が あ ると し て、 次 のよ う に述 べ て いら れ る 。
で 身 に つけ る 呪 物 だ と さ れ る 。 そ し て 、 ﹁ヒ カ ゲ ノ カ ズ ラ﹂に は 五 つ の 場
土 橋 寛 氏 は 、 ﹁ヒ カ ゲ ﹂ ﹁ミ カ ゲ ﹂ の ﹁カ ゲ ﹂ は 挿 頭 や 覧 を 総 称 す る 語
が よ い よう であ る。
で は 、 ﹁け ま ん ﹂か と す る 一説 が 出 さ れ て い る が 、 澤 潟 先 生 の 注 に よ る の
こ こ に 引 か れ て い る 持 統 紀 の ﹁花 羅 ﹂ に つ い て 、 日 本 古 典 文 学 大 系 の 注
② サ ル ナ ガ セ (さ る お が せ 科 ) と い う 蔓 性 植 物 。
⑰ ① ヒ カ ゲ ノ カ ズ ラ (ひ か げ の か ず ら 科 ) と い う 蔓 性 植 物 。 漢 名 、 石 松 。
に ﹁サ ル ヲ ガ セ﹂ の訓 が 付 け てあ る。 日 蔭 が ﹁サ ル ヲ ガ セ﹂ と は別 の物
塁 に用 いら れ た と は 考 え にく い。 な お 、 内 閣 文 庫 本 延 喜 式 で は、 山 孫 組
㈲② を 髪 や 冠 に垂 ら し た 髭
ω① を 暫 や 冠 に垂 ら し た 塁
③ ヒ カ ゲ の量
ま た 、和 名 抄 で は 、﹁唐 韻 云 、薙 女難 也 。雑 要 決 云 、松 蘿 一名 女 難 ﹂ (十
㈲ ② を 象 った 糸 製 の 覧
と さ れ た 一証 と な ろ う 。
巻 本 )とあ る 。 ﹁羅 女 羅 也 ﹂が 主 文 で、 雑 要 決 の説 では 松 蘿 が 主 語 で 、 松
古 典 で ヒ カ ゲ に 当 て た 漢 字 は 、 ﹁羅 ﹂ ﹁日 蔭 ﹂ ﹁日 影 ﹂で 、 三 つ。の 用 字
(中 略 )
は、 羅 と は 別 に松 蘿 は 一項 と し て た て ら れ て い る。 と こ ろが 、 宣 長 は 、
蘿 は女 羅 と も いう と の説 で 、 薙 が 松 蘿 だ と いう 説 では な い。 二十 巻 本 で
薙 一 女 薙 11 松 蘿 と し て、 三者 を 同 一物 と し て、 ﹁ヒ カ ゲ﹂ と 、 ﹁マ ツノ コ
は ① ・② ・③ の区 別 と は 必 ず し も 対 応 せ ず 、 便 宜 的 な 当 て 字 に す ぎ な
(
持統紀元年)と あ る こ と に よ って も 知 ら れ 、 こ こ は そ れ によ って ﹁か げ ﹂
かづ ら は 又 かげ と も 云 った こと ﹁以 二 花 縷 一進 二子 殯 宮 ﹁此 日 二 御 蔭 ﹄
であ る か ら 、 こ の量 は挿 頭 であ る の に対 し、 ㈲ の塁 は葛 であ る か ら 挿
雁臆賭⋮ ⋮ ⋮ ⋮ (古 語 拾 遺 )
た すさ
右 に は 身 に つ け る 呪 物 と し て 塁 と 手 綴 (裡 ) が 見 え る が 、 量 は ㈲ で は
サカキ
真 坂 樹 (真 栄 木 で 常 緑 樹 の こ と 。 特 定 の 木 種 を 意 味 す る の で は な い )
顯
一
(
神 代 紀 上第
七
段 本 文 )
マサキノカヅラ ヒカゲノカヅラ
ω 又 令 下 天 釦 女 命 以 二 真 辟 葛 ﹁ 為 レ塁 、 以 二 羅 葛 一為 中 手 織 上
日 本 書 紀 と 古 語 拾 遺 は 次 の よ う に記 し て い る。
ヒカゲ
㈲ 亦 以 二 天 香 山 之 真 坂 樹 一為 レ覧 、 以 レ薙 雁脚殿嘱 ・為 二 手 繊 一寿鰯劃此
て 判 断 す る ほ か は な い 。 例 え ば 天 岩 戸 の 条 の 天 釦 女 命 の俳 優 を 叙 し て 、
い か ら 、 古 典 の ヒ カ ゲ に つ い て は 、 三 者 の 何 れ で あ る か を 一々 に つ い
ケ﹂ ま た は ﹁サ ル ヲガ セ﹂ と を 同 一物 と し てし ま って い る。
画
人 は よ し お も ひや む と も 玉 纏 影 に見 え つ つわ す ら え ぬ か も (万葉 集 一
四九)
の枕 詞 と し た。 植 物 の葛 (蔓 ) を カ ヅ ラと い ふも か づ ら 草 の意 で、 一
頭 で は な く 、 蔓 草 を 髪 に 垂 ら し た 讐 で あ り 、 ﹁真 辟 葛 ﹂は ツ ル マ サ キ と
マ
す る 説 、 テ イ カ カ ズ ラ と す る 説 が あ る が 、特 定 の 植 物 名 で は な く 、﹁真
サキ カヅラ マサキヅラ たた あざ
栄 の葛 ﹂で あ ろ う と 考 え ら れ る 。 ﹁真 栄 葛 挽 き 叉 は り ﹂ (紀 、 96 の 歌 )
こ の歌 の ﹁玉藻 ﹂ に つ い て、 澤 潟 久 孝 先 生 の ﹃
萬 葉 集 注 釈 ﹄ で は、 次 の
に ﹁かげ ﹂ (
+四・三五七三)と も 云 ひ 、 ﹁か づ ら ﹂ と ﹁か げ ﹂と は 同 意 に用
と いう 例 も あ る か ら で あ る 。 次 に 裡 の方 は ㈲ ・㈲ と も ヒ カ ゲ ノ カ ヅ ラ
方 量 に す る 石 松 (ひ か げ の かづ ら ) を ﹁ひ かげ ﹂ (
+九・
四二七八)と も 単
よう に述 べら れ て い る。
ゐ ら れ てる る事 が 知 ら れ る。
(5)
紫 式部 日記覚 書
「ひ かげ 」考
254
253
山本利道
であ るが 、 具 体 的 には ③ ・㈲ と も① 石 松 であ って 、② サ ルオ ガ セ で は
も 色 青 く か れ ぬも の な り ﹂と 説 明 を付 し て、 図 に示 し て い る のは 、 ﹃牧 野
には ひ つ ゴき て﹂と は ヒカ ゲ ノ カ ズ ラと し て ふさ わ し く 、 ﹁ほ し ても 色 青
新 植 物 図 鑑 ﹄ に ﹁ひ かげ の かず ら ﹂と し て 示 す 図 の類 のも の で あ る 。 ﹁地
く か れ ぬ も のな り ﹂ は サ ルオ ガ セ の説 明 の よ う に思 わ れ る 。
あ る ま い。 サ ルオ ガ セ は裡 には でき な いか ら であ る (﹁薩 ﹂ の文 字 が 用
いてあ る から と.
い って、 ② サ ル オ ガ セだ と は 限 ら な い例 )。
であ る。 ﹁斯 利 久 米 縄 ﹂は ﹁端 出 之 縄 筋転侭概囎灘蝿 云・﹂ (神 代 紀 上 )と あ
の ﹁日 影 ﹂ は 、① 石 松 では な く 、 ③ サ ルオ ガ セ (ヨ コワ サ ル オ ガ セ)
遺)
に造 り 物 の 日 蔭 覧 が 用 いら れ た と いう 。 そ れ で は 、 紫 式 部 日 記 の② の文
いう 。 後 世 と は い つご ろ の こ と か 明 ら か でな いが 、延 喜 時 代 よ り は後 世
人 も あ り 。 是 を 心 葉 に そ へて、 冠 の か んざ し に ま と ひ て た る xな り ﹂ と
付 て 、男 は冠 の左 右 に 八筋 に た る xな り。 或 は、 青 糸 を 組 て 用 ひら る x
糸 を よ り 合 て、 あ げ ま き にく み て 、 あ は ひ 結 と い ひ、 日 蔭 のか づ ら と名
光 義 は 、延 喜 式 の頃 に は植 物 の 日蔭 が 用 い ら れ た が 、﹁後 世 に至 て 、白
こ れ に対 し て 、 同 じ 天 岩 戸 の条 の
ω 愛 令 下 天 手 力 雄 引 二啓 英 房 ﹁遷 中 坐 新 殿 加 則 天 児 屋 命 太 玉 壷 以 二 日
る の に よ れ ぽ 、 藁 を左 縒 り に し て 縄 を な い、 藁 の先 端 を 垂 ら し てお く
な り ﹂ と い い、 ㈲ に つ い て 、 ﹁か づ ら は 、 日 蔭 のか づ ら に て、 傍 本 の奥
清 水 宣 昭 の ﹃紫 式 部 日 記 註 釈 ﹄は 、 ㈲ に つき 、 ﹁日 かげ は 、 日蔭 か づ ら
御 綱 一胎噺鯛畝駄騨 廻 二懸 其 段 ﹁令 三 大 宮 売 神 侍 二 於 御 前 一
。 (古 語 拾
も の で (今 日 のし め縄 と 同 じ )、 そ れ は ﹁日影 ﹂を 象 った も の だ と いう
注1
から であ る 。
に、 図 を も いだ し た り 。 こ れ 即 、 辰 口 の節 会 の装 束 のれ う な り 。 花 鳥 絵
中 の㈲ は造 り 物 だ った の であ ろ う か。
土 橋 氏 の ﹁ヒ カ ゲ ノ カ ズ ラ﹂ に つ い て の右 の説 は 、 ど の文 献 資 料 にも 意
味 を も た さ れ た 説 で あ る が 、 e で 述 べ た点 か ら 、 中 古 で は ヒカ ゲ を サ ル
情、 又傍 本 の奥 に引出 た る、 類聚 雑要 抄等 に見 え たり﹂ と いう 。 ㈲ の ﹁かつ .
ら ﹂、 ㈲ の ﹁日 蔭 ﹂ 共 に造 り 物 と 考 え て いた よ う で あ る。
オ ガ セ と す る こ と は 無 理 であ り 、 サ ルオ ガ セ は裡 に でき な いか ら ヒ カ ゲ
﹃紫 式 部 日記 精 解 ﹄ の ㈲ の注 は次 の通 り。
ノ カ ズ ラ、 ﹁日 影 之 像 ﹂を し た ﹁斯 利 久 米 縄 ﹂ は今 日 の し め縄 だ から 、 こ
の 日影 は サ ルナ ガ セだ と さ れ る な ど 、 印 象 的 な 判 定 が な さ れ て おり 、 判
Gの 日 蔭髭 な り。 元 は女 薩 (サ ガ リ ゴ ケ) と い ふを 用 ひ た れ ど 、 中 古 よ り
は 白 ま た 青 き 組 糸 のあ げ ま き に結 び た る を 登 に か く る に て 太 古 の遺 風
が 、 光 義 の 示 し た図 の植 物 を も サガ リ ゴ ケと 考 え た も の な ら 、 筋 が 通 ら
元 は ﹁サ ガ リ ゴ ケ﹂ を 用 い た と す る 点 で 光 義 説 を受 け て いる よう であ る
な り。 さ て此 か つら を 申 請 せ し を 下 賜 せ ら れ た る 也 。
定 の方 法 に疑 問 を感 ぜ ざ る を え な い。 今 日 一般 に 作 ら れ る 注 連 縄 で は 、
藁 の根 の方 を 出 し て、 間 隔 を おき なが ら 本 体 か ら そ の端 が 出 た 形 に な っ
て お り 、 そ の姿 の印 象 か ら は ヒ カ ゲ ノ カズ ラ の方 に近 い。 神 代 紀 の ﹁端
出 ﹂ の端 は、 藁 の後 部 で は な く 発 端 部 を いう ので はな か ろ う か。
な い。 な お 、 ㈲ も ㈲ と 同 じ と し て い る。
小室由 三氏 の ﹃
紫 式 部 日記 全 訳 ﹄、 永 野 忠 一氏 の ﹃
紫 式 部 日 記 評 釈 ﹄、
と も い へり ﹂と い い 、 ﹁俗 名 は 、 狐 の を が せ と い ふ よ し な り ﹂ と 伝 聞 説 と
ヒカゲ メカヅラ サガリゴケ
光 義 は 、 ﹁日 蔭 は 、 薙 な り ﹂と い い な が ら 、 ﹁又 は 女 難 と も 、 或 は 下 苔
注 は次 の通 り で 、 ω に つ い て は ふ れ ら れ て いな い。
り 物 か否 か 明 ら か でな い。 萩 谷 朴 氏 の ﹃紫 式 部 日 記 全 注 釈 ﹄ で は 、 ㈲ の
は 、 ㈲ は造 り 物 の日 蔭 の量 と さ れ 、 ㈲ は 単 に 日 蔭 の塁 と さ れ る の み で造
り 物 と さ れ 、 ㈲ の注 は な い。 ﹃紫 式 部 日記 新 釈 ﹄お よび 日 本 古 典 文 学 全 集
㈲
し て あ げ 、そ れ ぞ れ の 実 物 を 確 認 し な か った の で あ ろ う 。﹁我 雄 徳 山 に も
阿 部 秋 生 氏 の ﹃紫 式 部 日 記 全 釈 ﹄ は、 ㈲ は ﹁日 蔭 の蔓 ﹂ だ が 中 古 では 造
多 く あ り ﹂と し て 、 ﹁地 に は ひ つ ゴ き て 、 い か 程 も な が き 物 な り 。 ほ し て
(6)
個 日蔭 の髭 であ る。 ﹃和 名 類 聚 抄 ﹄巻 十 三 祭 祀 具 第 百 七 十 二 に ﹁羅 覧 日
本 紀 私 記 云 は く塁 を 為 る に薙 を 以 って す と 姻傭殖娠翫鼠﹂と あ る。 ﹃装 束 図
式 ﹄ 巻 上 に ﹁日蔭 蔓 ト ハ、 下苔 ト云 フ蔓 草 ニテ 、清 キ 山 蔭 二生 ズ ル草
ナ レバ 、 神 事 ノ飾 二用 ル ナ リ 、今 ハ白 糸 或 青 色 ニテ 、 アゲ マキ ニ シテ、
抄 ﹄巻 三 をみ ・・と・ には (麗 轄
琶
左 右 二八筋 或 ハ十 二筋 、 冠 ノ角 二垂 ルナ リ﹂ と あ る よ う に、 植 物 の藏
お み
を 形 式 化 し て作 った 頭 飾 り であ って、 豊 明 の節 会 に は 、 小 忌 の君 達 や
舞 姫が用 ・た. ﹃
雅 亮養
㈹
延 喜 試 着 五 、 斎 宮 式 の ﹁供 新 嘗 料﹂ の項 に、 ﹁絹 二 丈 。 糸 二 両 。 ⋮ ⋮ 日
蔭 蔓 二荷 。 輿 籠 二脚 。鎚起当国⋮ ⋮﹂と あ る 。類 聚 雑 要 抄 巻 三 に、 ﹁理髪 具 ﹂
と し て、﹁末 額 髪 二流 。蘇批覗パ姻躰也魅・替 。銀 子 。彫 櫛 二枚 。本 箱 。日蔭 量 ﹂
日 蔭 葛 に つい て 、 ﹁荷 ﹂ や ﹁捲 ﹂ と いう 助 数 詞 が 用 いら れ 、 類 聚 雑 要 抄 で
摺 唐 衣 一領 、 泥 絵 裳 一腰 、 茜 染 打 袖 一重 、 同 三 重 袴 一腰 、 扇 一枚 、 錦 鮭
と あ り 、 ま た 、 辰 の 日 の ﹁舞 姫 装 束 ﹂ と し て、 ﹁日 蔭 髭 五 流 ﹂、 赤 紐 二具 、
は 、 日蔭 覧 に ﹁流﹂ が 用 いら れ 、 前 者 は 植 物 、後 者 は造 り 物 であ る こ と
㈲ は 造 り 物 で あ り 、 下 苔 を 形 式 化 し た も の と さ れ 、 ﹃冠 帽 図 会 ﹄に 示 さ れ
と見 え た 。
と あ る 。 前 掲 の ﹃類 聚 雑 要 抄 ﹄ に も 辰 の 日 の 装 束 の 中 に ﹁日 蔭 塁 五 流 ﹂
夜 ふけ に し か ぼ 、 つと め て、御 あ さ い の例 よ りも あ り し に 、﹁雪 、降 り
て、 参 り の夜 よ り さ わ ぎ あ り か せ た ま ひ て、 そ の夜 、 帳 台 の試 など に
㈹ ひと と せ 、 かぎ り のた び な り け れ ぽ にや 、 常 よ り 心 に いれ ても て 興 じ
量 が 造 ら れ て い た資 料 が 他 にも あ る。
を 思 わ せ る 。 類 聚 雑 要 抄 に 記 録 さ れ て い る永 久 三 年 の 頃 、 造 り 物 の日 蔭
一足 ﹂ と あ る。 これ は永 久 三 年 (= .一五) の記 録 で あ る。 延 喜 式 で は 、
前 に 二筋 、 後 に 二筋 、左 右 に下 げ た るな り。 こ の糸 飾 る と こ ろ に、
冠 に 日蔭 と い ふも のを 、 左 右 の耳 の上 に 下げ たり 。 冠 の巾 子 のも と
ゆ マ
マ
に、 日蔭 の量 と い ふ も のを 結 ひ て、 白 き 糸 の は し な ど ほ ど か し く み
あげまきにな
な る し て 、 総 角 蜷 を 結 び さ げ て 、 片 々 に 四 筋 つ つ 冠 の角 を 挟 め て 、
心 葉 と て 梅 の枝 の 小 さ く 作 り た る を 、 こ の髭 に ま と ひ て た て た り 。
た 生 草 の日 蔭 蔓 と、 糸 で造 った 日 蔭 蔓 と が 図 示 さ れ て い る。 造 り 物 が 下
た り ﹂ と 聞 か せ た ま う て、 お ほ と のご も り 起 き て 、 皇 后 宮 も そ の を り
(下 略 )
苔 を 形 式 化 し た も の と さ れ な が ら 、 示 さ れ た 冠 帽 図 会 の生 草 の 日 蔭 蔓 の
た り し こ と な ど 、 上 の御 つぼ ね に て、 昔 思 ひ い で ら れ て、 も のゆ か し
にお は し ま し し かぽ 、 御 か たが た に御 ふ み 奉 ら せ た ま ふ と て 、 お ま へ
う も な き こ こ ち し て ま でな ど 。(讃 岐 典 侍 日 記- 日本 古 典 文 学 全 集 四 四
図 は 、 下 苔 即 ち サ ルオ ガ セ で は な く 、 ヒ カ ゲ ノ カズ ラ であ る の は ど う し
れ る も の で あ る 。 形 姿 か ら す れ ぽ ヒ カ ゲ ノ カ ズ ラ よ り サ ル 矛 ガ セ の方 に
一頁)。
にさ ぶ ら ひ し かぼ 、 日 か げ を も ろ と も に つく り て、 結 び み さ せ た ま ひ
似 て い る 。 し か し 、 e に 述 べ た よ う に 、 中 古 に お い て ﹁ひ か げ ﹂ は 、 ヒ
これ は嘉 承 元 年 (一 一〇 六) の こ と で 、 ﹁日 かげ をも ろ と も に つく り て﹂
て な の であ ろ う か。
カ ゲ ノ カ ズ ラ の こ と で あ っ た と 思 わ れ る の で 、 造 り 物 の ﹁ひ か げ ﹂ が サ
と あ る。
﹃冠 帽 図 会 ﹄ の 造 り 物 の方 は 、 土 橋 氏 が サ ル オ ガ セ を 象 った も の と さ
ル オ ガ セ を 象 った も の と い う の は 理 解 し に く い 。 造 り 物 の ﹁ひ か げ ﹂ も 、
左 右 に 枝 を 出 し た ヒ カ ゲ ノ カ ズ ラ を か た ど った も の と 考 え た 方 が 理 に か
Gの 後 冷 泉 院 の御 時 、 大 嘗 会 に ひ かげ のく み を し て、 実 基 朝 臣 のも と に
つか は す と て、 先 帝 の御 時 お も ひ い で て、 そ へて いひ つか は し け る
な う の で は な か ろ う か 。 あ る い は 、 ﹁ひ か げ ﹂が サ ル オ ガ セ だ と す る 説 が
い つ の 頃 か ら か 有 力 視 さ れ て サ ル オ ガ セ に 似 せ る こ と に な っ た の が 、﹃冠
た ちな が ら き てだ にみ せ よ を み 衣 あ か ぬ 昔 の忘 れが た み に (新 古 今 案
加賀 左 衛 門
帽 図 会 ﹄ に示 す 造 り物 の姿 だ と いう こ と か も し れ な い。
(7)
紫式部 日記覚書
「ひか げ」 考
252
251
山本利道
㈹ こ 入 道 ど の中 納 言 、 た め ま さ のあ そ む のむ す め を わ す れ 給 ひ に け る
新 嘗 会 の祭 祀 具 な の であ ろ う 。 和 名 抄 が 祭 祀 具 と し て 、 薙 で作 った 髭 が
云 、 為 レ登 以 レ羅 ㈱嬬礪蹴加﹂ と あ る。 ど の祭 祀 のと 限 定 は し て いな いが 、
﹁調 度 部 ﹂ の ﹁祭 祀 具 ﹂ 中 に 、 ﹁薩 壼 日 本 紀 私 記 云 、 為 レ壼 以 レ羅 砒翻軟
のち 、 日 かげ の い と む す び て と て 給 へり け れぽ 、 そ れ にか はり て
用 いら れ 、 そ れ を 薙 髪 と いう 文 字 によ って表 し ﹁比 加 介 加 都 良 ﹂ と 呼 ん
一七 九 九 )
か け て み しす ゑ も た え にし ひ かげ ぐ さ な に に よ そ へて け ふ む す ぷ ら ん
で いた こ と を 伝 え た と いう こ と にな れ ぽ 、 承 平 年 間 に は、 造 り 物 で は な
﹂ 二十 巻 本 巻 十 三 、 ﹁調 度 部 ﹂ の ﹁祭 祀 具 ﹂中 にも 、 ﹁薙 塁 日本 紀 私 記
(新 編 国 歌 大 観 ﹃道 網 母 集 ﹄ 二 八)
これ は永 承 元 年 (一〇 四 六) の こと であ る 。 も っと 遡 った例 も あ る 。
﹁こ入 道 ど の中 納 言 ﹂ と は 、 為 雅 の女 を 妻 にし 、 寛 和 二年 (九 八 六 ) 出
あ 家 し た 義 懐 で あ る 。 こ れ は、 続 後 拾 遺 集 九 一八 番 に ﹁東 三 条 入 道 摂 政 か
母 集 と読 後 拾 遺 集 と では 相 手 が 異 な るが 、 道 綱 母集 に よれ ば 、 寛 和 二年
垂 紐 、海難棚趾弥白 絵 結 紐 、蝦空豁肝敵鑛似並 卜 食 詑 乃 給 。夘 日 夜 吊 被 。 :⋮
上 紅 垂 紐 。撒蘇。白 絵 皆 結 紐 。内 親 王 及 命 婦 以 下 女 孺 以 上 亦 青 括 袖 。紅
サ
ルメ
ロ
ハ
アカ
ヒホ ハ 其 御 巫 、 援 女 等 服 者 、 依 二 新 嘗 例 一小 斎 親 王 以 下 皆 青 摺 抱 、 五 位 以
領。
義 懐 の出 家 以 前 と いう こ と に な る 。 ﹁日 かげ の いと む す び て﹂と は 、 日蔭
各青霧 .
..
.﹂
髭 の作 成 依 頼 であ り 、 日 蔭 豊 が 造 り 物 と し て用 い ら れ た資 料 と し て こ れ
(延 喜 式 巻 七 践 祚 大 嘗 祭- 噺嗣国 史 大 系 に よ る。 以 下 同 じ 。)
露 騨 難 壁鞍 杁疇
以 上 遡 る も の は見 出 せ て いな い。
服以上再 七人・藷
く 、 生 草 が 量 と し て用 いら れ て いた と いう こと に な ろ う 。
。
官
ミ
コ ト琴
ビ
キ以 上 十
⑳
凡
斎
服
者
、
十
一
月
中
寅
日
給
之
神祇
伯以
下 弾
三
人 。 伯一人。
副二人。
ハス
リ スリ
酷二仏 破紅紙べ棺駐弛訊べ等長各 榛 藍 摺 綿 抱 一領 。 白 袴 一腰 。 史 生 以 下 神
れ かれ な る さ ま に み え侍 り け る比 、 五 節 のほ ど に、 日 影 の い と む す び て
と も あ れ 、 こ れ ら の造 り物 の日 蔭 髭 の形 が ど う いう も の であ った のか
⑳ 供 二 新 嘗 一料 テツ 絹 二丈 。 糸 二両 。 綜 一丈 二尺 。 (中 略 ) 油 三升 。 楓 四俵 。 日 蔭 二荷 。
と 有 り げ れぽ 、 つか は す と て、 右 近 大 将 道 綱 母 ﹂ と し て出 て いる 。 追 綱
は わ か ら な い。 冠 帽 図 会 に示 す も のは 、 前 代 のも のを 踏 襲 し てき た も の
㈲ 新 嘗 会
次 の よう に あ る 。
に残 し て いる の でそ れ 以 前 の成 立 と いう こ と にな るが 、 西 宮 記 巻 十 九 に
⑳ ㈱ は 斎 宮 式 中 の新 嘗 祭 の記 事 であ るが 、⑳ は、野 宮 で の新 嘗 祭 に供 進
㈱践祚大 嘗祭供神 料
マサイカツラ ヤマヒコクミ
⋮ ⋮真 前 葛 、日 蔭 、山 孫 組 、 各 三 捲 。山 橘 子 、衰 等 売 草 各 二憺 配砒軌逓畿
サルヲカセロ
ロ
⋮ ⋮ (延 喜 試 着 四 十 造 酒 司 )
二脚 記吐蛸国⋮ ⋮ (
延 喜 試 着 五 斎 宮 )
絹 二丈 。 糸 二両 。 綜 一丈 二 尺 。 (
中 略 )蝦 鰭 槽 二 口。 日影 葛 二荷 。 輿 籠
㈲ 供 二新 嘗 一料 卦如孤男
(延 喜 試 着 五 斎 宮 )
輿。小 忌近衛将 已下、笄殿 上侍臣、 同着青摺 日影縷等。諸 衛服上儀。
のも の であ り、 ㈱ は、 伊 勢 の斎 宮 にお け る新 嘗 祭 に供 進 のも の、 ま た 、
﹃西 宮 記 ﹄ の成 立 時 期 は 不 明 で あ る が 、 源高 明 は天 元 五 年 (九 八 二)
で あ ろ う 。 変 化 し た と し ても 、 そ れ に似 たも の であ った ろ う と 思 わ れ る。
但 大 忌 王 卿 已 下如 恒 。 衛 府 公 卿 已 下 、 不 諸 小 忌 帯 弓 箭 。 (巻 十 九 )
㈱ は 造 酒 式 中 の大 嘗 祭 の記 事 で 、 造 酒 司 の祭 る神 に対 す る 供 神 のも の の
日影 縷 は 冠 の高 巾 子 に つけ た のだ ろ う が 、 生 草 な の か造 り物 な の か は 判
九 三 八) 成 立 と さ れ 研 和 名 抄 の、 + 巻 本 の巻 五 、
天 皇 服 吊 御 衣 。 小 忌 王 卿 已 下 、 着 青 摺 布 抱 井 日影 縷 、 浅 沓 等 、 扈 従 乗
断 つけ にく い。 西 宮 記 が ㈹ と 同 時 代 の成 立 であ る こと を 考 え る と、 造 り
よ う であ る。 そ の中 に、 ⑳ に は ﹁日 蔭 二荷 ﹂、 ㈲ に は ﹁日 影 葛 二種 ﹂、 ㈱
承 平 年 間 (九 三 了
には ﹁日蔭 ﹂ に つ い て ﹁二捲 ﹂が 指 示 さ れ て お り 、 前 述 のよ う に、 荷 あ
物 であ る可 能 性 が 高 い。
(8)
式 部 日記 の㈲ の ﹁かづ ら ﹂は 、 ﹁右 の宰 相 の中 将 の 、 五 節 に かづ ら 申 さ れ
にな って いた と いえ そ う であ る。 こ のよ う な 事 情 を 考 慮 に 入 れ る と、 紫
用 いら れ て い た と考 え ら れ 、 天 元 寛 和 の頃 に は造 り 物 が 用 いら れ る よ う
こ の よ う に み てく ると 、 承 平 年 間 頃 ま で は、 生 草 の 日蔭 葛 が 量 と し て
の時 は 、 日 蔭 葛 が 髪 に用 いら れ て い た こと を 示 し て い る。
こ れ は 天 平 勝 宝 四年 (七 五 二) 十 一月 廿 五 日 の新 嘗 会 のも の であ る。 こ
右 一首 少 納 言 大 伴 宿 祢 家 持 (万 葉 集 四 三〇 二)
足 日 木 乃 夜 席 之 多 日影 可 豆 良 家 流 宇 倍 ホ 也 左 良 ホ 梅 乎 之 放 浪 牟
⑳ (廿 五 日新 嘗 会 舜 宴 応 レ詔 歌 六 首 )
草 を 用 い たも の であ った と 思 わ れ る。
為 る と い って い る こ と を 考 え る と、 延 喜 式 に お け る斎 服 の日 蔭 塁 は 、 生
考 え ら れ 、 和 名 抄 の祭 祀 具 と し て の ﹁薙 覧 ﹂ の説 明 が 、羅 でも って登 を
の使 用 さ れ て い る こ と か ら 、 日蔭 量 は 頭 部 に つけ ら れ る 飾 り であ った と
が 日蔭 量 を つけ ると あ る 。 こ こ で は 塁 の文 字 が 用 い ら れ 、 ⑳ に葛 の文 字
あ ま て ら す ひ か げ な り と も こ Σ の へ のう ち つけ な り や 人 の こ x ろ よ
女返
へ
日 かげ さ し お と め のす が た み て し ょ り う は のそ ら な る も のを こ そ お も
見 へぬ る か な と い へり し か ぽ 、 ひ か げ に つけ て、 い ひや り た り し
㈱ 新 嘗 会 に、 お み にあ た り て、 五節 の所 に あ り て、 あ る女 いみ じ く も
も のな ら 前 述 の道 綱 母 集 と 同 じ 頃 と な ろう 。
はあ る ま い。 大 斎 院 前 御 集 は、 永 観 二年 (九 四 二)一寛 和 二年 (九 八 六 )
の詠 作 と い.
わ れ て い る る 。 初 期 のも の と す れ ぽ 、 ㈱ ㈱ と 同 じ 頃 、 後 期 の
⑳ は 、 ﹁こぞ の ひ か げ のあ か く な り た る ﹂と いう 。 生 草 の 日蔭 葛 以 外 で
ぽ 、 九 四〇 年 頃 の こ と と な る。
と いう 。 いず れ に し ても 、 生 草 の日 蔭 葛 であ ろう 。 能 宣 は、 延 喜 二 一年
はる
(九 一= ) ∼ 正 暦 二年 (九 九 一) の 人 、 も し 、 二 十 歳 頃 の こ と と す れ
㈱ は ﹁か は ら け に ひ かげ を いれ て﹂、 ㈱ は ﹁さ か づ き に ひ か げ を そ へて﹂
さ し は へて み るけ ふ よ り も まば ゆ き は こぞ の 日 かげ のあ か き な り け る
(二行 分 空 白 )
選 集 一 一四 八)
た る、 つか は す ﹂ と いう よう に 、 舞 姫 のた め に ﹁日 か げ の かづ ら ﹂ の下
(私 家 集 大 成 高 遠 集 六 三 ・六 四)
る い は捲 と いう 助 数 詞 の使 用 、 お よ び 葛 と いう 文 字 の使 用 か ら し て、 生
賜 を 中 宮 に 願 い出 た と いう こ と は 、 中 宮 のと こ ろ で造 ら れ た のを 望 ん だ
﹁ひ かげ に つけ て﹂ と いう か ら 、 生 草 か 否 か は決 め にく いが 、 高 遠 が 五
⑳ 十 一月 あ や む べ の日 、 こ ぞ の ひ かげ のあ か く な り に た る にさ し て 、
と いう よう に思 わ れ る。 ㈲ の ﹁日 蔭 ﹂ も 諸 注 の いう よ う に造 り 物 であ っ
節 所 へや っ て来 た折 、 女 と の会 話 か ら 即 興 的 に歌 に添 え た も のと し て は 、
さ ゑも ん の か み
た と 考 え て も 不 都 合 な点 はな いが 、 造 り 物 と 決 め にく い点 が あ る 。
へ
㈱ し ざ う ゑ に、 を み た ま は れ る 人 の い へのみ す のう ち より 、 さ け いだ
け る参 加 者 の服 装 に つ い て述 べ た も の で、 そ の中 に、 親 王 以 下 女 孺 以 上
し は べ る と て、 か は ら け に ひ か げ を いれ て、 いだ し て は べ る を 、 と
自 分 の冠 の造 り 物 と いう より は 、生 草 の 日蔭 葛 で は な い か と思 わ れ る。
草 の日 影 蔓 が 調 達 さ れ た も のと思 わ れ る。 と こ ろが 、 ⑳ は、 大 嘗 祭 に お
りは べると て
㈱ を み にあ た り た る人 のも と に ま か り た り け れば 、 女 ど も さ かづ き に
時 代 に 、 生 草 の日 蔭 葛 も 新 嘗 会 に は 用 いら れ て い た こ と 、 あ る いは 、 用
㈱ ㈱ ㈱ ㈱ は、 量 と し て は 造 り 物 が 用 いら れ つ つあ った と 考 え ら れ る
(私 家 集 大 成 大 斎 院 前 御 集 二四 四)
あ り あ け のこ Nち こ そす れ さ かづ き に ひ かげ のぞ ひ て い で ぬ と お も へ
ら 、 も し 、 二 十 歳 頃 のも のと す れぽ 、 九 七 〇 年 頃 の こと と な る 。
高 遠 は 、 天 暦 三 年 (九 四 九 ) 一 長 和 二年 (一〇 一三) の人 と いわ れ る か
ひ か げ を そ へて いだ し た り け れ ぽ よ し のぶ
いら れ て い た可 能 性 の高 い こと を 示 し て い る。 冠 帽 図 会 に は、 生 草 と 造
ぽ (私 家 集 大 成 能 宣 集 m 二 七 八 )
あ りあ け の 心 地 こそ す れ杯 に日 かげ も そ ひ て い で ぬと おも へぼ (拾
(9)
紫式部 日記覚書
「ひか げ」 考
250
249
山本利道
生 草 の ﹁ひ か げ ﹂ に つ い て は 、 ヒ カ ゲ ノ カズ ラ と サ ルオ ガ セ の 二 説 が
も 、 生 草 と 造 り 物 が 併 用 さ れ て いた こ と を 示 す の であ ろ う 。 そ の用 い ら
た こと を 伝 え る の であ ろ う 。 冠 帽 図 会 は、 文 化 三 年 (一八 〇 六) 稿 了 で、
江 戸 後 期 の 冠 帽 の様 を 伝 え る も のと い わ れ て お り 、 江 戸 後 期 に お い て
か げ ﹂ は 、 ヒ カ ゲ ノ カズ ラ の類 で はあ っても 、 サ ルナ ガ セと は 異 な る と
今 六 帖 に は ﹁ひ かげ ﹂の題 の歌 が 納 め ら れ て いる 。 そ し て、 こ れ ら の ﹁ひ
は ﹁薙 ﹂ に 、 古 語 拾 遺 は ﹁羅 葛 ﹂ に ﹁ヒ カゲ ﹂ の訓 注 を施 し て いる 。 古
あ る が 、 サ ルオ ガ セ説 を 生 ん だ 源 は和 名 抄 にあ る よ う であ る。 日本 書 紀
れ 方 に区 別 のあ った であ ろ う こ と が 推 定 さ れ るが 、 冠 帽 図 会 に両 者 が
思わ れる。
り物 が 図 示 さ れ て い る。 生 草 も 造 り物 も 、 あ る 時 期 か ら 両 方 が 用 いら れ
載 って いる こと は、 いず れ も 冠帽 に用 いら れ た も のと 考 え ねぽ な る ま い。
和 名 抄 は ﹁薙 ﹂ を 説 明 す る に当 た り 、 日本 紀 私 記 に よ り ﹁比 加 介 ﹂ と
訓 み を 示 し な が ら 、 唐 韻 の ﹁薙 女 難 也 ﹂ と いう 注 をあ げ 、 雑 要 決 に よ っ
こ れ ら の こと を考 慮 に入 れ る と 、 ② の㈲ の ﹁日蔭 ﹂ は ﹁ま う め て﹂ と
新 嘗 会 に髭 と し て用 いら れ る 日 蔭 登 は 、 承 平 年 間 頃 ま で は 生 草 の ﹁ひ
れる。
て ﹁松蘿 一名 女 羅 ﹂ を あ げ る こ と に より 、 羅 一 女 薙 11 松 蘿 と いう 結 合 を
い って お り 、 そ れ は 生 草 にも 造 り 物 に も い いう る こと であ り 、 ω の 日 蔭
返 しが 届 け ら れ た。 そ の返 歌 は、 藤 原 長 能 の作 で あ った。
かげ ﹂ が 用 いら れ て いた が 、 天 元 ・寛 和 の頃 に は 、 造 り物 も 用 い ら れ る
はど ち ら と も 決 め にく い。 し か し 、 (2 )にあ げ た いた ず ら の返 し と の関
か く て臨 時 祭 にな り て 二条 の前 太 政 大 臣 中 将 に て ま つり の つか ひ し
よ う にな った。 造 り物 と し て の日 蔭 髭 が 用 い ら れ る よう にな っても 、 新
かげ ﹂ は サ ルオ ガ セ のこ と と いう 説 を 作 り 出 す こ と にな った も の と思 わ
侍 り け る に、 あ り し は こ の ふ た にぢ む のく し し ろが ね の か うが い か
嘗 会 に は、 生 草 の ﹁ひ か げ ﹂ も 用 い ら れ た 。
生 み 、松 蘿 の和 名 が マ ツ ノ コケ、 一名 サ ルオ ガ セと 注 し た こ と か ら 、﹁ひ
ね の は こ に かが み な ど いれ て 、 つか ひ は中 宮 の は ら か ら な れぽ に や、
以 上 の考 察 か らす れぽ 、 紫 式 部 日記 のω の ㈲ は 造 り 物 の日 蔭 壼 、 ② の
係 か ら 推 定 す る道 が 残 って い る。 寛 弘 五 年 十 一月 二十 八 日 、 臨 時 の祭 の
ひ かげ と おぼ し く て か が み の う へにあ し で に かき て侍 け る
使 と な った 中 宮 の弟 教 通 へ、 実 成 の 父 の内 大 臣 公 季 か ら 、 贈 物 と と も に
藤 原 なが た ふ
注
つけ て いた も の と し て は造 り 物 と い う こと に な ろ う か。
1 ﹁賀 茂 の ミ ア レ考 (下 )1
㈲ は 生 草 の ヒ カ ゲ ノ カズ ラ で あ った だ ろ う 。 そ し て、 ② の⑤ は左 京 君 の
葦 手 で ﹁日 か げ ﹂ の よ う に書 いて あ った と いう と こ ろ から す れぽ 、 松 に
和 六 三 年 一月 )
ひか げ ぐ さ か か や く か げ や まが ひ け ん ま す み の かが みく も ら ぬ も の を
垂 れ 下 る サ ル オ ガ セを 文 字 化 す る こと は葦 手 に は ふ さ わ し く な い から 、
2柿 本奨 氏 ﹁道 綱 母 の集 ﹂ (﹃蜻 蛉 日 記 全 注 釈 下 巻 ﹄ 所 収 )
(後 拾 遺 集 一 一二 二)
地 に這 う ヒ カゲ ノカ ズ ラを 文 字 化 し て いた の であ ろ う 。 な お 、 造 り 物 の
3 ﹃日 本 古 典 文 学 大 辞 典 ﹄
﹂ (文 学 昭
日 蔭 葛 を葦 手 に書 いた と も 考 え ら れ な い。従 って、㈲ の 日蔭 も 生 草 であ っ
4 ・5 ・6 ﹃和 歌 大 辞 典 ﹄
日 本 の フ ェテ ィ シズ ムー
た と考 え る のが 自 然 であ ろ う。 贈 物 と し て、 色 の配 合 か ら も 生 草 の方 が
7 ﹃日 本 古 典 文 学 大 辞 典 ﹄
適 し て いた と 思 わ れ る 。
漢 籍 資 料 に つ い て井 波 陵 一氏 の教 示 を 受 け た。 感 謝 し た い。
一九 八 九 年 九 月 十 九 日受 理
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