第247号 平成27年6月22日 大船渡市立 り小学生や中学生からも意 見を聞くことにした。 5 市復興局土地利用課長か らは、現状では、多くの資 金を要する施設の建設は難 し い 。 国 の許可は得られな いと思う。 従 っ て 、 現 段 階 では多目的広場等にして一 定 の広 さを 確保し てお いて 、 その後の利用はあとで考え ればよいとする案が話された。 いずれ、市としては、地 元の要望にどれほど応えら れるか。復興庁の復興方針 を見ながら対応したいとの ことであった。 今後の小河原地区の被災 跡地の利活用に係る取り組 みと方針決定については、 末崎町復興推進委員会の 「 常任委員会に委ねる と 」し て当日の 被 「 災跡地の利活 用を考える会 を 」 閉じた。 末崎復興推進委員会とし ては、国 復 ( 興庁 の ) 方針に 基 づい て市 は対 応す るの で 、 市復興局と協議を重ねなが ら望ましい利活用の方針を 決めたいと思っております ので、ご支援ご協力の程お 願いい たし ます 。 県道新 設工事進 捗状況 その他、参加者による 意見交換 日 時 7月 日 時 分~ 時 分 以 上 、 会 場 は ふ る さ とセン ター で す (大船渡市市民活動支援センター) 地 「 域 ブ ラ ンドのそも そも 論 と大 船 渡 の動 向 」 語り部 志田 仁 さん テー マ 『まっさ き の地 域 ブランド づ く り 』を 考 え よ う ! 長「 洞 元 気 村 の成 功 から 学 ぼう ! 」 語 り 部 村上 誠二さん (長洞元気村事務局長) ◇ 第 2回 ま ち お も い トー ク & 懇 談 会 熊野神社線の排水路 ◇視察研修会 期 日 6月 日 7月 日 日 時 間 時~ 時 場 所 ふるさとセンター ※裁 縫道 具を お持 ちく ださ い 。 ☆ いや し の 集 い 場 所 スタッフと地域の方若干 名で町内視察を行います。 日 時 7月 日 時~ 時 分 時~ 時 碁石海 岸穴通し磯 等 調整中。 30 多額の資金が必要となり難 し い と す ればせめて野球や サッカー、 お 祭 り な ど に も 活用できる広場を造ってほ しいとの声も聞かれた。 2 小河原地区は末崎町の中 で震災で亡くなられた方の 最も多い地域である。それ だけに、樹木を植えて緑化 し心を癒やす静かな場所に してほしいとの意見も出さ れた。 3 緑地で心を癒やし、楽し みながら競技をし、特に高 齢者も健康増進が図られる パ ー ク ゴ ル フ グラウンド ( ゴルフに似た競技 の ) 魅力 と地域に及ぼす経済効果が 紹介された。これは環境に 貢献し収益も上げられ、雇 用の創出にもなる事業とし て、近年県内各地にパーク ゴルフ場が造られている。 4 大人の考えだけで決める のではなく、未来に生きる 子供達の意見も聞いてみた らどうか、という意見もあ 防集団地への道路 http://www.massaki.jp/ 35,020,000 円 300m 峰岸地区道路新設事業 小 河 原 地 区 の被 災 跡 地 はどう な る 箱根山神社 (豊 漁 龍 神 ) 沿岸広域振興局土木部 大 船渡土木センターからの報告 ○ 船 河 原 ・平 線 昨年8月の工事説明会で 皆様から頂いた意見等を基 に、計画の修正・検討を行 っております。 今後、地権者様に修正内 容 を 確 認 頂 い た 後 に 、再 度 、 皆様への説明会を開催した いと考えております。その 際は、文書にてご連絡しま すので、よろしくお願いし ます。 他に碁石レストハウスの自動ドア修理、 2階食堂のエアコン設置など 45 ☆ デ ジタ ル公 民 館ま っさ き 活動 東京から活動スタッフ 名が訪問します。 ◇ パソコン・ネットよろず 相 談 家計簿、チラシ、ショ ッピング、写真の取り込み 等パソコンやインターネッ トの使い方、楽しみ方、お 困りごとにマンツーマンで 対応します。 日 時 7月 日 時 分~ 時 7月 日 時~ 時 (土) 16 8 (日) (土)(土)(土) デジタル公 民館 まっ さき HP (27 ~ 28 年度) 20 防集団地への道路 51,500,000 円 343m 泊里地区道路新設事業 35,638,000 円 412m 神坂地内排水路整備事業 30 11 12 2線堤防 489,250,000 円 960m 16 18 小河原地区道路新設事業 (土) 12(日) 25 11 27 16 11 30 12 13 7 13 平成27年度大船渡市予算 末崎町関連予算(主なもの) 12 その1 ~箱根山と豊漁龍神等について~ 26 箱 根 山 は 末 崎 三 山 (飛 定 地 、 箱 根 、 青 鳥 屋 )の 1 つ で末崎の西に聳える富士 山に似た秀麗絶勝の山で 気仙富士とも呼ばれてい る。麓から眺めると頂が 1つのように見えるが、 頂は東、中、西の3峰に 分かれている。 東 峰 (4 3 6 m )は 山 道 か ら 南 向 き の 石 の 鳥 居 を く ぐ り 、 急で高い石段を登った頂上に小友側で建てたと考えられる 箱 根 神 社 (祭 神 は 地 蔵 尊 、 雷 神 、 山 神 、 不 動 尊 )が あ り 、 小 友 村 誌 に は 詩 人 の 千 葉 竹 圃 (米 治 )が 、 絶 巓 に 窟 室 が あ り 、 地 蔵 尊 が 安 置 さ れ 、 そ の 昔 は 「平 畑 山 」と 呼 ば れ て 歴 史 は 古 いようであると記している。更に頂から東方側に50m程 下 っ た 所 に 、 箱 根 山 神 社 (祭 神 は 豊 漁 龍 神 )が 末 崎 を 見 下 ろ すように鎮座している。この神社は細浦出身で、北海道居 住の滝田留作が建てたと云われ、「末崎村誌」「続気仙風土記」 「小 友 村 誌 」の 伝 説 に よ る と 、 文 政 1 3 年 (1 8 3 0 )頃 、 箱 根山の頂上にあった大杉が落雷により焼け落ち、この焼け 倒れた中から大蛇の焼骨が累々と出てきた。その頃小田の 屋 号 城 口 (後 藤 )の 人 が 、 箱 根 山 で 大 蛇 を 見 て い る の で 、 或 いはこの大蛇ではないかと云われていたが、それを知った 滝 田 留 作 が 信 仰 心 の 強 い 人 で 、 大 正 1 3 年 (1 9 2 4 )1 2 月、その大蛇を祭祀し、豊漁竜神と尊號して石碑を建立し ている。施主は中野部落 田束末作、瀧田喜右エ門、北中 野念仏講で世話人は新沼庄右エ門、瀧田米三郎、近藤連、 浅野軍治であった。その後昭和4年旧9月紀室伊勢治、浅 野軍治、新沼庄右エ門、村内有志が祭殿を建築しているが、 老朽著しく、昭和61年10 月、平部落が願主となり、末 崎町の内外より寄付を仰ぎ、 御 神 体 の 「箱 根 山 豊 漁 竜 神 碑 」 と拝殿を再建している。施主 は平部落、施工は山田石材で ある。末崎村誌には箱根山豊 龍 神 の 施 主 は 「滝 田 留 作 」と 記 載あるが、神殿内の由来書に は 、 中 野 部 落「 田 束末 作」と 恵比寿様、大黒様の広場 書 いてあ って名 前が一 致しな (雨乞いのあった広場) い。(聖) 末 崎町 復興推 進委 員会 は 、 去る、5月 日、ふるさと センターにおいて 小 「 河原 地区の被災跡地の利活用に ついて 、 」 中央地区の住民 の皆様よりご意見や提言を 頂くため 小 「 河原地区被災 跡地の利活用を考える会 」 を開催いたしました。 そ こで 頂い た意 見や提 言は 、 次のとおりです。 1 末崎町は昔からスポーツ の盛んなところ、とりわけ 野球が盛んであり、大人の 朝野球からスポーツ少年団 の子供の野球まで幅広く行 われている。震災後ようや く仮設のスポ少野球のグラ ンドができたものの十分で はない。大会を開ける野球 場がほしい。 野球場ができることによ って近隣の宿泊施設も利用 され経 済効 果も 期待 でき る 。 なんとか野球場を造って ほし いと の声 がつ よか った 。 しかし、野球場建設には 末崎の風土散策 (36) 大船渡市議会末崎町議員団から提供いた だきました。 13 9 末崎地区公民館 電話(F 兼)29-2955 津 波 な ん か に 負 け な い ! デジタル公 民館 まっ さき HP http://www.massaki.jp/
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