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に つ い て
山 集 研 究 ・四-
﹃楚 辞 体 ﹄ 詩
-艸
下平声十 二侵韻
楚 辞 体 (艸 山 集 巻 二 〇 ・雑 体 詩)
有レ居分山陰
水遠分雲深
杖レ
藁分 欲レ往
瀞 荘分難レ尋
我 仮緯斯遊
うしとら
有
わたりどの
賀
要
(1)
延
艮 の 廊 にて尋さ せ給 へ、必待奉 るべく候 (
以下略)
此 の御 書 は 入 滅 の六 日前 の弘 安 五年 十 月 七 日、 池 上 に お い
て 波 木井 実 長 を は じ め 弟 子 檀 那 にあ て て記 した も の で、 遺 言
の書 で も あ る。 南 面 を 陽 、 北 面 を 陰 と い う 時 、 此 処 に 言 う
艮 (北東)は陰 の位 置 に含 ま れ る。 元 政 上 人 は 宗 祖 日 蓮 聖 人
う し とら
の御 遺 文 の 此 の 一節 を 心 に置 い て いた と見 る こと も 出 来 る。
て語 る べ きも の で は な く 、 陰 の位 に あ って内 観 す べ き も の で
更 に 又、 元 政 上 人 に と って、 悟 り は 自 内 証 であ り、 陽 に お い
あ る が故 に、 山 陰 の二字 に 甚深 の幽 意 を う か が い知 る も の で
又何 人同レ心
こ の詩 は脚 韻 を 下 平 声 十 二 侵 韻 で踏 む 五 言 詩 であ り、 元 政
あ る。 即 ち 第 一句 は仏 陀 を最 上 の大隠 と讃 嘆 せ る 上 人 所 求 の
味 す る。 山 陰 と は 山 の北 側 、 山 に懐 か れ た 意 味 を も 含 め て、
るか に遠 く 流 れ るを ま で、 水 遠 山 長 と熟 語 に し て用 い ら れ る
が は るか に遠 く 幽 玄 の境 で あ る と述 べる。 水 遠 と は 江水 のは
静 閑 処 、 究 寛 の幽 処 を 言 う も ので あ る。 第 二句 は此 の ﹁居 ﹂
(2)
つい て見 れば、 居 と は 本 地 幽 微 の居 であ り 所 求 の寂 光 土 を 意
上 人 自身 の上 求 菩 提 の心 相 を 述 べた も の であ る。 先 づ字 義 に
つい ては 日蓮 ・波 木 井 殿 御 書 の 一節 を思 い出 す。
ことが 多 く 、 地 界 の広 く は て な き様 を言 う。 雲 深 と は天 空 の
山 陰 (山かげ)と い う。 山 と は霊 山 に な ぞ ら え る も の で、 之 に
此法華経は三途河に ては船 となり、死出 の山 にては大白 牛車 と
行 き つく と ころ を 知 ら ず 極 り な き を い う。 幽 玄 懸 暖 な る さ ま
賀)
なり、冥途にては燈となり、霊山 へ参 る橋也。霊山 へましまして
﹃楚 辞 体﹄ 詩 に つ い て (有
-239-
﹃楚 辞 体﹄ 詩 に つい て (有
賀)
る ので あ る 。 さ れ ば 又 、 上 人 は 文 殊 の智 よ り も 、 普 賢 の行 願
さ て、 第 五 ・第 六 の両 句 を 釈 す る に 先 立 ち て楚 辞 体 に つい
(4)
を 、 地 に 即 し て水遠 と言 い、 天 に即 し て雲 深 と詠 じ て い る の
あかざ
であ る。第 三句 の ﹁藁 を 杖 し て﹂ と は僧 侶 と し て修 行 を 意 味
に そ の心 を 置 い て い る の であ る。
し て い る。 即 ち 元政 上 人 は、 三 学 兼 修 、 自 行 重 視 の基 本 姿 勢
観 を 呈 し て いる。 龍 女 即 成 を 説 く 実 大 乗 の法 華 経 を 持 つ政 師
た ﹁仏道 懸暖 、 運無 量 劫 、 勤 苦 積 行 、 具 修 諸 度 ﹂ の語 と同 じ
う 。 こ の第 四句 は法 華 経 提 婆 品 に お い て舎 利 弗 が 龍 女 に問 う
のは 詩 経 であ る。 詩 経 には 詩 の六 義 の 一体 と し て先 づ国 風 が
ら 成 って い る。 古 代 中 国 の最 初 の詩 と し て現 在 知 ら れ て い る
之 等 を 漢 の劉 向 が 輯 した も のが 書 名 と し て の楚 辞 で十 七 章 か
弔 思 慕 し て、 屈 原 の作 に倣 って其 の志 を 述 べた 辞 賦 を 言 い、
は 、 楚 の屈 原 の辞 賦 、 そ の弟 子 宋 玉 及 び 門 下 後 人 が 屈 原 を 追
楚 辞 と は 楚 の辞 と いう こと であ る が 、 此 処 に 楚 辞 と い う
こ とば
て述 べな け れ ば な ら な い。
が、 何故 に 二乗 人 の通 念 と同 じ に見 ら れ る表 現 句 を此 処 に用
あ る 。 国 風 とは 諸 国 の民 謡 を いう も の であ り 、 又 、 人 を 感 ぜ
し て涯 な く 、尋 ね至 る こと は な か な か に 困 難 で あ る、 と言
を 此 の句 に 秘 め て 示す 。 し か しな が ら 、 そ の往 く 途 は渤 荘 と
い た ので あ ろ う か、 勿 論 、 仏 道 を 成 就 す る こと は安 易 な 心 で
し め る こと 風 の物 を 動 か す が 如 き 故 に 風 と言 う 。 之 に正 風 と
間 は み な 楚 地 であ って、 周 の文 王 の徳 化 が 南 に 行 わ れ 、 楚 地
従 って詩 経 に は 楚 風 と し の篇 は な い。 し か し な が ら 、 江 漢 の
たも
は之 を達 す べく も な い こ と であ る。 ﹁激 荘 ﹂ の二 字 は 政 師 の
し て 周 南 ・召 南 の二 五 篇 、 変 風 と し て郡 より 幽 に至 る 一三 六
問師璽 不レ為 二化佗殉日我無 二化佗能 幻日尚無五十展転人 一
乎。日
の風 と 見 ら れ る漢 広 三 章 は 周 南 に 、 江 有 氾 三 章 は 召 南 に列 し
ひん
行 願 の心相 を 代 弁 す るも の であ り 、 此 の二 乗 的 表 現 の根 底 を
篇 が あ る。 古 に楚 は南 蛮 とし て中 原 か ら は 斥 け ら れ て いた 。
随力演説誰不能也、 今与子談是随力耳、 只如下以二細網 一
小鮮加 若
て お り 、 十 五 国 風 の先 位 に あ る 。之 に 依 って見 れ ば 、 楚 風 は
はい
い る と言 う こと が 出 来 る。 避 雨 紀 讃 に、
探 る なら ば 、 其 処 に は厳 粛 な る持 律 と内 省 の教 風 とを 秘 め て
遇二
巨魚 一
我恐破レ網。是以不レ為、我不レ退二菩提 心↓必至二不退位叩
こう ゆう し
其時現二身百界 一
広度二衆生↓如下張二大網 一
亘中乎巨海加 何魚不レ入二
詩 中 に 其 の篇 目 を お い ては いな いが 、実 質 に は 国 風 の首 に そ
(3)
其中 一
哉 。 吾 不 レ患 二化 佗 不 急 ↓患 智 徳 不 レ聚 二
於身 一
也。
風 雅 (詩経)既 に 亡 び、 一た び 変 じ て離 騒 と (屈原 の楚辞)
の位 置 を 占 め て い る の であ る。
と な る 。 いわ れ て い る の であ る が 、 こ の詩 経 よ り 楚 辞 に 至 る
おも て
と 述 べ て い る 如 く 、 内 法 事 観 の 妙 処 を つが ん が 為 に 専 ら 自 行
を 面 と な し、 化 他 は随 力 演 説 の分 であ る と し、 む し ろ 智 徳 の
(5)
身 に聚 ま ら ざ る を 患 う る心 が ﹁砂 荘 分 難 尋 ﹂ と 言 わ し め て い
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通 じ て 一定 句 形 の み を以 て構 成 さ れ て いる わ け で は なく 、 其
〇〇〇 〇〇
{
〇〇〇〇〇〇兮
過 渡 的 位 置 に おか れ る も のと し て、 楚 狂 接 輿 歌 と濡 子 槍 浪 歌
句形
が あ げ ら れ て い る。 即 ち 、
第 一類
の幹 と な る句 形 は次 の如 く に分 類す る こと が出 来 る。
来 者猶 可追 、 已 而 巳 而 、今 之 従 レ政 者 殆 而 。
(6)
〇楚狂接輿歌而過二孔 子 一
日、鳳分鳳分、何徳之衰、往 者不レ可レ諌、
<
屈 原 > 〇 九 章 (惜 諦 、渉 江、 哀 郵 、 抽 思 、思 美 人 、
○有 二
濡子 一
歌 日、 槍 之 水清 分 可 三以 濯 一
一
我縷 ↓槍 浪 之 水 濁 分 可 二以
惜 往 日、 悲 回風) <
屈 原 >〇 九 弁 <
宋 玉>○ 惜 誓 <
不 知 誰 >〇 七
○離 騒 経
(7)
濯二
我 足幻
諌 (沈 江、 怨 世 、 怨 思 、 自 悲、 哀 命 、 謬 諌) <
東方朔> 〇 哀時
(8)
〇〇〇
{
〇〇〇〇分
詩 の四 言 の本体 を 変 じ て分 字 を以 て読 み と し て い る は、 ま さ
句形
命 <
厳 夫 子> 〇 九 歎 <
劉 向> 〇 遠 游 <
屈原>
第 二類
に楚 辞 体 の先 駆 を な す も の で あ る、 と言 わ れ て い る。
屈 原 は楚 に 仕 え 、 誠 を 至 し て忠 を 尽 し、 潔 を 履 み て智 を 蜴
し、 志 節 あ るも か え って同 列 の 士大 夫 の嫉 諜 に遭 って疎 ん ぜ
〇 九 章 (懐沙) <
屈原>〇 七 諌 (初放) <
東方朔>〇 九 懐 (株
〇〇〇分〇〇〇
ら れ た。 取 介 の志 や る と ころ な く、 憂 国 の 情 は 之 を 辞 に 発
句形
し、 幽 思 の言 は 以 て賦 体 の門 を ひ らく に至 った 。 弟 子 の宋 玉
第三類
昭) <
王襲>〇 招 隠 士 <
准南 小山>
はま た 能 く 師 の意 を 推 し、 賦 を 作 し て其 の遺響 を嗣 ぎ 、 此 処
〇 九 歌 (少司命、山鬼、国膓) <
屈原>
〇〇 〇分〇〇
に賦 体 の完 成 を 見 るに 至 った の であ る。 屈 原 、 宋 玉 は 共 に楚
句形
〇 九 思 (逢尤) <
王逸>
〇 九歌 (
東 皇太 一、雪 中君、湘君、湘夫人、大司命、東 君、河
第四類
人 であ り 、楚 の方 言 を 用 い て い る故 に 楚 辞 と い う の で あ る
伯) <
屈原> 〇 九 懐 (危 俊、昭世、思忠、陶塞) <- > 〇 九
が 、 そ の特 徴 は号 字 が読 み の辞 とし て登 場 し た こと で あ る。
此 の分 (ケ イ) 字 は、 一に は 助 辞、 韻 文 の語 句 の中 間 ま た は
〇 〇 分 ○〇
思 (疾世、遭厄、傷時、守 志)<王逸>
句形
末 尾 に そ え て 一時 語 勢 を 止 め て更 に発 揚 す る に用 い、 二 に は
第五類
後 置 の字 で ﹁の﹂ に用 い て ﹁之 ﹂ にあ て る。
し
<
屈原﹀ 〇 九 思 (欄 上、悼 乱、哀歳)<王逸>
〇 九 懐 (匡機、通路、尊嘉、蓄英) <
王褒> 〇 九 歌 (礼魂)
楚 辞 十 七 章 のう ち 、 大 招 第 十 は号 字 に替 え て 只字 を 置 き 、
天 間 第 三 、 卜居 第 六 、 漁 父 第 七 の各 三章 が無 号 字 の雑 言体 で
賀)
あ る ほか は、 す べ て に分 字 を 置 いて いる の であ るが 、 全 篇 を
﹃楚辞 体 ﹄ 詩 に つ いて (有
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句形
賀)
〇〇〇〇〇〇〇兮
﹃楚辞体﹄詩 に ついて (有
焼
弟山 一
類
句形
無 分 字 雑 言体
〇〇〇〇〇〇〇只
〇 九章 (橘頚) <
屈原>
第七類
〇大招 <
屈原>
句形
体 ﹂ 詩 も 亦 、 第 五 句 第 六 句 の ﹁我 仮 緯 斯 遊 、 又 何 人 同 レ心 ﹂
と賦 す 中 に、 情 に執 し て悉 痴 を 長 ず る無 為 の学 、 法 を 販 いて
利 を 射 め て 日 日 に 奔 馳 す る 輩 、 あ る い は 僧 流 の衰 え 、 世 法 の
堕 落 に対 す る慨 嘆 が 秘 め ら れ て い る の であ る。
此 の詩 は 楚 辞 に 擬 し て の 試 み で あ った 。 其 の 深 奥 を 採 り 、
以 上 の分 類 に よ って見 る に、 元政 上人 が楚 辞 体 と題 し た此
5
4
3
2
1
孟 子 ・離 婁 上
論 語 ・微 子
詩 人 玉 屑 巻 二 ・詩 体 上
元 政 ・聖 凡 唱 和集 序
艸 山 集 巻 二 七 ・日 全 本P.509
元 政 ・扶桑 隠逸 伝 叙
日蓮 遺 文 昭 和定 本 巻 二 ・P.1932
格 調 の高 さ は楚 辞 に 必適 す るも の であ る。
の詩 は、 楚 辞 の主 要 条 件 と し て の分字 を置 い て おり 、 第 五句
6
楚 辞 の先 駆 を な す も のと し て接 輿 歌 と槍 浪 歌 を 挙 げ た が、 号
〇天間 <
屈原> 〇 ト居 <
屈原>〇 漁 父 <
屈原>
第 八類
師 自 身 の基 本的 姿 勢 を 述 べ る の みな ら ず 、 楚 辞 の 原 点 を 捉
7
し て、 五 言 六句 と いう 短 い句 数 の申 に お いて、 仏 道 に お け る
第 六 句 が無 分 字 の五 言 で あ るに せ よ、 第 五類 に該 当 す る。 そ
え 、 其 の詩 風 を も 能 く 究 め つく し て い る ので あ る。 ち な み に
字 を 置 く も の の中 、 古 詩 源 巻 一 ・古 逸 の次 の 二首 も 注 目 に値 い
8
第 五 類 の九 思悼 乱 よ り 詩 句 の 一部 を 挙 げ るな ら ば、
上有号猴猿
之﹂
楚 聰 歌 ﹁大 道 隠 分 礼 為 基 、 賢 人 鼠 分 将 待 時
奔遁 分隠居
下有号魅 蛇
伊余分念絃
将升分 高山
越 人 歌 ﹁今 夕 何 夕 分 塞 洲 中 流 、 今 日何 日分 得 与 王 子 同 舟 、 蒙 差
山有木号木有枝 、
天 下 如 一分 欲 何
欲入分深谷
右諸分呼果
被 好 号 不 砦 詣 恥 、 心 幾 煩 而 不 絶 号 得 知 王子
す る も の であ る。
左見分 鳴鴫
踊躍分距 跳 (下略)
が い知 る こ とが 出 来 る。
(
身 延 山 短 期 大 学 卒)
越 人 歌 は 楚 よ り 南 方 の地 の 歌 で あ って、 楚 辞 への類 似 性 を う か
る も の であ る が 、 少 く とも 楚 辞 の形 を 有 し て い る も の で あ る。
楚 膀 歌 は 内 容 か ら 見 て、 む し ろ屈 原 の以後 のも の とも 思 わ れ
心説 君 分 君 不 知 ﹂
怪悸分失気
部 分 で は あ るが 充 分 に賞 翫 せ ら れ た い。 この詩 賦 のも つ格 調
﹁楚 辞 体 ﹂ 詩 に写 し出 し て い る の で あ る。 楚 辞 は屈 原 の離 騒
は、 語 句 の異 り はあ っても 、 元政 上 人 は血 と な し肉 とな し て
経 に始 まり 全 篇 を 通 じ て慨 世 の詩 で あ る。 そ し て此 の ﹁楚 辞
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