漢文(完璧)

本文
1 趙恵文王時、得楚和氏璧。
2 秦昭王聞之、使人遣趙王書、願以十五城請易璧。
3 趙王与大将軍簾頗・諸大臣謀。
4 欲予秦、秦城恐不可得、徒見欺。
5 欲勿予、即患秦兵之来。
6 計未定、求人可使報秦者、未得。
7 宦者令繆賢曰、「臣舎人藺相如可使。」
8 於是王召見、問藺相如曰、「秦王以十五城請易寡人之璧、可予不。」
9 相如曰、「秦彊而趙弱、不可不許。」
10 王曰、「取吾璧、不予我城、奈何。」
11 相如曰、「秦以城求璧而不許、曲在趙。
12 趙予璧而秦不予趙城、曲在秦。
13 均之二策、寧許以負秦曲。」
14 王曰、「誰可使者。」
15 相如曰、「王必無人、臣願奉璧往使。
16 城入趙而璧留秦。
17 城不入、臣請完璧帰趙。」
18 趙王於是遂遣相如奉璧西入秦。
19 秦王坐章台見相如。
20 相如奉璧奏秦王。
21 秦王大喜、伝以示美人及左右。
22 左右皆呼万歳。
23 相如視秦王無意償趙城、乃前曰、「璧有瑕、請指示王。」
24 王授璧、相如因持璧卻立倚柱、怒髪上衝冠。
25 謂秦王言、「大王欲得璧、使人発書至趙王。
26 趙王悉召群臣議。
27 皆曰『秦貪負其彊、以空言求璧。
28 償城恐不可得。』
29 議不欲予秦璧。
30 臣以為布衣之交尚不相欺、況大国乎。
31 且以一璧之故逆彊秦之驩不可。
32 於是趙王乃斎戒五日、使臣奉璧拝送書於庭。
33 何者厳大国之威以修敬也。
34 今臣至、大王見秦列観、礼節甚倨。
35 得璧、伝之美人、以戯弄臣。
36 臣観大王無意償趙王城邑。
37 故臣復璧取。
38 大王必欲急臣、臣頭今与璧倶砕於柱矣。」
39 相如持其璧睨柱、欲以撃柱。
40 秦王恐其破璧、乃辞謝固請、召有司案図、指従此以往十五都予趙。
41 相如度秦王特以詐詳為予趙城、実不可得、乃謂秦王曰、「和氏璧、天下所共伝宝也。
42 趙王恐、不敢不献。
43 趙王送璧時、斎戒五日。
44 今大王亦宜斎戒五日、設九賓於廷。
45 臣乃敢上璧。」
46 秦王度之、終不可彊奪。
47 遂許斎五日、舎相如広成伝。
48 相如度秦王雖斎、決負約不償城、乃使其従者衣褐懐其璧、従径道亡帰璧于趙。
49 秦王斎五日後、乃設九賓於廷、引趙使者藺相如。
50 相如至、謂秦王曰、「秦自繆公以来二十余君、未嘗有堅明約束者也。
51 臣誠恐見欺於王而負趙。
52 故令人持璧帰、閒至趙矣。
53 且秦彊而趙弱。
54 大王遣一介之使至趙、趙立奉璧来。
55 今以秦之彊而先割十五都予趙、趙豈敢留璧而得罪於大王乎。
56 臣知欺大王之罪当誅。
57 臣請就湯鑊。
58 唯大王与群臣孰計議之。」
59 秦王与群臣相視而嘻。
60 左右或欲引相如去。
61 秦王因曰、「今殺相如、終不能得璧也。
62 而絶秦・趙驩。
63 不如因而厚遇之使帰趙。
64 趙王豈以一璧之故欺秦邪。」
65 卒廷見相如、畢礼而帰之。
66 相如既帰、趙王以為賢大夫使不辱於諸侯、拝相如為上大夫。
67 秦亦不以城予趙、趙亦終不予秦璧。
書き下し文
1 てうのけいぶんおうのとき、そのくわしのへきをえたり。
2 しんのしょうおうこれをきき、ひとをしててうおうにしょをおくらしめ、ねがはくはじゅうごじょうをもっ
てへきにかへんことをこふ。
3 てうおうだいしょうぐんれんぱしょだいじんとはかる。
4 しんにあたへんとほっせば、しんのしろおそらくはうべからずして、いたづらにあざむかれん。
5 あたふることなからんとほっせば、すなはちしんぺいのきたらんことをうれふ。
6 けいいまださだまらず、ひとのしんにほうぜしむべきものをもとむるも、いまだえず。
7 くわんじゃれいびうけんいはく、「しんのしゃじんりんしょうじょつかひすべしと。」
8 ここにおいておうしょうけんし、りんしょうじょにとひていはく、「しんおうじゅうごじょうをもってくわじ
んのへきにかへんことをこふ、あたふべきやいなやと。」
9 しょうじょいはく、「しんつよくしてちょうよわしゆるさざるべからずと。」
10 おういはく、「わがへきをとりて、われにしろをあたへずんば、いかんと。」
11 しょうじょいはく、「しんしろをもってへきをもとむるにちょうゆるさずんば、きょくはちょうにあり。
12 ちょうへきをあたへてしんちょうにしろをあたへずんば、きょくはしんにあり。
13 このにさくをはかるに、むしろゆるしてもってしんにきょくをおはしめんと。」
14 おういはく、「たれかつかひすべきものぞと。」
15 しょうじょいはく、「おうかならずひとなくんば、しんねがはくはへきをほうじてゆきつかひせん。
16 しろちょうにいらばへきしんにとどめん。
17 しろいらずんば、しんこふへきをまったうしてちょうにかえらんと。」
18 てうおうここにおいてつひにしょうじょをしてへきをほうじてにしのかたしんにいらしむ。
19 しんおうしょうだいにざしてしょうじょをみる。
20 しょうじょへきをほうじてしんおうにそうす。
21 しんおうおおいによろこび、つたえてもってびじんおよびさゆうにしめす。
22 さゆうみなばんざいとさけぶ。
23 しょうじょしんおうちょうにしろをつぐなふにいなきをみて、すなわちすすみていはく、「へきにき
ずあり、こふおうにさししめさんと。」
24 おうへきをさずけ、しょうじょよりてへきをじしてきゃくりつしてはしらにより、どはつのぼりてかんむ
りをつく。
25 しんおうにいひていはく、「だいおうへきをえんとほっし、人をしてしょをはっしてうおうにいたらし
む。
26 てうおうことごとくぐんしんをめしてぎせしむ。
27 みないはく『しんたんにしてそのつよきことをたのみ、くうげんをもってへきをもとむ。
28 しょうじょうおそらくはうべからずと。』
29 ぎしんにへきをあたふることをほっせず。
30 しんおもへらくふいのまじはりすらなほあいあざむかず、いはんやたいこくをや。
31 かついっぺきのゆえをもってきょうしんのくわんにそむくや、ふかなりと。
32 ここにおいててうおうすなはちさいかいすることいつか、しんをしてへきをほうじしょをていにはい
そうせしむ。
33 なんとなればだいこくのいをおそれもってけいをおさむればなり。
34 いましんいたるに、だいおうしんをれっかんにみて、れいせつはなはだおごれり。
35 へきをえて、これをびじんにつたへ、もってしんをぎろうす。
36 しんだいおうのてうおうにじょういふをつぐなふにいなきをみる。
37 ゆえにしんまたへきをとる。
38 だいおうかならずしんにきゅうにせんとほっせば、しんのかうべはいまへきとともにはしらにくだ
けんと。」
39 しょうじょそのへきをもちてはしらをにらみ、もってはしらにうたんとほっす。
40 しんおうそのへきをやぶらんことをおそれ、すなはちじしゃしてかたくこひ、ゆうしをめしてずをあ
んじ、これよりいようのじゅうごとはちょうにあたへんとさす。
41 しょうじょしんおうのたださやうをもってちょうにしろをあたふるとなすも、じつはうべからざらんと
はかり、すなはちしんおうにいひていはく、「かしのへきは、てんかのともにつたえてたからとすると
ころなり。
42 ちょうおうおそれ、あえてけんぜずんばあらず。
43 ちょうおうへきをおくるとき、さいかいすることいつかなりき。
44 今大王もまたよろしくさいかいすることいつか、きゅうひんをていにまうくべし。
45 しんすなはちあえてへきをたてまつらんと。」
46 しんおうこれをはかるに、つひにしひてうばふべからずと。
47 つひにゆるしてさいすることいつか、しょうじょをしてこうせいでんにしゃせしむ。
48 しょうじょしんおうさいすといへどもかならずやくにそむきしろをつぐなはざらんとはかり、すなは
ちそのじゅうしゃをしてかつをきてそのへきをいだき、けいどうよりにげてへきをちょうにかえさしむ。
49 しんおうさいすることいつかののち、すなはちきゅうひんをていにまうけ、ちょうのししゃりんしょう
じょをみちびく。
50 しょうじょいたり、しんおうにいひていはく、「しんぼくこうよりいらいにじゅうよくん、いまだかつて
やくそくをけんめいにせしものあらざるなり。
51 しんまことにおうにあざむかれてちょうにそむかんことをおそる。
52 ゆえにひとをしてへきをもちてかえり、ひそかにちょうにいたらしむ。
53 かつしんつよくしてちょうよわし。
54 だいおういっかいのしをつかはしてちょうにいたらしめば、ちょうたちどころにへきをほうじてきた
らん。
55 いましんのつよきをもってさきにじゅうごとをさきちょうにあたえば、ちょうあにあえてへきをとどめ
てつみをだいおうにえんや。
56 しんだいおうをあざむくのつみはちゅうにあたるをしる。
57 しんこふとうくわくにつかん。
58 ただだいおうぐんしんとつらつらこれをはかりぎせよと。」
59 しんおうぐんしんとあいみておどろく。
60 さゆうあるいはしょうじょをひきてさらんとほっす。
61 しのうよりていはく、「いましょうじょをころすとも、つひにへきをうるあたはざるなり。
62 しこうしてしん・ちょうのくわんをたたん。
63 よりてあつくこれをぐうしてちょうにかえらしむるにしかず。
64 ちょうおうあにいっぺきのゆえをもってしんをあざむかんやと。」
65 つひにていにしょうじょをみ、れいをおはりてこれをかえす。
66 しょうじょすでにしてかえり、ちょうおうもってけんだいふつかひしてしょこうにはずかしめられずと
なし、しょうじょをはいしてじょうだいふとなす。
67 しんもまたしろをもってちょうにあたへず、ちょうもまたつひにしんにへきをあたへず。
和訳
1 趙を恵文王が治めていたころ、楚の和氏の璧という宝物を手に入れた。
2 秦の昭王はこれを聞いて、使者に趙王に書を送らせて、十五個の城(と城下町)と引き換えに璧
を譲ってほしいと要請した。
3 趙王は大将軍の簾頗や諸大臣と相談した。
4 璧を秦に与えたら、楚の城は多分もらえず、ただ欺かれるのみである。
5 与えないと、すぐに秦兵が来てしまうのが怖い。
6 いまだ作戦は決められず、秦への使者に適任な者も、いまだ現れない。
7 宦者令(宦官のトップ)の繆賢はこう言った。「私の部下の藺相如が適任だ。」
8 そこで王は藺相如を召し出して謁見させ、聞いた。「秦の王は十五の城で私の璧と交換したいと
言っている。与えるべきか、否か。」
9 相如は「秦は強いが趙は弱い。その交換を認めないわけにはいかないだろう」と言った。
10 王は「俺の璧を取っといて、城を趙にくれなかったらどうするんだよ。」と言った。
11 相如は「秦が城でもって璧を求めきているのに趙が受け入れなかったら、負い目はこっちにあ
る。
12 趙が壁を渡して秦が趙に城を与えなかったら、負い目は秦にある。
13 この 2 つの作戦を比べてみれば、どちらかと言えば許して与えて秦に負い目を植え付けよう。」
と言った。
14 王は「誰か使者に適任な者はいないか」と言った。
15 相如は「まったく人材がいないということならば、私が壁を奉じに行きたい。
16 城が趙の手に入りそうならば壁は秦に留めておく。
17 城が得られなさそうなら、私はどうか壁を完全な状態で趙に持ち帰りたいと思う。」と言った。
18 そこで趙王はそのまま相如に壁を持たせて西方の秦へ行かせた。
19 秦王は章台で相如と会った。
20 相如は璧を捧げ持って秦王に奏上した。
21 秦王はとても喜び、女官や側近たちに渡して見せた。
22 側近たちは皆「万歳 」と叫んだ。
23 相如は秦王が趙に代償の城を渡す気が無いのを見て取って、そこで前へ進み出て言った。
「壁には傷があります。ぜひ王に指し示させてください。」
24 秦王は璧を授けた。そこで相如は璧を持ったまま後ずさり、柱に寄りかかり、怒って髪が逆立ち
冠を突き刺した。
25 相如は秦王に言った。「あなたは壁を欲しいと言って、使者に手紙を持たせて趙王に送らせ
た。
26 趙王はことごとく臣下を召し出して議論させた。
27 皆が言うには、『秦は欲張りで、強いことをかさにきて空手形で壁を奪おうとしている。
28 代償の城はおそらく得られないだろう。』
29 議論の結果、秦に壁を与えたくはないということになった。
30 私が思うに、庶民の付き合いでも相手を欺きません。ましてや大国同士ではなおさら。
31 さらに璧一つを理由にして強い秦との友好関係を断つのは無理です。
32 なので趙王は五日間身を清めて、臣下に壁を奉じさせ手紙を秦朝廷に送らせました。
33 なぜかと言えば大国の威圧を恐れ、敬意を表するためです。
34 今私が秦に来て、王は私をほかの人がいるところで会うあたり、礼儀作法が全くなっていませ
ん。
35 壁を得て、それを女官に渡すなど、私をバカにしています。
36 私は秦王が趙王に城と村を償う気が無いと思いました。
37 なので私は璧を取り返したのです。
38 王が何が何でも私を追い詰めようとするならば、私の頭は璧と一緒に柱に砕けるでしょう。」
39 相如はその璧を持って柱をにらみ、今にも柱にうちつけようとしていた。
40 秦王はその璧を壊してしまうのを恐れ、そこで謝って懇願した。役人を呼び出して地図を持って
来させて見ながら、ここから先の十五の都市は趙にあげると言って指差した。
41 相如は秦王がただ単に偽りでもって趙に城を与えようとしているけれども、実際は得られないだ
ろうと推し量り、そこで秦王に言った。「和氏の璧は、みんなで共に宝として伝えてきたものです。
42 趙王は(秦を)恐れて献上しなくてはならなくなりました。
43 趙王は璧を送る時、五日間物忌みをしました。
44 今大王もまた五日間斎戒し、九賓を朝廷に招く最高の儀礼をするべきです。
45 そうしたら私は喜んで璧を差し上げましょう。」
46 秦王はこのことを推し量って、結局無理矢理奪うことはできないと判断した。
47 そのまま承諾して五日間物忌みをして、相如を広成伝という宿舎に泊まらせた。
48 相如は秦王が物忌みをしても、(それはパフォーマンスに過ぎず)必ず約束に背き城を償わな
いと考えて、そして従者に(目立たないように)粗末な着物を着させて璧を持たせて、裏道から逃
げて璧を趙に持ち帰らせた。
49 秦王は五日間の物忌みの後、そこで九賓を朝廷に呼んで準備を整えて、趙の使者である藺相
如を導き入れた。
50 相如がやって来て、秦王に言った。「秦には繆公以来二十人余りの君主がいましたが、これま
でに約束を守った者は一人もいませんでした。
51 私は本当に王に騙されて趙に背くことになることを恐れているのです。
52 なので人に璧を持たせて帰らせ、ひそかに趙に持って行ったのです。
53 また、秦は強いが趙は弱い。
54 大王が一人の使者をつかわして趙に行けば、趙はたちどころに壁を奉じて来るでしょう。
55 今秦の強さをもって先に十五都を割譲して趙に与えれば、趙はどうして璧をとどめておいて大
王に罪を着せられようか。
56 私は大王を欺く罪が死刑に値するのを知っています。
57 どうか私を釜茹での刑に処してください。
58 ただし大王と諸臣はこの事をよくよく考えて協議なさってください。」
59 秦王と群臣は驚いて互いに目を合わせた。
60 側近には相如を引っ張って去ろうとした者もいた。
61 そこで秦王は言った。「今相如を殺しても、結局は璧を得ることはできない。
62 そして秦と趙の友好関係を断つことになるだろう。
63 ならばこの機会に相如を手厚くもてなして趙に帰らせた方が良い。
64 趙王はどうして璧一つの理由だけで秦を欺くだろうか。」
65 結局相如を朝廷に呼び、礼節を以って帰した。
66 相如はまもなく帰り、趙王は賢い大臣(=相如)を遣わして諸侯に辱められなかったとして、相
如を昇進させて上大夫(大臣クラス)にした。
67 秦も城を趙に与えず、趙もまた結局秦に壁を与えなかった。