陸 津多美さん - トロント補習授業校

卒業生の思い出
最初は陸 津多美さんの「トロント補習授業校の思い出」です。陸 津多美さんは中3のときに上
野陽子先生が受け持ち,国語も担当していた生徒です。トロント補習授業校に8年在学いたしました
から,多くの先生の教えを受けて育ちました。現在クィーンズ大学のビジネス科の2年生です。日本
でのプログラムも終わり,再びクィーンズ大学で勉学に励んでいるとの事です。
トロント補習授業校の思い出
陸 津多美
カナダに来てあっという間にもう8年が過ぎようとしている。大学入学後2年経つが,補習校に通
っていたころの思い出は今でも鮮明に残っている。
約8年前,カナダに渡ってきたばかりのころは,毎週土曜日補習校に行くことで自分の在りかを確
かめていた。英語がまったくわからない私は補習校ばかりに頼っていた。しかし,時間が経つにつれ
て,現地校にも慣れてゆくと,補習校との両立は非常に難しくなった。今でもよく不思議に思う:日
本にいる普段の生徒が1週間かけて学ぶものをたったの一日で学び,さらに平日は現地校にどうやっ
て通っていたのかと。
そんなに厳しい日々を乗り越えられたのも,
補習校で出会えたかけがえのない友達のおかげだ。
皆,
背景はそれぞれ違うけど,似た経験を積んでいるから,お互いを励ましあうことができ,お互いから
学びあうことができた。入れ替わりの早い補習校に長期にわたり在学していた私にとっては,別れが
絶えないために寂しい思いをしたが,いろんな人たちに出会えてとても幸せだとおもう。
中3の文化祭は私の中だけではなく,
一緒に経験した仲間の中でもきっと一番特別な思い出だろう。
まとまりに欠けてた,あんなにざわざわしてたクラスがこのひとつのイベントを通して,ぐーんと近
くなり,あんなにエネルギーに溢れた『ソーラン節』を披露したことは一生忘れないだろう。最後に
はアンコールをもらって,舞台を移動して踊ったのを覚えている。
その裏にはもちろん,個人の日々の努力があったが,土曜日にしか会えないからという理由で,今
まで可能ではなかったパフォーマンスを成し遂げ,
なんでもやろうと思えばできるという自信を得た。
そのとき学級委員をしていた私も,クラスの変わり具合に驚かされてばかりいた。喜びと同時に,例
年学部で縦割りになって生徒はやりたいものに参加してた文化祭を,横割りにして学年ごとの出し物
に変えるという提案を押し通したかいがあったと思い涙がでた。
でもこんなに強く絆で結ばれたクラスになれたのはすべて当時担任だった上野先生と林先生のおか
げだ。関西コンビの二人はクラス初日から異様なエネルギーとやる気に溢れていて,クラスをダイナ
ミックに変えた。それからは,二クラス一緒に授業したり,昼休みにみんなと鬼ごっこしたり,お別
れ会を繰り返して,文化祭が近づいてきた頃には,みんなの心がひとつになっていた。昼休みも惜し
んで,先生たちもソーラン節の練習を毎週生徒と一緒にした。それに感動して,教頭先生も私たちと
一緒に踊ったのを覚えている。
補習校に通い続けてきたおかげで,
学んだことはたくさんある。
日本の学校には戻らなかったけど,
現地校と補習校の両立を通して,時間を効率的に使うことを学び,欧米教育特有の自己主張の大切さ
と日本独特の団結力を学んだ。そして,ひとつひとつの出会いを大切にすることも身につけたた。今,
『たけのこ』
(当時の国語通信の名前)のように成長している補習校で出会った私たちは,世界の各地
で翼を広げて活躍しており,強い絆で結ばれている。それはこの夏日本に8年ぶりに帰ったときにし
た同窓会で証明されている。
2007年,現地校を卒業し,10回のインタビューを重ねて,カナダのトップ30名の学生とし
て4年間に渡る全額奨学金で大学に入ったのも,補習校で学んだ様々なもののおかげだと強く信じて
いる。幼いころから,異文化にふれあい,理解を深めることができたおかげで,視野も広がり,将来
は日本とカナダと世界の架け橋になりたいと考えている。