「困難でも。したたかに、しなやかに笑って生きる」 佐藤 俊次さん

でも。したたかに'
の不安とのたたかい、前任者の残した部
良かったんだ。組合員であること'再発
異動をして'定年前の最後の学校にな
たんだ。苦しいときに'支えられない友
活のめんどう-無理しなくて良かったん
退職した彼から'しばらくしてから、
だちってなんだよって。﹄ わたしは今も
るはずだった彼は'突然、職場を去-ま
ていました。
羽生市立西中学校 佐藤
やかに'笑って生き
自分をだめにするまで'
がんばってはいけない。
やめた理由を述べた手紙が組合に送られ
思います。
だ。もっと'愚痴を言ってくれて良かっ
てきたのです。この1年間の追い詰めら
した。
若い頃から共に組合活動に取-組み'
れていった自分の姿を赤裸々に綴ってあ
今年'わたしの大切な仲間が早期退職
夜を徹して、ひまわ-学校について議論
りました。ストレスによる精神的病の再
自分を責め'精神的に追い詰められた彼
がまま」な生徒との交わ-の中で傷つき'
学年が荒れて、管理的な教師や'「わ
を責め続けていたんです。-痛恨の極み
りしていませんでした。二言も-
。自分
でも'彼は'周-を責めた-'愚痴った
ちとの関係がこわれないかという不安。
がままで、協調性に乏しいわたしは、今
執行委員長をつとめています。本来、わ
の顧問。組合は'北埼支部書記長、単組
中学3年生の学年主任'バスケット部
教師になって33年目。
してしまいました。
した-'恋愛を論じた-Lt 30年間とも
発の不安といつも向かい合い、子どもた
に一度ではな-、二度までも'わたしは、
です。
若い教師と苦楽をともに
にたたかってきた仲間です。
寄り添うことができなかった。
﹃もっと不真面目で良かったのに。好
い教師が増えています。どうつきあって
日々を楽しんでいます。そして'今'若
でもあちこちで乳蝶-を作-出しながら
的な管理運営や筋の通らないことに対し
きなことやって、組合活動をポカしても
彼は何よ-も授業を大切にLt非民主
て'いつも毅然と意見を述べ、たたかっ
さいたまの教育と文化 No.65 14
。そして'苦しそうな時'つきあう。
なと。たわいもないことで'日々を楽し
うとすると無理があります。地でいいか
いくか、ですね。しかし'変にあわせよ
きていけない状態だったこと。かつて亡
やめそうになって、心を癒さなければ生
りポロポロになって異動してきたこと。
とも教師ともぎすぎすした関係をひきず
いやな雰囲気。でも'楽しむ。
ソリンをいれて-れましたけど。学校は、
て、ガソリンスタンド経営の親が車にガ
わたしは'酒を飲むのが好きです。わ
学年の担任からからかわれキャラで笑っ
と。臨時採用の彼は'ともすれば'同じ
-なったわたしの親友の教え子だったこ
ら来年に向けての決起集会だ。いずれに
しては、受かったらおめでとう、落ちた
ったら2次に向けての励まし。結果に対
採用試験の前に励ましのメール。受か
む-
たしは'だいぶ前に、こどもの手本とな
てはいましたが、実は必至に再生に向け
しても飲む。若者が'現場をもちながら
らんとすることをやめました。
て笑おうとしていたのでした。ベロベロ
必至に勉強しているのなら'せいいっぱ
い年寄りがはげましてやろうじゃない
か。いつもけんか腰にあれしてこれして
と言って'そのクラスに応援にはいった
いじゃありませんか。それが'プロです。」
たという事実を彼らの前に語ってあげた
すか。あの子を起点に'あきらめなかっ
あの子が先頭に立ち始めてるじゃないで
ないリーダーに変わって先生のクラスの
クラスに何を語るか'ですよ。」「たより
プロの真価が問われるのは'1位以外の
のために'駅から4kmぁる学校まで徒歩
員徒歩通学させた--
。わたしは'抗議
通学で'地域からの文句が多いと突然全
学校のユルキャラをつ-る、全校自転車
ドミントン部をつくる、数十万円かけて
てました。突然'だれにも相談せずにバ
職と'わたしは 「俄烈な」たたかいをし
間も考えずに呼びつけたりしていた管理
臨採の先生や新任をあごでこき使い'時
3年前。当時、とても管理的で'若い
を生き抜こう。」とはげます。そう言っ
生、わかったよ。共に'すてさに年寄-
わたし'気が弱いので-」と言われて。「先
あの子たち'わたしをバカにするんです。
っぽいと言われてしょげていた。「先生'
してきた同世代の職員。こどもに年寄-
前の職場で'心身ともに大変な思いを
と頭かきながら-
たしがやる。「これで'職員室歩けます-」
らしない学年のスタッフの身辺整理をわ
けて立つ。「もっと優し-言ってよ。」だ
理不尽さに立ち向かう
になるまで飲みました。
る教師、率先垂範して模範を示す教師た
若い体育の女性教師は'体育教師とし
ての意地があるから'ふがいない自分の
Iクラス。
学級を見て歯がゆ--やしい。わたしは'
「コンクールでいつも1位はt
のでした。
通勤をしました。たまたま'その日、3・
と職員をしかりつける事務職。でも'受
またこんなことも。事件を起こして'
ずなのに、何しに出たか忘れて戻って'
勝ったクラスは'何も言わな-てもいい。
家裁送りになったクラスの子の審判に立
1 1の大震災になって。悲惨でした。おか
げで、ガソリンがないのかと心配した'
「また'忘れたんですか」と新任に言わ
てるそばから'用足しに職員室を出たは
。
に誘いました。彼は'泣きながらいまま
男子バスケット部の息子から嘆願され
ち会い、うちひしがれていた担任を飲み
での自分を語りました。前任校で'生徒
そ れ で も 明 る く 前 向 き に - 「 教 職 員 の 持 ち 味 」 を生かす
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れる始末。笑うしかないでしょう。
教師として
実践にこだわる
だからこそ'日々の教員人生は'楽し
いものであるべきだとわたしは'思って
した。手術が無事終わ-、待合室に戻っ
病院へ若い臨採の先生が運んでくれま
つまらない。
しむ。いやな面だけ見ていても、毎日が
たちとの人間的な交わりを'わたしは楽
わたしに挑んで-る若者がいる。新任
たら'彼がいきな-'「先生'酒飲んで
も平気か聞いた方がいいですよ」と。笑
っちゃいます。
以来4年目。理科。わたしは'社会。有
能な男であるが'だらしがない。身辺整
した。きずがばつ--あいて'血だらけ
つい先日'右目上まぶたを8針縫いま
配る。みんなも「おいしい」といわざる
う。思わず'「えへへっ」と。みんなに
烈なにんに-の香-が職員室じゅうに漂
「鮫子せんべい」は、袋をあけると強
に'わたしたちがいやな思いをする必要
人生そのものだから'彼らごときのため
い。でも'日々の生活は'わたしたちの
笑ってたたかう。でも'決してひかな
っこわして、わたしとたわむれる。平気
ラスの中でも'ピリピリした雰囲気をぶ
ンたちは'問題を持っている子のいるク
ムが攻めるチームに。そのバスケットマ
について-る。いつしか'逃げ回るチー
タイルを貫いている。子どもたちは必至
によ-も'逃げずに立ち向かうプレース
ぬ-。かわいいわたしの教え子たち。な
すね。」とわたしの頭を触る'髪の毛を
して2年目。「先生、今日もまぶしいで
を蹴ることもある'ちょっとだけ。異動
す。技術をやってみせる。怒鳴る'いす
顧問。まだ'こどもたちとゲームをしま
わたしは'55歳にしてバスケット部の
と生徒が唖然としたぶ∼イングをぶつけ
成」にマグネットを置いたら、「え∼-」
全員意思表示したあとに'担任は、「賛
もらったら。「原発反対」とクラス40名
した時'彼を授業に呼んで意思表示して
を生徒全員が意思表示するという授業を
入で'現代の課題について'賛成・反対
彼の担任するクラスで、公民の授業の導
彼も'福島の原発現地を踏査する。先日'
発フィールドワークに行ったりすると'
昨年来震災ボランティアに行ったり'原
彼は、でもしか教師ではない。わたしが、
スプレイ配置賛成ですから」と。でも'
は、「わたしは原発賛成ですから。」「オ
す。旅が大好き。なぜかうまがあう。彼
人問的な交わりを楽しむ
です。
でにんじんだらけの肉じゃがを配膳し、
た。「そう'同じ土俵で担任と議論しよう。
理をしない。がははっと自分を笑い飛ば
バスケット部の練習中に生徒の頭が右
教卓のまわ-に集まり、食べたかどうか
それが、デモクラシーだな。」と笑って
います。
目上を直撃したのでした。いつも'70歳
をチェックする彼ら。問題の彼は'その
終えた。
をえない-
。
。
になってもバスパンはいてバスケットや
教師と生徒の関係がうらやましい。すこ
はないと-
るぞって言ってます。やせがまんは大事
しだけ距離が縮まるのを感じる。子ども
日々'深刻な問題がないことはない。
ですよ。
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さいたまの教育と文化 No.65
やきながら。
人間捨てたもんではないよ」と心でつぶ
ている子と笑いあう。「だいじょうぶ。
-たいと思う。管理的な担任に汲汲とし
しかし、だからこそ'豊かに'深く交わ
れがわたしの使命なのだと思った。
ってわたしの授業を見に来た。そう'こ
彼は'組合に入る前'何回か'年休をと
た時'うれしくて涙が出そうになった。
えた時'腹が決ま-ました。」と言われ りましょうよ'皆さん。
の仕事に悪戟苦闘している時。秩父事
彼が結婚Lt 子育てに、そして'担任
組合員の真価
件'足尾鉱毒事件'原発とマイカーに未
仲間が'どんなに大切か。
した。
組合員と一緒にフィールドワークを実施
-弱い立場の人に寄り添う
「職場で'一番弱い立場にいる人に寄
-添うことができているか、が組合の真
価だ」と'いう言葉は'いつもどんな時
支部でも、かな-強引な提案を支部の
通じて'「話し方」を学んだLt資料の「読
不器用で無口だったわたしは'実践を
ても、たいへんなや---をして参加し
えられてきた。今も'子育て中で忙し-
う'わたしは'いつでも大切な仲間に支
でも'わたしの心をとらえて離さない。
み方」'授業のスキルを学んだ。しかし、
ている仲間がいる。だからこそ'震災ボ
仲間たちは受け止めて議論してきた。そ
大切なのは'「何を伝えるのか」と小う
ランティアも企画運営できたし、大成功
ている。
をおさめられた。3回目も準備が始まっ
問いであることを信じて疑わない。
子どもたちが、涙する教材がいっぱい
ある。怒-に震えるときがある。
たしたちの人生が厳しいとは限らない。
情勢は'厳しい。だからと言って'わ
っている。去年、組合に加入して勉強会
生徒たち。毎月の9の日宣伝行動に来て'
震災ボランティアに'参加したわたしの
北埼支部では、社会科勉強会を毎月や
の運営をして-れている30代前半の彼
一緒にティッシュを配る青年たち。捨て
は'「先生の授業を継承します。組合に
入る時は'悩みました。でも'教壇に立
たものではありません。ぼちぼちがんば
職員の持ち味」を生かす
って恥ずかしくない自分でありたいと思
それでも明るく前向きに-
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