チョウ類の近年の分布拡大と寄主植物、生活史形質の関係 石井 実・吉尾政信(大阪府立大学) 近年、ナガサキアゲハ、ムラサキツバメ、ツマグロヒョウモンなど多くのチョウが分布を拡大 している。チョウ類の分布変化を考える場合、内的要因として寄主植物の転換や休眠性、耐寒性 といった生活史形質の変化、外的要因として寄主植物の分布や気候条件の変化のほか、人為的な 導入などを考える必要がある。チョウ類では、成虫の移動能力が高いので、多くの場合、寄主植 物により分布が制約されている。しかし、近年分布を拡大しているのは、栽培種や園芸種を含め、 広範に分布する植物を利用する種である。すなわち、これらの種では、何らかの内的な変化、あ るいは寄主植物の分布以外の外的要因の変化により、分布を拡大していると考えられる。そこで、 演者らは、ナガサキアゲハを対象に、近年の分布拡大について、内的要因として休眠性や耐寒性 の強化、外的要因として気候の温暖化を想定して検討を行った。 ナガサキアゲハは、戦前は九州と四国以南にしか土着していなかったが、1980 年代までには 中国・近畿地方まで広がり、1990 年代後半には東海地方と関東地方の南部でも見られるように なった。まず、本種の光周性を箕面市、和歌山市、鹿児島市、奄美大島の各個体群で比較したと ころ、いずれも短日下で蛹休眠が誘導されたが、臨界日長は奄美大島個体群(約 12 時間 30 分) では他の温帯産3個体群(約 13 時間)より短かった。一方、休眠の深さは平均 100 日前後で個 体群による大きな違いはなかった。 次に、休眠蛹の過冷却点を比較したところ、−21℃前後で個体群による大きな違いは認められ ず、また非休眠蛹とほぼ同じ値であった。実験に用いた個体はすべて死亡したが、過冷却点につ いて休眠蛹の耐寒性が本州南岸地域で不十分ということはないと考えられた。そこで、各個体群 の休眠蛹を冬期に大阪府南部の標高の異なる地点に放置し、生存率を調べた。その結果、30m 地 点ではほぼすべての個体が生存したのに対して、400m地点では半数、800m と 1100m の地点で は全個体が死亡した。実験期間中の気温データから、本種は冬季の最低温度が−3.4℃以上、零 度を下回る日(冬日)が 52 日以下の場所で半数の個体が越冬できると推定された。 大阪府北部の低地では、1950 年代の最低気温の平均値は−5.4℃、冬日の平均日数は 54 日であ ったが、本種が定着した 1990 年代にはそれらが−3.3℃、26 日と緩和している。これらのことか ら、本種の近年の分布拡大は、休眠性や耐寒性の強化によるものではなく、冬季の気温の温暖化 に後押しされたものと考えられる。
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