第三回 「ダー カイ !( 打开 ) 」 ( )

第三回
「ダーカイ!(打开)」
( 湖南省 鳳凰にて)
きゅうりを二本も三本も取り出し、すすめ
ックから後ろ手に、まるで剣のような特大
「先生、どうぞ!」そう言って背中のリュ
子も女 子も、 めい っぱい の食 べ物だ った。
ろうと思いきや、そのリュックの中身は男
と お 気 に入 り の着 替 え を詰 めて き た の だ
か無邪気な彼らだが、やはりお年頃。きっ
る。日本の大学生よりはずっと純朴という
泊 に し ては 大 きな リ ュ ック をし ょ っ て 来
がけで遊びに行ったことがあった。みな一
ク ラ ス の学 生 と近 く の 自然 公園 に 泊 ま り
ーの奥では麺を打つ人、マントウを蒸かす
ルト・冷凍・業務用とは無縁で、カウンタ
食やデパートのフードコートでさえ、レト
冷ではなく「白湯」が出てくる。また、学
る。レストランでもビールは基本常温、お
ど と い う感 覚 がご く 自 然に 身に 付 い て い
と熱いものを同時に食べてはいけない、な
冷たいものは身体に良くない、冷たいもの
中国では誰でも、陰陽の法則にのっとって、
思っていたが、実はそうではなかったのだ。
ていたのを見て、健康オタクなのかしらと
が、徹底してレストランのお冷の氷を除い
秘 境 と して 紹 介さ れ て いた のは も う だ い
て以来、いつか行ってみたいと思っていた。
して生活している。テレビでこの風景を見
うに渡る石の橋があり、住人はそれを往来
徴。街の中心を流れる川には、飛び石のよ
した『吊脚楼』とよばれる独特の建築が特
凰”。黒い瓦屋根の家々、川沿いにせり出
さて、今回の旅行記は、湖南省の “鳳
道端で鮮や
かな黄色の果
物を売ってい
る。おそらく
「マクワウリ」
というものに
近いものだと
思うが、おば
ちゃんが剃刀
の刃で軽快に剥いてくれる。先に買ってい
る人を観察していると、「打开!」(ダーカ
イ)=“開いて”と言っている。なるほど、
おばちゃんが皮を剥いたあと、切れ目を二
本入れ、パカリと少し割り、手渡していた。
私も真似してダーカイ!と言うと同じよう
にしてくれた。かぶりついて道みち食べる。
みずみずしく、喉を潤すのにちょうど良い。
夜になると熱気は増し、鳳凰古城はさな
がら“不 夜 城 ” に 。
昼間は気づかなか
ったネオンが盛大
に灯る。鳳凰に三
泊し、また次の目的
つづく
地への列車に乗っ
た。
*著者プロフィール
木村 茜
(1979年むつ市生まれ、青森市在住)
中 国 吉 林省 長春 市 にあ る東 北 師範 大 学人 文 学
院にて日本語教師を半年勤めた後、帰国前の約
1ヶ月間、中国鉄道一人旅をする。
さまざまな体験、人との出会いや、思いを書き
ます。食べる事、旅する事、猫が大好き。
目にも止まらぬスピードで剥いてくれる
みな大好きだ。お茶
請けとして、お酒の
お供に、行楽・カラ
オケだってヒマワ
リの種。人が集まっ
て楽 しく お し ゃ べ
りするとき、かかせない物なのだ。
てくれる女子学生。「きゅうりを食べると
人、豪快な炎で中華鍋を振る人達が必ずい
ぶ前のこと。今、鳳凰は大変な人気の観光
中国に行く前、日本にいる中国人の友達
涼しくなりますよ」とニコニコ。その光景
る。出来立てを好み、冷めたお弁当などを
長春の大学に勤めていた頃、受け持った
が忘れられない。
り直して街歩き。
かりしながらも、仕方あるまいと、気を取
かりだ。憧れの地の変わりように多少がっ
た 若 者 向け の カフ ェ や バー が目 に 付 く ば
るが、どこも土産物屋と古い建物を改装し
に 配 ら れて い るマ ッ プ を片 手に 歩 い て み
といった雰囲気は残念ながらなく、観光客
スポットになっていた。霧に煙る桃源郷…
川では水遊びをする子供や洗い物をする人の姿も
食べる習慣はない。
中 国 のス ー パー に も 日本 と変 わ ら な い
多 種 多 様な お 菓子 が 並 んで いる 。 チ ョ コ
レートや生クリームの洋菓子、スナック類
も。しかしそれでも中国では、自然のもの、
季節のものが好まれる。きゅうりもおやつ
代わりに食べるが、代表格はなんといって
も『ヒマワリの種』
。中国では老若男女、
毎日お祭り騒ぎ!
石の橋を渡るカップル
見た目ほど辛くない牛肉麺
煎りたてを買うこともできる