ヒラリズム 6の10 女心と秋の空 陽羅 義光 「女心と秋の空」と、これは男心の視点からの云い方で、 女心の視点から見れば「男心と秋の空」と云いたいんじゃな いかな。 要するに「人の心と秋の空」なわけで、どうしてそうなる のかと言うと、フロイトやユングの方がうまく解説できるだ ろうが、この際わしに云わせれば、一言で云わせれば「人間 は 変 わ る 動 物 で あ る か ら 」、そ し て な か で も 君 子 は 豹 変 す る か ら。 それは例外なくそうだから、 「 お れ は 変 わ ら な い 」と 威 張 っ たって、余程の覚悟がないかぎり漫然としていてもどうしよ うもないものなのだから、それ(人間は変わる動物なんだ) をきちんと義務教育で教えなければいけない。 もうすこし言葉を増やすなら、たとえば九鬼周造がこんな ことを書いていて、それは大きなヒントになる。 【偶然性の問題はつねに無に関しており、すなわち無の地 平において十全に把握されているものである】 要するに宇宙は偶然であり、宇宙の産物は偶然であり、人 間は偶然の生き物だからなので、偶然の変化は当然の変化で ある。 よく小説の世界なんかで、ストーリーの「偶然性」を忌避 する傾向があるけれども、それは全くの見当違いで、偶然の 生き物の偶然性を忌避してどうするんだ。 そういうわけだから、結婚式で「一生愛し続けます」なん て、くそったれの台詞を云ったり云われたり、云わせたりす るのや、くそったれのマニフェストで必ず実行しますなんて 公約するのは、完全に偽善的な行為なんだ、そのときはそう 考えていたなんて通用しない、約束を破った罪は罪で残るん だから、あんなことはやめにしたほうがいい。 夫婦が離婚したり恋人同志が別れたり親友が絶好したり、 そんな大袈裟なことでなくとも、あれっあいつなんで急に冷 たくなったんだとか、ええっこいつどうして突然席を立って 行 っ て し ま っ た ん だ 、な ん て こ と は 日 常 茶 飯 事 で あ る は ず だ 。 たいした理由なんかないんだ、それこそ「人間は変わる動 物であるから」なんで、理由を詮索したって頭が痛くなるば かりだ。 だからどうなんだと聞かれるとすると、だからこうなんだ と答えたいもんだ。 人間本来の「変わる」人間のまま自然のなりゆきで生きる のか、本来のものを砕くくらいの意気込みで「人間らしくな く 」( も っ と 上 等 の 言 葉 で 云 う な ら 「 超 人 間 」 と し て ) 生 き る のか、選択肢はふたつにひとつだ。 むろんわしは(いつだったかはるか遠い昔に)後者を選び 今日に至っている。 それが生き方の正解かと云うと、どうもそうでもなさそう だと最近は気づき始めているが、もう手遅れだ。 た だ 「 超 人 間 」 に と っ て 、 大 多 数 の 「( 変 わ る ) 人 間 」 は 超 やっかいで、ひとつの手としては世間と交わりを絶って隠遁 すること、むろんおバカでなければそんなことできるわけな いから、最初から諦める(信じない)ことなのである。
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