志 木 市 ・ 宗 岡 荒 川 下 流 域 の 水 と く ら す 知 恵 水 塚 の 文 化 誌 志木市・宗岡は、「母な る川」と「荒ぶる川」とい う矛盾する性格を持つ川と つきあいながら暮らしを営 み、独特な文化を育んでき ました。 そのような水との共生の 知恵を象徴する「水塚」や 「惣囲堤」などの治水遺構、 「遊水施設」などの現代の 水防施設が豊富に存在する 宗岡の、文化的景観とそこ に住まう人々の語りをご紹 介します。 NPO 法人エコシティ志木 財団法人埼玉県生態系保護協会志木支部 2 むねおか 志木市・宗岡地区 〈上宗岡〉 〈中宗岡〉 〈下宗岡〉 しん が し がわ 志木市の中央を流れる新 河岸川 を境に、西側 が武蔵野台地、東側が荒川低地と呼ばれる沖積 低地となっています。 あらかわ しん 宗岡地区は、 荒川低地に位置し、 荒 川 と 新 が し がわ 河岸川にはさまれています。今より平均気温が2℃ ほど高かった約 5,500 年前の縄文時代には海の底 となっていました。 志木まるごと博物館 河童のつづら 3 みづか さと 水塚の里 あらかわ しん が し がわ 荒川と新河岸川にはさまれた宗岡地区は、川の おかげでおいしいお米ができる豊かな土地です。 反面、かつては洪水も多く、江戸時代には村全 ていぼう みづか 体を囲む堤防を築き、さらに「水塚」を造って洪 水に備えていました。 今でも街の中に 48 基以上(2010 年現在)の水塚が あり、その田園風景は、まさに「水塚の里」とも 呼べる景観となっています。 志木まるごと博物館 河童のつづら 4 明治 43 年の大洪水 水没した地域 志木市 宗岡 明治 43 年埼玉県洪水氾濫記念図(埼玉県:1910 年 9 月発行) [尾崎征男氏蔵] 今から約 100 年前の明治 43年(1910) 、埼玉県 東部と東京の大部分が水没してしまうという、かつ てない規模の大洪水がありました。 宗岡地区も完全に水没し、水の高さは床上約 1.5 m を越え、人々は屋根裏によじのぼり、また、 屋根を破って救出されたり、流される屋根の上から 助けを呼ぶ人もあったと伝えられています。 志木まるごと博物館 河童のつづら 5 日本一川幅の広い荒川 明治 43 年の大洪水のあと、大水が川の外にあ ふれ出したり、下流の東京などに一気に流れこま ないように工夫されました。 かせんじき 大水を広い河川敷に貯めるように、荒川は日本 一川幅の広い川となりました。 こうのす よし み おなりばし 上の写真は、鴻 巣市と吉 見 町にかかる御成橋 から見た荒川です。ふだんはこんなに狭いが、台 風などの大雨になると川幅が 2,537 mにもなります。 上尾市 左岸 m 1400 1200 皆 野 町 秩父市 173km 160km 140km 120km 長 瀞 町 寄 居 町 深 谷 市 熊 谷 市 100km 80km 上流 800 北本市 鴻 巣 市 さ い た ま 市 桶 川 市 60km 戸 田 市 40km 中流 川 口 市 足 立 区 江 葛 戸 飾 川 区 区 20km 下流 河 口 400 0 400 左岸 0 東 京 湾 ▲ 甲武信ヶ岳 800 1200 1400 右岸 秩父市 皆 野 町 長 瀞 町 寄 居 町 深 谷 市 熊 谷 市 吉 見 町 川 島 町 川 越 市 さいたま市 富士見市 板 北 足 橋 区 立 区 区 志 木 市 和光市 朝霞市 墨 江 田 戸 区 川 区 右岸 江東区 鴻巣市⇔吉見町の所で最大川幅になっている(荒川上流河川事務所の資料より作成) 志木まるごと博物館 河童のつづら 6 三代の堤防 志木市役所 は橋 いろ 柳瀬川 昭和の堤防 平成の堤防 江戸時代の堤防 新河岸川 新河岸川沿いに現存する、江戸・昭和・平成の「三代の堤防」 (google マップより) 志木市内には、江戸・昭和・平成とそれぞれの 時代に築かれた三代の堤防が残っています。それ は、志木市役所のすぐ近く、いろは橋下流の新河 岸川左岸にあります。 新しい堤防が出来ると古い堤防は壊す場合がほ とんどのため、こうした三時代の堤防が並行して 残っている例は本当に希です。またこれらは、そ れぞれの堤防が築かれた時代の治水の考え方をよ く反映している点でも貴重な存在です。 志木まるごと博物館 河童のつづら 7 江戸時代の堤防 そうかこいつつみ 〈惣囲堤〉 柳瀬川 江戸時代の堤防 新河岸川 明治 39(1906)年(大日本帝国陸地測量部測量図より) 江戸時代に築かれた堤防と、 当時の「新河岸川」と「柳瀬川」が蛇行しているのがよく分かります。 宗岡には江戸時代に造られた「惣囲堤」と呼ぶ 堤防が現存しています。 荒川の洪水は「エグミ」と呼ばれる肥えた土を 上流から運んでくれました。また、当時盛んだった 舟運のためには充分な水量確保が必要でした。 そのような川の恵みを活かすために、川は自由 に流れさせ、その洪水流から村を守るために村全 体を堤防で囲む。それが江戸時代に築かれた惣 囲堤です。 志木まるごと博物館 河童のつづら 8 昭和時代の堤防 江戸時代の堤防 柳瀬川 昭和の堤防 新河岸川 昭和 22(1947)年 11 月(国土地理院ホームページより) 江戸時代の堤防・昭和 5 年完成の堤防、直線化された川と、柳瀬川の蛇行した旧河川がよく わかります。 明治になると、低地にも多くの人が住むようにな り、一時的にせよ水に浸かるということは許されな くなってきました。特に明治 43 年の大水害をきっ かけに治水対策の大転換が図られていきます。 洪水流をいち早く海まで流すために、蛇行して いた川を直線化し、真っ直ぐになった川に沿って連 続した堤防が造られるようになりました。 蛇行していた新河岸川も直線化され、その堤防 も昭和 5 年(1930)に完成しました。 志木まるごと博物館 河童のつづら 9 平成時代の堤防 江戸時代の堤防 平成の堤防 新河岸川 昭和の堤防 昭和の堤防と、平成 10 年ころ完成した平成の堤防 高度成長時代の宅地造成やアスファルト道路の 増加、緑地や農地の減少などにより、流域の保水 ・ 遊水機能が低下し、降った雨が大量にそして急激 に川へ流出するようになり、昭和時代の堤防では 耐えられなくなってきました。 そこで洪水流を流域全体で抑制しようという総 合治水対策がとられるようになり、遊水施設を造っ たり、河川敷を広くとり、より高い堤防を築くよう になりました。 志木まるごと博物館 河童のつづら 10 現代の治水(堤防の高さ) 武 蔵 野 台 地 16 14 12 10 8 6 4 2 0 標高(m) 新 河 岸 川 堤 防 新 河 岸 川 堤 防 約7.9m 江 戸 時 代 の 堤 防 江 戸 時 代 の 荒 川 約15m 堤 防 明治43年(1910)の洪水位 約8.2m 荒 川 堤 防 平成11年(1999)8月15日の洪水位 約8.15m 約7.4m 自然堤防 母 屋 水 塚 新河岸川 荒川 現在は、総合治水対策として、遊水施設や貯留・ 排水施設などさまざまな具体策がとられ、荒川か ら洪水があふれる心配はほとんどなくなりました。 たとえば堤防。とくに荒川の堤防は標高約 15 m もあり、武蔵野台地より高くなっています。 明治 43 年クラスの洪水ではびくともしない、荒 川からの洪水流に対しての徹底した対策ぶりが分 かります。 志木まるごと博物館 河童のつづら 11 ひもん 現在も残る樋門 北美圦樋(きたみいりひ)明治 32 年(1899)竣工 〈中宗岡 1 丁目、宗岡第四小学校入口の新河岸川除堤〉 川の堤防には、所々に水路が貫通しています。 普段は開放されており川が増水したときには扉を閉 めて逆流を防ぎます。これらを樋門と呼んでいます。 宗岡村の惣囲堤にも、樋門が設けられており、 もとは木造でしたが、明治時代中頃に新河岸川堤 の 5 か所が石造やレンガ造に改築され、その内 4 か所が現存しています。 篭嶌門樋・大小合併門樋・北美圦樋は土木学 会の「日本の近代土木遺産」に選ばれています。 志木まるごと博物館 河童のつづら 12 篭嶌門樋(かごしまもんぴ) 竣工 : 明治 28 年(1895) 構造 : 石造 所在 :下宗岡 4 丁目、宗 岡第二中学校前の新田 場堤 大小合併門樋(だいしょうがっぺいもんぴ) 竣工 : 明治 31 年(1898) 構造 : レンガ造 所 在 : 上 宗 岡 5 丁 目、 総合福祉センター裏の 新河岸川除堤 新田圦樋(しんでんいりひ) 竣工 : 明治 33 年(1900) 構造 : レンガ造 所 在 : 下 宗 岡 4 丁 目、 篭嶌門樋の東 300m の 新田場堤 志木まるごと博物館 河童のつづら 13 みづか 水塚の調査をしました 水塚の前で所有者の方と記念撮影 みなさんは、志木市宗岡地区に 48 基もの水塚 があることをご存じでしたか? 2009 年から 10 年にかけて、わたしたちは宗岡 の方々から水塚にまつわる言い伝えや体験などい ろいろなお話をうかがいました。また、荒川沿い の他の地域の水塚についても調べました。 この調査で、水塚には、むかしからの水とのつ きあい方の知恵がいっぱい詰まっていることが分 かりました。水塚は宗岡の宝物だと思います。 志木まるごと博物館 河童のつづら 14 みづか 水塚とは? クラ 土盛り おもや 田んぼ 母家 庭 田んぼ 〈水塚〉 水塚とは、 洪水に備えて屋敷内の一部に土を盛っ て高くし、その上にクラ(蔵・倉)を建てたものです。 み そ しょうゆ クラの 1 階には米・味 噌・醤 油などをしまい、 ふとん ぜん 2階には布団やお膳 などもあり、水が引くまでし ばらく生活できるようになっていました。 水塚があるおかげで、人々は大水が出たらなに をすればいいのかがすぐに分かります。また、い つも大水への備えを忘れず、普段の暮らしは落ち 着いておくることができました。 志木まるごと博物館 河童のつづら 15 ていぼう みづか 江戸時代の堤防と水塚 〈上宗岡 2 丁目〉 宗岡には、江戸時代に造られた村全体を囲む堤 防(惣囲堤)が今でも道路などとして残っています。 写真は、その堤防のすぐ脇に建つ水塚です。 つくだづつみ 志木市指定の文化財となっている「佃 堤」は、 当時すでに造られていた水塚をつないで築かれた のではないかと言われています。 志木まるごと博物館 河童のつづら 16 みづか 大洪水と水塚 〈高野家・上宗岡3丁目〉 くら 高野家の水塚にある今の蔵 は大正 13 年(1924) に建てられ、4 ∼ 5 年前に改修されています。 明治 43 年(1910)の大洪水のときには水塚の床 上 6 尺(約 1.8m)まで水がきて、大応寺(現在の富士見 市水子)に舟で避難したそうです。 志木まるごと博物館 河童のつづら 17 蔵の2階から舟で避難 〈細田家・中宗岡3丁目〉 明治年間に建てられ、昭和 30 年(1955)に改修。 農作業が暇な時期になると田んぼから泥を運んで 土盛りを補強していたそうです。明治 43 年の大水 害の時は蔵の 2 階から舟で避難しました。 志木まるごと博物館 河童のつづら 18 みづか 明治 28 年築の水塚 〈大熊家・中宗岡3丁目〉 土盛りの高さは屋敷地より約 1.5m。蔵の礎石 に明治 28 年(1895)築という銘が残っています。約 45 年前に屋根を、10 年前に外壁を修理しています。 「当時の外壁には、明治 43 年(1910)の大洪水の 下から1.2mくらいのところに残っていた」 水の跡が、 そうです。 志木まるごと博物館 河童のつづら 19 みづか ホタルの棲む水塚 〈細田家・上宗岡 5 丁目〉 「水塚の周囲は散らかっていますが、田の際には ヘイケボタルが自然のサイクルの中で生息していま す。あまりに綺麗にしてしまうとホタルは出なくなり ますし、石材とかを並べるのも良くないようで、手 をかけないのが一番良いようです。他には周囲に ま 除草剤などの薬を撒かないことです」 志木まるごと博物館 河童のつづら 20 みづか 昭和 30 年築の水塚 〈荻島家・中宗岡 1 丁目〉 「昭和 16 年など何度か水害を経験したので戦後 になって造った。ここの並びの家はみんな水塚が あったのにうちだけ無かったので」 荻島家の水塚が造られたのは昭和 30 年。明治 時代築の水塚が多い中で最も新しく、現在のご当 主が建設の様子をご存じという点で大変貴重です。 志木まるごと博物館 河童のつづら 21 明治 43 年の洪水の跡 〈大橋家・中宗岡3丁目〉 「明治 43 年の水害は、聞いた話だけど、川島方 面の堤防がきれて大水になり、米を舟で宝幢寺(志 木市柏町)に移したらしい。壁にある水の跡はその 時のだよ」 大橋家の水塚の壁には明治 43 年の大水の跡が 今でもくっきりと残されています。 志木まるごと博物館 河童のつづら 22 みづか 水塚の2階で顔を洗った 〈市之瀬家・中宗岡2丁目〉 「明治 43 年の水害の時は、家の女・子どもは舟 で宝幢寺に避難して、88 歳まで生きたお祖父さん が一人残った。水塚の 2 階で顔を洗い、身体を木 に縛って生き延びたらしい。よその家が水で流され ていくのを見たとも言っていた」と言う、市之瀬家 の水塚の周りはカシの木で覆われていました。 志木まるごと博物館 河童のつづら 23 ふね 避難用の舟 〈大熊浩家・中宗岡3丁目〉 宗岡の旧家の多くは、洪水にそなえて水塚を造 るとともに、避難用の舟を持っていました。 大熊家の舟は全長 4.65m、幅 1.38m。舟底を上 な や にして納屋の天井からつって、今も大事に保管して そう ありました。このような舟が宗岡には 15 艘(2010 年現在)残っています。 志木まるごと博物館 河童のつづら 24 現在の水塚の分布 基図:国土基盤地図 1/2500 より(2010 年現在) 志木まるごと博物館 河童のつづら 25 ふ じ み なんばた みづか 富士見市南畑の水 塚 荒川と新河岸川にはさ まれ、宗岡とほぼ同じ 地形の南畑地区でも多 くの農家が水塚を築い ていました。 あさか うち ま ぎ 朝霞市内間木の水塚 かつて荒川の堤防が無 かったこの 地 域 では、 敷地全体を高くし、そ おもや くら の上に母屋や蔵 を建て て洪水に備えていまし た。 ひ き かわじままち 比 企郡川島町の水塚 入間川と荒川に囲まれ た川島町。現在も田園 風景が広がり、水塚が ある家が多く残っていま す。 志木まるごと博物館 河童のつづら くらしにやさしい街…志木、よりよい環境を未来に残すために NPO法人 エコシティ志木 NPO法人 エコシティ志木 身近な自然を楽しんでいます 地域の環境を守っています 志木まるごと博物館を楽しんでいます エコシティ志木は、志木市やその周辺において、 自然豊かな循環型地域社会を未来に残すことを目 的に 1995 年に発足。2002 年に NPO 法人化し ました。 環境・施設の保全管理・創出事業、調査研究事業、 観察会・学習教育事業、エコツアー事業などをお こなっています。 〈部会とおもな事業〉 ● 水と緑部会 柳瀬川ウオッチング 斜面林の手入れ こどもとおとなの自然塾 環境調査 出前授業 身近な自然を楽しむ こどもとおとなの自然塾 プールのヤゴ救出作戦 柳瀬川ウオッチング 出前授業 ●まちづくり部会 志木まるごと博物館 「河童のつづら」 ぶらり散歩エコツアー 水塚の文化研究会 ●広報部会 エコシティ志木通信発行 ホームページ管理 地域の環境をまもる 斜面林の手入れ オオブタクサ・アレチウリ駆除作戦 水辺のお助け隊 柳瀬川ウオッチング 身近な川の一斉調査 環境調査 〈会員募集中!〉 (1) 正会員 個人 年会費 2,400 円 ( 会員の家族は 1,200 円 ) 団体 年会費 5,000 円 (2) 賛助会員 年会費 1 口 5,000 円 会員には、毎月の行事案内 と、 「エコシティ志木通信」 を年 4 回お送りします。 志木まるごと博物館 を楽しむ 志木まるごと博物館河童のつづら ぶらり散歩エコツアー 水塚の文化研究会 志木まるごと博物館 河童のつづら 水 自然 文化
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