塩 しお を裹 みて迎 え得 え たり 小 さき狸 り 奴 ど

猫
しお
つつ
おく
)
むか
え
しお
つつ
ちい
むか
え
り
ど
塩を裹みて迎え得たり 小さき狸奴
ねこ
贈猫 猫(に贈る
ことごと
まも
さんぼうばんかん
まず
ちい
しょ
いさお
り
ど
むく
裹 塩 迎 得 小 狸 奴 塩を裹みて迎え得たり 小さき狸奴
いえ
く護る 山房万巻の書
尽 護 山 房 万 巻 書 尽 ざんき
さむ
坐 食 無 魚 寒きにも
ざ
な
しょく
うおな
の坐する無く 食に魚無し
せん
りく
ゆう
陸 游
うす
慚 愧 家 貧 策 勲 薄 慚愧す 家は貧しくして 勲に策ゆること薄く
寒無
さむ
ちょうきょう
と
ほ
たわむ
くん
かん
せい
もうしょうくん
南(宋
)
ざ
ふう
広文朎に 簡し云々﹂の詩に、﹁坐
てい こうぶんけん
せんごく し
ちょうきょう
か
え
しょく
うおな
無し﹂というφ ○食に魚無し 戦国四君のひとり斉の孟嘗君の食客、馮
せん な
の坐する無く 杜甫の ﹁ 戯れに
○塩を裹む 猫をくれた家に対し、塩を送る風習があったφ ○狸奴 猫の雅称φ ○山房
かく
書斎φ ○寒きにも
かん
客 寒きにも
驩が待遇改善を求め 長 鋏 剣
( を
)叩いて、﹁ 長 鋏よ帰来らんか、食に魚無し わ
( が剣よ、
し き
国へ帰ろうか。ここは食事に魚もない ﹂)と歌った故事をふまえる﹃史
( 記﹄孟嘗君列伝 。)
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第 7 章 生き物へのまなざし
塩をお礼につつんで、小さな猫を迎え入れたところ、
書斎をうずめる万巻の書をすべて ネ(ズミから 守)ってくれた。
もうせん
恥ずかしいのは、貧しくて手柄に十分報いられず、
しょうこう
寒くても座らせる毛 もなく、食事に魚もつけてやれないこと。
りくゆう
七言絶句。一一八三年、陸游五十九歳の作。当時、彼は故郷の紹興にいた。陸游は二十余首の
猫の詩を作っているが、とりわけ、大事な蔵書をネズミの害から守ってくれる健気さを称え、そ
の労に報いられないのが申しわけないと、愛猫に呼びかけるこの詩は、生きとし生けるものへの
さんぼうばんかん
しょ
やさしい愛情にあふれた秀作である。ちなみに、陸游自身は不遇だったけれども、彼の生家は紹
ほくそう
ばいぎょうしん
ねこ
まつ
興きっての名門であり膨大な蔵書があった。だから、ここに見える﹁山房万巻の書﹂という表現
こうていけん
ねこ
こ
もけっして誇張ではない。さらに付言すれば、猫の詩は北宋以降とみに増え、梅堯臣の﹁猫を祭
きくな
り
ど
すうし
ひき
うお
か
やなぎ
る﹂や黄庭堅の﹁猫を乞う﹂などすぐれた作品も多い。後者の七言絶句﹁猫を乞う﹂は、飼い猫
かんせん
へい
ちて 銜蟬を聘せん お(宅の猫が子を数匹生んだそうだが、魚を買って柳の枝に挿し、ネコちゃんを
うが
の死後、ネズミの害が耐えがたいため、知人に﹁聞道らく 狸奴 数子を将ゆと、魚を買い 柳
に
お迎えしたい ﹂
) と頼んだもの ﹁(銜蟬﹂は猫の俗称 。
) あまたある猫の詩のうちでも、猫との深い共
生感覚を基底とする陸游の作品は、一頭地をぬくものだといえよう。
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