25990_OCT 2005 FRIEND

ま つ じ つ せ い と イ エ ス ・ キ リ ス ト き ょ う か い の こ ど も た ち の た め の ペ ー ジ
2005 ねん 10 がつごう
よげんしゃ
こえ
預言者の声
だいかんちょう
大管長
ゴードン・B・ヒンクレー
さっか
し
ランスの作家,ギイ・ド・モーパッサン
フ
さくひん
はなし
ある
じめん
お
はしで……。」
(『ひも』ギイ・ド・モーパッサン
ひと
あ
ひ
ひと
お
つ
い
ひろ
じぶん
ちから
い
じぶん
ついているのなら,その傷 をいやしましょう。
わたしたちはだれでも,仕返しをしたいという
き
も
の
ちから
気持ちがあります。でも,それを乗りこえる 力
もの
笑い者にされます。
つぎ
ひ
さいふ
もあたえられているのです。ゆるすことができ
み
しゅ
次 の日,財布 は見 つかり,オーシュコルンは
ちから
もと
かんたん
るよう,主に力を求めてください。簡単ではな
だ
〔ようぎがはれて〕ろうから出されます。けれど
ま
いかもしれません。すぐにはできないかもしれ
きず
ちから
もと
こころ
も,かれはこの間ちがいによってひどく傷つき
ません。けれども,その力を求めるなら,心に
ます。それからというもの,オーシュコルンは
平安があたえられます。これはキリストが下さ
へいあん
ひと
なに
じけん
わす
わす
も
しゅ
る安らかな気持ちです。主はこうおっしゃいま
へいわ
かんが
だ
ひと
した。「平和 をつくり出 す人 たちは,さいわい
はな
かったかれは,ただそのことばかりを考え,話
かみ
こ
よ
である,かれらは神の子と呼ばれるであろう。」
ま
しました。だれと会っても,間ちがってつかま
はな
(マタイ5:9)●
で き ご と
えられたことを話しました。このいやな出来事
あたま
のことで頭 がいっぱいだったオーシュコルン
びょうき
き
き も
忘れませんでした。ゆるし,忘れる気持ちのな
あ
くだ
やす
人をにくんで,何があってもひもの事件だけは
し
は,病気 にかかり,とうとう死 んでしまいます。
F2
きず
相手 に「仕返し」をしようとして,もし自分 が傷
きず
しん
い
と言っています。
きず
しかえ
いないと言いますが,だれにも信じてもらえず,
もと
しかえ
さいふ
しであることを示して,自分は財布などぬすんで
ゆるすことができるよう
じぶん
兄弟 しまい の み なさん ,自 分 を 傷 つ け た
き
しめ
主に力を求めてください
ひと
れにとってもこれほど難しいことはありません。
あいて
ます。かれは,拾ったのはただのひもの切れは
しゅ
きず
きょうだい
まえ
ンはつかまえられて町長 の前 に連 れて行 かれ
わら
じぶん
むずか
たことが伝 えられました。やがてオーシュコル
ちょうちょう
いま
く起きます。自分を傷つけた人をゆるすこと,だ
つた
ヒンクレー大管長は,
はなし
さいふ
その日おそくなって,ある人の財布がなくなっ
だいかんちょう
ばめん
人や場面がちがっても,このような話は今もよ
い
れはひもを拾い上げてポケットに入れました。
さんしょう
,34−38 参照)
作品 集〔著作年不詳〕
み
の切れはしが落ちているのを見つけました。か
ひろ
き
のです。「ひもの切れはしでさ,……ひもの切れ
さくひんしゅう ちょさくねんふしょう
シュコルンは広場を歩 いていると,地面 にひも
き
い
ひ
農 夫 の 話 が あります。ある日,オー
ひろば
かえ
き
の作品 に,オーシュコルンという名 の
の う ふ
かえ
そして死 ぬときも,
くり返し,
くり返しこう言 った
な
き
じ
なんじ
ゆる
もと
せい と
みち
この記 事 は,
「汝 らには赦 すことを求 めらる」
『 聖徒 の道 』
ねん
がつごう
か
1991年 11月号,2−6をもとにして書かれました。
絵
/
マ
リ
ー
・
パ
ッ
カ
ー
、
マ
イ
ケ
ル
・
パ
ッ
カ
ー
スタート
わ
あ
じかん
分かち合いの時間
わたしはいつもせいぎをえらびます
わ
「あなたがたのつかえるものを,きょう,えらびなさい。ただし,
をしたらいいのか分かるようたすけてくれます。よげんしゃ
いえ
わたしとわたしの家とはともにしゅにつかえます。」
(ヨシュア
やほかのしどうしゃたちはたしかにかみのしもべです。そう
たいかい
はなし
き
大会 でかれらがお話をするとき,よく聞いてください。よげ
24:15)
ただ
かい
いち
んしゃたちがすすめてくれることにしたがうなら,正しいこ
かいちょう
ちゅうおうしょとうきょう会だい一ふく会長
とをえらべるでしょう。
マーガレット・S・リファース
まいにち
「せいぎをえらべ」めいろ
かんが
毎日 みなさんがするえらびについて考 えてみま
§
なに
なに
なに
い
よ
ばんぐみ
F4 ページにあるめいろをたどります。よいえらびをあら
え
しょう。何 をきようか,何 を言 おうか,何 を読 み,
ただ
わしている絵をたどっていきます。正しいことをえらんでい
み
どんなテレビ番組を見ようか,どんなたいどをとろ
ちから
くと,めいろはイエス・キリストにたどりつきます。
てん
うか,えらんでいますね。えらぶことができる力 は,天 のお
とう
「せんたくのじゆう」
父 さまからのおくりものです。それは,
てん
とよばれています。せんたくのじゆうをつかうことは,天の
とう
分かち合いの時間のためのアイデア
1.下記の聖句および引用を書いた紙を用意して,知恵の
たいせつ
お父さまがわたしたちのためによういされたけいかくの大切
言葉と慎みの標準について教える。教義と聖約 89章 7,8,9,
ただ
ないちぶです。では,正しいことをえらぶためにどんなたす
10,11,12,14 節,ゴードン・B・ヒンクレー大管長の次の言
けがえられるのでしょうか。
葉──「心も体も清く身なりの整った若い女性は,何と麗し
てん
とう
ただ
天のお父さまは,みなさんが正しいことをえらべるように
こ
とう
じぶん
いことでしょう。」
「身なりの整った若い男性は,何とハンサム
てん
たすけてくださいます。みなさんはかみの子どもであり,天
かえ
に見えることでしょう。そのような若い男性は,神の聖なる
き
のお父さまはみなさんにご自分のもとに帰って来てともにす
神権を持つに値する神の息子で〔す。〕」
「〔神の息子である皆
めるようにとねがっておられます。いつでも,どこにいても
さんは〕体のどこにも入れ墨やイヤリングを着ける必要はあ
てん
とう
てん
とう
天 のお父さまにいのれること,そして天のお父さまはみなさ
りません。」
「入れ墨をしている人には,自分の行為を後悔す
んをしゅくふくし,せいぎをえらぶゆうきをあたえてくださ
る時が必ず訪れます。」
「若い女性に関して言わせていただ
ることをわすれないでください。
くと,……シンプルなイヤリングを 1 組着けていればそれで
ただ
イエス・キリストも,みなさんが正 しいことをえらべるよ
十分です。」
「末日聖徒の少年少女……は,麻薬を試す必要な
みち
うにたすけてくださいます。しゅは「道であり,しんりであり,
どまったくありません。」
(「若人への預言者の勧告と祈り」
『リ
いのち」であり(ヨハネ 14:6)
,かんぜんなもはんとしてし
アホナ』2001 年 4 月号,30 − 41 参照)慎み深さと知恵の言葉
たがうべきおかたです。「イエスさまはわたしにどうしてほ
は両方とも体を大切にすることと関係があると説明する。上
おも
じぶん
じぶん
き
しいと思っておられるだろう」と,自分で自分に聞いてみる
記の紙を袋に入れる。次に子供たちが歌っている間,その
ただ
と,正しいことをえらべるでしょう。
袋を回していく。音楽を止めて,子供に袋から一つ選ばせ,
ただ
せいれいも,みなさんが正しいことをえらべるようにたす
けてくださいます。バプテスマをうけるときや,せいさんを
いただくとき,いましめをまもることを,みなさんはせいや
てん
その聖句や引用文を読ませる。知恵の言葉と慎み深い服装
の原則について教え,話し合う。
2.キリストが周りの人に親切な行いをしておられる絵を
とう
く(やくそく)します。そうするなら天のお父さまは,せいれ
福音の視覚資料セットから 8 枚── 10 枚選んで黒板にはる。
いがあなたとともにいてくださることをやくそくしてくださ
イエスはわたしたちの友達であり,どうしたらほかの人と友
ただ
おこな
います。せいれいは,正しいことを行えるよううながし,けい
達になれるのかを模範によって教えてくださったことを子供
ただ
絵
/
ベ
ス
・
M
・
ホ
イ
ッ
タ
カ
ー
こくしてくださいます。そして,正 しいことをえらんだとき
たちに教える。それぞれのクラスに絵を 1 枚ずつ選ばせ,聖
にはへいあんをくださいます。
典または絵の裏から,その絵に関する物語を読ませる。そ
ただ
よげんしゃも,みなさんが正しいことをえらべるようにた
れぞれのクラスでお話のロールプレイを演じた後,イエスの
おし
すけてくれます。せいぶんには,よげんしゃが教えたかみさ
か
模範に従うことによってどのようにほかの人と友達になれる
なに
まのことばが書かれています。よげんしゃやせいぶんは,何
か話し合う。●
/ 2005 ねん 10 がつごう
F5
デビッド・O・マッケイだいかんちょうのしょうがいから
ルー・ジーンのためのいのり
はや
できるだけ早く
く
もどって来るからね。
デビッド・O・マッケイちょう
ろうは ,おもい びょうきに か
かっているむすめのルー・ジー
ンをおいて,よそのしゅうでひ
たいかい
い
らかれるステーク大会 に行 か
なければなりませんでした。
ルー・ジーンは?
だいじょうぶだ。でも
で
おまえが出かけたときより
わるくなっているよ。
いま
いえ
かえ
しばらくすると,マッケイちょうろうは今すぐ家に帰るよう
かえ
にというでんぽうをうけとりました。帰りのれっしゃからお
とう
き
りると,お父さんがむかえに来ていました。
いしゃとかんごしは,ひとば
じゅう
いえ
ん中マッケイちょうろうの家にい
ました。しんせきもかんびょう
き
に 来 てくれ まし た が ,ル ー・
ジーンのようすはわるくなるば
かりでした。
F6
にちようび
日曜日になると,マッケイちょうろうはむすこのローレンスと
きょうかい
い
いえ
ルウェリンを教会 に行 かせ,つまのエマ・レイと家 でルー・
ジーンのかんびょうをしました。
きょう
にちようがっこう
今日の日曜学校のクラスで
ルー・ジーンのために
いのってもらえるように,
にちようがっこう
とう
はい,お父さん。
かいちょう
日曜学校の会長に
たのんでもらいたいんだ。
い
じ
マッケイちょうろうのむすこは言われたとおりにして,11 時に
いのりをささげてほしいとおねがいしました。
ルー・ジーンは
お父さん,
もうだいじょうぶだ!
け さ
にちようがっこう
じ
今朝 11 時にやっとよくなって,
しずかにねむっているよ。
絵
/
マ
イ
ク
・
イ
ー
グ
ル
それは日曜学校で
ルー・ジーンのために
じかん
いのった時間だよ。
てん
とう
天のお父さまは,
わたしたちをあいしてくれている
ひと
たくさんの人たちのしんこうぶかい
いえ
かえ
き
き
し
マッケイちょうろうのむすこたちが家に帰って来たとき,よい知らせがありました。
はなし
ちち
ねん
おいのりを聞いてくださったのだよ。
かんしゃしなくてはいけないね。
このお話はデビッド・ローレンス・マッケイ
『わたしの父,デビッド・O・マッケイ』
(1989年),51−52をもとに
か
書かれました。
/ 2005 ねん 10 がつごう
F7
ちい
とも
小さなお友だちへ
ふくいん
しあわ
う
ふくいん
す
「さて,
わたしたちの受
けた福音
について,
なに
き
よろこ
こえ
何
を聞くせいやく
でしょうか。喜びの声です。
」
きょう ぎ
(教義と聖約 128:19)
さけ
の
た。「たばこも吸 わない。お酒 も飲 まない。
よわむし
おまえはただの弱虫だ!」
こうこう
ねん
ねん
お
なんにん
高校 2 年 か 3 年 の終 わりごろ,クラスの何人
さけ
も
き
かがパーティーにお酒を持って来ました。かれ
そだ
はは
ちち
たしはタヒチで育ちました。母と父
わ
きょうかい
はい
こども
のころです。でも,わたしはすぐに
がを負わせようとしたのではなく,ただ,笑い者
お
う
い
ご
き
うん よ
ご
しょとうきょうかい
せんせい
ジーン・A・テファン長老
なか
て
聞き手 ――
キンバリー・ウェブ,
教 会 機関誌
しんじつ
かん
よげんしゃ
れいてき
けいけん
い
しゅ
どりょく
かんしゃ
に仕える努力ができることを感謝しています。
ひとり
つよ
けんこう
でも,わたしは今 でも生きていて,健康 で,主
で き ご と
ジョセフ・スミスは真実の預言者なのだと,強
おとな
おお
クラスメートの一人は,大人になってから大
がね も
まえ
い
金持ちになりました。かれは前にこう言いまし
あと
きみ
そんけい
かぞく
く感じました。この霊的な経験の後,わたしは
た。「君 を尊敬 するよ。わたしの家族 にはお
りょうしん
かね
い
両親 に言 いました。「あかしがあるから,バ
きみ
まつじつせいと
なか
しあわ
ことば
おも
これはすべての末日聖徒への言葉だと思いま
ひ
こうこう
そつぎょう
バプテスマを受 けた日から,高校 を卒業 す
がっこう
かぞく
金がある。でも君の家族ほど幸せじゃない。」
う
プテスマを受けたい。」
う
きょうかいいん
ともだち
ともだち
したが
りかい
福音 に従 っているからであることを理解して
い
せんでした。クラスの友達 はよくこう言 いまし
しあわ
す。この友達 は,わたしたちが幸 せなのは
ふくいん
るまで,学校 の中 で教会員 はわたししかいま
F8
ひと
いま
スミスの最初 の示現 はほんとうの出来事 で,
き
にお話を聞きました。
ともだち
の中には,もうなくなってしまった人もいます。
つか
じげん
まも
がっこう
き
むね
さいしょ
ことば
ことを後悔したことはありません。学校の友達
はな
き
いると,胸がどきどきしてきました。ジョセフ・
ちょうろう
きょうかい き かん し
はなし
え
こうかい
くれる最初の示現の話を聞きました。聞いて
ち いきしちじゅうにん
地域 七十人 ,
き
じげん
ち
ることができました。知恵の言葉を守っている
した
てみんなですわり,初等協会 の先生 が話して
もの
ば
にしたかったのです。運良く,その場からにげ
しょとうきょうかい
行きました。マンゴーの木の下にマットをしい
さいしょ
わら
さい
きのことです。ある水曜の午後に初等協会に
はなし
の
シャンペンを飲ませようとしました。わたしにけ
すいよう
太平洋諸島地域の
り
が教会に入ったのは,わたしが子供
はバプテスマを受けませんでした。11 才のと
たいへいようしょとう ち いき
む
らはわたしをつかみ,おしたおして,無理 に
いたのです。
でんどうぶ
ぶちょう
ひ
わたしは,フィジー・スバ伝道部の部長でした。ある日,キ
とう
ふたり
ちょうろう
ある
だんせい
ちかよ
き
リバス島で二人の長老と歩いていると,男性が近寄って来ま
あいて
おも
した。よっぱらっていました。相手 にしないでおこうと思 い
ひと
なふだ
み
な
よ
ましたが,この人はわたしの名札を見ると,わたしの名を呼
でんどうぶちょう
せんきょうし
びました。「テファン伝道部長,あなたと宣教師たちに,わた
いえ
ゆうしょく
た
き
しの家に夕食を食べに来てほしいのですが。」
ひと
じぶん
なに
い
わ
「この人は自分が何を言っているのか分かってないのだろ
おも
ちょうろう
か ぞく
テファン長老とその家族
ちょうろう
う。」わたしはそう思 いましたが,長老 たちにたずねてみま
おも
ひと
まね
う
い
した。「どう思いますか。この人の招きを受け入れますか。」
ちょうろう
まね
う
い
長老 たちは招きを受けたいと言いました。このようなよっぱ
ひと
ことば
う
い
ちょうろう
かんしん
ちい
らっている人の言葉を受け入れた長老たちに感心しました。
つぎ
よる
ちゅうか りょうり
ともだち
次の夜,わたしたちはすばらしい中華料理をいただきまし
さかな
にく りょうり
るい
さかな
こめ
た
せんきょうし
お
だんせい
かんしゃ
い
夕食 が終わると,わたしは男性に感謝してこう言いました。
こ ん ど
ほう
もの
「 今 度 は わ たし の 方 からおくり物 が あります。この
せんきょうし
とお
ふくいん
宣教師 たちを通して,イエス・キリストの福音 をお
おし
教えしたいのですが,いかがでしょうか。」
だんせい
い
きょうみ
「わたしは興味がありません。
男性は言いました。
つま
さい
おし
げつ
でも,妻と18 才のむすこに教えてください。
」3 か月
ご
さい
う
ねん
後,18 才のむすこがバプテスマを受けました。1 年
ご
つま
う
だんせい
きょうかい
後 ,妻 がバプテスマを受 け,この男性も教会 に
しゅっせき
ひ
出席 するようになりました。ある日,かれは
さけ
わたしに,たばことお酒をやめられるよ
しゅくふく
い
う祝福してほしいと言 ってきました。
じっさい
そして,実際 にやめることができ
さいご
かぞく
ほうもん
ました。最後にこの家族を訪問
したとき,むすこはブリガム・
だいがく
こう
ぜんがく
ヤング 大 学 ハワイ校 へ 全 額
きゅうふ
う
にゅうがく
給 付 を 受 け て 入学 して い
ほんこん
でんどう
て,しかも香港 への伝道 の
う
めしも受けていました。
か ぞ く
おも
この 家 族 のことを 思 い
だ
出 すたびに,あの「よっぱ
だんせい
お
らった男性 」を追 いはらわ
おも
なくてよかったと思います。
か
絵
/
デ
ィ
リ
ー
ン
・
マ
ー
シ
ュ
その代 わりに,みたまのさ
したが
ゆうしょく
さやきに従 って,夕食 への
まね
う
い
くち
ひら
招きを受 け入 れ,口を開き,
ふくいん
き
福音 を聞くようにすすめるこ
とができたのです。
くち
しょうたい
ふくいん
ひら
まな
おも
お
ださい。思いもしなかったようなきせきが起こるかもしれま
おお よrこ
魚 と米 しか食 べていなかった宣教師 は,大 喜 びでした。
ゆうしょく
きょうかい
す。友達を教会に招待し,福音について学ぶようすすめてく
まいにち
た。チキン,魚 ,そのほかの肉 料理 ,それにめん類 。毎日,
ともだち
小 さなお友達 のみなさんも,口を開くようにおすすめしま
せん。●
か い
ふ く
し ん
り
厳粛に
ジョ
ジョ
セ
セ
フ
フ
り
り
の
は
ひ
主
か
よ
に
め
し
い
ん
の
り の
り, ふ
こ
こ
こ
こ
ろ
ろ
に
に
つ
さ
か
か
か
か
い
み
の
こ
り
と
つ
れ
ま
て
れ
モ
い ー ふ
く お も
み
み
の
の
く
い,
ひ
ひ
に
ば
か
つ
あ
ル
主
ま
か
か
ら
モン
み
た
わ
書
に え い
い に ち
り
り
そ
そ
詞:アラン・ L・ジョーンズ・ジュニア(1931−)©2004 IRI
曲:ルートビッヒ・ファン・ベートーベン(1770−1827)
教会あるいは家庭における一時的または非営利目的の使用にかぎり,複製することを許可する。
F10
と
え
お
る
れ
や
こ
よ
ん
た
た
く
う
む
そ
そ
こ
め
も
し
あ
な
が
が
は
に
う
た
れ
ら
れ る
れ る
写
真
/
ボ
ネ
ビ
ル
・
イ
ン
タ
ー
ナ
シ
ョ
ナ
ル
の
厚
意
に
よ
り
掲
載
た だ
ジュリー・ワーデル
きょうかい
教会 きかんし
て ん
とう
からだ
たいせつ
した
天
きょうぎ
せいやく
か
ようのぞんでおられます。教義と聖約だい 89しょう
とう
からだ
た
いろ
うの書いていないところは,色をぬらないでください。この
おし
え
で,お父さまは体によい食べものを教えてください
ゆう
絵をつかって,かていの夕べやしょとうきょうかいで,ちえの
はな
ことばについてお話しするのもいいですね。●
ました。このしょうはちえのことばともよばれています。この
え
いろ
う。下 にある色 ばんごうのとおりにぬってください。ばんご
のお父さまは,わたしたちに,体を大切にあつかう
いろ
からだ
た
み
ページの絵に色をぬって,体によい食べものを見つけましょ
3
3
1
1
3
2
1
2
3
3
2
1
2
3
1
4
4
4
4
3
4
3
3
3
4
3
3
2
3
3
3
3 3
2
6
2
いろ
3
色ばんごう
あか
2
絵
/
ト
ー
マ
ス
・
S
・
チ
ャ
イ
ル
ド
1= 赤
2 = ちゃ
みどり
3= 茶
き
4= 黄
5 = あお
オレンジ
6= 青
6
3
2
3 3
2
2
2
3
2
2
3
2
2
2
2
2
5
5
ふくいん
ひょうじゅん
F12
えら
ひとびと
てん ぷ
あんそくにち
てん ぷ
こころ からだ
きよ
しんせい
たも
ふく
き
てん ぷ
ともだち
み
しんでん
さんにゅう
わたしは今,神殿に参入するために
せいかつ
ふさわしく生活します。
えいえん
か ぞく
も
わたしは永遠の家族を持つために
じ ぶん
自分のできることをします。
ず
いま
わたしはよい友達を見つけ,
しんせつ
人に親切にします。
だ
ひと
2
おんがく
とを思い出させてくれます。また,教会のひょうじゅんを知りた
おりを切りぬき,点線 にそっております。おっためんをのりづ
がっている友だちへのおくり物とすることもできます。
とも
てん ぷ
ひ ょ う
わたしは天父によろこばれる音楽だけ
き
を聞きます。
1
わたしは天父によろこばれるものだけ
よ
み
を読み,見ます。
おも
ぶか
い ん
わたしはつつしみ深い服を着て,
てん ぷ
じ ぶん じ しん
天父と自分自身をうやまいます。
作 り方 ―― F12とF13 ページをあつ紙にはります。つぎにし
てんせん
わたしは心と体を清く神聖に保ち,
がい
と
害になるものを取りません。
てん ぷ
注――このページを「フレンド」から取り外したくないときは,コピーしたり,写したりしてもかまい
ません。インターネットの www.lds.org から印刷することもできます。英語版は「福音図書館」
(Gospel Library)をクリックし,そのほかの言語については世界地図をクリックしてください。
天父は,わたしを
あい
愛してくださっ
ています。
てん ぷ
父を
わたしも天
あい
愛しています。
わたしは
いつでも,
どこにいても
てん ぷ
天父にいのることができます。
わたしはこころ
イエス・キリスト
を心にとめ,
したが
うよう
キリス
トに従
どりょく
努力します。
がみ
わたしは両親をうやまいます。
か ぞく
つよ
わたしは家族を強めるために
じ ぶん
自分のできることをします。
りょうしん
わたしは安息日に,天父を
み ぢか
かん
おこな
身近に感じられることを行います。
ふくいん
わたしは天父とイエス・キリストの
な
とうと
み名を尊びます。
かみ
な
けが
わたしは神のみ名を汚したり,
こと ば
らんぼうな言葉づかいを
したりしません。
まいにち
わたしは天父,人々,
じ ぶん じ しん
たい
しょうじき
自分自身に対して,正直になります。
かた
てん ぷ
わたしは正しいことを選びます。
あやま
おか
わたしは過ちを犯したときも,
く
あらた
し
悔い改められることを知っています。
とお
ただ
わたしはバプテスマの聖約をおぼえ,
みみ かたむ
聖霊のささやきに耳を傾けます。
せいれい
こ
なんぼん
せいやく
わたしは
神の子です
か み
ほそ
てん ぷ
き
わたしは,天父がわたしのために
けいかく したが
たててくださった計画に従います。
つく
わたしの福音の 標 準
ふ く
じ ゅ ん
音の 標
準の
わたしの福
福音
標準
しおり
もの
きょうかい
し
うえ
細 いリボンを何本 か通して絵 のようにします。このしおりは,
けします。しおりの上のほうにあなをあけ,20 センチぐらいの
え
毎日せいぎをえらぶときに,
「わたしの福音の標準」をつかうこ
ひょうじゅん
3
図
﹁
キ
リ
ス
ト
と
子
供
た
ち
﹂
デ
ル
・
パ
ー
ソ
ン
画
/ 2 0 0 5 ね ん 1 0 が つ ご う F13
ふくいん
ひょうじゅん
えら
ひとびと
てん ぷ
きよ
しんせい
たも
ふく
き
おんがく
み
いま
しんでん
さんにゅう
わたしは今,神殿に参入するために
せいかつ
ふさわしく生活します。
えいえん
か ぞく
も
わたしは永遠の家族を持つために
じ ぶん
自分のできることをします。
ひと
わたしはよい友達を見つけ,
しんせつ
人に親切にします。
ともだち
わたしは天父によろこばれる音楽だけ
き
を聞きます。
てん ぷ
わたしは天父によろこばれるものだけ
よ
み
を読み,見ます。
てん ぷ
わたしはつつしみ深い服を着て,
てん ぷ
じ ぶん じ しん
天父と自分自身をうやまいます。
ぶか
わたしは心と体を清く神聖に保ち,
がい
と
害になるものを取りません。
こころ からだ
わたしは両親をうやまいます。
か ぞく
つよ
わたしは家族を強めるために
じ ぶん
自分のできることをします。
りょうしん
わたしは安息日に,天父を
み ぢか
かん
おこな
身近に感じられることを行います。
あんそくにち
わたしは天父とイエス・キリストの
な
とうと
み名を尊びます。
かみ
な
けが
わたしは神のみ名を汚したり,
こと ば
らんぼうな言葉づかいを
したりしません。
てん ぷ
わたしは天父,人々,
じ ぶん じ しん
たい
しょうじき
自分自身に対して,正直になります。
てん ぷ
わたしは正しいことを選びます。
あやま
おか
わたしは過ちを犯したときも,
く
あらた
し
悔い改められることを知っています。
ただ
わたしはバプテスマの聖約をおぼえ,
せいれい
みみ かたむ
聖霊のささやきに耳を傾けます。
せいやく
わたしは,天父がわたしのために
けいかく したが
たててくださった計画に従います。
てん ぷ
わたしの福音の 標 準
てん ぷ
天父は,わたしを
あい
愛してくださっ
ています。
てん ぷ
父を
わたしも天
あい
愛しています。
わたしは
いつでも,
どこにいても
てん ぷ
天父にいのることができます。
わたしはこころ
イエス・キリスト
を心にとめ,
したが
うよう
キリス
トに従
どりょく
努力します。
こ
わたしは
神の子です
か み
ふくいん
ひょうじゅん
えら
ひとびと
てん ぷ
きよ
しんせい
たも
ふく
き
おんがく
ともだち
み
しんでん
さんにゅう
わたしは今,神殿に参入するために
せいかつ
ふさわしく生活します。
えいえん
か ぞく
も
わたしは永遠の家族を持つために
じ ぶん
自分のできることをします。
いま
わたしはよい友達を見つけ,
しんせつ
人に親切にします。
ひと
わたしは天父によろこばれる音楽だけ
き
を聞きます。
てん ぷ
わたしは天父によろこばれるものだけ
よ
み
を読み,見ます。
てん ぷ
わたしはつつしみ深い服を着て,
てん ぷ
じ ぶん じ しん
天父と自分自身をうやまいます。
ぶか
わたしは心と体を清く神聖に保ち,
がい
と
害になるものを取りません。
こころ からだ
わたしは両親をうやまいます。
か ぞく
つよ
わたしは家族を強めるために
じ ぶん
自分のできることをします。
りょうしん
わたしは安息日に,天父を
み ぢか
かん
おこな
身近に感じられることを行います。
あんそくにち
わたしは天父とイエス・キリストの
な
とうと
み名を尊びます。
かみ
な
けが
わたしは神のみ名を汚したり,
こと ば
らんぼうな言葉づかいを
したりしません。
てん ぷ
わたしは天父,人々,
じ ぶん じ しん
たい
しょうじき
自分自身に対して,正直になります。
てん ぷ
わたしは正しいことを選びます。
あやま
おか
わたしは過ちを犯したときも,
く
あらた
し
悔い改められることを知っています。
ただ
わたしはバプテスマの聖約をおぼえ,
せいれい
みみ かたむ
聖霊のささやきに耳を傾けます。
せいやく
わたしは,天父がわたしのために
けいかく したが
たててくださった計画に従います。
てん ぷ
わたしの福音の 標 準
てん ぷ
天父は,わたしを
あい
ています。
愛してくださっ
てん ぷ
わたしも天
父を
あい
愛しています。
わたしは
いつでも,
どこにいても
てん ぷ
天父にいのることができます。
わたしはこころ
イエス・キリスト
を心にとめ,
したが
キリス
トに従
うよう
どりょく
努力します。
こ
わたしは
神の子です
か み
F14
ヒーロー
しんじつ
かた
い
「みたまは真実を語げん
り,
いつわりを言われるこしめ
とがない。
ざい
したがって,みたまは現在のこ
とをありのま
まに示
〔される。
〕
」
しょ
(モルモン書ヤコブ4:13)
キンバリー・ウェブ
きょうかい き かん し
教 会 機関誌
こ じん
けいけん
か
個人の経験をもとに書かれました。
ほ う
か
「
放
ご
うち
こ
あたら
しゃしん
課後 ,家に来ない? アリーシャの新しい CD があ
い
かしゅ
み
の写真など見たことがありません。
なまえ
かのじょ
(歌手の名前は
るの。
」キャロラインが言いました。
ふく
だいたん
か
)
変えてあります。
ねました。
おも
いき
い
ど よ う び
かお
「もちろん!」わたしは思わず息をのんで言いました。土曜日
たんじょうび
か
もの
つ
い
なが
ま
いま
きょうかい
よ
き
ふくそう
し
が良くない服装だっていうことを知らないのよ。ちょっときいて,わ
き
きょく
CD が聞きたかったのです。
す
かのじょ
いんさつ
か
うた
とき
かあ
し
かあ
き
しんこうしん
だいじょうぶ
よる
じぶん
いえ
かえ
に書いてあるのを読んだこともあります。
へ や
い
あさ
か
す
つくえ
放課後,急いで自分の部屋に行って宿題を済ませました。机
ま
がわ
いえ
かのじょ
て
こうふん
さいご
い
おんがく
ひょうじょう
はじ
かあ
い
ま
はい
き
ちょうど音楽が始まったとき,お母さんが居間に入って来まし
み
かあ
こんど
い
いしょう
ました。
つめ
あたら
リーシャは笑っていませんでした。どちらかと言えば冷たくあざ
わら
い
た。「何を見ているの?」ニコニコしながらお母さんはすわり
わる
わたしはうなずきましたが,気分 が悪くなりました。今度のア
わら
あたら
ほうそう
番組の最後に放送されるとアナウンサーが言ったのです。
なに
きぶん
き
み
とコマーシャルの間に,アリーシャの新しいミュージックビデオが
彼女は CD のカバーを手わたし,興奮して言いました。「アリー
シャってほんとうに すてきよね。
」
い
てくれるのを待っている間,テレビでアニメを見ていました。する
ばんぐみ
ようやく通りの向こう側にあるキャロラインの家にかけこむと,
絵
/
タ
ッ
ド
・
R
・
ピ
ー
タ
ー
ソ
ン
もの
あいだ
あいだ
の上にはってあるポスターからアリーシャがほほえみかけました。
む
は
土曜日の朝,買い物に行くためにおばあちゃんがむかえに来
しゅくだい
うえ
とお
き
****
ど よ う び
じぶん
きぶん
せんでした。
ざっし
よ
いそ
い
おもくる
した。でもその夜は,家に帰ってからも重苦しい気分が晴れま
と雑誌
ほど気にしませんでした。「アリーシャは信仰心 がある」
ほ う か ご
げひん
おおごえ
は歌詞がすばらしいので,お母さんもわたしたちの大声をそれ
か
とお
「ほら,これなら大丈夫。
」わたしはそう自分に言い聞かせま
うた
を小さくしなさい」
と言われることもありましたが,アリーシャの歌
か
め
な言葉がなくてほっとしました。
こえ
い
し
ことば
彼女の歌に合わせて歌うのです。時どきお母さんから
「もっと声
ちい
か
CDジャケットに印刷された歌詞にすばやく目を通しました。下品
も
よくアリーシャのまねをしました。マイクの代わりにブラシを持って,
あ
さいせい
たしこの曲が好きなの。
」彼女が再生ボタンをおすと,わたしは
アリーシャはわたしのヒーローでした。キャロラインとわたしは
うた
かのじょ
行っている教会はそういうことを気にしないのかもよ。きっとそれ
あたら
になっていましたが,そんなに長く待 てません。今 すぐ新しい
い
キャロラインは顔をしかめて言いました。「まあね,でも彼女が
い
には,おばあちゃんが誕生日の買い物に連れて行ってくれること
かのじょ
おも
「彼女 の服 ,ちょっと大胆 だと思 わない?」わたしはたず
き
かのじょ
笑うような表情だったのです。それに,あんな衣装を着た彼女
つと
」努めてさりげなく
「アリーシャの新しいミュージックビデオよ。
こた
答えました。
/ 2 0 0 5 ね ん 1 0 が つ ご う F15
おも
あし ど
じぶん
へ
や
重い足取りで自分の部屋にもどり,ほほえんでいるアリーシャ
み
くだ
けつだん
こんご
じんせい
「ここで下す決断は今後の人生に
お
おお
で き ご と
えいえん
ゆ
起 きる多 くの出来事 や永遠 の行 く
すえ
き
末を決めていくでしょう。」
だいかんちょうかい
わこうど
かえ
のポスターを見ました。でも,
わたしはほほえみ返しませんでした。
か
どうしてわたしのヒーローは変わってしまったのでしょう。
おもて
くるま
き
な
表 で 車 のクラクションが 聞こえました。泣きたくなるのを
いっしょうけんめい
そと
はし
だ
一生懸命にこらえて外に走り出しました。
たんじょうび
くるま
の
」車に乗りこむとおばあちゃん
「おはよう。誕生日おめでとう。
つよ
大管長会 『若人の強さのために』2
い
い
が言いました。「どこに行きましょうか?」
しゅうかん
もの
き
いま
この 1 週間,ほしい物は決まっていました。でも今はすっかり
わ
かんが
」
分からなくなっていました。「ちょっと考えさせて。
よ
ふくそう
し
」
「きっとそれが良くない服装 だっていうことを知らないのよ。
すがた
み
かあ
えがお
ダンスをしているアリーシャの姿を見たとき,お母さんの笑顔
き
とつぜん
い
たし
が消えました。お母さんはおどろいてわたしを見ました。
い
ふく
き
よ
たいせつ
お
おも
つづ
き
き
りかい
き も
き
かみさま い が い
し
み
じぶん
わたしは神のむすめで,神様以外にヒーローはいりません。自分
かあ
とうわたしはテレビのスイッチを切りました。お母さんはだまって
ひと
おも
がだれであるかさえ知らない人を,どうしてすばらしいと思う
ひつよう
」
必要があるのでしょう。「わたしこそ,アリーシャのヒーローよ。
わたしを見ていました。
よ
げひん
ことば
くち
おも
」口ごもりな
「歌詞は読んだのよ。下品な言葉はなかったわ。
わら
ふ
し
ぎ
くすくす笑ってしまいました。おばあちゃんは不思議
そう思うと,
い
み
がら言いました。
かあ
そうにわたしを見ていました。
くら
がめん
さ
い
ようふくや
お母さんは暗くなったテレビの画面を指して言いました。「そ
おく
とお
れでもアリーシャはメッセージを送っているわね。みたまを遠ざ
わる
ことば
なか
かあ
い
きょうかいよう
あお
ちい
い
」わたしはそう言いました。
スが小さくなってきたの。
き
「いいわね,あなたは青を着るととってもすてきよ。
」
かん
こころ
と感じました。わたしにはア
心 の中で「お母さんは正しい」
なか
わたしはほほえみました。そして心の中でかがやくみたまも,
わ
リーシャがどんなことを言おうとしていたのか分かりませんでした
せいれい
わたしをすてきにしてくれたのです。どんなポップスターよりもす
りょく
が,みたまはご存じでした。そして,聖霊のえいきょう力はわたし
からはなれていました。
だいす
あお
ただ
ぞん
い
「お洋服屋さんに行ってもいい? 大好きな教会用の青いドレ
ひつよう
けるのに悪い言葉は必要ないのよ。
」
F16
くら
かみ
早く終わってほしいと思いましたが,ビデオは続きました。とう
こころ
じ ぶ んじ し ん
大切なことに気がついたとき,暗い気持ちは消えていきました。
「ほんとうにそう思っているの?」
し
わ
それが良くないのか分かっていました。自分自身で理解したか
らです。
おも
か
いま
うた
らって,悪い歌だということにはならないわ。
」
はや
おも
とそのときは思いました。でも今は,なぜ
した。「確かにそうね」
「あんな服を着ているか
わたしはもじもじしながら言いました。
わる
ことば
突然,キャロラインがアリーシャについて言った言葉がうかびま
かあ
てきでした。●