天良明鏡序 古人に言有り、天命之れ性と謂うと。曷ぞ嘗て之れを論

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天良明鏡序
古人に言有り、天命之れ性と謂うと。曷ぞ嘗て之れを論ぜんや。夫れ天
は上帝を指す也。天命は上帝の命也。性は天の我に賦する所以にして、
と
いわ ゆ
あら
我の天に秉る所以は即ち所謂る天良也。天良の外に見わるるを道と為す。
そな
あら
故に曰く、性に率うを道と謂うと。性は内に具わり、端倪と雖も未だ露
われずして真理は常に充つ。聖書に云く、内自づから証を為す、而るに
その思慮、時に褒貶を寓すと。是れ也。天良を全うすれば即ち天命に合
おのお
す。その日用事為に於て各 の当然の則有り、以て上帝の真理を顕わさ
まさ
ざること莫し。則ち人の人たる、当に謹みて此の天良を守るべし。時に
常に検点し、須臾も離る可からず。人にしてその天良を尽せば則ち潔浄
したが
清虚、坦然安楽。他無し、上帝の命に順 えば也。人にしてその天良を
失えば則ち汚穢憧擾、惄然憂危。他無し、上帝の命に逆えば也。順えば
安、逆えば危。聖教の大要はそれ此に在るか。然らば則ち聖教 〔聖経
あ
カ〕の一書、それ皆な人の天良を激発する所以なり。その理と実と相い
契合し、その道は更に印証に堪う。天律に本づきて以て人律と成り、亦
つ
た心法に即きて以て道法と成る。此れ固より人の知らざる可からず、信
た
ぜざる可からざる者也。但だ世人は気禀の拘る所、私欲の蔽う所なれば、
則ち昏蒙にして鑒察に由る莫し。今、故に聖書最要の道を摘論し、天良
つく
おのお
-之明鏡を為る。亦た閲して之を信ずる者、不昧虚霊、各 の天良を挙げ
-て之れを発見せんことを望むのみ。
〔第一章〕当に真理を信ずべきを論ず
いわ
一 万物の原始。聖書に云く、太初の時、上帝天地を創造す、開闢より
た
以来、上帝の永能なる性体、目、見る及ばず、惟だ其の造る所の物、睹
して知る可きのみと。又た云く、吾、惟だ信ず、天地は上帝を以て造る
かく
を知ると。此の如く云々すれば則ち其の事確然、其の理真実なるを知る。
た
夫れ既に宇宙万物、皆な上帝の造る所為るを知れば則ち万物本有にして
有るに非ず、亦た自ら能く有ると為すに非ざること明かなり。人は、万
物の霊為り、亦た万物の一為り。其の有る所以も亦た然り。乃ち仰観俯
察すれば形形色色たるを覚ゆ。奥妙の存する所に非ざるは莫し、然して
あら
うち
亦た真理の著わるる所に非ざるは莫し。而して其の中惟だ人のみ最貴と
為し、惟だ亦た人のみ最奇と為す。視聴言動已に恒流と異なり、智巧聰
はる
明、迥かに庶類に超ゆ。他無し、上帝土を以て其の身を造り、更に嘘気、
もろも
以て霊と成す。 諸ろの凡ての生物をして其の下に服し、之れを管理せ
み
しむ。聖書に云く、爾、我が躬を造る、神妙測り莫し、爾の経綸、奇異
ならざるは無し、是れ我知る所にして爾を頌美すと。然れば則ち人の上
い か
帝に於る、宜しく若何に感謝すべき哉。人、上帝を見る能はずと雖も、
し
受造の物を見て上帝を見るに如かん。受造の物、之れに各の賦するに其
の性を以てするを見て尤も上帝を見るに如かん。真に上帝を見るに非ざ
い
る也、真理を見る也。真理は即ち上帝に由りて出づ。真理を明らかにす
るは即ち上帝を信ずるなり。人、上帝を信じて之れを敬い之れを畏れ、
之れを愛し之れに服す、それ天良に於ける、遠からず。
一 万民、罪有り。聖書に云く、上帝の人を造るや、正直を是れ務めと
す、惟だ人の為す所、機巧百出すと。又た云く、上帝世人を鑒観す、悪
な
こ
いだ
2
を作すこと貫盈し、心に図る所は維れ恒に悪念を懐くと。蓋し人、皆な
たが
自から其の性を失ひ、始造の性に復さざるを謂ふ。善に違ひて悪に向ひ、
かえりみ
上帝の誡を犯す。一として純全、其の中に在ること無し。返之るに上帝
かく
の我に天良を賦す、果たして是の如きや否や。人は而るに撫心自問し、
当に自から諱む能はずして曰く、我れ罪人に非ざる也と。猶ほ高きより
まこと
下に墜ち、卑賤汚穢、皆な困苦の中に陥るが如し。此に甚
に耶穌、降
およ
よ
世し、苦を受け難に替ぶこと有るに頼り、我が罪人を救ふ也。夫れ耶穌
は何人にして能く我を救ふ哉。聖書に云く、爾、乃ち我が子、今日爾を
われ ら
生むと。又た曰く、吾儕その栄を見る、誠に天父独子の栄なりと。更に
其の伝道、品行、異蹟、復生等の事を見るに、皆なその上帝の子為るを
しからざ
明証す。その或いは
否 るを疑ふを得ざる也。然らば則ち耶穌、誠に万
よ
たぐい
民に超越し、従りてその尊貴に匹 するもの無し。聖書に耶穌の死を受
け、十字架に釘せらるるを論ず。身、木に懸けられ、我が為に刑を受け、
うつ
我れをして悪を去り善に遷らしむと云うが如し。蓋し人、已に罪を犯す、
拯救するに力無し。而るに永苦を免がるるは必ず一の至尊至貴の人を得、
以て挽回の祭と成り、我と上帝をして復た親しからしむるを得ればなり。
耶穌は則ちその人にしてその事を行う。之を以て我が罪を赦免し、我が
心を変化し、宗徒に伝授し、普く天下万世を化す。倶に各の潔浄、聖と
-成り、本に返り始に復し、以て永生を得。これ固より功成の傑出し、恩
-を格外に施す者也。人、天良を以て之を証す。危然として懼れ、幡然と
して悔いざること有んや
一 万物の末期。凡そ事に初め有れば必ず終り有り、始め有れば必ず末
有り。万物に之れ末期有ること、人、之れ無しと説くこと能はざる也。
こ ちか
聖書に云く、末期、伊れ邇しと。又た云く、期未だ至らず、上帝、その
意無きに非ず、乃ち民が為の故なりと。是の如くして万物の末期、その
あらかじ
時を逆料する能はずと雖も、預 めその理を定む可からざること無き也。
ただ
今、人の不善を見るに、罪を上帝に獲、その栄
を没す。而して上帝即
くだ
ちに罰を降さざるも、漏網の逃る可きに非ず、実に時の未だ至らざるを
穫ればなり。聖書に、人、主の、為に濡滞するを視ん、主、実に我に寛
たり、人の悔い改むるを欲し、人の沈淪するを欲せずと云うが如き、是
れ也。譬うるに人、肉身有り、生時有れば即ち死日有るが如し。その生
ごと
るるに当りその死を忘るるが若し。然るに但だ死期、何日なるを知らず
して、死日に期無しと謂ふ可からず。若し預め生前に備へずんば、必ず
死後に追悔するに至らん。末期、亦た然り。末期の至るを論ぜんに、万
民復生し、耶穌の台前に至り、共に審判を受く。善なる者は永福を望む
可く、悪なる者は定めて永刑を受けん。この時、天良顕露し、隠蔵する
こと能はず。亦た曖昧なるも昭彰し、逃避すること能はず。聖書に又た
云く、主の日、将に至らんとするや、時に当りて大声一呼、而して天、
や
なんじら
之れが為に崩れ、地と造作の物と、かれざるは無し、爾曹宜しく如何
にも善を行ひ、虔敬、佇みて上帝の日を顕はすを望むべし。その顕はる
るの時、則ち凡そ形色有る者、焚きて燬かる、上帝、命ずる有り、天地
一新、義は中に処す、吾儕の望む所なりと。夫れ吾儕とは、聖徒を指す
也。望む所は永生也。惟だ聖徒のみ永生を望む可し。又たその天良の不
よ
昧を以て、聖道を謹守す。既に耶穌の功に頼りて以て罪を贖ふ。復た上
3
帝の恩を蒙り以て義と称せらる。而る後、希望する処を無窮に得ん。然
れば則ち惟だ聖教を信ずる者のみ末期の至るを懼るること無かる可し。
〔第二章〕当に命ぜらるる所の事を行ふべきを論ず
一 上帝を敬愛せよ。聖書に云く、爾、当に全心全力、主、爾が上帝を
愛すべし、人を愛すること己の如くせよと。これ上帝伝ふる所の律法な
り。善を盡し美を盡し、人に当に謹守奉行すべきを命ずる所以の者なり。
故に聖書に云く、豈に律法の人を縄する、畢生これを以てするを知らず
やと。夫れ上帝、既に我に与ふるに天良を以てす。何ぞ復た我を縄する
したが
に律法を以てせんや。亦た我、人欲に狥 うを以て、亦たこの天良に逆
ふを以てのみ。然れば律法は天良の見端也。聖書に所謂る、法は心に銘
じ、行を以てこれを彰かにすと。是れ也。法の未だ立たざれば則ち法は
心に寓す。天良は即ちその法なり。法既に立てば即ち法は諸ろの行を彰
かにす。法は即ちその天良なり。人既に人欲に下り、以て天良に逆へば
則ち律法を以て之を縄せざるを得ず。且つ夫れ律法の大要、既に上帝を
愛するに在り。而るに又た必ず人を愛すること己の如くせよとは何ぞや。
蓋し上帝既に我を愛す。而して我、敢て愛を以て之に報ゆと言ふに非ざ
る也。上帝亦た愛せざる所無し。而して我、敢て上帝の愛する所の者を
以て兼愛せざるに非ざる也。忠臣たりて朝宁に和衷すること能はざるは
-真の忠に非ず。孝子たりて家庭に敦睦する能はざるは真の孝に非ず。則
-ち上帝を愛して衆人を兼愛せずんば真に上帝を愛するに非ず。況んや世
人、もと一体に出づ。天下猶ほ是れ一家のごとし。相い親しみ相い愛す。
理の固より然る所なり。此れ律法の意、誠に完全備美なり。而るに人、
顧みて上帝を愛するを知らざる者、その中心、豈に上帝の法を悦ばざら
んや。抑も豈に上帝の鴻慈、寛容、恒忍、仁愛を藐視せんや。聖書に云
く、上帝の法に服するは内心にして悪法に服するは外心也と。内心を保
し、以て外心を絶てば則ちその天良永固なり。感謝して上帝を敬愛せざ
ること有らんや。
一 罪を悔い過を改めよ。夫れ上帝を愛すると人を愛すると、皆な我が
天良を尽す所以にして、罪過無く、亦た法を犯すこと無きは我が本分、
みずか
当に是の如き也。但だ我、已に然らず。一生の志意云為を挙げて躬
ら
ああ
を撫し自問す、固より能く事事に天良に合するや否やと。噫、吾その必
ずしも能はざるを知る也。能はざるとは則ち人人罪過有り、人人上帝の
法を犯せば、即ち上帝の恩眷を得て赦宥を得ること能はず。聖書に云く、
天国、邇し、爾、宜しく悔い改むべしと。又た曰く、爾、宜しく菓を結
び以て悔い改めを彰かにすべしと。蓋し始祖の誡を犯すより以来、孽根
とどま
よ
みだ
遺過、底 ること無き於り、而して又た内念の擾るる所、外誘の迷ふ所
と為る。本有の天良已に問ふ可からず。故に上帝、之を視るに、復た一
として完善善美の人も以て喜悦して歓愛するに足ること無し。惟だその
誠心悔い改め、以てその秉彜の性に復することを望むのみ。故に聖書に
云く、人、更生するに非ざれば上帝の国を見る能はずと。更生は悔い改
あらた
めの意也。能くその旧染の汚れを革 め、自からその新命の徳を生ずれ
ば、又た上帝の慈悲を蒙り、以て潔浄にして義と称せらるるを得ん。然
れば則ち世人孰んぞ罪過無からんや。苟も天良の激發すれば当に必ずや
衾影抱慚、悔い改めざらんと欲するも能はざるものなり。
4
一 主、耶穌を信ぜよ。聖書に云く、上帝、人の耶穌を信ずるを以てそ
の義を称すと。蓋し衆、已に罪を獲、上帝賜ふ所の栄に歉らぬもの有り。
うるほ
惟だ基督耶穌の罪を贖ふに因りて則ち上帝の恩に沾 ひ、労せずして義
と称せらる。上帝、耶穌の流血をして挽回の祭と為さしむ。凡そ之を信
ずる者は赦宥を蒙るを得。此くの如くなれば則ち人、能く悔い改むるは
誠に善し。但だ往世の罪過、依然として仍ほ在り。所謂る一眚の愆を以
つい
わずら
て終に大徳を累 はすなり。惟だ耶穌救主の、上帝の命に順ふ頼り、我
が罪の為に釘せられて難を受け、復生して我をして潔浄、義と称せられ
しむ。我、もと罪を犯す人なるを以てすれど、信ずれば則ち赦宥を蒙る
う
可し。我、既に上帝の震怒を于るを以てすれど、信ずれば則ち復た親を
得せしめん。聖書、又た云く、耶穌我に代りて罪を贖ひ、我をして上帝
お
と復た親しからしむと。此を舎きて別に救主無し。然れば則ち我、既に
罪を犯す、刑を逃る可きこと無し。而るに明明たる一救主有り、我が前
に立ち、我が罪を贖ひて我が刑を免じ、且つ我を引きて永生の地に至ら
しむ。此くの如くにして尚ほ猶予濡滞し、急ぎ信服せざるや、譬ふるに、
いや
いや
食の我が飢ゑを療す可くしてその食を受けざるが如く、医の我が病を癒
す可くしてその医に服せざるが如し。則ち亦た必ず亡ぶのみ。然り而し
て信は又た虚文に在らずして内心に在る也。耶穌曰く、凡そ我を称して
ことごと
-主よ 主よと曰ふ者、未だ必ずしも尽 く天国に入るにあらず、惟だ我
-が天父の旨に遵ふ者のみ入ると。則ち誠心これを信ずる者、当に必ずそ
の権に服し以てその命を守り、飢ゑの食を望むが如く耶穌の生命の菓た
るを信じ、病の医を望む如く耶穌の不死の方たるを信ずれば、道の偽た
る無く、理の虚たる無きを観ん。真実を以て信ずれば、過、免かる可く、
罪、赦さる可し。希望を以て信ずれば、徳の〔これ〕
より大なる莫く、
まこと
恩の〔これ〕より厚き莫し。感謝を以て信ずれば、信 に悔悟の致す所に
従ひ、又た天良の生ずる所に従はん。此れ聖教に進みて永生を求むる所
以の者、惟だ信の一字を最要と為す也。
〔第三章〕当に戒むべきの罪を論ず
きざ
一 偶像を拝すること勿れ。聖書に云く、偶像を雕むこと毋れ、天上地
かたど
下、水中の百物、像を作り之を象 ること勿れ、拝跪すること毋れ、崇
奉すること毋れと。蓋し上帝は乃ち造化の大主宰、天地万物、皆なその
造る所にして、至尊、対無し。人は当に独一、之を崇奉すべし。像を作
り、以て象る者は皆な受造の物也。乃ち造化の主を欽崇せずして反って
これ
受造の物を欽崇す、罪、焉より大なるは莫し。既に造化の主を欽崇して
又た受造の物を欽崇す、罪、又た重し。譬ふるに父母の我を生み、我、
当に之を敬すべきが如し。聖書に云く、爾の父母を敬へと。是れ也。乃
ち我を生む父母を敬はずして我が父母の所有の服物器用を敬ふ、亦た謬
た
妄ならずや。特だ此れのみに非ざる也。我を生む者は惟一の父母、当に
孝養すべき者は亦た惟一の父母なり。乃ち父母の生きては菽水、歓無く、
えが
父母の死しては雞豚、時に薦め、或は像を絵きて以て之に奉じ、或は位
を設けて以て之に供ふ。夫れ像と位と、是れ我が父母か。その仮を敬畏
ここ きざ
することその真を敬畏するに勝る。此れ皆な偶像を拝する者、之に階す
の禍也。天良の喪失すること、此れに加ふる者莫し。故に聖書、重ねて
戒めて云く、慎みて偶像を拝すること毋れと。
5
一 情欲に従ふこと勿れ。聖書に云く、欲に従ふは、体欲の情なり、体
欲の情は死なりと。人の始生を論ずるに、既に各の天良に秉れば則ち皆
そな
な潔浄清明、衆理を具え以て万事に応ず。但だ後起の情欲の為に之を蔽
いよい さかん
はる。則ち情欲愈 よ燬 んにして天良愈よ滅す。聖書、又た云く、亦た
我が情欲中、懿徳無きを知る、故に好ましき所の善を行わずして好まし
からざる所の悪を行ふ、好ましからざる所を行ふに非ず、之を行ふ者は
うち
乃ち我が中なる悪なりと。此の言、至切詳明なり。夫れ我が中なる悪は
即ち我が中なる情欲なり。人の本心を以てすれば善の当に好むべく、悪
にく
かへ
の当に悪むべきを知らざること莫し。乃ちその好む所を行はずして反っ
てその悪む所を行ふは、此れ我が初心に非ず、欲に本づきて之を為す。
実に我が情欲、我を引きて之を為す。蓋し我、既に欲に狥へば即ち時に
つね
天良の不昧有り、亦た善を為すの楽しむ可きを知るも、毎に悪、眼前に
かえ
在り、以て善と敵す。此れ他無し、情欲に権有り、而るに天良は転って
そ
権無きのみ。彼夫れ栄寵を希みて君臣の大義失し、晏安を便りて不死の
うす
はな
もと
天性漓く、淫慾に従ひて夫婦の正直乖れ、物産を争ひて兄弟の至情悖り、
たつと
意気を尚 びて友朋の交誼疎き、古今来、理に背き常に反するの輩、要
こ いづこ
とど
は一時の情欲を逞うするに過ぎず。而してその禍、伊れ何 にか底まら
ん。聖書に云く、我乃ち欲に狥い、自から悪に鬻ぐと。是れ也。此れ特
-だ尋常の情を制し欲を遏むるに非ず、以てその天良を全ふす可き也。聖
-書に云く、上帝の神、爾の心に在れば則ち爾、欲に従はずして神に従へ
と。故に必ず篤く耶穌を信じ、虔んで聖神を求め、而るのち吾が情欲を
滅す可きのみ。
一 世故に溺るること勿れ。世故は世界の風俗なり、当にその故を思ひ
ひと
て之に溺るること勿れ。当世の風俗を曠観するに斉しからずして風俗の
崇尚も亦た一ならず。或は風教に関するもの有り、或は夫の人心に裨す
ること無し。是非、混淆す可からず。棄取、尚ほ須らく検点すべし。必
ずしも良法美意の以て遵循するに足るもの無きに非ず。亦た邪説の横行、
宜しく深く痛絶すべきもの少なからず。然り而して此に溺るる者、常に
その故を思はず。沿習久しければ則ち恬として怪と為さず。錮蔽深けれ
み とも こ
ば則ち牢として破る可からず。誰れか能く旧染の汚俗をして咸な与に維
れ新ならしめんや。聖書に云く、凡そ上帝より出づる者、以て世俗に勝
つに足る、その世俗に勝つは惟だ主を信ずることのみ能く之をすと。何よ
ぞ、凡そ物は皆な上帝の造るところに従へば、則ち真理は自から上帝従
り出づ。耶穌、上帝の子為り。降生して世を救ふ。耶穌は乃ち真理也。
ここ
真理を以て聖教を立てれば即ち此の真理、世故に勝つ。是に聖教の立つ
を以て既に大道の根原を顕はし、亦た中流の砥柱と為す。実に以て頽風
を挽して靡俗を救ふに足る。彼の世故に溺るる者、聖教を挙げて反覆こ
なら
れを玩へば、それ亦た爽然自失せん。夫れ世故に溺るるとは維れ何ぞ。
天地を敬し、神仏を礼し、祖宗を祭り、偶像を拝し、経を誦してを設
け、香を焚きて錠を焼く等の如き、是れ也。
一 肉身を恋ふること勿れ。暫時の命、霊魂永生の命に過ぐればなり。
聖書に云く、敗るべきの糧の為に労すること勿れ、当に永生の糧の為に
労すべしと。敗るべきの糧とは生前の財貨、肉身これを受く。永生の糧
いにし
とは死後の永福、霊魂これを享く。古 へより敗れざるの肉身無くして、
も
6
惟だ不滅の霊魂有り。則ち肉身は暫にして霊魂は永のみ。倘し眼前の嗜
好に遇へば決意厭心、世末の典刑を顧みず、哀号痛苦、譬ふるに漏脯の
飢ゑを救ひ、鴆酒の渇きを止むるが如し。暫くは飽かざること非ざるも
死も亦たこれに及ぶ。聖書云く、爾、世に処するに宴楽を楽しみ、淫佚
を縦ひままにし、以て心志を快にす、猶ほ牲牷の肥腯し、以て宰割を待
つがごとしと。此の如し。慄慄として危懼せざる可けんや。聖書、又た
云く、喜ぶ所、又た患難に在りと。蓋し患難は強忍を生じ、強忍は練達
を生じ、練達は希望を生ずるを知る。夫れ患難にして能く強忍なれば暫
時の命、舎く可し、練達にして希望あれば永生の命、帰す可し。而して
まさ
且に暫なれば則ち偽、永なれば則ち真。暫なれば則ち虚、永なれば則ち
実。此れ孰れか得、孰れか失。何れを去りて何れに従はん。之を天良に
証するに、その必ず能く取る所を択ばん。
〔第四章〕審判の公なるを論ず
ひさ
聖書の審判を論ずること尚し。一に曰く、私審判。一に曰く、公審判。
私審判は、人死して独り上帝の審判を受く。聖書に云く、人固より死有
さば
り、死せば之を鞫く事有りと。是れ也。公審判は、世の末にして羣、上
帝の審判を受く。聖書に云く、義鞫、日に顕はれ、各の人の行ふ所を視
て之に報ゆと。是れ也。夫れ上帝何を以てか審判の有るや。人の善悪有
-るを以て也。人何を以てか善悪の有るや。聖教、之を信ずると信ぜざる
-を以て也。聖教、之を信ずると信ぜざると何を以てか善悪を分つや。蓋
し聖教は上帝の教也。信ずれば則ち上帝の誡命に遵ひて善人と為り、信
ぜざれば則ち上帝の律法を犯して悪人と為る。善悪異なりて賞罰有り。
賞罰殊なりて禍福有り。禍福分れて両途を置く。それ必ず審判の主有り。
ほし
至公無私なるや明らけし。彼の肆ひままに輪廻を言ふ者、固より荒誕不
よんどこ
経、即ち妄りに因果を説く者、亦た虚浮にして 拠 ろ無し。惟た上帝の
審判有るは道の当に然るべき所、理の必ず然る所の者也。而るに人の、
顧みて之を疑ふ者有るは何ぞや。彼謂らく、大造濛濛、化工渺渺、即ち
顔回の仁、貧にして夭、盗跖の暴、富にして寿なるが若く、忠臣義士、
常に厄難に遭ひて身に狥ひ、権党奸雄、安んじて栄華を享けて世に没す、
偽造を為して未だ盡く殃を降さず、厚徳、豈に皆な福を載せんや、強者
は愈よ強く、弱者は愈よ弱し、天道の至公、果して是くの若きなるやと。
是れに由りて徳を修め仁を行ふの士、志気漸く衰へ、私に狥ひ欲を縦ま
にするの徒、悔悟するに日無し。嗚呼、是れ何ぞ審判の日を思はざるや。
さき
もし
もし
向に〔尚アルイハ倘カ〕
上帝をして審判の日無からしめば則ち悪を為す者、
必ず将に善を為す者を笑ひて愚となさんとし、善を為す者、反って悪を
とも
為す者の巧を羨まんと欲す。而して形軀の暫く紅塵に寄せ、骸骨の同に
黄土に帰するを知らず。生前の否泰、覆覆として常無しと雖も、死後の
たが
彰癉、毫釐も爽はず。謂ふ毋れ、天心問ひ難しと。而して肆意妄行の当
に天譴の逃れ難きを思ひて、邪を棄て生を守るべし。蓋し世界は之れ暫
栄暫枯、終に殄滅に帰す。而して末日の永生永死、断じて変更無し。聖
書に云く、人の子、栄位に乗り、聖使と偕に至ると。又た云く、上帝為
に万事を鞫き、その隠微を彰らかにすと。或は善、或は悪、加ふるに賞
罰を以てす。善なる者は必ず福祉を蒙りて善報を獲、悪なる者は必ず凶
よ
災にひて悪報有り。その審判の公を言ふ、確として拠る可きもの有り。
当に夫れ号角声鳴、万民奮起し、硫火の勢は烈しく、庶物は消鎔し、死
そな
いささか
者は甦りて生者は化し、大神通を具へ、善に賞有り悪に刑有り、纖 も
私曲無し。且つ所謂る審判は、又た国法の審判の如きに非ざる也。功も
あた
抵る可からず、金も贖ふ可からず。網漏の倖ひに逃るる無く、株連の過
あみかか
慮無し。桃の僵れて李の代る可きこと非ず、兎爰して雉の則ち
羅 る
すす
つね
こと非ず。隠微も悉く貢め、巧欺も倶に庸無きに属す。幽独胥昭、誠に
撲にして又た何ぞ礙ぐるものあらん。善なる者を右に挙げ、同に明宮に
進む。悪なる者を左に置き、尽く暗府に投ず。貧賤、関する無く、富貴
安くにか在らん。斯の時や、即ち天良の感発する有り。亦た徒らに悔悟
もつ
の已に遅きを歎くのみ。是れを用て吾、世の各の天良を具ふる者に望む。
信に聖道に依り、常に救主の恩を蒙り、前非を悔い改め、以て義鞫の日
を待つを。是の如くして永生不壊の霊、安然として永福を享く可し。嗚
呼、人何ぞ審判の日を思はずして永く天良を保たんや。
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