発行 横浜教 区広報委員会 力 トリ ック ■ヽ X(045)641-6522 68 号 来年 は横 浜 教 区設立 七十 五周年 、 山手 教 会 献 堂 百 五十 周年 日本再宣 教初 の聖堂を記念 し て 関東大震 災以前 の 山手教会 (19061923) ◇ 日本 再 宣 教 初 の聖 堂 を 記 念 し て ◇ 山梨 県 教 会 一致 祈 祷 会 に参 加 し て ト の教会 を愛 す る ◇ 連載 キ リ ス ◇ 典礼 コーナー﹁ 侍者 ︵ 祭壇奉仕者︶の奉仕﹂ ◇ 司 教 への提 言 主な記事】 【 途絶え、教会は長 いこと司祭 崎大浦天主堂が献堂される三 横 浜 教 区 は 二 〇 一二 年 、 教 区 設 立 七 十 五 周 年 を 迎 え いな 支 時 を ご の い 丹 代 過 す 切 年も前 のこと です。これが切 ます 。 同 じ年 に司教 座 聖 堂 であ る山 手 教 会 は 、 一八 六 ことになります。 支丹弾圧後 の日本再宣教 の始 二年 に開国後初 めての天主堂献堂 から百 五十周年 を迎 ただし、開国 の約 二十年前 まり です。現在はビ ル、 マン えます。 にはバチカンの布教聖省 の要 シ ョン群が建ちならび当時 の 請 に基づきパリ外国宣教会が 面影をし のぶことは出来ませ 我国におけるキリスト教宣 ン追放令を発布し、そ の後は 日本 への再宣教 の準備を開始 んが、そ の地には 一九六二年 教は 一五四九年 の聖 フランシ 弾圧 の強弱があるも のの尊き されます。 一八五四年 の開国、 に再宣教百周年を記念し作ら 一 一人五九年 の開港によ って日 れた等身大 のキリスト青銅像 スコ ・ザビ エル師 の鹿児島上 多く の血が流されました。 陸によ って始まりました。 一 六三三年 には本格的な鎖国令 本は五カ国と修好通商条約を が建ち、道行く人に両手を広 五人七年に豊臣秀吉がバテレ が発布され諸外国と の交易も 結び、 フランス公使と共にパ げ て招 いておられます。 この最初 の教会は火災等 に り外国宣教会 のセ ラファンムビフール もあ い改修工事も行われまし 師が来目されまし たが、 一九〇六年 に山手町四 た。まだ当時は街 十四番地 へと移転しました。 角 に禁教令 の高札 そ の後、関東大震災 で崩壊し が掲げられている たため建替えられ現在 の山手 時代 でしたが、外 司教座聖堂に至 っています。 国人居留地に限 つ このよう に来年 の十 一月 二十 ての教会建設が認 三日 ︵ 横浜司教座聖堂献堂記 められ、ジ ラール 念日︶は山手司教座聖堂百五 師は 一八六二年 に 十周年記念日にあたります。 横浜居留地八十番 これは日本再宣教百五十年 の ︵ 現 。中 区 山 下 町 節目でもあります。 八十番地︶に開国 また、再宣教当時 の日本に 後初めての天主堂 は教区はなく、代牧区 ︵ 宣教 を献堂しました。 地 で教会組織化が少し進んだ 現存する国宝 。長 段階 でおかれる組織︶が横浜 居 留地80番 に創建 された聖心聖堂 (18621873) 20114F4月 カ トリック横浜教区報 68号 横 浜 市中区 山手 町44 丁231-8652 Z' (045)662-5585 横 浜 司教館 内 に置かれました。そ の後、日 本 の宣教区分は南北に三分割 され、そ の後北緯地区から東 京大司教区が生まれ、 一九三 七年 には東京から横浜教区が 分離され初代教区長にアレキ シス ・シャンボ ン大司教様が 就任されました。現 。梅村昌 弘司教様は八代目教区長にあ たります。よ って来年は教区 設立七十五周年 の節目です。 このよう に来年は横浜教区に と って記念す べき大きな節目 の恵みの年にあたります。来 │リ 様を知り、愛を知 った﹂とい 一致懇聖歌 う証しが行われ、 隊の美しい歌声で祈祷会が閉 じられました。祈祷会後の食 事会は、百二十六名が 一堂に 会し、女性会の皆さんが腕を ふる ってくださ った特性豚汁 ︵ 美味しいと大好評でしたH︶ で、神様の子どもとしてイエ ス 。キリストの愛の福音を証 ししていく兄弟姉妹が、とも に温かなひと時を持ちました。 その場所に、あずからせてく ださ った神様のお計らいに心 から感謝致します。 ︵ 甲府教会 池田まゆみ︶ わたしたちが受けたキリス ト信仰は確かに ﹁ 個人﹂ の救 いにかかわ こと で が、し す る かしそれだけに留まらず ﹁ 信 仰 の連帯﹂を強く呼びかける 信仰 でもあります。したが つ て、 聖体 の秘跡がもたらす﹁コ ンム ニオ﹂ の秘義 のもう 一つ く ストの 融含と反する 年 度 に は 記 念 の感 謝 ミ サ を は じ め 色 々な 行 事 や 企 画 が 実 施 さ れ る こ と と 思 いま す が 、 教 区 民 が 一つ に な って こ の 慶 事 の8) (く を 準 備 し 祝 い た いも の で す 。 な お 、山手 教会 と し ては百 五十 周 年 記 念 誌 編 纂 等 も 考 え て準 備 会 を 立 ち 上 げ ま し た 。 古 い 写 真 。資 料 等 を お 持 ち の 方 が お ら れま し た ら お借 り 出 来 れ ば 幸 いです 。 ご 協 力 を よ ろ し く お 願 い申 し 上 げ ま す 。 山手教会教会委 員長 ︵ 高橋 新平︶ の ﹁初 代 エ ル サ レ ム の 教 会 に た 。 主 任 司 祭 ゴ ー チ ェ神 父 様 日 ︶ が 甲 府 教 会 で行 わ れ ま し 山梨 県 教 会 一致 祈 祷 会 に参 加 し て 四十四回を迎えた教会 一致 祈祷会 ︵一月二十五日∼三十 日︶最終の第六夜 ︵一月三十 なら い、四 つの 教えを大切に、 心をひと つに祈 りましょう﹂ の 祈祷に続き、甲 府キリスト福音 教会 の中込さと 子さんの ﹁ 助産 師 と いう 生 命 亡 く な って い ︵ く 小 さ な 生命︶ の現場 の中 で神 第 44回 山梨 県教会 一致祈祷会 の最終 日 (甲 府 カ トリック教会 ) カ トリック横浜教 区報 68号 2011`F4月 の面を忘れてはなりません。 ﹁ 同じ救 いの秘跡 に与 るわた したち﹂と いう こと です。こ こに ﹁ キリスト の教会﹂と い う自覚と感性 の源泉がありま す。前回 ﹁ 信仰者 の横 のつな がり﹂と申 しま した が、﹁ 交 わり﹂と いう風にも表現され ます。でも ﹁つな がり﹂﹁ 交 わり﹂と いってもそれは決し て人間的な、感情的な、イデ オ ロギー的なそれな のではあ りません。まさに ﹁ キリスト の恵み﹂、﹁ 世 の終わりまで い つもあなたたちと共 に いる﹂ 0 夕ニ ギ 八2 一 ← と約束 な さ ったキリスト の現存 にあず かる ﹁ 連 帯﹂﹁ 交 わ り﹂な の です。 が た い現 象 で す 。 こ の こ と を 見 つめ る だ け で も 時 間 と 空 間 に ま た が っ て あ る ﹁キ リ ス ト に お け る つな が り 、 交 わ り ﹂ の ス ケ ー ル の大 き さ と 確 か さ に驚 か ざ る を 得 ま せ ん 。 そ し てそ れ を 支 え てき た のは ま さ に ﹁聖 体 の 秘 跡 ﹂ で あ り 、 そ れ に 生 か さ れ た 無 数 の人 々 の 祈 り と 証 し のう ね り な の で す 。 わ た し たち誰 も が、 具体 的 に そ れ ぞ れ の生 活 の場 に あ る ﹁小 教 区 ﹂ と 呼 ば れ る 信 仰 共 同 体 に 属 し て いま す 。 言 う ま ︵ 聖体 の で も な く ﹁小 教 区 ﹂ の 土 台 は ﹁コ ン ム ニ オ ン ﹂ に あ り ま す 。 小 教 区 で の聖 体 祭 儀 秘 跡 ︶ に お いてわ た し たち は 個 人 と し ても グ ル ー プ と し て こう言うと何か大げさなこ も ﹁キ リ ス ト の 教 会 ﹂ に 与 り 、 と のよう に聞こえるかもしれ また教会を作り上げ ているの ませんが、でも考えてくださ です。しかし、﹁コンム ニオ い。わたしたち 一人ひとりが コ ン ム ニオ ー ヌ ム ﹂ の ス ロ ー ﹁ キリスト の教会﹂にこう や っ ガ ン は 、 個 々 の 具 体 的 な 小 教 て所属していると いう ことは、 区 ︵=信 仰 共 同 体 ︶ を さ ら に 何か不思議なことではな いで 超 え る も っと 大 き な 視 野 を わ しょうか。自分よりも先にあ た し た ち に与 え てく れ ま す 。 るキリスト の教会は、長 い長 す な わ ち 、 キ リ スト の教 会 は い歴史をくぐりぬけながら消 ﹁諸 共 同 体 か ら 成 る 大 き な 一 えることなく歩み続け、人類 つ の 共 同 体 ﹂ だ と いう こ と で 社会に広が っている打ち消し す 。 3 づ く ︶ 復活された主に出会うために 侍者の奉仕 キリストと共 に、キリスト を通して、共同体が捧げるミ サは、神 への最高 の礼拝 です。 この感謝 の祭儀が スムーズに 行われるように、共同体を代 表してキリスト の祭壇 で奉仕 する侍者 の役割はとても重要 です。侍者 の正し い動作と姿 勢 によ って共同体 の心をイ エ スに向かわせるから です。侍 者も会衆 の 一人として司祭と 共にミサを捧げ ていることを 忘れず、祈りながら司祭と共 同体 に奉仕するならば、 いつ そうよく神 に仕えることにな ります。 第 ニヴ ァチカン公会議まで 第 ニヴ ァチカン公会議ま で、 祭 侍者は英語 で ご一 ●﹃げoく︵ 壇 の坊 や×、と呼ばれていま した。この言葉は、祭壇 に仕 えるのは男 の子に限られてい たことを表して います。ミサ はラテン語 で捧げられていた ので、会衆は司祭 の挨拶、祈 り への招きなどに応えること ができませんでした。そこで 司祭は、侍者にラテン語を暗 記させ、司祭 のラテン語 の挨 拶などに応えることができる よう にした ので、でヽサごた え﹂と呼ばれるよう になりま した。 侍者 には鈴を鳴らす役割も ありました。司祭は会衆に背 中を向けてミサを捧げ ていた ので、ミサがど こま で進んで いる か を 会 衆 に知 ら せ る 必 要 ます。小学生だけに頼んでい にす るよう に留 意 す べき で 暉墜口 同 原 神学生山の家 が あ った の で す 。 た と え ば 司 ると、中高生が侍者を敬遠し しよヽ つ。 かねません。女 の子ばかりに 司祭は、信徒に任せること 使用申込受付開始 祭 が 御 血 を いた だ く と き の鈴 は、会 衆 に聖体 拝領 が近 づ い お願 いしていると、男 の子は ができることを自分だけで行 ﹁ 横浜教区神学生山 の家﹂は、 た こ と を 知 ら せ る た め で し た 。 来なくなる傾向があります。 う ことがな いよう に、侍者を 横浜教区神学生 の養成 のため 侍者 の役割分担 の際に留意す 育 てることが必要 です。 そ の ほ か 聖 体 拝 領 のと き 、 信 。 平日の少人数 のミサ の場合、 に開設されました 神学生が 徒 は 聖 体 拝 領 台 に ひ ざ ま ず き 、 べき でし ょう。侍者は子ども 、 だけ の奉仕 ではありません。 侍者が いな いからと いつて、 利用しな い期間に ついて 教 日 で聖 体 を 受 け る よう に義 務 、 あ 成人 の男性、女性にも侍者 の ミサ の初めから終わりま で祭 区青少年等 の夏休みの利用に 付 け ら れ て いた の で 顎 ︵ ご ︶ の下 に 皿 を 差 し 出 す 役 割 奉仕をすることが勧められて 壇 の上に、杯、パテナ、ぶど 広く開放しているも のです。 した。聖体を落とす 酒と水 のびん、手を洗う皿 利 用可能 期 間 は原 則 と し て が います。 あ り ま う などを置 いておく ことは望ま 七月 二十日から八月二十 一日 危 険 が あ った か ら で す 。 ま た 、 侍者 の勤めの大切さ 司祭、聖体奉仕者、朗読者、 しくありません。それは、祭 までとな っています。 侍 者 は カ リ スと か チ ボ リ ウ ム 聖歌隊 のメンバー、先唱者等 壇 に対する尊敬が足りな いし と いう 聖 具 を 祭 壇 に 運 ぶ こ と は 許 さ れ て いま せ ん で し た 。 のふさわし い態度がミサ の信 るしになります。会衆 の 一人 場 所 長野県上田市菅平高原 仰に満ちた雰囲気を つくるこ に侍者を勤めるよう に依頼す 利用料 社会人 ¨一泊二千円、 香 部 屋 係 り に任 命 さ れ た 人 以 こども 。 学生 ︻一泊千円。 とは言うま でもなく大切 です ることが大切 です。そ の人は、 が、祭壇 で奉仕する侍者 の役 奉納と聖体拝領 のときだけに、 一階 にはホー ル、台所、 フ 割はとくに大切 です。人堂か 会衆 の席から立 って、侍者 の ロなどがあります。 ら退堂に至るま での侍者 の動 奉仕をしても差し支えありま 三階 には和室 の大部屋 二室 きや態度は、共同体にキリス せん。 トの現存を感じさせる良 い影 特 に子ども の侍者を指導す と引率者 が使用 でき る個室が 一室あります。 響を与えます。たとえば、こ るリーダーは、侍者 の養成は 洗面所、トイレは 一階ち 二 とば の典礼 のとき、朗読者を 信仰養成 に繋がると いう意識 ていね いに案内すると同時に、 を持 ってほし いと思 います。 階両方にあります。 侍者自身も聖書 のみことばに 侍者は、 ミサを捧げる共同体 数台分 の駐車 スペースがあ 耳を傾ける。祈るときに手を に属していること、共同体 の ります。 合わせる。信仰をも って聖体 一員として祭壇 に仕えること、 多く の教会が小学生会や中 を受けるなどが大切です。も そ の役割は、共同体 にた いす し侍者が、次 に行われること る感謝 のひと つの表れである 高生会 の夏期合宿等 に利用し を他 の侍者と相談したり、お と いう心を持 つよう に導 いて ます ので、利用を希望される し ゃべりしたりするなら、会 ほし い。侍者として心を神に 団体は早めに横浜司教館 の担 衆 の気が散 る原因となります。 向けるように、 ミサ の前に短 当者 ︵ 白井︶ま で連絡し、予 侍者 の服装に ついては規則 い祈りを唱えるよう に導く こ 約をしてくださ い。 がありませんが、主日と祭日 とも大切です。 予約を受け付けてから、本 侍者 は、人 に仕え るため 案内、申込書、郵便振替用紙 のミサに白 いアルバを着 るこ ︽ とが勧められています。もし、 に御子をお遣わしにな った神 を代表者宛 に郵送 いたします。 ︾ ふだん着 で侍者を勤めるなら、 に仕える人 です。 多く の方 のご利用をお待ち ︵ 教区典礼委員会︶ 感謝 の祭儀にふさわし い服装 しています。 外 には誰も聖具に触れること は許されていなか った ので、 司祭は自分 で香部屋から杯 の 上にパテナを のせて祭壇まで 運び、ミサ の終わりまで祭壇 上 の真ん中に置き、退堂する とき自分 で香部屋 に運びまし た。 現在 公会議 の後、ミサ の言葉は 日本 語 にな り、捧 げ 方 も 変 わ った ので、侍者 の役割も変 わりました。 現在は、男女年齢を問わず、 洗礼を受けて いる人は誰 でも 侍者 の奉仕をすることができ 侍者(祭 壇奉 仕者)の 奉仕 20114F4月 カ トリック横浜教区報 68号 カ トリック横浜教区報 68号 2011年 4月 12 6 10 年 キ 年 月 月 月 2322 9 日 EI El 薩 務 警 務 挿 鯛Z ぢ ソードを残す小さ い粗末な家 のお世話 の他 に、宗教クラス、 金 視 ・銀 視 に住み、家 訪間、保育園や 土曜学校なども行 っています。 庭 簡単な医療 の手伝 いなど、貧 軽 井 沢 修 道 院 は、親 切 な 一 ム を み ま す一 お みでと一 し い生活 の中での活動 でした。 方 々と美し い自然に囲まれて、 ク ラ ラ修 道 会 ☆☆☆☆☆ 一九五六年には、軽井沢修 神様 のお望みを捜しながら、 軽井沢修道 院 ︻ 金祝 ︼ 道院が、現在 の場所 に建 てら そ の時 々を精 一杯生き て参り れました。初期 の頃は、大日 ました。これからも、そう で ウ ン ベ ル ト カ バ リ エ レ師 ︵ サ レジ 修 道 会 ︶ 私たちは、今年 二〇 一一年、 ました。来日した翌年、この 向開拓団 の 一部 の子供たちと ありますよう にと祈り つつ、 オ 修 道 会 創 立 ・来 日 六 十 年 を 四人は日本語学校 で知り合 っ 戦争 の影響 で家庭に恵まれな 簡単 ですが軽井沢修道院 の紹 1 9 6 1年 2 月 0 日 叙 階 1 2 祝 っています。 た コンラード神父 ︵コロンビ い子供たち三十三名と共に、 介を終わります。 本会 の創立者 マリア ・イネ ア管区 のフランシス コ会 士︶ 善意 の方 々の援助 に支えられ 尊者︶はメキシ コで生まれ、 の招き で、軽井沢町を訪れ、 ながら生活をしていました。 I ス︵ †︱妥らかに 観想修道院での長 い祈り の末 そ の後、軽井沢町より北 へ五 また、修練院もあり、若 い姉 お眠りくださ い に、宣教会を創立することが キ ロ、満州引き上げ後、浅間 妹たち の活力あふれる修道院 ☆☆☆☆☆ 神 の望みと確信した当初から、 山麓を開拓し て村作りをして でしたが、そ の後、修練院も ヴ ィンチ エンソ師 ︻ 日本 への宣教を強く希望し、 いる大日向村 で、宣教 の第 一 東京 に移り、役割を終えた子 スブリリオ ・ 金祝︼ →ヽラノ外 国宣教会︶ パト リ ック 、 フラ ンチ フィールド 師 創立 の認可がおりた四カ月後 歩を踏み出しました。台所 の 供 の家も閉鎖されました。し 隣が牛小屋 で、節穴から牛が ばらく の間、軽井沢修道院自 聖 コ ロ ン バ ン 会 ︶ には、早速、 メキシ コから四 ︵ 人 の姉妹たちを日本に派遣し こちらを のぞ いたと いう エピ 体も閉められ、ただ夏 の間だ 1 9 6 1年 2 月 。 日 叙 階 1 2 け使用されていましたが、 一 九八 一年 には再開し、そ の後、 希望する姉妹が 一年間 の観想 1 9 2 4 生 生活が送れるよう に ﹁ 祈り の 1 9 4 7 司祭 叙 階 家﹂が併設されました。 2 0 1 0 帰人 ☆☆マ 一九九三年 には、たくさん ︻ 銀祝︼ の方 々にご協力 いただき、現 訂 とお び パウロ 井田 明師 正 詫 在 の建物が完成し、大勢 の黙 ・ レデンプトール会︶ ︵ 六十七号四ページの ﹁ 五十 想者を迎えることができるよ 1986年1月9日叙階 サレジオ学 周年﹂ の記事 で ﹃ う になりました。恵まれた自 1 然 の中 で、多く の方 々が神様 園﹄と記載していましたが正 しくは ﹃ と出会 い、心身ともに癒され サレジオ学院﹄ でし た。訂正するとともにお詫び ますよう願 いながら、現在十 二人 の姉妹が奉仕させていた 申し上げます。 だ いています。また、黙想者 ︵ 編集部︶ 現在 の御 聖体 の宣 教 ク ラ ラ修 道 会 軽井 沢修道 院 改築前の軽井沢修道院 戸 部 保土 ヶ谷 訪 (茅 野 ) 岡 谷 富士 見 伊 那 駒 ヶ根 松 り ‖ 飯 Fj 軽 井沢 小 諸 佐 久 上 田 富 士吉 田 甲 府 山 城 塩 山 韮 崎 松 本 諏 南 信 辰 野 東 信 二 ) 真 津久井 厚 宮 鶴 木 秦 野 信 坂 中 磯 大 国府津 小 田原 (箱 根 大 相模 原 和 七 立ロ 須 山梨県 野 茅 ケ崎 磐 西 由比 ガ浜 (岡 部 子 逗 沢 金 横須賀大津 横須賀三笠 三 浦海岸 司 教 への提 言 二俣 川 二〇 〇 七 年 の 司 教 教 書 に基 づ き 、各 地 区 で地 区 共 同宣 教 司 牧 委 員 会 が 運 営 さ れ 、 課 題 に取 り 組 み 始 め て いま す 。 こう し た 中 、第 八回 横 浜 教 区 司 祭 大 会 で は 、 フ﹂れ か ら の ﹃ 地 区 共 同宣 教 司 牧 委 員 会 ﹄ を 考 え る ﹂ を テ ー マに分 団 会 で 、 ︱ 、 三部 門 に つ いて 、 = 、ヴ ィジ ョン に つ いて 、 Ⅲ、地 区 共 同 宣 教 司 牧 委 員 会 そ のも の に つ いて 、 Ⅳ、 司祭 o司 祭 団 のあ り か た に つ いて 、 話 し合 いが な さ れ ま し た 。 そ の結 果 を 受 け 、横 浜 教 区 の司 祭 団 は 、次 の よ う に 司 教 様 に提 言 いた し ます 。 手 「横浜ダルク」二十周年記念フォーラム 数多くあります。そ の中に は近年、教会 の協力を求め ていると ころがあります。 そ の 一つである依存症者回 復施設 の中には、まだ安定 しな い団体が資金援助や組 織化 のための人材を求めて います。また自分たち の状 況を理解してもらうための 啓発活動 の場、回復プ ログ ラムの実施 の場としての協 力を求めていることも、今 回 の司祭大会 の資料として 答え ていただ いた アンケー トから分かりました。この 点は教会 の施設提供を含め、 より積極的に応え ていきた いと思 います。 またカトリ ック福祉施設 にお いてもこれまでのタオ ルや洗濯物 のたたみ作業に 山 中 第 . 、 “ 囃 詢 出 嘲 か I 〓 一 部 り に つ い て な け 務 ¨ 数 熱 わ 意 っ 、 区 劉 教 の 各 嘲 開 蹴 委 員 会 と の 連 附 ﹄ 1 携 維 か 瞑 い “ 蒙 必 。 ょ し ぅ 埓 球 駆 駆 け 制 M “ 麟 た 費 際 と ト ツ 2 リ ヵ っ ¨ け 一 一 琳 一 ″ ¨ 一 一 調 耐 ¨ 削 ¨ ] 調 醜 “ 一 ん 体 ッ ト ① ・ リ カ ク 警 ] い 纂 ¨ 讐 攣 一 ¨ “ で さ 櫛 脚 調 馨 福 つ て の 一 ヽ “ 中 秘﹂ょ っ ¨ 書 ¨ ¨ ¨ 疵 書 看 ] 異 に 一 一 一 設 ﹂ ¨ ¨ い ン そ つ ぞ じ れ の 要 に 関 委 必 て い 体 応 係 て い 団 施 設 が 員 る 福 祉 や 沼 篠 ノ井 塚 川 鷺 野 (長 野吉口│) 平 掛 新子安 長 六 枝 鶴 信 第 藤 名 北 瀬 口1 菊 長野県 船 吉 二 大 松 津 第 (原 宿 ) 浜 田 焼 中 磯 塚 田 水 溝 ノロ 見 戸 島 幡 志太・榛 原 八 子 末吉 町 港 南 千代「E 雪 ノ下 中和 田 沢 ) (三 方原 薙 四 藤 ) 草 清 静 清 島 沼 三 藤が丘 鹿 島田 百合 ヶ丘 一 二 片 鍛冶 ヶ谷 ) (蒲 原) 第 五 第 ) 士 鷺 の宮 (谷 津 岡 富 静 津 (徳 山 ) ) (富 士宮 (F田 東 海 伊 熱 (裾 野 ) 御殿場 部 東 田 浅 塚 貝 原 第 第 静 岡県 神奈川県 小教 区名 地区名 小教 区名 地 区名 20114F4月 カ トリック横浜教 区報 68号 (i) 地区一 覧表 今回 の司祭大会 での話し合 いの中 で、ヴイジ ョン作成 の 進捗状況に各地区 で差がある ことが見え てきました。そ の 一つの理由として、ヴィジ ョ ンと いう言葉が抽象的 で、そ のと らえ 方、理 解 の仕 方 が 様 々であることが挙げられま す。司教教書 ﹃ 共同宣教司牧 に向けた新たな宣教司牧評議 会と地区共同宣教 司牧委員会﹄ の中 で コ交 わ り と し ての教会をめざし て﹄歩んでいる横 浜教区にあ って地 区 のめざす べき方 これまで実行 できな いで来 ② カトリ ック学校 たことを意識して、まずは 本大会 のため のアンケー 声 を掛 け て話 し合 う 場 を トでは、カトリ ック学校が 作 っていかなければならな 近隣教会と連携して行 って いでしょう。このことは信 いることに、路上生活者支 仰を伝え る力を育 てる部門 援 や経済的困窮状 にあ だけで取り組む のではなく、 態 る 外国人 のための活動があり 地区内 の司祭 の参加が必要 ました。こうした活動はま でし ょう。チ々プレンの参 だ稀なよう ですが、互 いの 加があるとより良 いでし ょ 。 施設 ・聖堂 の貸し出し、利 ヽ つ 用だけでなく社会問題に協 働する姿は、地域に理解 や Ⅱ 、 ヴ ィジ ョン に つ い て 協力を求めていく時 に大き な力となるでし ょう。 1、ヴ ィジ ョンという言葉 の また同 アンケート の将来 多義性、抽象性 の連携 に関しての意見 には、 信者生徒 の所属教会と学校 と の話し合 いが挙げられて います。内容は信者生徒 の ミサ出席 ・信仰養成、相互 の連携など です。大会中、 司祭からも話し合 いの必要 が出されて います。これは 今回初めて出 てきた事柄 で はな いでし ょう。双方が求 めて いるにもかかわらず、 り た ヽ 剛i業 1牧 に,Ⅲ す 新たな●教司牧`W議 会と地 教.l牧 委員会 `'uJ■ 司教教書 『共同宣教 司牧 に向 けた新 たな宣 教 司牧 評議会 と地 区共同宣教 司 牧委 員会』 25 42,773 静 岡県 2,636 4,264 6,900 長野県 1,526 2,709 4,235 山梨 県 554 849 1,403 20,850 34,461 55,311 ) 教 区在籍信徒集計表 (2010年 度 う か 。 こ れ ま で の転 出 、 転 入 、 び か け て み て は いか が で し ょ の姿 を 冷 静 に 予 想 す る よ う 呼 に 自 分 の 地 区 。小 教 区 の 将 来 にも 、 ま ず は各 地 区 、 小 教 区 シ ミ ュレ ー シ ョ ン作 り の た め ま す 。 た だ し こ の教 区 全 体 の す る こ と を 提 案 し た いと 思 い レ ー シ ョ ン し て全 信 徒 に 提 示 年 後 の横 浜 教 区 の姿 を シ ミ ュ そ こ で これ か ら 十 年 後 、 二十 てみら れ る現 実 を な かな か受 け 入 れ ら れ な い の で し ょう か 。 い った 、 ど の 地 区 に も 共 通 し 信 徒 ・司 祭 の 減 少 、 高 齢 化 と い の 中 で 分 か つて き ま し た 。 いな い こ と が 、 司 祭 の 話 し 合 可 欠 です が 、 そ れ が な さ れ て れ た 現状 を 認 識 す る こと が 不 ま ず そ の地 区 や小 教 区 のお か つ0 26.639 一 16,134 , 合計 合 計 (累 計 ) ヨ■ ■ ■ 10 2、現状認識にむけて 女 神奈川県 在籍信徒数 名 県 `■ 口.│ 0 □教 区以外 口 . 口 5 ■教 区司祭 │ 15 恣 鶉 予 F← 向性や展望に ついて、そ の具 体的な内容を教区長に示して いただき た い﹂ ︵ 四頁︶と述 べら れ て いる通 り、地 区 の ヴィジ ョンとはその地区が将 来向かう べき方向性 であり今 後 の展望 のこと でし ょう。そ れだけに各地区 で十分時間を かけて真剣 に検討する必要が あり、そ の進み具合が地区に よ って違う のは当然かもしれ ません。各地区 の実情 に合わ せ、あ せ らず に確 実 にヴ イ ジ ョンを つく っていくよう、 再度司教様からお言葉が頂け たらと思 います。 司祭 年代別 人数 (2009年 3月 31日 現 在 ) ヴィジ ョン作成にあたり、 男 4 口 20 横 浜 み こころ幼稚園 学校法人聖 トマ学 園 代表されるような言わば裏 方 の協力が主 でした。しか し、入所している子どもや 老人 の相手 ︵ 抱 っこ、傾聴 等︶や里親、就労先紹介と いった本人に接する協力が 新 に求められていることが、 同じく アンケートで分かり ました。教区、小教区、そ して信徒も個人としてこれ までも支援してきた のです が、 一方 では青少年 には知 られていな いと いう 一面も あります。 地元 の地区 の部門がこれ らの団体 ・ 施設との新たな関 わりを考えるとよ いでしょ う。特に若 い世代 の力 や時 間に余裕ができた世代 の経 験を役立てられる取り組み を意識した いと思 います。 □図コ団 l ii) カ トリック横浜教区報 68号 20114F4月 受 洗 、 帰 天 な ど のデ ー タを 分 析 し 、 将 来 の信 徒 数 や 信 徒 の 平 均 年 齢 な ど を 予 想 す る こと は 、 難 し い こ と で は な いと 思 いま す し 、 具 体 的 な 数 字 を 見 れ ば 、 自 分 の教 会 や 地 区 の 問 題 と し て真 剣 に 将 来 を 考 え 始 め る こと が でき る の で は な い で し ょう か 。 3 、 小 教 区 を 越 え た出 会 いを 現 状 を 認 識 す る た め に は自 分 の 小 教 区 以 外 の信 徒 と の出 会 いも 重 要 だ と 思 いま す 。 と く に自 分 の小 教 区 です べ て完 結 し てしまう よう な自 己充 足 的 な 小 教 区 の中 に い る と 、 地 区 や 教 区 のお か れ た 現 状 は な ﹃ 交 わ り と し て の教 会 を か な か 見 え てき ま せ ん 。 司 牧 書簡 め ざ し て﹄ で も 述 べ ら れ て い る通 り 、 小 教区 中 心主 義 と で も いう べ き 姿 勢 を 克 服 す る た う、司教様から改めて呼びか け ていただくことも提案した いと思 います。地区内 の他 の 小教区をよく知 るために、た とえば信徒大会、研修会、黙 想会などを合同で行 ったり、 信仰養成講座 や入門講座を地 区単位 で行う ことも考えられ るでし ょう。少なくとも各教 会 の情報をお互 いに共有 でき るような工夫はできると思 い ます。そ のような出会 いを通 して、地区 のおかれた現状が 多く の人に認識されるととも に、相互 の協力体制と意識が 深まり、そこからそ の地区 の めざす べき方向性 や展望も見 え てくるのではな いでしょう か。 司牧書簡 『交わりとして の教会 をめざして』 め にも 、各 地 区 で小 教 区 を 越 え た 出 会 いを 深 め る 機 会 を 無 交わりとしての教会をめざして 理 のな いか た ち で企 画 す る よ コロロロ 20114F4月 68号 カ トリック横浜教区報 Ⅲ、地 区 共 同 宣 教 司 牧 委 員会 そ のも のに つ いて ・地区の現状分析、およ び現状認識の共有。 。地区内各小教区の特徴 の把握と相互理解。そ れに基づく﹁ 役割分担﹂ 翻 次のようなことが挙げら 躯 れました。 地区 で行う こと﹂と ﹁ して、司祭大会の中では ︿ 〓 の模索。 祈 ・種 々の研修会 の企画。﹁ る力を育 てる﹂﹁ 信 仰 を伝 え る力を育 てる﹂﹁ 神 の愛 を証しする力を育 てる﹂た めに。 ・合同行事 の企画。例えば、 堅信式、サ マーキ ャンプな ど。 地区 で行う こと﹂の また、﹁ 決定は地区共同宣教司牧委員 会 で行 います。地区共同宣教 司牧委員会 には各小教区 の主 任司祭が出席して決定がなさ れるので、小教区はそ の決定 を重視すると いう ことを、各 地区共同宣教司牧委員会﹂ 小教区 の教会委員会規約に記 ﹁ ﹁ 教 載することが考えられます。 のあり方を考えるために、 他方 で、規模 の大き い小教 区全体で行うこと﹂﹁ 地区で 行うこと﹂﹁ 小教区として行 区が多 い地区 では、そこまで うこと﹂の、言わば役割 分担を教区から示してい ただくことが望まれます。 教会学校 リー ダー研修会 教 区合 同志願式 書く ことを疑間とする意見も あります。そ の場合 でも、何 らか の形 で地区と小教区 の関 教会委員会規 係を小教区 の ﹁ 約﹂ に盛 り 込 め ると よ いで し ょヽ つ。 Ⅳ 、 司 祭 ・司 祭 団 の あ り 方 に つい て 一致と共通理解 1、 共同宣教司牧のために、地 区の司祭たちの 一致が必要で す。異なる考え方を持 つ司祭 同士でも、何とか 一致しよう としている姿を信徒たちに示 すことが大切です。共同宣教 修道者 ・ 司祭 ・ 司牧でめざす﹁ 信徒の協働﹂の根本に司祭同 士の交わりと 一致があり、そ して、その原点は司教職のも とにある司祭団の交わりです。 司教と司祭の交わりと共通 理解をさらに深めるように努 めましょう。司教と司祭の懇 談の機会を増やそうという声 や、その間に立 つ者として、 司教総代理や司教顧間が呆た すべき役割があるのではない かという意見がありました。 司祭同士の交わりと共通理 解のために、 一方で頻繁な集 まりが必要という意見があり、 (iv) 68号 カ トリック横浜教 区報 20114F4月 があ 他方 で小 区間に 教 距 離 る 責 任 の分担に ついては、現 所 では年 に三∼四回程度が限 行 の ﹁ 主任司祭 の任命﹂ のも 度と いう地区もありました。 と での ﹁ 共同宣教司牧﹂ で、 頻度はともかく、司祭同士 の 主日ごとにミサを担当する小 交わりと共通認識 のために定 教区を交代している場合、そ 期 的 に集 ま る こと は大 切 で の主 日 に行 った先 の教 会 で し ょう。コ 緒 に住 む﹂ こと 種 々の委員会 や婦人会、壮年 に ついては賛否両論 ですが、 会など の集まりがあるとき、 主任司祭 ・助任司祭 ︵ 協力司 主任司祭以外が出席してよ い 祭︶ の関係 にある場合は別と のかどうか、逆 に言うと、主 して現実的には難し いと いう 任司祭以外に任せてよ いのか 意見 の方がかなり多 いです。 どうかが課題とな って います。 一緒に食事をするなど、集ま ﹁ 地区 の担当﹂と いう 意 識 る機会は大切だと いう意見は に乏し いと いう声もあります が、基本 は ﹁ ほぼ共通しています。 任命 のあり方﹂ でし ょう。﹁ 地区 に任 命﹂さ れ、そ のうち の 一人が ﹁モデ 2、地区 ・小教区の担当責任 ラトール﹂となれば、責任 の 仕事 の分担 に ついては、協 関係が変わる可能性はありま 働する司祭 のメンバーによ っ す。 てそ の仕方は変わるでし ょ 。 他方 で ﹁モデ ラト ー ル制﹂ う に ついて司祭団の中 で共通理 解 があ るとは言 い難く、﹁ 連 帯的 に﹂と いう こと の意味に ついて、より明確な説明がな され、ある程度 の共通理解が 得られな い限り、導入は望ま しくな いと思われます。 いずれ の形 でも、司祭同士 の情報 の共有と、集ま った情 報を的確 に共同体に発信する こと は重要 です。﹁ 伝え る べ き ことはきちんと伝える﹂姿 勢を再確認しましょう。 司祭叙 階式 3、リーダーシ ツプ 司祭が自分 のカリスマを生 かして共同体を活性化するの はリーダーシ ツプ の 一つのあ り方 です。しかし、 いずれ他 の司祭と交代しますし、ある いは次には常住する司祭は赴 任しな いかもしれません。将 来 の共同体 のことをきちんと 考 え、そ れ に備 え て の司 牧 チームを作り、共同体 レベル の準備をし、信徒 の養成を図 ることが、今日求められてい るリーダーシ ツプでし ょう。 4、司祭団の ﹁ 回心﹂ ﹁ 司祭 の回心 が必要 でし ょ う﹂と いう反省がありました。 養成 されることを受 け入 れ ﹁ 司祭大会 自 分が 一番 と いう こと る﹂﹁ を捨 てる﹂ ことが求められて いるのではな いでし ょうか。 また、﹁ 司祭 の視点 は限ら れ ているので、信徒 の声や修道 者 の声を聞 いて自分で変わ っ ていくしかな いL教会 の人 々 の意見 や地域 の人 々の意見 の 中に神 の働きを識別 できるこ とが求められて いる﹂と いう 意見もありました。そして、 原点 にあるのは、キリストが 何を望んでおられるのかを問 い続ける姿勢 です。 5、信頼関係を大切に、時間 をかけて ﹁ 共同宣教 司牧﹂ の導 入 は、 司祭団にと っても、修道者 ・ 信徒 にと っても大きな変化 で す。性急 に形を変えようとす 安定﹂が失 わ れ てし ると、﹁ まう懸念があります。信頼関 時間 係を大切 にしながら、﹁ をかけて﹂進めまし ょう。 ﹁ 共同宣教司牧﹂ の原点 と も言える ﹁ 司教と司祭と の交 わりと共通理解﹂を深めるた めにも、同じことが言えるで し ょう。種 々の機会を設けて 時間をかけて﹂共 いただき、﹁ 通理解を持 てるよう にお計ら いいただければと思 います。 二〇 一一年 二月 二十八日 横浜教区司祭評議会
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