81号 - カトリック北須磨教会

No.8
No.81
きたすま
2010
20 10 年 3 月 2 8 日 発 行
発 行 カトリック北須磨教会
カトリック北須磨教会
〒654654-0151
神戸市須磨区北落合 2-3-1
発行人 中川明 / フスト・セグラ
編 集 広報 委員会
父よ、わたしの霊
わたしの霊を御手にゆだねます
御手にゆだねます(
にゆだねます(ルカ 23・
23・46)
46)
年 を 重 ね る 恵 み
ブラザー 吉田
四旬節第三主日の
四旬節第三主日の第一朗読で
第一朗読で、モーセの召
モーセの召し
本国は
本国は天にあります」
にあります」(フ
(フィリピ3
リピ3:20)
20)。
出しの場面
しの場面が
場面が読まれました。
まれました。ホレブの山
ホレブの山で神か
「上にあるものを求
にあるものを求めなさい。
めなさい。そこではキリス
らの啓示
らの啓示に
啓示に接したモーセが、
したモーセが、奴隷として
奴隷として苦
として苦しん
トが神
(コロサ
トが神の右の座に着いておられます」
いておられます」
(コロサ
でいるイスラエルの民
でいるイスラエルの民の解放という
解放という重大
という重大な
重大な使
イ3:1)
。ですから
。ですから「
ですから「なすべきことはただ一
なすべきことはただ一
命を与えられます。
えられます。このとき、
このとき、モーセは 80 歳
つ、目標を
目標を目指してひたすら
目指してひたすら走
ることです」
してひたすら走ることです」
の高齢でした
高齢でした!(
でした!(出
!(出エジプト7
エジプト7:7)
(フィリピ3
。
リピ3:14)
14)
ファラオの娘
ファラオの娘の養子であったモーセは
養子であったモーセは、
であったモーセは、ある
その目標
その目標はもう
目標はもう視野
はもう視野に
視野に入っています。
っています。順位は
順位は
とき義憤
とき義憤にかられて
義憤にかられて奴
にかられて奴隷監督を
隷監督を殺害し
殺害し、遠くミ
問題ではなく
問題ではなく、
ではなく、そこにゴールインすることだけ
デイアンの荒野
デイアンの荒野に
荒野に逃れ、そこで 40 年もの間羊
もの間羊
が私たちの人生
たちの人生の
人生の旅の目的です
目的です。
です。そこで待
そこで待って
飼いをしていました。
いをしていました。来る日も来る日も羊の群
おられるイエス様
おられるイエス様に「よくやった・・・・・私
よくやった・・・・・私
れを追
れを追いながら、
いながら、モーセは何
モーセは何を思い、何を考え
と一緒に
(マタイ
一緒に喜んでくれ」
んでくれ」
(マタイ25
マタイ25:
25:21)
21)と
ていたでしょうか。
ていたでしょうか。
迎えていただく期待
えていただく期待に
期待に胸をふくらませながら―
をふくらませながら―。
この 40 年の牧羊生活は
牧羊生活は、後にモーセが大群
にモーセが大群
姫路駅で
姫路駅で電車を
電車を降り、改札口を
改札口を抜けて外
けて外へ出
衆をひきいてシナイ半島
をひきいてシナイ半島の
荒野をさらに 40 年
半島の荒野をさらに
ると、
ると、とてつもなく広
とてつもなく広い大通りがドーンとまっ
大通りがドーンとまっ
もの間放浪
もの間放浪をしていたときに
間放浪をしていたときに、
をしていたときに、貴重な
貴重な経験とそ
経験とそ
すぐに延
すぐに延びています。
びています。その遥
その遥か行手、
行手、真正面に
真正面に
こから来
こから来た知恵をモ
知恵をモ-
をモ-セに与
セに与えたに違
えたに違いあり
姫路城が
姫路城が聳えています。
えています。この忘
この忘れがたい光景
れがたい光景は
光景は、
ません。
ません。すべては神
すべては神の御計画でした
計画でした。
でした。
次の詩篇84
詩篇84を
84を読むたびに、
むたびに、私の心の中で重な
日本は
日本は高齢化社会といわれます
高齢化社会といわれます。
といわれます。教会でも
教会でも高
でも高
り合って浮
って浮かんで来
かんで来ます。
ます。
齢の方々が多くなりました。
くなりました。私もこの四月
もこの四月で
四月で
「いかに幸
いかに幸いなことでしょう。
なことでしょう。
80 歳になります。
になります。あっという間
あっという間のことであっ
あなたによって勇気
あなたによって勇気を
勇気を出し
た気もするし、
もするし、長い長い歳月であったようにも
歳月であったようにも
心に広い道を見ている人
ている人は。
感じられます。
じられます。
嘆きの谷
きの谷を通るときも、
るときも、そこを泉
そこを泉とするで
モーセの劇的
モーセの劇的で
偉大な人生には
人生には比
劇的で偉大な
には比ぶべくも
しょう。
しょう。
ないのですが、
ないのですが、神は私たち一人一人
たち一人一人の
一人一人の人生にも
人生にも
雨も降り、祝福で
祝福で覆ってくれるでしょう。
ってくれるでしょう。
御計画をお
御計画をお持
をお持ちです。
ちです。私たちの過
たちの過ぎた人生
ぎた人生にも
人生にも、
にも、
彼らはいよいよ力
らはいよいよ力を増して進
して進み
残りの人生
りの人生にも
人生にも、
にも、大きな意味
きな意味、
意味、目的があるので
目的があるので
ついにシオンで神
」
ついにシオンで神にまみえるでしょう。
にまみえるでしょう。
す。
(シオンは神
シオンは神の家、天国を
天国を指す)
私たちの体
たちの体は年と共に衰えて行
えて行き、死に至り
昨年末の
昨年末の二ヵ月、私たちの会
たちの会の本部で
本部で、思い
ます。
「私
ます。しかし霊魂
しかし霊魂は
霊魂は不滅なのです
不滅なのです。
なのです。
「私たちの
もかけず、
「第三年代
もかけず、
「第三年代(
第三年代(ザ・サード・エイジ)
ザ・サード・エイジ)のための
きたすま 2
研修会」
研修会」に参加させていただきました
参加させていただきました。
させていただきました。第三年
年を重ねることは恵
ねることは恵み、神からの贈
からの贈り物です。
です。
代というのは定年
というのは定年を
定年を過ぎた年代
ぎた年代、
年代、その年代
その年代の
年代の
第三年代は
第三年代は、人生の
人生の稔りの秋
りの秋、収穫のとき
収穫のとき。
のとき。残
人々のことです。
のことです。そこでは多
そこでは多くのことを学
くのことを学び、
された人生
された人生は
人生は、自分の
自分の人生の
人生の内で最良の
最良の人生で
人生で
考えさせられました
えさせられました。
せられました。それを短
それを短くまとめてみる
す。
と、次のようになるでしょうか
のようになるでしょうか。
るでしょうか。
四旬節 黙想会
3 月 14 日 四旬節共同回心式に
四旬節共同回心式に東京神学院の
東京神学院の松浦信行
松浦信行神父様
信行神父様が
神父様が
来てお話をしてくださいました。
をしてくださいました。そのまとめと感想
そのまとめと感想を
感想を何人か
何人かの方
から戴
から戴きました。
きました。
松浦神父様講話の
松浦神父様講話の感想
松浦神父様の
松浦神父様の講話に
講話に聞き入りました。
りました。
今年が
今年が教皇様の
教皇様の定められた司祭年
められた司祭年であることから
司祭年であることから、
であることから、司祭職に
司祭職に関係して
関係して話
して話をされた
をされた。
れた。
司祭は
司祭は主に祭儀を
祭儀を中心にして
中心にして 働いているように受
いているように受け止められているが 最も大切な
大切な使命はキリ
使命はキリ
ストの生
ストの生き方を日頃の
日頃の生活の
生活の中で現わしていくことである
キリストの生活
キリストの生活の
生活の―つ―つが 司祭の
司祭の生活として
生活として現
として現れるのが本来
れるのが本来の
本来の姿である。
である。
又キリストは
キリストは司祭職を
司祭職を 教会に
教会に委ねられたことからして 信徒にも
信徒にも司祭職
にも司祭職 (祭司職)
祭司職)が負わされ
ている
それは神
それは神と人とをつなぐ役目
とをつなぐ役目 信仰を
信仰を与えられているということ。
えられているということ。
叙階された
叙階された司祭
された司祭は
司祭は 信徒の
信徒の司祭職に
司祭職に対してヒントを与
してヒントを与える使命
える使命を
使命を持っている。
っている。
では信徒
では信徒はどのようにして
信徒はどのようにして司祭職
はどのようにして司祭職を
司祭職を果たしていけば
たしていけばよいか どんな観点
どんな観点を
観点を持てばよいかと問
てばよいかと問いか
け、
少し前に NHK で放映されたドキュメンタリ
放映されたドキュメンタリ―
されたドキュメンタリ―番組を
番組を紹介されて
紹介されて 5 つの観点
つの観点を
観点を述べられた
1)日本最大
1)日本最大のターミナル
日本最大のターミナル 東京新宿を
東京新宿を中心に
中心に 犬の里親運動を
里親運動を呼びかけ実行
びかけ実行している
実行している主婦
している主婦の
主婦の話
そこには自分
そこには自分の
自分の都合だけで
都合だけで飼
だけで飼い犬を捨ててしまう人間
ててしまう人間の
人間の身勝手さがある
身勝手さがある。
さがある。
命の大切さ
大切さ 命と向き合うという観点
うという観点
2)路上生活者
。その
2)路上生活者の
路上生活者の生活支援を
生活支援を目的に
目的に始められた雑誌
められた雑誌 「ビッグイシュー
ビッグイシュー」
。その販売員
その販売員になった
販売員になった元
になった元
会社員のある
会社員のある男性
のある男性の
男性の孫がおじいさんに 何時でも
何時でも家
でも家に戻ってきてね と声をかけていった話
をかけていった話。
私たちは誰
たちは誰―人忘れられていない
人忘れられていない、
れられていない、という観点
という観点。
観点。
3)元学生運動
3)元学生運動の
元学生運動 の活発な
活発 な活動家だった
活動家だった女性
だった女性が
女性が 主婦となり
主婦となり平安
となり平安なだけの
平安 なだけの生活
なだけの生活に
生活に 耐えられず孤独感
えられず孤独感
にさいなまされて プラカー
プラカードをかけて
カードをかけて 雑踏の
雑踏の中に立って何
って何かを訴
かを訴え始めた。
めた。
人は社会性を
社会性を持ち続けるという観点
けるという観点
4)ある
4)ある幼稚園
ある幼稚園での
幼稚園での実例
での実例 園児たちの
園児たちの細
たちの細かな 具体的なエピソードを
具体的なエピソードを記録
なエピソードを記録していった
記録していった人
していった人。
問題解決には
問題解決には非効率
には非効率な
非効率な 無カとも思
カとも思えるそんな働
えるそんな働きが 多勢に
多勢に良い影響を
影響を及ぼす。
ぼす。
5)横浜市寿町
5)横浜市寿町のさなぎ
横浜市寿町のさなぎ食堂
のさなぎ食堂で
食堂で働く、苦しい生活体験
しい生活体験を
生活体験を経た 2 人の料理人と
料理人と そこに食
そこに食べに行
べに行く路
上生活者の
上生活者の話。 人は閉じこもらないで さなぎの様
さなぎの様に脱皮してゆくものだとの
脱皮してゆくものだとの意味
してゆくものだとの意味でつけた
意味でつけた
名前。
名前。
人間同士の
人間同士の交わりの中
わりの中に神との出会
との出会いがある
出会いがある。
いがある。
結びの言菓
びの言菓として
言菓として 司祭職
司祭職を狭い範囲でとらえないで
範囲でとらえないで 一人ひとりの生活
ひとりの生活の
生活の中に司祭職
司祭職をとらえ
新しく発見
しく発見していくことが
発見していくことが大切
していくことが大切 と述べられた。
べられた。
信徒による
信徒による宣教
による宣教が
宣教が広く強く勧められる今
められる今の時代 召命を
召命を受けた司祭
けた司祭の
司祭の使命を
使命を正しく理解
しく理解し
理解し 信
徒の司祭職を
司祭職を今日の
今日の話の様な観点から
観点から実践
から実践していくことができれば
実践していくことができれば 教会は
教会は現代の
現代の複雑な
複雑な価値観
の存在する
存在する社会
する社会の
社会の中にあっても 益々豊かに成長
かに成長していく
成長していく可能性
していく可能性を
可能性を持っていると思
っていると思う。
(NS)
きたすま 3
■ごミサのお説教
ごミサのお説教も
説教も、あとの講話
あとの講話もきっちりと
講話もきっちりと準
もきっちりと準
備してわかりやすく工夫
してわかりやすく工夫をして
工夫をして話
をして話して下
して下さってう
れしかったです。
(S
れしかったです。
(S)
■大きなお声
きなお声でのごミサ、
でのごミサ、黙想会は
黙想会は、聴力低下し
聴力低下し
てきている私
てきている私にとって、
にとって、とても嬉
とても嬉しかったです。
しかったです。
絵本と
絵本と聖書との
聖書との結
との結びつきで、
びつきで、神は何時も
何時も招いてら
れること、
れること、黙想会では
黙想会では、
、
司祭職の
司祭職
の
話、司祭は
司祭は神と
では
人とをつなぐ役目
とをつなぐ役目で
役目で、信者一人一人が
信者一人一人が神と結ばれ
ることを望
(M
ることを望むと話
むと話されました。
されました。
(M)
寄稿
■松浦神父様の
松浦神父様の張りのある大
りのある大きな声
きな声、ニコニコ笑
ニコニコ笑
顔、わかりやすい話
わかりやすい話、それだけでも大
それだけでも大きな元気を
元気を
頂きました。
きました。神様と
神様と我々をつなぐイエス様
をつなぐイエス様との出
との出
会いは、
いは、教会の
教会の中だけではなく、
だけではなく、社会のどんな
社会のどんな共
のどんな共
同体の
同体の中にも、
にも、あふれているのだと気付
あふれているのだと気付かされる
気付かされる
話でした。
でした。感謝!
感謝! (N・
(N・K)
■ごミサの中
ごミサの中で、大きな声
きな声で「皆さんとともに」
さんとともに」
と呼びかけられ、
びかけられ、私達も
私達も信頼のうちに
信頼のうちに「
のうちに「また司祭
また司祭
とともに」
とともに」と応えながら共同体
えながら共同体の
共同体の一致の
一致の力強さを
力強さを
感じうれしくなりました。
じうれしくなりました。(T)
世界の
世界の教会:カンボジア
HC
皆さま、
さま、いかがお過
いかがお過ごしですか?
ごしですか?共同体の
共同体の兄弟姉妹として
兄弟姉妹として様
として様々な形で Fondacio の活動を
活動を
支えてくださっている皆様
えてくださっている皆様にこの
皆様にこの場
にこの場をお借
をお借りし御礼申
りし御礼申し
御礼申し上げます。
げます。現在、
現在、青年養成のための
青年養成のための
会議と
会議と研修のためマレーシアに
研修のためマレーシアに滞在中
のためマレーシアに滞在中です
滞在中です。
です。アジアの青年養成
アジアの青年養成の
青年養成の司牧に
司牧に携わって一年
わって一年、
一年、アジ
アの教会
アの教会・
教会・人々に出会う
出会う機会に
機会に恵まれました。
まれました。今回は
今回は大阪教区の
大阪教区の姉妹教区であるカンボジア
姉妹教区であるカンボジア
の教会を
教会を紹介させていただきます
紹介させていただきます。
させていただきます。
2009 年 2 月、ラオスの訪問
ラオスの訪問を
訪問を終え、カンボジアへ移動
カンボジアへ移動。
移動。ラオスとカンボジアはメコン川
ラオスとカンボジアはメコン川
沿いの同
いの同じ文化圏、
文化圏、国の様子も
様子も同じ程度と
程度と思っていました。
っていました。しかし、
しかし、街並み
街並み、時の流れ、そ
して教会
して教会にはいわゆる
教会にはいわゆる開発前
にはいわゆる開発前(
開発前(ラオス)
ラオス)、開発後
、開発後(
開発後(カンボジア)
カンボジア)の違いがみられました
いがみられました。
られました。長
年にわたる内戦
にわたる内戦、
内戦、1979 年にポル・ポト政権
にポル・ポト政権が
政権が崩壊した
崩壊した後
した後の長く続いた内戦
いた内戦。
内戦。1990 年代の
年代の
平和の
平和の再建への
再建への歩
への歩みと国際的
みと国際的な
国際的な政治経済への
政治経済への干渉
への干渉。
干渉。多くの外国資本
くの外国資本が
外国資本が流れ込み、急激な
急激な開発
が進められました。
められました。日本の
日本のODA(政府開発機構
ODA(政府開発機構)
政府開発機構)のマークもいたるところに(
のマークもいたるところに(箱モノが多
モノが多
い…)。
教会も
教会も例外ではなく
例外ではなく、
ではなく、国際社会からの
国際社会からの支援
からの支援の
支援の波が。多くの修道会
くの修道会が
修道会が学校教育、
学校教育、医療を
医療を中心
に宣教を
宣教を進め、外国宣教会によって
外国宣教会によって建
によって建てられた新
てられた新しい学校
しい学校・
学校・医療施設が
医療施設が目に留まります。
まります。教
会のスタイルや典礼
のスタイルや典礼にはインカルチュレーションの
典礼にはインカルチュレーションの意識
にはインカルチュレーションの意識が
意識が強く感じられます。
じられます。床に座る生活
スタイルにあったお御堂
スタイルにあったお御堂と
御堂と低い祭壇には
祭壇には仏教寺院
には仏教寺院で
仏教寺院で見られるような香
られるような香と花が飾られていま
す。心ひかれたのは木彫
ひかれたのは木彫りの
木彫りの聖母子像
りの聖母子像。
聖母子像。カンボジアの民族衣装
カンボジアの民族衣装をまとったマリアは
民族衣装をまとったマリアは菩薩
をまとったマリアは菩薩や
菩薩や観
音のような姿
のような姿。アジアの微笑
アジアの微笑みをたたえたまなざしに
微笑みをたたえたまなざしに吸
みをたたえたまなざしに吸い込まれました。
まれました。
私の訪問目的はプノンペン
訪問目的はプノンペン教区
はプノンペン教区で
教区で青少年司牧
青少年司牧をリードする
年司牧をリードする青年
をリードする青年 2 名のフォローアップ。
のフォローアップ。カ
ンボジア人
ンボジア人の司祭・
司祭・修道者が
修道者が少ない中
ない中での彼
での彼らの果
らの果たす役割
たす役割は
役割は重要で
重要で、教区の
教区の期待も
期待も大きい
ことが感
ことが感じられました。
じられました。フィリピンでの一年
フィリピンでの一年の
一年の養成を
養成を終えて、
えて、国に戻った彼
った彼らにはすでに、
らにはすでに、
青少年司牧部門のポスト
青少年司牧部門のポスト、
のポスト、オフィス、
オフィス、必要な
必要な機材が
機材が用意されていました
用意されていました。
されていました。いくつもの小教区
いくつもの小教区
を駆け回り、青年のための
青年のための活動
のための活動・
活動・養成を
養成を行っています。
っています。ある村
ある村では彼
では彼らの実施
らの実施するアクティ
実施するアクティ
ビティに中高生
ビティに中高生が
中高生が 100 人ほど集
ほど集まります。
まります。最後になりましたが
最後になりましたが一人
になりましたが一人の
一人の青年(
青年(青年司牧奉仕
者)の証言を
証言を紹介いたします
紹介いたします。
いたします。どうぞカンボジアの
どうぞカンボジアの人
カンボジアの人々のためにお
のためにお祈
にお祈りください。
りください。
幼きイエスのテレジア
「僕の国では 1975-79 年、国民 180 万人が殺されました。今、新しい命・生活を再建して
います。僕のような普通の人間に何ができるのだろう。夢はカンボジアの若者、特に貧しい人々
を育てること。1 年の養成プログラムを受け、必要な知識とスキル、そして信仰の基盤を身につ
けることができました。今、僕は「人々に希望を与える」という夢をかなえようとしています。
」
きたすま 4
中川神父様は
中川神父様は御復活祭のあとサバティカルに
御復活祭のあとサバティカルに入
のあとサバティカルに入られます。
られます。離任の
離任の言葉をいただきました
言葉をいただきました。
をいただきました。
神戸西ブロック
神戸西ブロック、
垂水小教区と北須磨小教区に
北須磨小教区に関わり8
わり8年が過ぎ、この春
この春、この地
この地を
ブロック、特に垂水小教区と
離れます。
れます。この間
この間、心に強く残ったひとつのことは、
ったひとつのことは、亡くなっていった人
くなっていった人々との濃密
との濃密な
濃密な時間
です。
です。
毎年10
毎年10人以上
10人以上の
人以上の葬儀をしました
葬儀をしました。
をしました。わずか一度
わずか一度の
一度の出会いだった
出会いだった人
いだった人、数ヶ月あるいは数年
あるいは数年、
数年、
病床を
病床を訪ねた人
ねた人。年齢や
年齢や病状あるいは
病状あるいは背景
あるいは背景は
背景は様々でしたが、
でしたが、死に臨む大切な
大切な時の断片を
断片を共に
過ごせ、
ごせ、その方
その方々の「いのち」
いのち」に少し触れ、それはとても濃密
それはとても濃密な
濃密な時間でした
時間でした。
でした。この地
この地に来て
最初の
最初の1~2年、このようによい時間
このようによい時間を
時間を共にして親
にして親しくなった方
しくなった方々がみんな居
がみんな居なくなった
(亡くなった)
くなった)、ととてもさびしかったことを
、ととてもさびしかったことを思
ととてもさびしかったことを思い出します。
します。
任地に
任地に8年と長期間
長期間すごすのは初
すごすのは初めてで、
めてで、赤ちゃんが小学生
ちゃんが小学生、
小学生、小学生は
小学生は大学生、
大学生、そして、
そして、
大学生は
大学生は親になり、
になり、その時間
その時間の
時間の重さに驚
さに驚き、その時
その時を一緒に
一緒に過ごせ有
ごせ有り難く、感謝していま
感謝していま
す。色々な交わりの暖
わりの暖かさを、
かさを、この地
この地で頂きました。
きました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
中川 明
2010 年4月ミサ奉仕担当者表
ミサ奉仕担当者表 (敬称略)
敬称略)
《註》変更のある
変更のある場合
のある場合は
場合は、お御堂入口の
御堂入口の掲示表を
掲示表を赤ボールペンでご修正下
ボールペンでご修正下さい
修正下さい。
さい。
典礼委員会
月日時 主日
担当神父
先唱者
オルガン
聖体奉仕
聖書朗読
4・1(木) 20 時
Fr.セグラ
Fr.セグラ
聖木曜日
KM
TK
KN
KS
4・2(金)20 時
聖金曜日
Fr.中
Fr.中 川
TM
TK
KT
MS
4・3(土)20 時
復活徹夜祭
Fr。
Fr。昌 川
IR
YS
4・4(日)10 時
復活の
復活の主日
Fr。
Fr。中 川
HM
YS
4・11(日
11(日)9時
復活節第2
2主日
復活節第
Fr。
Fr。セグラ
TY
TK
4・18(日
18(日)9時
復活節第3
3主日
復活節第
(子供ミサ
子供ミサ)
ミサ)
25 周年記念ミサ
周年記念ミサ
4・25(日
25(日)11 時
復活節第4
復活節第4主日
Fr。
Fr。セグラ
池長大司教
Fr。
Fr。松浦
Fr.
Fr.セグラ
Fr.
Fr.クレニュ
(子供ミサ
子供ミサ
担当者)
担当者)
KM
TK
YS
共同祈願他
1,4地区
ミサ準備
ミサ準備
備 考
Y・ K
(洗)OA
洗足式
O・N
(洗)OA
①MA
②MS
1,4地区
K・Y
(洗 OA
MS
(北 )
①AY
②KS
3,6B,7
B,7
地区
N・ O
(洗)OA
(南 )
①IR
②KT
3,6B,7
B,7
地区
Y・ K
(洗)OA
①子供ミサ
子供ミサ担当者
ミサ担当者
〃
②
(子供ミサ
子供ミサ
担当者)
担当者)
O・N
(洗)OA
①YT
② BR
子供・
子供・青年
大人
5地区
K・Y
(洗)OA
HK
(南 )
IR
NY
(北 )
献堂 25 周年記念オルガン
周年記念オルガン演奏会
オルガン演奏会 4・25(日
25(日)10 時 始めのご挨拶
めのご挨拶 IR (司会)
司会)YS (演奏)
演奏)OY
Fr クレニュ
(迎・送)
M
きたすま 5
恵みのうちに―
みのうちに―
「聖書リレー
聖書リレー通読
リレー通読のつどい
通読のつどい」
のつどい」10 回目を
回目を終えました
寒の戻りの寒
りの寒さがやっと過
さがやっと過ぎたような 3 月 13 日、10回目の
回目の 「聖書リレー
聖書リレー通読
リレー通読」
通読」を終
えることができました。
えることができました。パウロ年
パウロ年をとっくに過
をとっくに過ぎて、
ぎて、やっとパウロの書簡
やっとパウロの書簡を
書簡を読み終えました。
えました。
―区切りついたところで
区切りついたところで、
りついたところで、初回から
初回から何
から何を読んできたか―
んできたか―度まとめてみました。
まとめてみました。
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第 10 回
'06/03
'06/12
'07/05
'07/12
'08/05
'08/12
'09/01
'09/06
'09/10
'10/03
詩編
イザヤ書
使徒言行録
エゼキエル書
ローマ人への手紙
コリント人への手紙 Ⅰ
コリント人への手紙 Ⅱ
ガラテア・エフェソ・フィリピ人への手紙
コロサイ・テサロ二ケⅠ,Ⅱ・テモテⅠ,Ⅱ
テトス・フィレモン・ヘブライ人への手紙
'08~'09 と少し早足でしたのでしばらく
早足でしたのでしばらく休憩
でしたのでしばらく休憩して
休憩して、
して、神父様の
神父様の助言・ご
助言・ご指導
・ご指導をいただいて
指導をいただいて、
をいただいて、
待降節頃にはまた
待降節頃にはまた集
にはまた集まりたいと思
まりたいと思っています。
っています。皆さまぜひご参加
さまぜひご参加ください
参加ください。
ください。(世話係)
世話係)
お 知 ら せ
炊き出しだより
3/9(
3/9(火)朝から冷
から冷たい雨
たい雨が降り、底冷
えのする一日
えのする一日。
一日。そんな中
そんな中、春休み
春休み中の神戸
大学の
大学の若い学生さん
学生さん達
さん達のお手伝
のお手伝いはとても
手伝いはとても
うれしいもの
うれしいものでした
ものでした。
でした。さすがに出足
さすがに出足は
出足は悪く
120 名程でした
名程でした。
でした。
これまでおじさん達
これまでおじさん達という総称
という総称でこの
総称でこの炊
でこの炊
き出し便りをお届
りをお届けすることが多
けすることが多かったの
ですが、
ですが、どのおじさんも
どのおじさんも今
おじさんも今ここに生
ここに生きてい
る命を輝かせている瞬間
かせている瞬間があること
瞬間があること、
があること、そん
な神さまの実
さまの実りを見
りを見る時私たちも
時私たちも慰
たちも慰められ
豊かにされることをお伝
かにされることをお伝えしてこのシリー
ズを終
ズを終えたいと
えたいと思います。
います。が、これからも
おじさん達
おじさん達との関
との関わりは続
わりは続きます。
きます。お一人
お一人の
一人の尊厳を
尊厳を大切にしながら
大切にしながら祈
にしながら祈りのうち
に向き合っていきたいと思
っていきたいと思います。
います。
次回は
次回は 4/13(
4/13(火)です。
です。花の頃でしょ
うか。
うか。N さんのチョッとした
さんのチョッとした一言
のチョッとした一言ではじま
一言ではじま
ったこの炊
ったこの炊き出し便り、長い間おつきあい
下さいましてありがとうございました。
さいましてありがとうございました。
(TMH)
TMH)
・北須磨教会献堂 25 周年記念式典
4 月 25 日(日)
記念ミサ
記念ミサ 11:00~
11:00~池長大司教を
池長大司教を迎えて
オルガン演奏会
オルガン演奏会 10:00~
10:00~小榑由布子さん
小榑由布子さん
祝賀会・パーティ
祝賀会・パーティ 12:30~
12:30~
・信徒総会
4 月 18 日(日) ミサ後
ミサ後
編
集
後
記
花便りが
花便 りが聞
りが 聞 こえるというのに
こえ るというのに凍
るというのに 凍 えるよ
うな日和
日和です
うな
日和です。
です。きたすま 81 号をお届
をお届け
します。
します。Br の言われるように
われるように「
ように「歳を重ね
ることが人生
ることが人生の
人生の実り、神の恵み」 となっ
となっ
ているか
ているか反省させられ
反省させられます
させられます。
ます。わたしの人
わたしの人
生も「きたすま」
、
きたすま」も教会共同体も
教会共同体も、
信徒の
信徒の司祭職と
司祭職とは何か、松浦神父様のお
松浦神父様のお
話は簡明でした
簡明でした。
でした。一歩一歩行動に
一歩一歩行動に移して
いかなければと思
いかなければと思います。
います。春です、
です、色々
なものが新
なものが新しくなります。
しくなります。新たな歩
たな歩みを
始めましょう。
(KJH)
めましょう。
KJH)