猿蓑読書ノート 猿蓑集巻之六 幻住庵記 こくぼやま 石山の奥、岩間のうしろに山有、國分山と云、そのかみ國分寺の名を傳ふなるべし。麓に ながれ すいび 細き流 を渡りて、翠微に登る事三曲二百歩にして、八幡宮たゝせたまふ。神體は彌陀の ゆいち はなはだいむ 尊像とかや、唯一の家には甚忌 とうと ごろ りやく ちり な る 事 を 、 両 部 光 を 和 げ 利 益 の 塵 を 同 う し た ま ふ *1 も もうで かたわら 又貴 し。日比は人の詣 ざりければ、いとゞ神さび物しづかなる傍 ねざさ おなじ のき すみすて に住捨し草の戸有。 こり よ も ぎ 根 笹 軒 を か こ み 、 屋 ね も り 壁 落 て 、 狐 狸 *2 ふ し ど を 得 た り 、 幻 住 庵 と 云 。 あ る じ の なに(某) すがぬま きょくすい おじ やとせ ばかり 僧 何 が し *3 は 、 勇 士 菅 沼 氏 曲 水 子 の 伯 父 に な ん 侍 り し を 、 今 は 八 年 斗 む か し に 成 り て 正 に幻住老人の名をのみ残せり。 しちゅう ととせばかり いそぢ みのむし かたつぶり 予又市中をさる事十年斗にして、五十年やゝ近き身は、簑虫のみのを失ひ、蝸牛 家を おうう きさかた おもて ほっかい あらいそ 離 れ て 、 奥 羽 象 潟 の 暑 き 日 に 面 を こ が し 、 高 す な ご *4 あ ゆ み く る し き 北 海 の 荒 磯 に き び 石山。近江國滋賀郡石山村。岩間。石山村大字内畑。國分山。石山村大字國分。瀬田より ダ ズ 石 山 を 左 に 見 て 行 く こ と 一 里 ば か り な り 。 翠 微 。 山 腹 な り 。 『 爾 雅 』 *5 に 、 「 山 未 レ 及 レ 上 、 翠 微 な り 」 (山の八合目あたり)。 唯 一 。 唯 一 神 道 。 (吉田神道とも。儒教・仏教と交わらないで日本固有の「神なが ら」の道を主張する派)。両 部 。 神 佛 両 部 習 合 。 (真言密教の教理にもとづく)。 幻 住 老 人 。 膳 所 侯 (コウ・き げき はちろうえもん てんな み ・ 大 名 ) の 家 士 、 菅 沼 外 記 曲 水 の 伯 父 、 本 多 八 郎 右 衛 門 と い ひ し と 云 ふ 。 天 和 (1681-84) 年 中 六 十 餘 歳 に し て 卒 す 。 五 十 年 や ゝ 近 き 身 。 芭 蕉 此 時 四 十 七 歳 か 。 簑 蟲 、 蝸 牛 。 (定住を ふぼく 構えないことの比喩)『 夫 木 抄 』 二 十 七 、 源 仲 正 、 「 み の む し の す が る 木 の 葉 も 落 出 で ゝ つ く か ぎょせい た も な き 秋 の 暮 か な 」 。 同 書 同 巻 、 土 御 門 院 御 製 (天皇の歌)、 「 家 を い で ぬ 心 は 同 じ か た つ むりたちまふべくもあらぬ世なれど」。必ずしもかゝる歌によりたるにはあらぬなるべし。 奥羽象潟。奥の細道を讀みて知るべし。 1 ことし ただよう す を 破 り て *1 、 今 歳 湖 水 *2 の 波 に 漂 ふき にお うきす あし ひともと 、 鳰 の 浮 巣 の 流 と ゞ ま る べ き 芦 の 一 本 *3 の 陰 た の も ゆいそえ うづき はじめ し く 、 軒 端 茨 あ ら た め 、 垣 ね 結 添 な と し て 、 卯 月 (四月)の 初 い と か り そ め に 入 り し 山 の 、 いで (はじめた) やがて出じとさへおもひそみぬ。 やまふじ かかり ほととぎす すぐ さすがに春の名残も遠からず、つゝじ咲残り、山藤松に懸 て、時鳥 しばしば過る程、 たより ある ごそ 宿かし鳥の便 さへ有を、木つゝきのつゝくともいとはじなど、そゞろに興じて、魂呉楚 とうなん しょうしょうどうてい *4 に 立 つ 。 山 は 未 申 東南にはしり、身は瀟湘洞庭 なんくん ほくふう ひつじさる ひた ひえ じんか *5 に そ ば だ ち 、 人 家 よ き ほ ど に 隔 り ひら からさき かすみ 南薫峰よりおろし、北風海を侵して涼し。日枝の山、比良の高根より、辛崎の松は霞 こ つり かさ きこり おだ さなえ め て 、 城 有 、 橋 有 *6 、 釣 た る ゝ 舟 有 、 笠 と り *7 に か よ ふ 木 樵 の 聲 、 麓 の 小 田 *8 に 早 苗 と る 歌 ほたるとび ゆうやみ くひな たたく もの みかみ 哥、螢 飛かふ夕闇の空に、水鶏の扣 音、美景物としてたらずと云事なし。中にも三上山 *9 は ふぼく 鳰の浮巣。『夫木抄』二十七、順徳院御製、「唐崎やにほの浮巣のいかにしてさすらひ (あてにする) (流離ふ。さまよい歩く)わ た る 世 を た の む らん。」やがて出じ。『山家集』巻下、「よしの山 やがていでしとおもふ身を花ちりなはと人やまつらむ。」宿かし鳥。宿かし鳥といふ鳥あ かけす るにはあらず、橿鳥を云へるかと思へども、橿鳥は喜ぶべき鳥にもあらず。『風俗文選』 つばめ 巻三、「百鳥譜」に支考、「燕」といへる條、「かの法師の宿かし鳥とよみつゞけぬるよ り」云々。燕を云へる歟。「便さへあるを」、と云へれば燕にもやあらん。據るところ不 明 な り 、 猶 考 ふ べ し 。 (樫鳥[カケス]に宿かしと言いかけた語。都合よく宿まで貸してもらったのだからの意)。呉 楚 サク ケンコン 東 南 。 杜 子 美 *10 詩 、 「 呉 楚 東 南 ニ 圻 、 乾 坤 *11 日 夜 浮 」 ( 洞 庭 湖 に よ っ て 、 呉 は 東 に 、 楚 は 南 に ひ き さ か れ ている。どちらも日夜に浮かぶ)。 此 句 を 轉 じ 用 ゐ た り 。 瀟 湘 洞 庭 。 杜 句 、 「 瀟 湘 洞 庭 虚 應 空 、 楚 天 下 斷 四 時 雨 」 。 南 薫 。 南 風 之 薫 よ り 出 で て 南 風 の 義 。 日 枝 の 山 。 比 良 の 高 根 。 辛 崎 (今の大 津市内・「辛崎の松は花より朧にて」〔芭蕉〕)の 松 。 皆 人 の 知 る と こ ろ な り 。 (三つとも近江の歌枕)。 2 しほう おもかげ 士峰の俤 だけ むさしの すみか たなかみ こじん にかよひて、武蔵野の古き栖 もおもひいでられ、田上山に古人をかぞふ。さ せんじょう みね はかまごし くろづ あじろも ゝほが嶽、千杖 が峰、袴腰 といふ山有、黒津の里いとくろう茂りて、「網代守ル にぞ」 ちょうぼう うしろ はい とよみけん萬葉集の姿なりけり。猶眺望 くまなからんと、後 の峰に這のぼり、松の棚 つくり えんざ なづく か かいどう (み) しゅぼほう 作 、藁の圓座を敷て、猿の腰掛と名付。彼の海棠に巣をいとなひ 、主簿峰に庵を結べる おうおうじょせん 王翁徐 と ただすいへきさんみん さんがん くうざん しらみ ひねっ ざ が徒にはあらず。唯睡辟山民と成て、孱顔に足をなげ出し、空山に虱 を捫 て座 ス。 わび た ま た ま 心 ま め *1 な る 時 は 、 谷 の 清 水 を 汲 て 自 ら 炊 て 、 と く と く の 雫 を 侘 て 、 一 炉ろ そな すみ おけ 爐 の 備 へ い と か ろ し 。 は た *2 昔 住 け ん 人 の 殊 に 心 高 く 住 な し 侍 り て 、 た く み 置 る 物 ず き も じぶつひとま つくし な し 。 持 佛 一 間 *3 を 隔 て 、 夜 の 物 お さ む べ き 處 な ど い さ ゝ か し つ ら へ り *4 。 さ る を 筑 紫 たからさん そうじょう 某 げんし らく 高 良 山 の 僧 正 は 、 加 茂 の 甲 斐 何 が し が 厳 子 に て 、 此 た び 洛 に の ぼ り い ま そ か り け る *5 を 、 士峰。富士峰を略して云へり。田上山。長明が『方丈記』、「無名等抄」に田上山あたり せみまる さるまるだゆう (紀の)つらゆき の 古 跡 見 み 。 蝉 丸 (平安前期の詩人)、 猿 丸 太 夫 (平安初期、三十六歌仙の一)、 貫之 (平安前期、三十六歌 としより 仙の一)、 黒 主 、 俊 頼 な ん ど の 跡 あ り と い ふ 。 さ さ ほ が 嶽 。 歌 に よ め る さ ゝ ふ の 嶽 な り 。 『夫木抄』巻十五、「後九條内大臣」、「たなかみのさゝふの嶽もしぐるなり今やまゆみ の紅葉しぬらん」。千杖が峰。庵より未申に當る。袴腰。瀬田川より西に見ゆ。黒津。田 上山の麓なり。『夫木抄』巻三十一、「たかなみの上によるよる旅寝して黒津の里になれ とししげ あそん にけるかな」、源俊重。網代守るにぞとよみけん萬葉集の姿。『萬葉集』巻三、柿本朝臣 人麿近江國より上り來る時、宇治河の邊に至りて作れる歌。「ものゝふの八十氏河のあじ ろ 木 い ざ よ ふ 浪 の ゆ く へ 知 ら ず も 」 。 此 歌 の こ と を 云 へ る 歟 。 (網代は、魚をとる仕掛け)海 棠 に 巣をいとなび。『山谷集』巻一、「題 峰閣徐考海棠巣上」の詩の註に、「徐 道を楽み、 シ 薬肆中に隠る、家に海棠数株あり、巣を其上に結び、時に客と其間に巣飲す。」主簿峯。 同 集 、「 王 翁 主 簿 峰 庵 詩 」の 註 に 、「 王 道 人 、四 方 に 参 禅 す 、歸 つ て 屋 を 主 簿 峰 上 に 結 ぶ 。」 睡 辟 山 民 。 睡 癖 山 民 な り 、 好 く 睡 る の 癖 あ る 山 民 と い ふ ま で な り (山民、市民に対する語)。 孱 顔 。山 の を だ や か な る を い ふ 。 空 山 捫 虱 。「 石 林 詩 話 」、「 青 山 捫 レ 虱 坐 、黄 鳥 挟 レ 書 眠 。」 青 を 空 と 轉 じ た り ( 虱 、 vermin) 。 と く と く の 雫 。 と く と く の 清 水 、 芳 野 山 西 行 菴 後 に 在 り 、 すす 今 も 存 す 。 芭 蕉 に 「 露 と く と く 試 に 浮 世 す ゝ が ば や 」 (濯ぐ、水で汚れを洗い清める)の 句 あ り 。 しかん 高 良 山 の 僧 正 。 筑 後 國 (福岡県南部)三 井 郡 高 良 山 高 良 神 社 玉 垂 宮 の 僧 正 一 如 、 加 茂 の 祠 官 (か 3 ほこら んぬし・祠 小さなやしろ)藤 木 甲 斐 守 敦 直 の 子 な り 。 敦 直 大 師 様 の 書 法 を 以 て 世 に 名 あ り 、 其 家 4 がく やが ある人をして額を乞、いとやすやすと筆を染て「幻住庵」の三字を送らる、頓て草庵の記 さんきょ たびね うつわもの 念となしぬ。すべて山居といひ、旅寐と云、さる器 こし すがみの ばかり *1 、 越 の 菅 簑 *2 斗 みやもり 昼 わがきき ひのきがさ たくはふべくもなし。木曽の桧笠 まれ 、枕の上の柱に懸たり。晝は稀まれとぶらふ人々に心を動し、あるは おきな 宮守の翁 きそ どもいりきた うさぎ *3 、 里 の お の こ 共 入 来 り て 、 い の し し の 稲 く ひ あ ら し 、 兎 のうだん は やざ まめばた の豆畑にかよふなど、 まち ともしび 我 聞 し ら ぬ 農 談 、 日 既 に 山 の 端 に か ゝ れ ば 、 夜 座 *4 静 に 、 月 を 待 て は 影 を 伴 ひ 、 燈 とり を取 もうりょう ては罔両 に是非をこらす。 (ひたすら) かんせき あと か く い へ ば と て 、 ひ た ぶ る に 閑 寂 を 好 み *5 、 山 野 に 跡 を か く さ む と に は あ ら ず 、 や ゝ 病 うみ つらつら 身 人 に 倦 て *6 世 を い と ひ し 人 に 似 た り 。 うつし とが *7 年 月 の 移 しかん こし拙き身の科をおもふに、あ ぶつりそしつ る 時 は 仕 官 *8 懸 命 の 地 を う ら や み 、 一 た び は 佛 籬 祖 室 の 扉 *9 に 入 ら ん と せ し も 、 た よ り な ふううん かちょう き 風 雲 に 身 を せ め *10 、 花 鳥 に 情 を 労 し て 、 暫 く *11 生 涯 の は か り 事 と さ へ な れ ば 、 終 に 無 ごぞう けんぐ ぶんしつ 能 無 才 に し て 此 一 筋 に つ な が る 。 楽 天 は 五 臓 *12 之 神 を や ぶ り 、 老 杜 は 痩 せ り 、 賢 愚 文 質 のひと まぼろし しかざるも、いづれか幻 すみか の 栖 な ら ず や と *13 、 お も ひ 捨 て ふ し ぬ 。 入木道を傳へて甲斐流といふ。北向雲竹、佐々木志津摩等、其門に出づといふ。罔両。 カク 『 荘 子 』 「 齊 物 論 」 、 「 罔 両 問 レ景 曰 」 云 々 。 「 郭 主 、 罔 両 は 景 の 外 の 微 陰 也 。 罔 両 に 是 非 を こ ら す 」 、 と は 第 一 義 を 思 量 す と い ふ が 如 き を 面 白 く 詩 的 に 云 へ る な り (影法師を相手に人 生の是非について思量する)。 或 時 は 云 々 。 世 に 立 た ん と し た る 也 。 一 た び は 云 々 。 道 に 入 ら ん と したる也。此一筋に云々。詩歌俳諧の人となれるをいふ。楽天云々。白楽天唐の詩人なり。 ゲンシン 「元 タダチュウチョウ *14 寄 二 楽 天 一 詩 」 に 、 「 老 逢 二 佳 景 一 惟 惆 悵 オノオノ 、両地各 傷 二無 限 神 一」 。 詩 人 空 し く いたむ 心を苦め神を傷 るを云へり。老杜は云々。杜子美、亦唐の詩人なり。「李白贈二杜甫一 詩 」 、 「 飯 顆 山 前 逢 二杜 甫 一、 頭 戴 二笠 子 一日 卓 午 。 為 問 縁 レ何 太 痩 生 、 只 為 二従 前 作 詩 苦 一。 」 詩を作るの苦のために痩せたりとなり。 527 先たのむ椎の木も有夏木立 先たのむ椎の木も有夏木立。西行上人『山家集』巻下、「ならびゐて友をはなれぬこが らめのねぐらに頼む椎の下枝。」この歌をふまへたり。 まずはこの木陰を頼って人生のひとときを憩う。夏木立、季語。 「立ち寄らむ陰とたのみし椎が本むなしき床となりにけるかな」(源氏物語・椎本) 5 ス ニ 題 二芭 蕉 翁 國 分 山 幻 住 庵 記 之 後 一 何世無隠士以心隠為賢也何處無山川風景因人美也間讀芭蕉翁幻住庵記乃識其賢且知山川得 其人而益美矣可謂人與山川共相得焉迺作鄙章一篇歌之曰 インシ シンイン 何レノ世カ隠士無カラン、心隠ヲ以テ賢ト為セバ也。何處カ山川無ナラン、風景ハ人ニ因 リテ美ナレバ也。間芭蕉翁ノ幻住庵ヲ記讀メバ、乃チ其ノ賢ナルヲ識リ、且ツ山川ノ其ノ マスマス 人ヲ得テ益 ト スナワ ヒ 美ナルヲ知レリ。人與山川ト共ニ相得タリト謂ウベシ。迺 チ鄙章一篇ヲ作 リ之ヲ歌ヒテ曰ク。 琶湖南兮國分嶺 古松鬱兮縁陰清 茅屋竹椽纔數間 内有佳人獨養生 満口綿繍輝山川 風景依稀入 此地自古富勝覧 今日因君尚益榮 琶湖ノ南國分ノ嶺 古松鬱トシテ兮縁陰清シ ボウオクチクテンワズカ 茅屋竹椽纔 ニ數間 マンコウ 城 内ニ佳人有リ獨リ生ヲ養フ キンシュウ 満口ノ綿繍 山川ヲ輝カシメ イキ ハイジョウ 風景依稀トシテ 城 ニ入ル マス 此ノ地古ヨリ勝覧ニ富ムモ 今日君ニ因リテ尚 益々 榮ユ こうご しんけんぐそう 元禄庚午仲秋日 震軒具艸 つまびらか 震軒何人なるを詳 にせず、文詩凡常、言ふに足らざるのみ。 茅屋竹椽、かやの屋根と竹のたるき(屋根の板裏)。幻住庵を指す。佳人、芭蕉を指す。 満 口 綿 繍 、口 を つ い て 出 る 美 し い 表 現 。風 景 依 稀 、実 景 を 髣 髴 と し て (appe ar dimly)。 城、 俳 諧 の 城 。 元 禄 庚 午 仲 秋 日 、 元 禄 三 年 (1 690)八 月 。 震 軒 、 去 来 の 兄 向 井 元 端 。 儒 医 。 具 艸、草稿を書くこと。 6
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