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西行
西行の生涯について
生後から出家まで
 1118年西行(俗称を佐藤義清)は
生まれた。
 父は左衛門尉佐藤康清、母は監物
源清経の女(むすめ)というのが今
日定説として認められている。なお、
義清には仲清という弟がいたとされ
る。または兄との説もある。
 1135年[保延元年]、十八歳で買
官を意味する「成功(じょうごう)」に
よって、義清は兵衛尉に任じられた。
そして主家徳大寺家の関係もあっ
て鳥羽院の北面の武士として仕え
るようになった。
生誕地・和歌山県那賀郡にある像
出家の原因
 前日会った佐藤左衛門尉憲康を鳥羽殿に行くのに誘いに行ったところ、
憲康は急死していた。死を身近に感じたのか、義清は出家を決意した。
(西行物語)
 待建門院との叶わない恋を儚んで出家。(西行逸話)
 平治の乱、保元の乱、平氏・源氏の台頭、衰退などの政治的要因によ
り出家。
 これらのことを総合的にあわせ、世を儚んで出家。
1140年、原因はハッキリしてないが西行は出家。
これから隠遁生活がはじまる。西行はまだ23歳。
出家直後の生活
 西行は出家直後、洛外を転々と
する。嵯峨野、東山などで。
 「わりなしや氷る筧の水ゆえに
思ひ捨ててし春の待たるる」
この歌は当時、西行が隠遁生
活の厳しさを詠んだ歌として知
られる。
 出家当時は、洛外にいたが晩
年になると伊勢、吉野、高野な
どに庵を結んでいた。
奈良県吉野町にある西行庵・苔清水
平泉への旅
 定かではないが、西行が30歳
前後に一度目の平泉へ旅をし
ている。
 何故平泉かというと、もともと佐
藤家は奥州藤原氏一族と遠縁
にあたる。
 白河の関で、歌人能因を意識し
て歌を詠む。
都出て あふ坂越えし
折りまでは
心かすめし 白川の関
白河の関
(山家集)
注:能因-平安中期の歌人。後拾遺集に多くの作品が採録
平泉への旅(2)
 平泉では、おそらく藤原氏を
訪れたに違いない。
 束稲山で満開の桜を見て、
毛越寺をまわり、そして出羽
経由で都に戻ってきた。
右:束稲山の西行桜の森
西行が何故平泉に旅をしたのか。
一族を訪ねていったこともそうだと思うが、どうや
ら能因が平泉を行脚した道筋をたどったらしい。
旅から帰ってきてから
 陸奥から帰ってきた西行はこの後、高野山で草庵を結び
生活をして いたとも、また大峰修行もこのころに行われた
とも推定されている。
<大峰修行>
奈良県吉野郡天川村にあ
る大峰山に上る修行。
片道2時間半かかり、男な
らだれでも参加できる。
左:大峰山の景色
このころの西行の生活
 西行は、出家後は洛外に住んでいたが、このころになると、吉野、高野
山、あるいは伊勢のほうまで庵をむすんでいたらしい。
吉野では、 根にかへる花を送りて吉野山 夏の境に入りて出でぬる
高野山・金剛峰寺では、昔より菩提(ぼだい)の樹(うえき)それながら
出し仏の影ぞ残れる
伊勢では、何事のおはかしますかは知らねどもかたぢけなさに涙こぼ
るる と詠んだ。
鴨長明「方丈記」にみられるよう
に、隠遁者は一つのところに執着
したり、物欲もないのかな。
四国への旅(1)
 四国で崩御した崇徳
院の陵へ詣でることと、
仏道修行 のために
弘法大師の遺跡をめ
ぐることを目的とした
四国の旅に始まる。
 この四国での旅では、
善通寺 ・白峰寺などを
訪れる。
<善通寺>
四国八十八カ所第七十五番礼所。
唐から帰国した弘法大師が、先祖の氏寺として建
立。高野山、東寺とともに弘法大師三大霊場の一
つで、大師誕生の地として知られる。
四国への旅(2)

西行と崇徳院との関係
もともと西行は、崇徳院の母であ
る建礼門院が出た徳大寺家の
従身であった。

出家のペ-ジに建礼門院と恋仲
にあったか、と書いたが、それも
あったのかなかったのかはわか
らないが、
西行は崇徳院には親愛の情を
抱いていたにちがいない。
晩年期
 晩年は治承四年(1180年)か
ら建久元年(1190)まで、年齢
は63歳から73歳にあたり、伊
勢に住居を移す。
 西行は、源平争乱期に入った
社会を避けて、高野・熊野の修
行場 から離れ、伊勢の国へ
移り住んだ。高野山での活動に
区切りをつけ た時期である。
伊勢移住の契機は、西住や寂
然といった親しい人々 との死
別もあり、気分を一新させる意
味も含んでいる。
 この治承、養和、寿永、建久と
つづくこの年代は、古代が終焉
の 時を告げ、中世が確立する
一大転換期である。西行と親し
い交渉が あった平氏の滅亡、
同族の奥州藤原氏の滅亡と、
歴史の渦のなかに 西行は身
をおいて晩年をすごすことにな
る。
この時期に都を離
れたのは、やはり戦
乱をさけたのであろ
うか。盛者必衰。
清盛との関係
 きえぬべき 法の光の ともしびを
掲げる和田の 泊なりけり
新川運河と兵庫運河の接
合時点にある「清盛塚」
この歌は西行が清盛に招かれ
て、和田岬に赴いたときにう
たったものである。
 そもそも西行と清盛との関係は
出家前までさかのぼる。
 西行と清盛は同年齢であり、ど
ちらも鳥羽院の北面の武士とし
て、同僚であった。
 そんなところから西行は平氏よ
りだったと見られる。
二度目の平泉への旅(1)
 西行は文治二年(1 1
86年)、六十九歳の
とき、再び平泉に赴く。
 大寺の砂金勧進で平
泉の藤原秀衡に 会
うのが目的である。
 そのころの藤原氏は
栄華をきわめていた。
中尊寺は嘉祥3年(850年)に慈覚大師が開基した天台
宗の寺院で、建立時は関山弘台寿院と号したが、貞観
元年(859年)に中尊寺と改めたという。
江刺郡の豊田館から平泉に移った奥州藤原氏・初代清
衡は、この基盤の上に長治2年(1105年)、前九年・後三
年の戦いで亡くなった人々の霊をなぐさめ、仏国土を建
設するため中尊寺一山の造営に着手した。
二度目の平泉への旅(2)
 旅の途中で頼朝と会談。頼
朝からもらった銀の猫を門
の外の子どもにあげた話は
有名。
源氏との仲
西行はあまり源氏には好印象を
もっていなかったらしい。それは、
木曽義仲が死んだとき詠んだ歌
(木曽というもの死にけりな)があ
まりにも冷たく他人行儀な歌で
西行の歌にしては、珍しい。
最期
 西行は死期近くに河内の
弘川寺に移り住む。
 住んだ頃にはもう病気で
床にふしていた。
 建久元年(1190年)如月
十六日、西行七十三歳、
そこで没す。
弘川寺にある西行の墓
富田林にある弘川寺
死後(1)
 初め西行終焉の地は、
大阪大井だと伝承され
てきた。
 江戸期似雲により、西
行は弘川寺にて没し
たことが判明。
 似雲は弘川寺に西行
堂を建てた。
弘川寺にある西行堂
死後(2)
 ねがはくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ
(山家集) 西行は、本当にこの歌の通り、如月に入滅した。
そのことによって多くの人々が感嘆した。
似雲ももちろんそうであり、また松尾芭蕉もそのひとりである。
そして多くの書物が書かれたり、登場したり、そしてまた伝承の地が
多く残されている。
年たけてまた越ゆべしと思ひきや
命なりけり小夜の中山
(山家集)
左:「西行物語」のなかの小夜の中山の図
西行の足跡(1)
 「西行祭」が、 西蔵王の大
山桜の前である。「西行」
は、西蔵王の三百坊に春
から秋まで滞在し、数々の
歌を詠んだことが知られて
いる。
 西行祭は、さまざまなセレ
モニーに続き、歌碑供養・
吟詠(西行和歌)・西行の
歌(歌曲)・護摩供(火渡
り)・瀧山太鼓・「西行」立
方などのイベントが行なわ
れる。
大山桜
西行の足跡(2)
滋賀県醒井 にある西行水と泡子塚は、
仁安三戌子年秋建立の五輪塔があり
「一煎一服一期終即今端的雲脚泡」の
十四文字が刻まれている。伝説では、
西行法師東遊のとき、この泉の畔で休
憩されたところ、茶店の娘が西行に恋を
し、西行の立った後に飲み残しの茶の
泡を飲むと不思議にも懐妊し、男の子
を出産した。その後西行法師が関東か
らの帰途またこの茶店で休憩したとき、
娘よりことの一部始終を聞いた法師は、
児を熟視して「今一滴の泡変じてこれ児
をなる、もし我が子ならば元の泡に帰
れ」と祈り
水上は 清き流れの醒井に
浮世の垢をすすぎてやみん
と詠むと、児は忽ち消えて、元の泡に
なった。西行は実に我が子なりと、この
所に石塔を建てたという。今もこの辺の
小字名を児醒井という。
まとめ
その生き方は、後世まで語り継がれ、また西行
は憧れの偉大な歌人として慕われていった。
上の写真:薬師ケ池のほとりの桜
関連HP
http://www.kiis.or.jp/kansaida/yoshino/yoshino07.html
http://osaka.yomiuri.co.jp/flower/fw99011.htm
http://www.page.sannet.ne.jp/kakomo2/saigyo-2.html
http://www.jttk.zaq.ne.jp/ruri/yakushi13.htm
http://www.d4.dion.ne.jp/~happyjr/x_entrance.htm
http://www.progress.co.jp/members/nitobe/page20.shtml
http://www.pref.mie.jp/TANBO/BUNKA/mieb0211.htm
http://www.st.rim.or.jp/~success/saigyou_index.html
http://www.wanderernet.com/urchin/his/history03.html
http://www.bashouan.com/prKajin.htm
http://www.ochakaido.com/rekisi/jinup/jinup6-2.htm
http://www.hachimangu.or.jp/rekisi/saigyo.html
http://www.lib.ehime-u.ac.jp/KUHI/JAP/kuhi169.html
http://www.libnet.pref.okayama.jp/person/saigyo/saigyou.htm
http://www.lib.ehime-u.ac.jp/KUHI/JAP/kuhi124.html
http://www.osk.3web.ne.jp/~maegawa/fun/minamikawati/kawati.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~miyawaki/syoujiji/syoujiji.htm
http://www.progress.co.jp/members/nitobe/waka/sanka_syu/yukari.html