グローバル・ガバナンス研究の動向Ⅱ 「先端研究G」 2003年10月15日 香川敏幸 市場ガバナンスの制度的条件: 自生的なガバナンス形成の事例を通じて 岡部光明編 『総合政策学の最先端Ⅰ-市場・リスク・持続可 能性-』第5章,pp.53-75. (慶應義塾大学出版会,2003年) 問題設定と概要 市場の制度的普遍性は利点であるとともに、情報 化が撹乱的要因の伝播をもたらし市場の不安定 性を増幅するなどの欠点も伴う。また、市場経済 の行為主体の行動を規制するルールによっても 市場経済のあり方は影響を受ける。 本章では、市場ガバナンスをめぐる制度や組織に 関する基本的な考え方を整理する。特に、市場に おける企業とその組織や環境などを中心に自生 的な産業ネットワークの形成に言及し、台湾の「シ リコンバレー型」産業ネットワーク形成の事例を取 り上げる。 3 21世紀の経済社会の特質: 情報化、複雑性したがって重要になるガバナンス研究 情報技術の革新は、情報の発信とその受容(情報の需給)を格段 に容易ならしめている。今日の情報社会は複雑性と従ってリスク を内包する不確実性を増大させているといえる。 21世紀の経済社会は、なおその社会の変化のテンポをいっそう 速める傾向を示している。また社会の変化の内容もいっそう多様 になってきた。 もっとも変化の顕著なものが企業や産業界であろう。繁栄を誇っ てきた産業が構造調整に迫られ、また企業組織の再構築や企業 統治の改革も避けられなくなっている。グローバルに展開する多 国籍企業もそれまで本社に経済力を集中していたのに、再び現地 に分散しはじめている。大企業はそれ自体ネットワークであるが、 周囲の環境との境界がはっきりしなくなり、内部の機構の間の関 係がヒエラルキーから、競争と協力の間を模索するような事態に ある。つまり権限による統制でも、また完全な市場におけるもので も共同体のような関係でもどちらともいえない状態である。また政 府と企業の間に、任意の団体や協会など第3の新しい組織群が、 次々と、目的に応じて設立されている。 4 21世紀の経済社会の特質(2) 21世紀の経済社会はいっそう複雑さをます傾向にある。 高度に産業化され情報化されたハイテク社会は、モジュール 化されその基盤的な装置などハードウエアの保守を必要とし、 規格が細分化され、従来のヒエラルキー型の権限が意味を 失い、危機に対して弱く、ほんの小さなことが引き金となって 大混乱になるおそれがある。 これまでのシステムで、人類社会は対応できるかということ である。おそらく新しい政治、経済、社会のシステム、すなわ ち21世紀にふさわしいシステムが必要になるだろう。システ ムはそれを構成する要素の意味ある関係であり、それ自体 ネットワークであるから、われわれはここで再び、政府・経済 社会関係としてのガバナンスのあり方の検討を要する。 5 1.市場の経済社会とガバナンス ガバナンスの定義をまとめると次のようになる。 すなわち、「さまざまな関係する主体が相互に作用 しあう努力の一般的な結果として生じるパターンあ るいは構造」とされ、統治のパターンとしてガバナ ンスは、あるシステムの内部においては「ゲーム のルール」となり、そのシステムに関与する主体の 行動の指針であって、それによって各主体は自ら の目的や利益に合わせてこのルールを利用しよう とする。そのことからガバナンスという概念は規範 的意味を持っている。 6 福祉国家、政府・社会関係とガバナンス ガバナンスの議論のメリットは、次の点を明 らかにしていることである。 (1)政府・社会関係の相互作用 (2)諸変化が、複雑さやダイナミズム、および 多様さの認識から起こったことなど 7 2.市場関係のガバナンス –選択の経 済学から契約の経済学へ 図1.選択と契約の経済学(ガバナンス)の関係模式図 (出所)Williamson, Oliver E. (2002), Figure 1, p.173より 選択の科学 古典派・新古典派:希少性と 資源配分 立憲の経済学 経済学 公共の 秩序づけ 契約の科学 誘引の 組み合わせ 私的な順序づ け ガバナンス 8 制度の経済社会分析と自生的ガバナンス L-1 埋め込み:非公式の制度、慣習、伝統、規範および 宗教 ↓↑ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ L-2 制度環境:ゲームの公式ルール、特に所有制(政治、 法制、行政) ↓↑ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ L-3 ↓↑ L-4 ガバナンス:ゲームの実行、特に契約(ガバナンス 構造と取引との組み合わせ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 資源配分と雇用(価格体系、数量および誘引の組み 合わせ 図2.制度の経済社会分析に関する4層 (出所)Williamson, Oliver E. (2000), Figure 1, p.597より 9 3.市場関係の自生的ネットワークの生成と展開 産業ネットワーク形成における台湾の「シリコンアイランド・ モデル」を事例に取り上げてみる。 台湾は、日本や韓国あるいはマレーシアやシンガポール とは異なり、ある面ではインドと類似した人的資源ベース の地域的・社会的ネットワーク(すなわち科学技術・専門知 識・情報、資金、人材を媒介する行為主体の関係づけ= 広い意味での産官学連携)が形成されてきた点で、ユニー クである。 台湾の発展モデル[1])は、戦後日本が経験したような大規 模な設備投資を必要とする重化学工業から知識集約型の ハイテク情報産業への転換を柔軟に図り先導産業とした ことと、シリコンバレーとの特別な結びつきという特徴から も「シリコンアイランド・モデル」と呼ぶことができる。 10 シリコンバレー・モデルの特色 「シリコンバレー現象は、一方での起業家的企業 のクラスターと、他方でのベンチャー・キャピタリ スト、関連ニッチ市場における先導企業、他の専 門的なサービス・プロバイダーなどに代表される さまざまな仲介機関によって構成された創発的な システムとして捉える必要がある。換言すれば、 シリコンバレー現象全体を分析単位として採用し、 それらを一貫性をもった1つのシステムとして把 握するという広い視点をもたねばならない。、、、 技術的生産物システム・イノベーションのドメイン における制度的イノベーションとして、シリコンバ レー現象を理解することができるのである。」 (青 木昌彦) 11 シリコンバレーは、実際、ハイテク情報産業のクラ スタリングという点でユニークな特徴を備えている。 それは1つの地域的なネットワークにもとづく産業 システムであり、集団的な知識情報の習熟を高め、 専門的に特化している生産者間で柔軟に調整し あうことで、相互に関連する技術の複合体を形成 している。そこでは企業内での機能的な境界が1 つのネットワーク・システム内へ浸透するように、 企業間同士でもまた企業と商業組合や大学など 地域の他の組織との間の関係でも、境界が浸透 性をもっている。 12 シリコンバレーから「新竹科学工業園区」へ 不完全な知識市場が存在する場合に輸出企業が 直面する困難を除去ないし緩和するための知識・ 技術情報取得と移転を支援するメカニズムの持つ 外部性の1つとして、「帰国した自国人からの知 識」 が挙げられる。(世界銀行) 海外からの移民、とりわけアジア系の中でも中国 系とインド系科学者・エンジニアの増大が、シリコ ンバレーのハイテク情報産業における新世代の 成長と軌を一にしていることが明らかにされてい る。 (Saxenianらの詳細な研究による ) 13 自生的ネットワーク「技術コミュニティ」の形成 「技術コミュニティ」と呼ばれる創業育成・産業支援 のネットワークも形成される。その先駆的な組織が、 1979年に華人エンジニア協会(Chinese Institute of Engineers, CIE)の支部組織として設立され、 今日では1,000名を擁するサンフランシスコ・ベイエ リアで最大の規模となっている。こうして技術ノウ ハウや起業・経営ノウハウを蓄積した台湾系の企 業家およびそれらの専門家ネットワークが出身本 国へ帰国して移転するとともに、台湾のシリコンバ レーに相当する「新竹科学工業園区Hsinchu Science-based Industrial Park, HSIP」の発展に 結びついている。 14 台湾の産官学連携(Social Network)の実際 HSIPにおける応用分野での研究開発機能を高める上で、最 も重要な全国規模での組織が非営利の政府出資研究機関 である工業技術研究院(Industrial Technology Research Institute, ITRI)である。 台湾における電子産業分野での技術革新の成功例として挙 げられる論理演算処理のCMOS技術は、このITRIの1部門 である電子工学研究支援機構(Electronics Research Service Organization, ERSO)がハイテク情報技術で米国 のRCAから技術導入したことに始まった。 HSIPのある新竹市には、国立交通大学と国立清華大学の2 つの有力大学が設置されていて、学部・大学院レベルの人 的資源の育成を担っている。 しかし研究コンソーシアムなどを通じて、研究開発機能を高 度化する努力は行われているが、産官学連携という観点か ら台湾における大学の役割を評価するときに、必ずしも十分 とはいえない。 15 おわりに:自生的ガバナンスの課題 1989年以来、中国本土との経済関係、いわゆる両岸関係 の進展と中国のWTO加盟による巨大市場の形成である。 1991-2000年における台湾による電子・情報関連産業の 対中国直接投資累計額は48億ドルに達し、2000年におけ る中国の情報機器産業産出額の約70パーセントが台湾 ベースの企業によるものである。 ここに台湾経済の対中国依存度の高まりと、電子・情報関 連産業を中心とした「空洞化」の問題が生まれている。 他方、「両湾関係bay-to-bay connection」と呼ばれるシリ コンバレーと新竹科学工業園区の科学者・エンジニアなど の人材交流・科学技術情報支援、ベンチャー・キャピタル をはじめ資金面からの創業育成と産業高度化支援、そし て協会や財団など非政府組織によるネットワークなどの次 世代システム構築が課題になる。 16
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