No Riding without a Ticket: On D. H. Lawrences “Tickets, Please” 只

滋賀大学教育学部紀要 人文科学・社会科学
1
No.54, pp. 1 − 10, 2004
只 乗 り 無 用
D・H・ロレンスの「切符を拝見」について 大 野 充 彦
No Riding without a Ticket:
On D. H. Lawrence's“Tickets, Please”
Mitsuhiko OHNO
1
次に <国家関係の在り方> に関する彼の考え
を探ろうとするのが、本稿の狙いである。
D・H・ ロ レ ン ス(D. H. Lawrence, 1885
-1930)が、性解放問題の先駆者として有名な、
だが、それに先立って、作品の梗概を示して
おくことにしよう。
20 世紀のイギリスの極めて重要な作家である
ことは、今更言うまでもない。彼は、ヴィクト
2
リア朝においては社会の裏面に注意深く隠蔽さ
れていた性の問題を、
大胆に明るみに引き出し、
この短編のストーリーは、" イングランド中
人間が真に人間らしく生きる上で、性を正しく
部地方を走る郊外電車の見回り主任を務めるハ
理解することがいかに肝要かを熱心に説き、幾
ンサムな中年男が、若い女車掌たち この電
多の迫害にも屈せず、性を社会に正当に認知さ
車の車掌は、全員、若い娘たちばかりであるが
せる運動に先鞭を付けた、予見と洞察の人であ
を次々に誘惑してもてあそんだ揚げ句、最
る。
後に、リーダーのもとに結束した彼女らから手
そのロレンスの二冊目の短編集、
『イングラ
ひどいリンチを受けるが、彼の方も、彼女らの
ンドよ、我がイングランドよ』
(England, My
心の急所に巧妙な一撃を加えて一矢を報いる "
England, 1922)の中に、
「切符を拝見」
(
“Tickets,
Please”
)という表題の一編が収められてい
る。わずか 13.5 ページほどの小品ではあるが、
<性ゆえの男女間の 藤> が実に端的に描か
れており、彼の考える <男女関係のあるべき
姿> が明瞭にうかがえる作品である。
しかも、この小編は、第一次世界大戦中のイ
ングランドを舞台にしており、<男女間の
藤> に <国家間の 藤> が重ね合わされてい
る。
そういうわけで、この短編小説の吟味を通し
て、まず <男女関係の在り方> についてのロ
レンスの主張を確かめ、その結果を踏まえて、
というものである。
主人公を演じる見回り主任の氏名は、ジョン・
トマス・レイナー(John Thomas Raynor)。し
や
ゆ
かし、彼の不品行を揶 揄 して、人々は、大抵
の場合、彼をジョン・トマスと呼んでいた。な
ぜなら、「ジョン・トマス」(“John Thomas”)
〔p.43〕なる語は、イギリスの俗語では、
「陰茎」
を意味するからである。彼は、自分が若い娘た
ちにもてるのをよいことに、次々と女車掌たち
をつまみ食いしては、プレイボーイの独身生活
を厚かましく謳歌していたのである。
電車の車掌としては、<無賃乗車>を企てる
ひ
連中を相手に一歩も退 かず、毅然として <切
2
大 野 充 彦
符> の提示を求める勇敢なしたたか娘たちも、
も残酷に仕返しする。
彼女らとの異性関係に ≪只乗り≫ を決め込む
結局、見回り主任に対する女車掌たちの実力
ジョン・トマスに対しては、泣き寝入りするし
行使は、なんら具体的な成果を挙げることがで
かなかった。
きず、単なる鬱憤晴らしの空騒ぎに終わったの
ただ
し か し、 ア ニ ー・ ス ト ー ン(Annie Stone)
うっ
である。
は例外だった。彼女を単なる遊び相手としか認
めず、彼女が人間と人間の そして、男の女
4
ちゅうちょ
の 真剣な交際を望んだとき、躊躇なく彼女
を捨てて別の娘に <乗り換え> たジョン・ト
この小編の梗概は以上のとおりであるが、作
マスに対して、とりわけ気性の激しいこの娘
者ロレンスは、まず、作品冒頭の段落で、彼の
は、用意周到に復讐を計画する。つまり、アニ
主張を多重的な含蓄を通して暗示する。
ーは、自分と同じ立場に置かれて彼への怒りを
作品の意味を解明する上で有力な鍵となる重
鬱々と内攻させている女車掌たち一人一人に働
要な段落なので、少し長くなるが全体を引用し、
きかけて、彼女らを団結させた後、ある夜、口
かつ、ここにだけは原文を添えることにする
実を設けて彼を始発駅の自分たちの控え室に誘
うつ
い込み、
自分たちの中から結婚相手を選ぶよう、
集団の圧力を背景に彼に迫る。そして、素直に
イングランド中部地方には、ある単軌の電車
応じようとしないジョン・トマスに、仲間五人
が走っているが、これは、州庁所在地の町を
と共に仮借ない暴行を加えるのである。
威勢よく出発し、黒煙に覆われた近郊の工業
ついでながら、アニーの復讐の意志の <固
地帯に突っ込み、丘を登り谷を下り、労働者
さ > と、 彼 女 が 築 い た 女 車 掌 た ち の 団 結 の
たちの住宅が立ち並ぶ長く延びた醜い村々を
<固さ> は、彼女の姓が「ストーン=石」で
突き抜け、運河や線路を幾つか横切り、煤煙
あったことを、読者に思い出させるであろう。
と物影の上に高く貴く鎮座まします幾つかの
ばい
教会のそばを過ぎ、市の立つ荒涼とした汚く
寒い小さな幾つかの広場を貫き、映画館や商
3
店が連なる前を慌ただしく突き進み、炭鉱の
くぼ
お
だが、女車掌たちも無傷では済まなかった。
ある窪地に向かって駆け下り、それから再び
過去の遊び相手たちからさんざん暴力を振る
駆け上がり、小さな田舎の教会のそばを過ぎ、
われ、彼女らのうちの一人との結婚を力ずくで
トネリコの木々の下を通り、慌ただしく終点
強いられたジョン・トマスは、今回の集団行動
を目指すが、この終点というのは、工業地帯
の中心人物アニーを故意に選ぶ。勿論、
彼女が、
の小さな醜い末端であり、その向こうの荒れ
主導者としての立場上、断らざるをえないこと
果てた陰鬱な田舎との境目で震えている、寒
を見越した上での、狡猾な選択である。
い小さな町なのだ。そこで一休みする緑色
もち
うつ
アニーは、当然、ジョン・トマスの指名を
とクリーム色のこの電車は、奇妙な満足感か
「石」
のようにきっぱりと ここでも、
読者は、
ら、ごろごろ喉を鳴らしているように思える。
彼女の姓を連想することであろうが はねつ
しかし、2、3分も経つと 卸売協同組合
けざるをえない。
加盟店舗群の小塔の時計が時刻を知らせると
けれども、アニーの本心は、紛れもなくジョ
、それは、もう一度冒険旅行に出かける。
ン・トマスとの結婚を切望しており、彼女は、
方向転換用の湾曲線路を弾みながら回ると、
立場と本音との板挟みになってひどく苦しむ。
再び下り坂を無鉄砲な勢いで転がり落ちてい
更に、ジョン・トマスは、彼の指名を拒絶し
き、再び丘の頂上にある市の立つ広場の薄ら
たアニーに代わって、自分が彼の選択の対象に
寒さの中で乗客を待ち受け、再び教会の下の
なることをそれぞれ心密かに期待している五人
急坂を息せき切って滑り降り、再び待避線に
の娘たちを、完全に無視することで、彼女らに
停車して、追い越していく電車を辛抱強く待
ストーン
のど
只 乗 り 無 用
3
ち、という具合にたっぷり2時間を掛けてど
looms beyond the fat gas-works, the narrow
んどん進むと、ようやくずんぐりしたガス工
factories draw near, we are in the sordid
場の向こうに町の姿がぼんやりと現れ、数々
streets of the great town, once more we
の細長い工場が近づいてきて、我々は大きな
sidle to a standstill at our terminus, abashed
町の薄汚い街路に入り、もう一度我々は、深
by the great crimson and cream-coloured
紅色とクリーム色をした大型の市街電車に
city cars, but still perky, jaunty, somewhat
気後れを感じながらも、それでもきびきび
dare-devil, green as a jaunty sprig of parsley
と元気よく、幾分向こう見ずに、炭鉱の黒々
out of a black colliery garden.
とした菜園から採れたパセリの元気の良い若
枝のように青々として、じりじりとにじり進
この冒頭段落を原文で読んだ読者の脳裏に、
み、我々の終点で停止するのだ。
〔
“Tickets,
まず強烈に印象づけられるのは、第1 文 と第
Please,”in England, My England (London:
4 文 の異常な長さであろう。この段落は四つ
Penguin, 1960), P.41〕
(下線は筆者。原文
の 文 で構成されているが、前者(使用テキス
のそれらを含めて、以下同様。
)
トの原文で 11 行弱)と後者(約 10.5 行)の
センテンス
センテンス
センテンス
けた
桁外れの長さが、これを本短編最長の段落(約
There is in the Midlands a single-line
25.5 行)に引き伸ばしている。
tramway system which boldly leaves the
county town and plunges off into the black,
5
industrial countryside, up hill and down
dale, through the long ugly villages of
では、なぜ作者は、冒頭段落中のこれらの二
workmen's houses, over canals and railways,
つの 文 を、これほどの長文に仕立てたのか。
past churches perched high and nobly over
その理由は、これらの二つの 文 の内容から
the smoke and shadows, through stark,
推察すれば、おのずと明らかであろう。すなわ
grimy cold little market-places, tilting away
ち、作者は、<電車の往路の全行程と復路の全
in a rush past cinemas and shops down to
行程> を、それぞれ一つの 文 で表現しようと
the hollow where the collieries are, then up
したのであろう。したがって、それらの行程の
again, past a little rural church, under the
途中に、各駅での小停止や他の一時停止を表す
ash trees, on in a rush to the terminus, the
コンマやコロンを挟むことはできても、本格的
last little ugly place of industry, the cold
な停止を示すピリオドを打つことはできなかっ
little town that shivers on the edge of the
たのであろう。
wild, gloomy country beyond. There the
だ が、 < 線 路 を 走 る 電 車 > に は、 < 血 管
green and creamy coloured tram-car seems
を流れる血液> に通じるものが、あるのでは
to pause and purr with curious satisfaction.
なかろうか。そして、これらの二つの 文 は、
But in a few minutes the clock on the turret
<人間の心臓から送り出された血液が、人体を
of the Co-operative Wholesale Society's
一巡した後、再び心臓に帰ってくるまでの循環
Shops gives the time away it starts once
の過程> をも、連想させはしないであろうか。
more on the adventure. Again there are
血液は、絶えず一定の速度で流れているわけで
the reckless swoops downhill, bouncing the
はなく、心臓の拍動に合わせて小刻みに進行と
loops: again the chilly wait in the hill-top
停止を繰り返しているのであるが、" 前記の二
market-place: again the breathless slithering
センテンス
センテンス
センテンス
センテンス
センテンス
文
における語句の流れとそれを区切るコン
round the precipitous drop under the
マやコロンとは、血液の進行だけでなく、その
church: again the patient halts at the loops,
停止の模様までも鮮やかに暗示しようとする、
waiting for the outcoming car: so on and
実に巧妙な仕掛けにほかならない " とは、考え
on, for two long hours, till at last the city
られないであろうか。
4
大 野 充 彦
そして、もしそのように考えることが可能
い。)
であるなら、その場合、<人間の血液の循環>
が <人間の生命の営み> そのものを象徴する
7
ことは、言うまでもあるまい。
更に、作者は、単に <個人の生命の営み>
においてだけではなく、いわば <人間社会の
6
センテンス
けれども、前述の二 文
生命の営み> においても、男女は相互に対等
が強く暗示してい
の協力者であるべきだ、と考えていたことは、
るのは、<人間の生命の営み> の中でも特に、
疑いない。すなわち、彼は、社会的活動の面で
その原点とも言える <生命を生み出す営み>
も、両性が対等者として協力し合ってこそ、初
であるように、筆者には思える。つまり、起
めて <人間社会の健全な営み> が成り立ちう
点と終点の間を行き来する電車の往復運動は、
るものと、考えていたに違いない。
<男女の性の営み> のピストン運動を筆者に
試しに、くだんの路線を走る電車の乗務員で
連想させるのである。
ある男女の仕事ぶりを、作者がどのように描い
センテンス
例えば、冒頭段落の第1 文 における往路の
ているかに、注目してみよう 電車の動きは、
「……に突っ込み……を突き抜
け……を貫き……を慌ただしく突き進み……」
これらの電車に乗るのは、常に冒険だ。今は
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(“plunges off into . . . through . . . through . . .
戦時なので一
、運転手は一
、現役の軍人には不向
tilting away in a rush past . . .”
)
〔p.41〕
(前出
きな男たちばかり一
、つまり、手足や背中に支
一
=本稿第4節独立引用文 和文および英文 障のある男たちばかりなのだ一
。だから、彼ら
のすべての下線部)というふうに表現されてい
は、内心ではがむしゃらな闘志をたぎらせて
るが、こうした一連の動きは、まさしく、男女
いる。いきおい、電車の運行は障害物競走と
の性交運動の一部に符号するものではなかろう
なる。……勿論、電車の脱線事故は頻発する。
か。
……大勢の生身の人間をぎゅうぎゅうに詰め
この場合、電車は男性性器の象徴だ、と解さ
込んだ電車が、真っ暗闇のど真ん中で……完
れよう。これに対して、女性性器を象徴してい
全に停止し、そして、運転手と女車掌が、
「全
ると考えられるのは、線路ではなかろうか。
員退避 火災発生!」と叫ぶことも、しょ
無論、作者ロレンスは、なにも、いたずらに
っちゅうだ。〔pp.41-42〕(下点は筆者。他
際どい暗示表現をもてあそんでいるわけではな
所も同様。)
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もち
い。
ちょうど、電車の円滑な運行には、電車と電
作者は、とりわけ、女性乗務員たちの活躍ぶ
車を載せる線路との両方が存在して、しかもこ
りを強調する の両者がうまく交接することが必須の条件であ
るように、人間の性関係の円満な成立にも、男
女車掌たちは、怖いもの知らずの若いじゃじ
と女の両性が存在して、更にこの両者が親密に
ゃ馬だ。……彼女らは、自分たちの切符切り
和合することが不可欠の要件である 作者が
鋏 を逃れようとする若者たちを、こてんぱ
冒頭段落でそれとなく提示している主張は、結
んにやっつける。彼女らは、極めてよそよそ
局は、そういうことに違いないのである。
しく男たちをあしらう。彼女らは、乗客の態
(ちなみに、この路線では「電車の脱線事故
度にごまかされて無賃乗車を見逃したりする
は頻発する」
〔p.41〕
後出=本稿次節第1独立
つもりは、ないのだ 彼女らに限って。彼
引用文の下線部 と、作品の最初のページに明
女らは、誰をも恐れていない そして、誰
記されているのは、この路線で働く男女の関係
もが彼女らを恐れている。〔p.42〕
8
8
の <脱線> に、作品のスポットライトがこれ
から当たることを、予示しているのかもしれな
ばさみ
只 乗 り 無 用
5
それぞれの電車の切符の売上状況等を実地に
検分して回る、見回り主任という職務の性質上、
8
女車掌たちと常に接触する機会に恵まれ、しか
しばしば暴走して脱線したり、始終客を乗
せ過ぎて過熱から火災を起こしたりしている、
「イングランドで最も危険な電車」
〔p.42〕で車
掌を務め、常に冷静かつ的確に事態に対処し、
も、「熟年」〔p.43〕の魅力にあふれ、「男前」
〔p.43〕でもあるため、彼女らによくもてるジ
ョン・トマスは、束の間の情事を次々と楽しん
では、艶聞まみれの日々を送っている また、
「無賃乗車」
〔p.42〕
(前出=本稿前節第
2独立引用文の第2下線部)を決して許さず、
幾つもの村々で、ジョン・トマスに関する相
相手が誰であろうと「切符を拝見」
(
“Tickets,
当な悪評が立っている。彼は、朝、女車掌た
please”
)
〔p.42〕と遠慮なく迫る、若い女性た
ちといちゃつき、彼女らが始発駅に戻って電
ちの働きは、男性である運転手たちのそれに少
車から降りると、暗い夜闇の中で彼女らとデ
しも劣るものではない。
ートする。無論、女車掌たちは、しょっちゅ
そして、運転手たちもそのことを認め、女車
う勤めを辞めていく。すると、彼は、新しく
掌たちを、職場における対等の仲間として扱っ
雇われた女車掌といちゃつき、デートする。
ている いつの場合も、もし彼女が十分に魅力的であ
り、しかもデートの誘いに応じる気が彼女に
女車掌たちと運転手たちとの間には、非常に
あれば、の話だが。〔p.43〕
強い連帯感が存在する。お互いに、危険を分
かち合う仲間同士ではないか / 陸上の荒波
ちょうど電車の乗客が、駅から駅へと移り動
に絶えず揉まれ続ける、電車というこの疾走
いていくように、ジョン・トマスは、女性から
する船の積み荷同士ではないか?〔p.43〕
女性へと渡り歩いているのである。
だが、電車の乗客とは違って、ジョン・トマ
要するに、運転手たちと女車掌たちは、対等
スは、いかなる <切符> をも提示することは
の立場で協力し合い、彼らの勤務先のために
なく、また、その提示を求められることもない。
ひいては、社会のために 役立っている
彼は、いわば、<切符> を持たずに駅から駅
のである。
へと≪只 乗り≫ の旅を続ける、<無賃乗車>
前節および本節に掲げた、合わせて三つの独
の常習犯なのである。
立引用文からうかがえるのは、
それにしても、電車の乗客たちの「無賃乗車」
じ詰めれば、
ただ
そういうことではなかろうか。
に対しては、極めて厳しい女車掌たちが、ジョ
そして、作者は、こうした一連の記述によっ
ン・トマスとの異性関係においては、なぜ彼の
て、実は、<あるべき男女共生社会> の見本
≪只乗り≫ を黙認してきたのであろうか。
の一つを、さりげなく読者に提示しているので
たぶん、<惚れた弱み> から、女車掌たち
はないか。
は、<切符> の提示を露骨に求めれば、ジョン・
そんな作者は、この作品に描かれているよう
トマスがさっさと <途中下車> してしまうの
な <男女間の
ではないかと、恐れたのであろう。そして、彼
藤> を、いったいどういう目
ただ
で見ているのであろうか。
の誠意にほのかな期待をつないだのであろう。
以下は、そのことを念頭に置きながら、論を
更には、その期待が決定的に裏切られた後も、
進めていきたい。
事が事だけに、大げさに騒ぎ立てるわけにもい
かなかったのであろう。
9
10
まず、主人公ジョン・トマスの女性遍歴から、
論を始めることにしよう。
そうこうするうちに、ある日、全くの偶然か
6
大 野 充 彦
ら、アニー・ストーンにお鉢が回ってきた。
presence”)のままでいるつもりだった。彼
ジョン・トマス・レイナーの派手な浮気ぶり
女に対して、すべての面を備えた相手(“an
をさんざん見せつけられてきたこともあり、ま
all-round individual”)になる意向は、彼に
た、彼女自身に恋人がいたこともあって、これ
は全くなかった。彼女が、彼と彼の生活と彼
まで、彼を異性としては毅然として寄せつけな
の人格とに知的な関心を持ち始めたとき、彼
かったアニーであるが、11 月の非番の夜、ベ
は彼女から離れていった。彼は、知的な関心
ストウッド(Bestwood)で開かれた定期市に
を憎んだ。そして、それを阻む唯一の方法は
一人で遊びに出かけたとき、偶然ジョン・トマ
それを避けることだということを、彼は知っ
スに出くわし、一緒にジェット・コースターや
ていた。所有欲の強い女性が、アニーの中に
回転木馬に乗ったり、映画を見たりしたことが
目覚めていた。それで、彼は彼女を捨てたの
きっかけとなって、二人の親密な交際が始まっ
だ。〔p.46〕
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たのである ジョン・トマスは、根っからの女たらしであ
せん
そういうわけで、アニーは、ジョン・トマ
り、アニーについても、所
スと付き合うようになった。……
び相手> としか見ていなかったのである。
は単なる<夜の遊
間違いなく、アニーは、ジョン・トマスに
女性の人間性を無視した、このようなジョン・
並々ならぬ好意を寄せていた。彼がそばにい
トマスの不誠実な生き方に、作者の共感がある
るときには、彼女は、いつも、自分の内部が
はずはなく、作者は、アニーの主導のもとに、
とても豊かになり、かつ温かくなるのを感じ
ジョン・トマスの被害者たちを遂に立ち上がら
た。そして、ジョン・トマスの方も、彼には
せることになる。
珍しいほど、本気でアニーに好意を覚えてい
た。彼女は、あたかも男の正に骨そのものの
11
中に溶け込んでいくかのように、男の中に流
れ込むことができたが、その際のあの柔らか
すなわち、アニーをリーダーとする六人の女
な溶けていく風情は、めったに味わえない、
車掌たちは、ある夜、勤務明けのジョン・トマ
申し分のないものだった。彼は、この点を十
スを彼女らの控え室に監禁して、自分たちの中
分に高く買っていた。
〔p.46〕
から結婚相手を今すぐ選べと、彼に強要するの
である しかし、アニーも、結局は、彼女より先にジ
ョン・トマスと男女の関係を持った他の娘たち
と同じ道をたどることになる 「ぐずぐずしないで、ジョン・トマス! さ
あ! 選ぶのよ!」と、アニーが言った。
「どうしろって言うんだ? ドアを開けろ
……付き合いが深まるにつれて、親密さも深
よ」と、彼が言った。
まり始めた。アニーは、彼を一人の人間と、
「開けるもんですか あんたが選ぶまで
一人の男性と、見なしたがった。彼女は、彼
はね!」と、ミュリエル(Muriel)が言った。
に知的な関心を持ちたがった。そして、知的
「選ぶって、何を?」と、彼が言った。
な反応を欲しがった。彼女は、単なる夜だけ
「あんたの結婚相手をよ」と、彼女が答えた。
8
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の相手(
“a mere nocturnal presence”
)を求
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彼は、ちょっとためらった。
めてはいなかった。彼は、
これまでのところ、
「この忌ま忌ましいドアを開けろ」と、彼
そういう相手だったのだ。そして、彼女は、
は言った。「そして、頭を冷やせ。」 彼は、
彼には自分を捨てることはできまいと、高を
職権を笠に着た物言いをした。
括っていた。
「あんたは、選ばなくっちゃならないの
こ の 点 で、 彼 女 は 誤 り を 犯 し た。 ジ ョ
ン・トマスは、夜だけの相手(
“a nocturnal
8
8
8
8
8
8
よ!」と、女車掌たちが叫んだ。
「 ぐ ず ぐ ず し な い で っ た ら!」 と、 ア ニ
只 乗 り 無 用
7
ーが、彼の顔をまともに見つめながら叫ん
かつしたたかな抵抗に遭い、女車掌たちのもく
だ。
「さあ! さっさと選んでちょうだい!」
ろみは、あえなく水泡に帰してしまう。
〔pp.50-51〕
仲間たちを代表して彼に激しく詰め寄るアニ
要するに、女車掌たちは、ジョン・トマスに
対するこれまでの遠慮と自制をかなぐり捨て、
ーに対して、ジョン・トマスが放った強烈な返
し技は、次のようなものである ようやく彼女らの本来の姿 「怖いもの知ら
のう
ずの若いじゃじゃ馬」
〔p.42〕
(前出=本稿第7
「あんたの結婚相手を選ぶのよ、陰囊さん。
節第2独立引用文の第1下線部)
に立ち返
今すぐ選ばなくちゃならないのよ。そして、
って、初めて彼の正面から <切符> の提示を
もしあんたが、これ以上女の子をもてあそぶ
要求したのである。
ような真似をしたら、首根っこをへし折るわ
" <深い男女関係> という名の <電車> に
乗る際には、何人といえども、相応の<切符>
よ。いいわね。あんたも、もう年貢を納める
のよ。」
を所持していなければならない " と迫る女車掌
沈黙が訪れた。再び、彼は顔を背けた。彼
たちの主張は、女性としての、また人間として
は、敗北してもなお狡猾だった。彼は、本当
の、悲痛な <叫び> であろう。
は、彼女らに屈服してはいなかった そう、
「切符を拝見」というこの短編の表題は、作
者の本当の狙いが、女車掌たちのこうした<叫
び> を強調する点にあることを、示唆してい
よう。
たとえ八つ裂きにされても、彼女らに屈服す
るものではなかった。
「そういうことなら、承知した」と、彼は
言った。
「俺は、アニーを選ぶよ。」 彼の声は、
よそよそしく、悪意に満ちていた。まるで
12
ちゅう
彼が真っ赤に焼けた石炭の塊だったかのよう
に、アニーは彼から手を離した。〔pp.52-53〕
そして、自分たちの 衷 心からの <叫び>
に誠実に応えようとしないジョン・トマスに対
して、六人の女車掌たちは、仮借ないリンチを
加えるのである 13
とう
放蕩者のジョン・トマスが結婚相手にアニー
を選んだのは、なにも殊勝に改心したからなど
女車掌たちは、彼に激しく襲いかかり、彼を
ではない。アニーを選べば、結果として自分は
手でしっかりと捕まえ、彼を引っ張った。あ
誰とも結婚しないで済み、しかも彼女を苦しめ、
るいは、彼に激しく襲いかかり、彼を押しま
今回の実力行使の首謀者である彼女に仕返しで
くり、彼に思い切り頭突きを食らわせた。あ
きることを、彼は抜け目なく計算していたので
るいは、彼を乱暴に殴りつけた。……
ある。
遂に、彼は倒れた。彼女らは、彼に飛びか
だいいち、アニーが、ジョン・トマスの指名
かって、彼を膝で押さえつけた。彼には、呼
を受け入れられるはずがないではないか。そん
吸する力も身動きする力も、残ってはいなか
なことをすれば、皆を焚きつけてこの報復行動
った。彼の顔は長い引っ搔き傷で出血し、彼
に誘い込んだ彼女は、自分の利益のために仲間
の額は打ち傷を受けていた。
〔p.51〕
たちを利用したことになるではないか。
こうして、ジョン・トマスの身体の自由を
を突かれて、最初は動揺したアニーも、やがて、
ひざ
た
ジョン・トマスの全く思いがけない選択に虚
奪っておいてから、女車掌たちは、再び <切
拒絶の言葉を自分の口から絞り出さざるをえな
符 > の 提 示 を 彼 に 要 求 す る。 つ ま り、 < 結
い 婚> という形の <切符> を今すぐ示せと、彼
に強く迫るのである。
だが、敵もさる者で、ジョン・トマスの巧妙
「わたしには、彼に手を出す気はないわ」と、
彼女は言った。
8
大 野 充 彦
けれども、彼女の顔は一種の苦悶にわなわ
がらも、その一方では、彼女らとジョン・トマ
なと震え、彼女は今にも倒れそうに見えた。
スの関係の不毛性に関しては、彼女らにも責任
……
の一端があると、考えたのではなかろうか。
「でも、それが彼の選択なら 」と、ポ
リー(Polly)が言いかけた。
「わたしは、彼なんか要らないわ 彼が、
すなわち、作者は、女車掌たちがジョン・ト
マスに <切符> を提示するよう求めた <時
期> とその <切符> の <内容>、および、
選び直せばいいのよ」と、アニーが、依然と
彼女らの <切符> の提示の <求め方>、に大
して実に苦い絶望を嚙み締めながら、
言った。
いに問題があると考えて、彼女らをもきつくた
〔p.53〕
しなめたのではなかろうか。
まず、<時期> について言えば、もし女車
だからといって、ジョン・トマスが、別の女
掌たちが、<結婚> という <切符> の提示を
車掌を改めて選ぶはずもない。また、アニーが
ジョン・トマスに求めるなら、彼と深い関係に
拒絶した男を自分が欲しいとは、誰にも言い出
入る前に求めるべきだったのではないか。
せるはずがない しかし、女車掌たちは、<愛> という <内
容> を持った <切符> の提示を、何よりも先
「彼を欲しい人、誰かいる?」と、ローラ
(Laura)がぞんざいに叫んだ。
「誰もいるもんですか」と、彼女らが、軽
もち
に 勿論、<結婚> という <内容> を持っ
た <切符> よりも先に 、求めるべきだっ
たのではないか。
蔑をあらわにして答えた。しかし、彼女ら一
そして、これらの <切符> が事前に提示
人一人は、彼が自分に目を向けてくれるのを
されなければ、<自分との深い関係> という
待っており、彼が自分に目を向けてくれるの
<電車> に、ジョン・トマスを乗せてはなら
を望んでいた。皆がそうだった。ただ、アニ
なかったのではないか。
ーだけは例外で、彼女の中で何かが壊れてい
た。
<結婚> をジョン・トマスに迫ることのみ
に熱心で、彼の <愛> の有無を全然問題にし
けれども、彼は、顔を無表情に保ち、それ
ていないかのような、女車掌たちの態度も を彼女ら全員から背けていた。すべてが終
あたかも、<結婚> という <切符> をジョン・
わったことを示す沈黙が、続いた。……彼
トマスが所持していさえすれば、彼の <愛>
は、
彼女らのうちの誰にも目を向けなかった。
の有無は問わないかのような、彼女らの姿勢も
〔p.53〕
、作者の厳しい批判にさらされていること
は、想像に難くないであろう。
こうして、ジョン・トマスが、屈辱の中で一
矢を報いて立ち去り、残された女車掌たちが深
15
い徒労感と挫折感に襲われる場面 作者が、
彼女らの決起を強く支持しながらも、その際
更に、作者ロレンスの批判は、ジョン・トマ
の彼女らの具体的な要求や行動については、必
スに対する女車掌たちの <切符の提示の求め
ずしも是認していないことを暗示する場面 方> にも、遠慮なく向けられている。つまり、
で、この小編は終わっている。
男女間の心の問題を、彼女らが <暴力> を用
いて解決しようと図った点にも、向けられてい
14
るのである。
確かに、女車掌たちに対するジョン・トマス
ここで、女車掌たちが、彼女らをもてあそん
だけしからぬ女たらしを相手に、究極の勝利者
となりえなかった理由に、少し触れてみたい。
恐らく、作者は、女車掌たちに深く同情しな
の態度が、感心できるものでないことは、誰の
目にも明らかであろう。
けれども、だからといって、女車掌たちが、
集団の <暴力> でジョン・トマスに <結婚>
只 乗 り 無 用
を押しつけることが、許容されるはずもない。
9
刻なものにはならずに済んだことであろう。
それは、彼の人間性を無視することであり、そ
若い娘たちがジョン・トマスにあれだけ夢中
のような行為は、彼女らを彼と同じレヴェルに
になったのは、彼個人の性的魅力もさることな
落としてしまうものであろう。女性の人格が尊
がら、恐らくは、少なからず戦争の影響を受け
重されなければならないのと同様に、男性の人
てのことではなかろうか。すなわち、祖国が今
格も、当然、尊重されなければならないのであ
戦時にあり、頑健で五体満足な若い男たちの多
るから。
くが戦場等に駆り出され、銃後を守る娘たちが、
その上、現実的観点から見ても、それは、決
して賢明な方策ではなかった。女車掌たちの企
ては、結局、ジョン・トマスの自尊心を傷つけ、
いわば <男飢饉> の状態に置かれしまったこ
とと、深く関係しているのではなかろうか。
例えば、くだんの郊外電車の運転手たちは、
彼をいこじにし、彼の敵意を呼び覚ましただけ
皆、
「少し手足の不自由な……若者たち」
〔p.42〕
で、なんら真の解決をもたらしはしなかった。
(本稿第7節第1独立引用文の下点部を参照)
女車掌たちは、ジョン・トマスに穏やかに反
か、「虚弱体質の若者たち」〔p.42〕ばかりだ、
省を求めるにとどめ、後は、彼の自由意志に
というのが、その何よりの証拠ではあるまいか。
委ねるべきだったのではなかろうか。そして、
端的に言えば、戦争という <国家と国家の
" それでも彼に誠意が認められなければ、以後、
関 係 の ゆ が み > が、 < 男 と 女 の 関 係 の ゆ が
そうした不実な男は相手にしない " という態度
み> をもたらしているのである。少なくとも、
で、事を収めればよかったのではなかろうか。
この小編には、作者のそうした戦争批判が込め
" 男女の関係は、男尊女卑の因習に基づくも
られていると考えて、間違いないであろう。
のでも、また、その反動としての女尊男卑の
思想によるものでもあってはならず、あくまで
17
も、対等者としての信頼と尊敬に基礎を置いた
協力関係であるべきだ " と、固く信じて疑わな
そんな作者は、更に、<男と女のこじれた関
い作者は、男女の猥雑な関係とその破綻をいさ
係> に、<国家と国家のこじれた関係> を重
さかユーモラスな筆致で描いたこの小品で、無
ね合わせようとしているように思われる。つま
責任な浮気男に大きなお灸を据える一方、彼を
り、彼は、<男と女の争い> の中に、<国家
<暴力> で征服しようと軽率に暴発した女た
と国家の争い> の縮図を見ようとしているよ
ちにも、大目玉を食らわせているのであろう。
うに思えるのである。
わい
たん
きゅう
そういう形で、作者は、男女が相互の人格や人
たぶん、作者の目から見れば、<男女間の
権を尊重し合うことの大切さを、強く訴えてい
藤の結果としての暴力沙汰> も、<国家間の
るのであろう。
藤の結果としての戦争> も、本質的には同
根なのであろう。すなわち、この短編の主人公
である一人の男が、自分の周辺の女たちを自分
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と対等の存在として扱っていないところから、
最後に、この短編からうかがえる、作者の
<反戦思想> に触れておきたい。
第一次世界大戦を時代的背景に設定したこの
作品において、読者が意識の片隅に絶えず感じ
るのは、戦争の暗影であろう。
激しい <暴力沙汰> が起きたように、一方の
国家が相手の国家を対等視せず、侮り見くびる
ところから、悲惨な <戦争> が始まる 作
者は、そう考えているのであろう。
また、この作品では、女たちが、<暴力>
そもそも、ジョン・トマスは、なぜ若い娘た
によって男に <結婚> を無理強いしようとし
ちにあれほどももてたのであろうか。もし彼女
ているが、" その種の <精神的レイプ> を国
らが、あれほど簡単に彼に籠絡されなければ、
家レヴェルで行おうとするのが、戦争だ " と、
彼の不行跡もあれほどひどくはならなかったで
作者は言いたいのであろう。
ろう
あろうし、彼と彼女らとの確執も、あれほど深
この小編の中に、<制服の恐ろしさ> が強
10
大 野 充 彦
調されている場面が、ある。ジョン・トマスが、
女車掌たちに、結婚相手の選択を迫られる直前
のくだりである 彼は、追い詰められて、彼女らと向き合った。
短い制服(
“short uniforms”
)を着て立って
いる、その時の彼女らは、彼にはけっこう恐
ろしかった。彼は、明らかにおびえていた。
〔p.50〕
軍隊を連想させる女車掌たちの <制服集
団> ちなみに、作者は、ある箇所で、彼女
らの勤務中の <冷静さ> を、
「老練な下士官
8
8
8
8
8
8
(“an old non-commissioned officer”
) の落 ち
着き 」〔p.42〕(ゴシックの斜体は、原文ではイ
タリック体)と表現している に取り囲まれ
たジョン・トマスが、このとき抱いた恐怖心は、
戦場で圧倒的に優勢な敵に包囲された、孤兵の
恐怖心に通じるものであろう。更に、それは、
強大国の <圧力> によって絶体絶命の窮地に
追い込まれた、弱小国の恐怖心につながるもの
でもあろう。
女車掌たちの <制服> を、
「彼女らの醜い
8
8
青の制服」
(
“their ugly blue uniform”
)
〔p.42〕
と決めつけているところに、<制服集団>、お
よび、その背後にあって構成員を画一的に支配
する、非人間的な <組織の論理> に対する作
者の感情が、はしなくも表れているのではなか
ろうか。
" 男女間の問題と同様に、国家間の問題につ
いても、その真の解決を望むなら、当事国が対
等の立場に立ち、
相互の信頼と尊敬に基づいて、
粘り強く平和的交渉を重ねるほかはない。仮に
<恐怖> と <暴力> で相手をねじ伏せること
はできても、決して心服させることはできず、
共に傷つくのが落ちだ。戦争に究極の勝者など
ありえず、最後に残るのは空しさだけだ " 女車掌たちが深い徒労感と挫折感に襲われる、
この短編小説の最終場面からは、
そういったD・
H・ロレンスの厳粛な声が聞こえてくるように、
筆者には思われてならないのである。