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―
『白 露 』論
はじめに
―
高橋
早苗
男君が最初に詠んだ和歌に対する従来の解釈に注目したい。
思 ひ し れ 野 べ の 小 萩 が 下 葉 さ へ ぬ る れ ば か く る 露 の あは れ を
「思ひ知れ」が指し示すもの
ついては、次のような解釈が示されてきた。
一
したい。
れる。
よみ人知らず
いる。で は、男君がわ かってほし いと訴える「濡 るればかくる露の
なわち「 濡るればか くる露のあは れを」を指 し示していると捉えて
どちらの解釈も 、
「思ひ知れ」は、小萩の下葉に露がかかること、す
ることも可 能だろうが、ま ずは「人に 折らるな」とい う事柄を訴え
かけ訴える ものとなっ ている。ここに 詠者のさら なる心情を読みと
添って日 々を過ごした 私以外の人 に折られないで くれ、と花に呼び
ひ知れ」の内容は 、
「我ならざらむ人に折らるな」であり、花に寄り
一三世紀に成立した『万代和歌集』におさめられた歌である 。
「思
(万代和歌集・二八三 )
思ひ知れ花にたぐひて日を経にし我ならざらむ人に折らるな
長治二年閏 二月中宮女 房花見侍りけ るに
あ る 事 柄 を 「 思 ひ 知 れ 」 と い う 例 と し て は 次 の よ う な も の が見 ら
できる。
が指すものが、 事柄である 場合と、心情で ある場合と に大きく分類
まずは一句めに「思ひ知れ」を置く歌を検討したい。「思ひ知れ」
(9)
子が姫君の夜具 の下から見 つけた歌であ る。男君が詠 んだこの歌に
ばれた日の 翌日、男君の帰 宅の後、混 乱する姫君の そばで侍女の杉
右の「思 ひしれ…露 のあはれを」の 歌は、男君 と姫君が初めて結
( ・一七九頁)
(7)
解釈につい てはさらなる検 討の余地が あると思われる 。なかでも、
って、全体 にわたる訳 や注が施されて いる。しか し、本文や和歌の
露』は 、
『中世王朝物語全集』と『中世王朝物語『白露』詳注』によ
「露の あはれ」 歌の解 釈をめ ぐって
(1)
『白露』 は、作者未詳の 作品であり 、一九八種の物 語名を伝える
(2)
『風葉和歌集 』
(一二七一年)にもその名を見出せないことから作品
(3)
成立は鎌倉後期から室町初期ごろという見解が示されている。また 、
こ れ ま で の 研 究 で は 、 物 語 本 文 に 続 く 識 語 を 参 照 し た う え で 、こ の
(4)
伝本(早稲田大学図書館蔵本のみ/二巻一冊)は 、
「十六歳」の若き
(5)
「北村久 助」のちの北 村季吟が書 写したものとす る説、識語の配置
関係から季 吟の書写本 を第三者がさら に書き写し たものとする説が
作品中に『竹 取物語』や 『伊勢物語 』、『住吉物語』などの名を出
提示されている。
(6)
し、
「王朝和歌や平安時代物語の伝統」を踏まえていると言われる『白
・お分 かりください 。野辺の小 萩の下葉まで もが、濡れると露を
(『中世王朝物語全集』)
かけるの です。ですか らあなたも せめて露ほどの あわれを私に
かけてください 。
・わかってく ださい、野 辺の小萩の下葉 でさえ濡れ れば露がかか
(『中世王朝物語『白露』詳注』
)
りま す、そのほ んのわずかの 露程度でい いですから、わたしに
愛情をかけてください 。
「思ひ知る」は現代の感覚では「肝に銘じる 」
「骨身にしみる」と
(8)
いった打ち のめされる ような意味合い を持つ語で あるが、本来の用
法は「なるほどと思う」
「悟り知る」というものである。ここでも男
君は決して姫君 を懲らしめ るような気持 ちで「思ひ知 れ」と詠んで
はい ないことを 確認しておき たい。この歌 で問題とし たいのは、男
あはれ」とは何だろうか。
『中世王朝物語全集』も『中世王朝物語『白
たものと捉える にとどまり たい。こうした 例がいくつ か見られる一
君が何を「思ひ知れ 」
(わかってください)と言っているかである。
露』詳注』 も、わずかな「 露」ほどの 「あはれ」を私 にかけてくだ
忠俊
1
(0 )
さい 、というのが姫君に対する男君の切望であったと解釈している 。
寄衣恋
を詠み込んでいないものと詠み込んだものとに分かれる。
方で 、
「思ひ知れ」の内容が心情を指す例がある。この場合、心情語
本 論 で は 、 類 似 し た 表 現 あ る い は 構 成 を も つ 和 歌 の 調 査 ・ 検討 を
だが 「思ひ知れ 」の内実とはそ のように捉 えてよいもの だろうか。
行 う こ と で 、 当 該 歌 は 男 君 が 姫 君 の 「 あ は れ 」 を 希 求 し た も ので は
ないと解 釈しうる可能 性を示し、 物語におけるそ の位置づけを模索
- 29 - 30 -
378
(光明峰寺摂政家歌合・八)
思ひ 知れ胸にたく 藻のしたご ろもうへはつれ なきけぶりなりと
も
一三世紀に成立した『光明峰寺摂政家歌合』に見出せる歌である 。
後京 極摂政前太政大臣
( 続 拾 遺 集 ・ 一 六 七 / 秋 篠 月 清 集 ・ 一 三五 一
思ひ知れ有明がたの時鳥さこそは誰もあかぬ名残を
かって「思ひ知れ」と呼びかけるものである 。
「心底、誰しもがお前
複数の歌集に おさめられ たこの歌は、有 明頃に鳴く 「時鳥」に向
/文治六年女御入内和歌・一〇〇)
めくつれない様子であっても 、煙のくゆる藻の下は熱く燃えている 、
の声に飽くことのない余情を感じていることをよくわかってくれよ 」
「した」と 「うへ」の対比 がなされて おり、表面上は 煙の立ち揺ら
その胸の思いを「思ひ知れ」と歌い上げている 。
「胸にたく藻のした
てふ
が見られる。
を
(現存和歌六帖・三八〇 )
思ひ 知れ花にむつ るるからて ふもうつろふ いろのはてのつらさ
正三位知家
心情語を そのまま詠 み込む例は、多 くはないも のの次のような例
きせぬ「名残 」を伝える歌となっており 、類例が見られる歌である。
(13)
(12)
ご ろ も 」 は 心 情 語 で は な い も の の 、 詠 者 の 激 し い 恋 情 を 示 す 語と な
と い う 解 釈 が 示 さ れ る よ う に 、 詠 者 を 含 め た 人 々 の 時 鳥 に 対 する 尽
一四世 紀に完成した 『玉葉和歌 集』には、兄弟 姉妹を失った悲し
(11)
っている。
みを詠んだ次のような歌がある。
八月の比はら からにおく れて侍りけるお なじ年の十月、法
橋 顕昭又いも うとなくなりぬ とききてつ かはしける
法印静賢
いう歌であ る。詠者が花に 寄り添う形 で、その「つら さ」を訴える
に馴れ親しむ「からてふ 」
(アゲハチョウ)にもわかってほしい、と
(玉葉和歌集・二三二八/三百六十首和歌・六四九)
思ひ知れ秋のなかばの露けさをしぐれにぬるる袖のうへにて
自分と同 じように妹を 亡くした相手 に「思ひ知 れ」と伝える内容
ものとなっている。
花が移ろ い色あせる 、そのはての 「つらさ」を 、美しい時期の花
は、
「秋のなかばの露けさを」である。時雨に濡れて悲しんでいるあ
に注目し たい 。
『白露』の 当該歌に戻れ ば 、
「 思 ひ 知 れ 」 は「 露の あ
る 場 合 、 多 く が 詠 者 の 心 情 を わ か っ て ほ し い と 訴 え る 形 に な るこ と
以上見てきたように 、
「思ひ知れ」の内容が心情に関するものであ
なたの袖の様子 で「露けさ 」すなわち詠者 の袂を濡ら す涙を「思ひ
知れ 」と詠むの である。詠者自 身の悲しみ を伝え、とも にその悲嘆
の思いを分かち合おうとする姿勢がうかがえる。
の 少 し の 」 と い っ た 意 味 を 持 た ず 、 季 節 の 情 景 と し て の 意 味 合い を
はれ 」をどうか察してほしいと願う歌であると捉えたとき 、この「あ
強く持つにとどまると言えよう。むろん、
「ほんの少しの、わずかな」
文治六年女御入内の屏風に
は れ 」 は 姫 君 が 抱 く 思 い で は な く 、 歌 を 詠 ん だ 男 君 の も の と 解す る
(16)
必要があるのではなかろうか。にもかかわらず『中世王朝物語全集』
という意味が込められる例がないわけではない。
(実材母集・二九四 )
材母集』 に見られる例 である。私 までもがこの世 を去ってしまった
一三世紀に生きた、権中納言藤原(西園寺)実材の母の歌集 、
『実
れかかくべき
我 が 身 さ へ き え な ん の ち の 柞 原 ( は は そ は ら ) 露 の あ は れも た
ははのはかにて
・『中世王朝物語『白露』詳注』がともに「露のあはれ」を姫君の心
情としているのは 、
「露」を「わずかな、ほんの少しの」という意味
で解釈して いることに拠る のだと思わ れる。以下、こ の点に関して
「露のあはれ」の解釈
考察をすすめていきたい。
二
次に確認できるように 、
「露のあはれ」は決して「わずかな愛情」
ら 、この母の墓にいったい誰が「露のあはれ 」をかけるのだろうか 、
という憂い に満ちた歌とな っている。 この歌に、私 亡きあと私ほど
でなくとも誰か 愛情を注い でくれる人が いたなら、と いう思いを読
を示す表現としてのみ用いられてはいない。
い づ こ と も 露 の あ は れ は わ か れ じ を あ さ ぢ が は ら の 秋 ぞ こひ し
み取ったとき 、
「露」は「あはれ」の情を減少させる働きを担ってい
一 一 世 紀 に 成 立 し た と さ れ る 『 更 級 日 記 』 の 例 で あ る 。 東 山籠 り
を、単なる秋の景の一つとして捉えず 、
「わずかな」という意味を持
世王朝物語『白露』詳注 』が『白露』における「露のあはれ」の「露」
ると考えられる 。
こうした歌を踏まえれば 、『中世王朝物語全集 』
・『中
(17)
(更級日記・四二)
の際に世 話になった 宿に、孝標の 女が贈った 和歌である。歌意は、
つ表現と して解釈した ことは、あ るいはうなずけ よう。だがここで
き
どこであっても「露のあはれ 」
(露のおく秋の情趣)に区別はありま
注目したいのは 、
「露」が担うもう一つの意味である。
(15)
あか でのみ消えに し露のあは れいかにとふ言 の葉もなくなくぞ
な和歌がある。
一三世紀以 前に成立した とされる『 いはでしのぶ』 には次のよう
せんが、そ れでも浅茅 の生えたお宅の 秋が懐かし くてなりませんと
いうものであり、新編日本古典文学全集が 、
「露のあはれ」を「主人
(14)
の深い思いやり 」と訳し、 頭注においても 「秋の露の 情趣、同時に
ふる
宿の 主人の情誼 をいう」として いるように 、この「あは れ」は宿の
主 人 が 示 し た 心 遣 い を 指 し て い る と 捉 え ら れ る 。 ど の 宿 で も 同じ よ
(いはでしのぶ・一二一 )
う に 気 遣 っ て い た だ き ま し た が 、 そ れ で も あ な た の 宿 が 忘 れ られ ま
せんとい う歌であると 考えたとき 、この歌におい て「露」は「ほん
- 31 - 32 -
内 大 臣 の 死 を う け て 、 も と は 内 大 臣 の 妻 で あ っ た 今 の 皇 后 宮に 帝
が贈った 歌である。 歌意は、惜し くてならぬ 人が亡くなった嘆きは
どんなで すかと、問い 慰める言葉 もなく、私も泣 きながら日々を送
っていますというものである 。
「露」が「消え」の縁語となって死を
表現すると ともに、死別の 悲しみとし ての「あはれ」 にかかる語で
あることは見過 ごせない。 ここにおいて「 露」は涙の 象徴として捉
(18)
えう るのであり 、「露のあはれ 」は涙にか きくれるほど の悲嘆ぶり
を示す表現であると考えられる。
『いはでしのぶ』にはもう一首 、
「露のあはれ」を詠み込んだ歌が
(略)
〈二条 〉思ひやれ 過ぎにし秋の露 にまた涙し ぐれて濡るる袂を
ほるれ
(とは ずがたり・二四)
〈後深草院 〉重ねける 露のあはれもま だ知らで今 こそよその袖もし
一 四世紀成立 の『とはずがた り』におい て、二条と後 深草院がか
わ し た 贈 答 歌 で あ る 。 二 条 が 父 と 祖 母 と を 相 次 い で 失 っ た 際 の歌 で
あり 、
「秋の露」に父が亡くなった悲しみを、また「涙しぐれて」に
祖母に死なれた悲しみを込め、そうした思いを「思ひやれ 」
(ご想像
露のあはれ」と返したのであり、二条の歌の「濡るる袂 」
、後深草院
ある。
の「袖もしほるれ」という表現からは 、
「露」が「涙」の表象である
わが袂かな 」
(二三 )という歌を詠んでいる 。
「秋の露 」
「冬のしぐれ 」
これ とよく似た一 首「秋の露冬 のしぐれに うち添へてし ぼり重ぬる
の 歌 に 見 出 せ る 「 露 の あ は れ 」 は 、 ③ の 場 合 と し て 捉 え る べ きな の
つの解釈に分かれるのだと言えよう。そして、冒頭に挙げた『白露』
を
思ひしれ野べ の小萩が下 葉さへぬるれば かくる露のあはれ
前まで、繰り返 し自身の愛 情を口にして いるのであり 、このことか
ってもらい たいと告げてい る。男君は 明け方に姫君 のもとを去る直
よ」
(
は、その前にも 、
「世にたぐひなき心のしるしは、今見はてさせ給へ
こ の 歌 は 、 男 君 が 立 ち 去 っ た そ の 日 の 夕 方 、 侍 女 の 杉 子 に よっ て
発 見 さ れ る 。 こ の と き 杉 子 は 、 朝 早 く に 帰 っ て 行 っ た 男 君 か らい っ
さいの連 絡がこない ことに不安を 感じていた 。後朝の文も届かず、
夕方にな っても何の音 沙汰もない ことを嘆きなが ら、杉子は姫君の
様子をうか がうのであ り、その際、畳 紙に書き付 けられた問題の和
歌を見つけることになる。姫君への和歌を目にした杉子は 、
「げに、
と い う 箇 所 に 注 目 し た と き 読 み 解 け よ う 。 事 態 を 理 解 す る に 及ば な
い姫君の 幼きさまは、 この歌の前 後において杉子 によって「いはけ
- 33 -
ください) と詠みあげ る。この歌をう けて、後深 草院は「重ねける
おも ひおく 露の あはれも君な らでかごと かくべきかただ にもな
病 床 に あ る 伏 見 の 入 道 宮 が 、 内 大 臣 に 届 け た 手 紙 の 奥 に 記 した 歌
と対にされた表現は、もの寂しい情景を描き出すにとどまらず 、
「し
こと を読み取る のは容易だろ う。彼女は「 思ひやれ」 の歌の前に、
(いはでし のぶ・四二)
で あ る 。 歌 意 は 、 娘 へ の 思 い を 残 し て 逝 く 、 そ の 悲 し み を 訴 え申 し
し
あげる方はあなたより他にございませんというもので、「露のあはれ」
ぼり重ぬ るわが袂かな 」に続くこ とで、涙の隠喩 として機能するこ
つまるところ 、
「露のあはれ」とは、①「あはれ」に秋の情趣とし
(20)
は先立た ねばならぬ父 の娘への愛 情を表している 。注釈が「わずか
とになる。
(19)
の哀れの意 味もかかっ ているが強くは ない」と指 摘するように、こ
このように『いはでしのぶ』の二首は 、
「露」に「涙」の意味を読
ではないか。男君は「思ひしれ 」
(どうかわかってください)と強い
ての「露」が添 えられた場 合と、②わずか な「あはれ 」を意味する
こにわずか なという意味を 積極的に読 み取ることは適 切ではないと
み 取 る 可 能 性 の あ る 歌 と し て 位 置 づ け ら れ る の だ が 、 次 に あ げる 歌
に 付 た る 御 口 す さ び も聞 え 給 は ず 、 た ゞ あは れ に 心 ふ か き さ
考えられる。む しろ「露の あはれ」は涙あ ふれるほど の強い思いと
において 「露」と「涙 」の結びつ きはさらに明瞭 に示されている。
ま の か ね ご と 斗 、 思し 知 る ゝ 斗 聞 え 置つ ゝ 、 い と か へ り み が
場合 と、③涙を かきたてる「あ はれ」を示 す場合と、少 なくとも三
口 調 で 訴 え て い た の で あ り 、 そ の 内 実 は 「 露 の あ は れ 」 ― 涙 があ ふ
して解釈できるのではないだろうか。
れるほど 姫君を強く 思う気持ち― であったと 捉えるほうが妥当では
・ 一 七七 頁 )
姫君と初めて結ばれた日の翌朝 、顔を見られることを「おもはゆ 」
~
ちにて出給ふ。
と感じる姫君に向かって、それも「断(ことわり )
」としたうえで、
(
ないかと思われる。このように捉えたとき 、
「露のあはれ」は、その
つきやすく なる。雪や雨な どが降れば すぐにそれをか ぶる上葉と違
愛情 のこもった 「あはれに心深 き様のかね ごと」を、姫 君が「思し
直前にある 「小萩が下 葉さへ濡るれば かくる」と いう表現とも結び
い、なかなか影 響を受ける ことのない下葉 までもが濡 れる、と歌い
知 る ゝ 」 よ う に 幾 度 も さ さ や く 男 君 の 姿 が 見 出 せ る 。 こ う し た姿 は
ど うかわかってく ださい。野 辺に繁る小萩の 下葉までも濡
「 思 ひ 知 れ … 露 の あ は れ を 」 の 歌 意 に 通 ず る も の が あ る だ ろ う。 彼
れればかかる ようなおび ただしい露を。 それほどまでにあ
らも「露のあはれ」の歌意を確認できよう。
・一七六頁)と、姫君を思う並々ならぬ自分の「心」をわか
なたを思い涙にくれる私の愛情を。
物語展開との関わり
あろ う姫君のご 様子 )(
さもおほしぬべきさまにこそ 」
(なるほど、男君がそのように思うで
もおほしぬべきさま 」とは 、続く「女ぎみは何事とも心得給はで 」
(同 )
・ 一 八 〇 頁 ) と 「 こ と わ り」 に 思 う 。
「さ
情を 示すもので あると解釈でき る。このこ とは、次のよ うな男君の
以上述べてきたように、
「露のあはれ」とは姫君ではなく男君の心
三
は自身の尽きせぬ思いを強く訴えたのだと考えられる。
男 君 は 、 こ の 歌 に お い て 姫 君 の 愛 情 を 希 求 し た の で は な く 、ま ず
訳)
歌)
上げ る文脈に続 いて「露のあは れ」の語が 導き出されて いることも
375
踏まえたい。よって、当該歌は次のように解釈できよう。
374
姿からも改めて確認できる。
い と 強 に お も は ゆ と思 入 給 へ る さ ま も、 断 に 心 苦 し く て 、折
378
- 34 -
374
なき 」
(
ヲハシマ
・ 一 八 〇 頁 ) と 繰 り返 さ れ て
・一七九頁 )
「心細き御分野(ありさま)かな 」
( ・一七
九頁 )「むげに おさなう御 座す哉 」(
377
全体に目を向けたとき 、
「露のあはれ」を男君の心情として捉えるこ
である。
のに対して 、その「心 」への懸念を抱 く姫君の姿 が描出されること
注目し たいのは、男 君が繰り返 し姫君への尽き せぬ思いを伝える
との意味が見出せるのではないか。
という男君 の切実な恋 情を解しがたい 、幼き姫君 の様子というもの
託された 男君の思いを 解さず受け 止めない女性と してみつめていた
ていないわけではないのだが、杉子は我が主人を 、
「露のあはれ」に
注 い で い る こ と は 注 意 し て よ い だ ろ う 。 実 の と こ ろ 姫 君 は 何 も感 じ
おい て杉子が、 姫君に対してど ちらかとい えば批判的な まなざしを
す ろ ひ な ん 」 など 、 人 し れ ず 打 な か れて 御 袖 の 上 も 只な ら ぬ
さ は が れ て 、 北 方 も傳 へ 知 し め さ ば や。 い か な る う き め にさ
ぼ つ か な く 、 終 に 長く し も 見 果 ぬ 物 か ら 、あ い な き 化 の 名 に
た る 船 の よ る か た し ら れ ず、 色 見 え て う つろ ひ 行 ん も 、 末 お
「 口 と き人 に い ひ も ら さ れな ば 、 彼 ま ら 人 の 御心 と て も 、 浮
・一八六頁 )
程に 、男君おはしたり 。
・一八〇頁 )
。男君の姫君に対
かっ たというが 、その悩みは 姫君の「まゝ 母」と「父 君」の「心」
ま ら 人 の 御 心 」 で あ っ て も 、 と 男 君 の 「 心 」 を 「 浮 た る 船 の よる か
に思いを馳せる場面である 。二人の仲が人々の噂にのぼったなら「彼
結 ばれてから ひと月経ち、男 君に慣れて きた姫君が来 し方行く末
( ~
のではない かと思われ る。男君の無沙 汰に困惑し 不安にかられてい
への不安で大きく占められていた(
むろん、 この表現を姫 君のわずかな 愛情を指す ものとして捉えた
はあてにならず 、心変わり する可能性があ ると考えて いる。こうし
られており 、姫君は 、今現在はともかくとしても 、結局男君の「心 」
ありける 」
(『古今集』 巻一五・恋 歌・七九七・小 野小町)が踏まえ
ている。 ここには「色 見えて移ろ ふものは世の中 の人の心の花にぞ
としても、 杉子が歌を発見 した場面に おいて大きな齟 齬は生じない
・ 一 八 九頁 )
(
・二四四頁)
吹まよ ふ風の心も しら露はむすび もあへず消 や果べき
(21)
という見解もあるだろう。確かに 、
「思ひ知れ…露のあはれを」の歌
た思いは、姫君がそのあとに詠んだ次の歌にも見出せる。
の 姫 君 に 対 す る 恋 情 を 読 み 取 る こ と は 可 能 で あ り 、 そ れ ゆ え 杉子 は
~
ち彼女は「しら露の君 」
(
・二〇五頁)とも呼ばれており、呼称や
運命をたど る「しら露 」が、姫君を表 しているこ とだろう。このの
頁) という不安 にあたかも答え るかのよう な歌である。 しかし姫君
「彼まら人の御心とても…色見えてうつろひ行ん 」
(
ふ心のいろ はかはらず」と いう歌を贈 る。かつて姫君 が抱いていた
意外な場 所で姫君を見 つけ出した男 君は、年月 が経っても「おも
(
作品の題名の由 来としてこ の歌は重要であ るのだが、 そのうえで、
は 、 男 君 の 変 わ ら ぬ 「 心 」 を 訴 え た 歌 を 目 に し て も 、 な お か つ誤 解
人のみ心の頼みがたげなるを(下略 )。
姫君 が「露」と なっていること に注目した い。これまで 、自身の思
による疎遠であったという事情を知ったあとでも 、
「またいかさまの
・一八六
い の 表 象 と し て 「 露 の あ は れ 」 を 詠 み 込 ん で い た の は 男 君 で あり 、
行末にか 」と男君との未来への不安をぬぐえず躊躇する 。男君の「み
385
386
・二四九頁)と、男君に全幅の
に、たいめせんとも思されず、奥のかたにかくれ給ひぬ 。
(略)
とかき てい れ給ふ に、女ぎみ、 年比つらしと 思しこめた る御心
考える。
ふ れ る ほ ど の 愛 情 を 訴 え る も の と 捉 え た ほ う が よ い の で は な いか と
踏ま えたとき、 姫君の愛情を求 めるものと するよりも、 男君の涙あ
詠んだ「思ひ知 れ…露のあ はれを」の歌は 、こうした 物語の展開を
「か うて もへぬ る年月を、 又人わろく てさそらはん より」と、
又いかさまの行末にか」と、思したどられずもあらざりければ、
りようが浮 かび上がってく る。よって 、男君が物語に おいて最初に
の事件を経 るなかで男 君の不可解な、 あるいは浅 はかな「心」のあ
ていくの である。詳細 は別稿で述 べたが、この物 語では、いくつか
(23)
せること はなく、複 数の出来事を 通してその 「心」への懸念を強め
ぬ 「 心 」 を 伝 え る の に 対 し 、 姫 君 が 男 君 の 「 心 」 に 絶 対 の 信 頼を 寄
つ ま る と こ ろ 、 男 君 が 姫 君 へ の 強 い 愛 情 を 繰 り 返 し 述 べ 、 変わ ら
信頼をおきはすまいと自身に言い聞かせている。
に、かたよせきこゆべき事かは 」
(
ののち男君 のもとへ引き取 られてもな お、彼女は「 すべてひたむき
~
そ の 後 も 「 露 」 に 思 い を 託 す 歌 を 詠 ん で い た 。 涙 あ ふ れ る ほ どの 深
(22)
い「露の あはれ」を抱 いている人 物であったはず の男君は、姫君に
し が の 浦 や み る め は あ ら ね ど 年 を へ て お も ふ 心 の い ろは か
構図が見出せることに注意したい。
ぬ 思 い を 歌 に 詠 ん で よ こ す 男 君 と 、 そ れ を 受 け 止 め な い 姫 君 とい う
思わ ぬ再会を果た すことになる のだが、こ のときも、自 身の変わら
来事 が起きる。 これを受けて 姫君は彼の前 から姿を消 し、その後、
やがて男君が ある誤解に より姫君のもと へ通わなく なるという出
のである。
心」を「頼 みがたげ」 にする姫君の様 子が描出さ れるのであり、こ
454
安堵した という解釈も ありえよう 。だが、一場面 にとどまらず物語
この歌 において、男 君の「心」 は「吹まよふ 風の心」と表現され
389
よって「吹まよふ風の心 」
(一八九頁)の持ち主として捉え返される
る。興味深いのは、その「心」も「しら」ずわからず「消や果べき 」
452
君 の わ ず か な 「 あ は れ 」 を 求 め る 歌 で あ っ て も 、 い ず れ に せ よ男 君
は、 男君の涙あ ふれるほどの「 あはれ」を 訴える歌であ っても、姫
える。
たしられ」ぬさまになぞらえ 、
「色見えてうつろ」うものとして捉え
386
す る 愛 情 へ の 懸 念 と い う も の が 挙 が っ て こ な い の は 、 杉 子 が 発見 し
385
た男君の 歌が、姫君 への強い愛情 を込めた内 容であったからだと言
れることはない 。この夜、 杉子は姫君の 「行末覚束な くて」眠れな
た杉子だっ たが、男君の歌 を目にした あとは彼女の 戸惑う姿が描か
にふさわしい美 しい姫君の 様子という解釈 も可能だが 、この場面に
であったと 考えられる。も ちろん、男 君からそうした 愛情を受ける
いた。よってここでの杉子の会得とは 、
「思ひしれ…露のあはれを」
378
378
「さ斗の事に付ても 、あさはかに絶給ひにけるすがく敷御心に 、
はらず
460
410
- 35 - 36 -
377
つ ま り 男 君 は 、 愛 す る 姫 君 と の 仲 は 、 涙 を こ ぼ す こ と な し に は進 む
作 品 に お い て 、 涙 の 表 象 と し て の 「 露 」 の 「 あ は れ 」 を 詠 み 込ん だ
ったのかという問題もあるだろう。先述したように 、
『白露』以外の
歌として、涙な がらに愛情 を訴えるような 歌がどこま でふさわしか
の歌意を捉 えなおしてきた 。むろん、 ようやく結ばれ た姫君に贈る
おいて男君 が初めて詠 んだ和歌である 「思ひ知れ …露のあはれを」
以上 、
「思ひ知れ」
「露のあはれ」という表現に注目し 、
『白露』に
いて男君 の歌はあまり 高い評価を 得ていないこと から、詠歌の場と
歌 の 場 合 と 近 い も の が あ る と 言 え る だ ろ う 。 そ も そ も 作 品 世 界に お
む 形 で 姫 君 へ の 愛 情 を 示 し て お り 、 こ の 点 に お い て 「 露 の あ はれ 」
難い 。このよう に、男君はその 場の状況に 似つかわしく ない歌を詠
たとしても、親 密な夜を過 ごしたあとに贈 る歌として 適切とは言い
釈も付され ており、たとえ 男君がそこ までの意味を込 めていなかっ
結婚そのも のを悲しい 定めと嘆いてい ると捉えか ねない」という注
とに贈り届けるのである。この歌については 、
「一首全体の歌意も、
ことので きない思う にまかせぬも のであると 歌い、それを姫君のも
歌 が 、 死 別 な ど に よ っ て 永 遠 に 会 え な い 人 へ の 慕 情 を 詠 ん だ もの を
歌意との不 調和を男君 の作歌能力の乏 しさゆえと 見ることもできよ
おわりに
中心とし ていることを も踏まえた ならば、男君が 初めて逢瀬をかわ
うが、一方 で、こののちの 順風満帆な らざる展開を 示唆するものと
(
(
『慕風 愚吟集 (堯孝 )』
(二一 六 )、
『 新千載 和歌集 』
( ) 『 公 衡集 』(三六 )、
る。
反 省 を 促 す 「 思 ひ知 れ 」 とな って お り、 今回 の 考 察の 対象 か ら外 して い
七世 紀 に 成 立 し た 『 雪 玉 集( 実 隆 )
』の二例(四一〇五・七六六八)は、
四世紀に成立した『拾玉集(慈円 )
』の二例(二四三五・二七四八)と一
例は 、
『 月 卿雲 客 妬 歌合 建保 二 年九 月 』
( 四八 )に も見 ら れる 。 また 、一
れ ば よ い) と い っ た 、 自分 自身 へ 詠み か ける もの と なっ てい る 。同 様 の
( 七 八 〇八 ) の よ うに 、「 こり ぬ 心を 」私 自 身が 「 思ひ 知 れ 」( か みし め
この歌集では 、
「思ひ知れつらき心の奥山にたつをだまきのこりぬ心を」
〇一・七〇四〇・七三六四・七七三三・七八〇八・八五一八 )見られる 。
なお、一五世紀に成立したとされる『草根集(正徹 )
』には六例(六七
によ る 。
括 弧 に作 品 名 ・ 歌 番号 を 示 した 。歌 番 号は 基 本的 には 『 新編 国 歌大 観』
(角川書店)CD―ROMによる 。
)以後の和歌の調査は『新編国歌大観 』
を挙げており、これは①の用例にあたると考えられる。
典(二版 )』
(小学館 、二〇〇一・二 )は 、初出の例として『古今和歌集 』
(『物語文学 論攷 』
〈教育出版セン タ
) 中野幸 一「 新出のしら 露について 」
一九六七・三)。
(
(
『早稲田大学図書館紀要』八 、
) 柴田光彦・中野幸一「『しら露 』解題 」
《注 》
界の豊かなありようは看過しがたいものがあると考える。
すること で見えてく る物語展開と 和歌との関 連性、ひいては作品世
い て は 慎 重 で あ る べ き だ が 、 登 場 人 物 が 詠 じ た 和 歌 の 一 解 釈 に注 目
して いるのか、ま たどこまでそ れを汲み取 ることができ るのかにつ
『 白露』とい う作品が場面や 表現をどれ ほど有機的に 配置・構成
(25)
(24)
した姫君にむけた歌としてはなおさらそぐうまい。だが、
『白露』で
しら露 』
〈笠間
捉えることも可能だろう。
はこうした例が他にも見出せることは興味深い。
い か さ ま の 世 々 に む す び し 契 に て か ゝ る あ さ ぢ の 露 を 分 らん
( ・一八九頁 )
・ 一 八八 頁 ) の 中 を 帰
男君が 、久方ぶりに 訪れた姫君 のもとで仲睦 まじく夜を過ごした
翌朝の場 面である 。「霜ふか き庭の草葉 」(
らんとする男君は、袖が「露 」
(同)でしとどに濡れるのを受けて、
しのびね
)『 物語 文 学 論攷 』) に拠 る 。カ タカ ナ のル ビ も本 文に 拠 るも ので
)
『中世王朝物語全集』の『白露』の頁数も並記した。
して 引 用 し た 。 括弧 内 に 頁 数を 算用 数 字で 示し た 。な お 漢数 字で 、 参照
とし て 前 掲 注 (
知 )」の項目において 、
「①心に悟る。理解する。」
、
「②悪行の報いを身に
し み て 感じ る 。」と 分類 し 、そ れ ぞれ 用例 と して ① 『宇 津 保物 語 』『源 氏
物 語 』、 ② 『( 黒 本) 金 平竜 宮物 語 』な どを 挙 げる 。 また 『日 本 国語 大 辞
1
「いかさま の…かゝるあさ ぢの露を分 らん」と歌を詠 み、姫君に贈
)中野幸一論文。
が付 さ れて い る 。
) 前掲 注 (
注(
) 本 文 の引 用 は 、 中 野 幸一 翻 刻 「 早 稲田 大 学 図 書 館 蔵『 し ら 露 』」(前 掲
書院、一九九九・六、二七六頁〉)
。
) 片岡 利博「解題 」(『中世王朝物語全集一〇
(『文林』三一、一九九七・三)。
)片 岡利博「『白露物語』の基礎的研究―早稲田本の成立をめぐって―」
2
2
る。歌意は、こ んなにひど く「あさぢの露 」に濡れな がらかき分け
(
3
9
て行 かねばなら ないのは、いか なる「世々 」で「契」を 結んだから
なのか、というものである。この歌において「露」は、ただ「結ぶ 」
と 縁 語 に な る だ け で な く 、 前 世 の 因 縁 を 嘆 く と い う 内 容 ゆ え に、 現
世の状況 に対して流す 「涙」とし ての意味を持っ ていると言える。
ー、一九七一・一〇〉所収。初出は、『国文学』一二―一二、一九六七・
一 〇 ) は、 引 歌 に 注 目 して 「一 二 七八 年 以降 」の 成 立と す る。 田 村俊 介
「 解 説 」(『中世 王 朝物 語『 白 露』 詳注 』
〈 笠間 書 院、 二 〇〇 六・ 一 〉) は
『河海抄』を踏まえた表現があるとし 、
『河海抄』成立の「一三六二年以
降」 の 成 立 と す る。 両 者 と も、 御伽 草 子と 『し ら 露』 に は隔 たり が ある
こと か ら 、 室 町 期( 中 野 氏) ある い は 室町 中期 ( 田村 氏) ま では 下 るま
(
4
(一九二二)、
『広沢輯藻(長孝)』
(九八五)、
『耕雲千首』
(八五〇)など 。
( ) 一三世 紀以前 に成立 したと される 『いは でしの ぶ』に も、同 様に恋 の
思ひ知れ君が心に身をかへてしのぶにつくす袖のけしきを(一〇三)
思いを訴える歌が見られる。
大 納言 が 内 大 臣 の妻 で あ る一 品宮 に 長年 の 思い を打 ち 明け る場 面 であ
る 。 歌 意 は 、あ な た の 心に な って 我 が恋 心を 抑 えて き まし た が、 その た
め に 濡 れ た 「袖 の け し き」 を 、す なわ ち 私の 気 持ち をど う かわ か って く
ださいというもので 、『白露』の当該歌を考えるにあたり参照すべき点が
あると思われる。
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い 、 と す る 。『 鎌倉 時 代物 語 集成 』( 市古 貞次 ・ 三角 洋 一編 、 笠間 書院 、
(
5
あ る 。「 あ はれ 」 は 本来 「哀 」 の表 記 とな って い るが 、「 あは れ 」に 統一
1
10
389
一九九一・四)は、「鎌倉後期・南北朝の成立」という見解を示す。
(
6
) 『 角 川 古 語 大 辞 典 』( 角 川 書 店 、 一 九 八 二 ・ 六 ) は 、「 お も い しる ( 思
6
11
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) 物 語 本 文 に 続 い て 「 寛 永 十 六 年 三 月 日 」、「 し ら 露 下 終 」、「 為嫁 女 書 之
(
7
送者也/北村久助生年/十六歳」の識語があり、その末に「白露之系図」
(
8
頁)。
( )『 和 歌 文 学 大 系
続 拾 遺 集 』( 明 治 書 院 、 二 〇 〇 二 ・ 七 ) の 脚 注 ( 三 二
八 年 ・五 三 四 )、
「思 ひし れ 又夕 暮の た のみ だ にな くな く をし き 今朝 の名
(古今集・恋一・よみ人知らず)
本文 と 研究 』
(笠間書院、一九七七・四、
)『 中 世 王 朝 物 語 全 集 』、 前 掲 注 (
(麓のちり・二八四)
)
『 中世 王 朝 物 語 『 白
( ) 男 君が 姫 君 への 思い を詠む 際に 、「露」 を涙の 隠喩 として 用い ている 例
露』詳注』ともに指摘する。
( ) 前 掲注(
守りわぶる山田の庵の秋風にいく夜の露のあはれをもとへ
( )涙と解釈できる例として、次の歌もある。
二 九四 頁 )
。
( ) 小木喬『いはでしのぶ物語
19
20
( )「 思 ひ 知 れ 花 に 恨 み し 雁 が ね の と こ よ の 月 の 秋 の 別 を 」( 百 首 歌 合 建 長
和 泉式部 日記・紫 式部日 記・ 更級日 記・讃
残を 」
(新拾遺和歌集・一一八一/題林愚抄・六八一九)など。
( ) 『 新編日 本古典文 学全 集
( 『)新編日本古典文学全集』の頭注一五(三一二頁)。
岐典侍日記』
(小学館、一九九四・九)の訳(三一三頁)。
( ) 前掲 注
秋夕
( )同様の解釈ができる例として、次の歌がある。
2
として、先に挙げた以外に次のようなものがある。
( ・一八八頁)
ゆかりぞと見るに心は慰まで袖こそぬらせ若草の露
『白露 』論―男君の「心 」に着目して― 」
(『日本文芸論叢 』二一 、
( )拙稿「
への恋情を改めてかきたてられ 、露の涙を詠み込んだ歌を詠むのである 。
を 濡 らす の で す 、 とい う 歌 であ る。 妹 の中 の 君を 前に し た男 君 は、 姫君
は 慰 めら れ ず 、「若 草の 露 」
( 中の 君を 見る こ とで こ ぼし た涙 ) が私 の袖
さ 」 っ てい く 。 恋 し い 姫君 の「 ゆ かり 」 だと 思っ て 見る に つけ て も、 心
って姫君への思いが募り、男君は 、
「なほ忘れがたく恋しきことのみ数ま
の 中 の 君 の 部屋 を 訪 れ て詠 ん だの が 右の 歌で あ る。 妹を 見 つ める とか え
う の を や め る と いう 出 来 事が 起き る 。せ め て心 を 慰め よう と 、男 君が 妹
姫 君を 実 の 妹 だ と誤 解 し た男 君 は彼 女と の 関係 を絶 と うと 決 意し 、通
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花の色露のあはれのそれよりも秋は夕の深草の里
(春 夢 草( 肖 柏 )
・一 二 六 五 )
いとさらに思ひたえなん道芝の露のあはれを君しかけずは
(雲玉集(馴窓 )・五一二)
( ) 同様に「わずかな」という解釈ができる例として次の和歌がある。
たびたび文やる人のもとに、五月ばかりに
(風情集(公重 )
・ 九五 )
ことのはは夏野のくさとしげくともつゆのあはれもさはおかじとや
寄 秋露 恋
さて も も し 露 のあ は れ もか く るや とう き 身消 え ぬと 聞か せ ても みん
(雪玉集(実隆 )
・三四二三)
( ) 次にあげるように、涙を「露」にたとえる和歌は少なくない。
(古今集・秋下・貫之)
山田もる秋の仮庵に置く露はいなおほせ鳥の涙なりけり
夕さればいとどひがたき我が袖に秋の露だにおきそはりつつ
際 に は 杉 子 に よ っ て 「 何 斗 の ふし に は あ ら ね ど 」( ・ 一 八 一 頁 )、 と 取
り立てて見どころがあるわけではないと批評されている。
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)
『 中 世王 朝 物語 『 白露 』 詳注 』
(四六頁 )
。
二〇一二・三)。
( ) 前掲 注 (
( ) 「いか さま の…か ゝるあさ ぢの露 を分ら ん」 の歌は、 彼自身 「わろ か
2
めれど 」
( ・一八八 頁)とことわりを入れており、 また別の歌を届けた
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